か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

考える兵隊

2012年12月29日 | 学問

日本軍の場合は、「おいちょっとそこの兵隊、このトラックを動かせ。」といっても、「免許持ちません。」となるのがオチだった。ところが、ヤンキーどもはほとんど免許を持っていた。クルマなしに彼女にモテるはずない。

こういうほんのちょっとしたことの積み重ねが戦場では大きな力となる。

太平洋の島嶼部における接近戦では手榴弾の投げ合いとなることもあった。ベースボールクラブの投球力はこんなところで役立った。

なにも体力ばかりではない。ヤンキーのphysicsの教科書を見ると日本軍の敗因が書いてある気がした。

「断じて行えば鬼神もこれを避く」とか何とか中国と戦争してるのに中国の故事に酔う能天気将軍たち。20世紀だというのに精神主義だ。勝つわけなかろ。

日本も憲法改正して軍隊を持ちたいそうだが精神力万能主義はごめんだな。

ところで、ヤンキーの物理の教科書は素晴らしかった。安易に答えを与えてない。また、とてつもなく難しい問題が平気で出ている。つまり、米軍は教育のなんたるかをよく理解しているのだ。教育で大事なのは答えではない。そんなもの出てもでなくても、正解だろうが間違っていようがどうでもいい。大事なのは、ああでもないこうでもないと考えることだ。

砲の仰角と二つの支持脚の開角度を求めさせていた。たいていどうでも弾は飛ぶが、照準に正しく飛ばせるにはちょっとした関数が必要だ。もちろんヤンキーたちがこんな問題解けるはずはない。ただ彼らは考える。ああでもないこうでもないと考える。かえって数学が得意なやつはいない方がいい。

いろいろ工夫してみることが頭の訓練になるんだ。そして、思わぬところでそれが問題解決の発想になったりする。

わけも分からず徴兵された尋常高等小学校上りが、意味も分からず丸暗記した軍人勅諭や戦陣訓は大量自殺する宗教集団を生んだ。勲7等とか8等とかでごまかされた、名誉の戦死の兵や哀れだ。

敵の弾と味方の弾の板挟みになって兵は死んだ。そして、その兵に死ねと言った下士官も死んだ。その下士官に死ねと言った尉官も死んだ。しかし、日本軍は佐官が最も生き残った軍隊だ。不条理に包まれた軍隊が勝とうものか。

米軍がわずか25万の死者で太平洋戦争を乗り切ったのは物量の差ではない。新兵訓練で叩き込まれたのが精神主義ではなくて合理主義だったからだ。

Posted at 2012/05/17

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