か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

Throwing straws against the wind

2015年07月08日 | 思想

 

僕は、人生も残り少なくなって、一つ、二つとあきらめていくことがでてくる。

英語。とうとう最後までモノにならなかった。砂利どもは中身のない話しをして英会話ができると思っているが、それはアメリカにいるお前と同レベルの人間と話ができるというだけだ。福岡県の人間が佐賀県の人間と話をするようなもんだ。何の向上もない。

問題は読解である。幾重にも関係代名詞が絡み合ったD.H.Lawrenceを、自由に読みこなす人はどんな頭をしているのだろう。

lawrence(ロレンス)は日本ではエロ作家として名高い。僕は彼の単語の豊かさに腰を抜かさんばかりであった。

彼の著作を一貫して流れているものは、人生に対峙するまじめさである。短編はまだ訳がでていないものが多い。ぜひチャレンジしてほしいと思うのだ。

彼は言う。「人生は激しくなければ意味がない。」この信念のもと「チャタレイ婦人の恋人」は書かれた。ばかなことに日本は戦後にいたってもこの本を発禁処分にした。

自分をとりまく厳然たる階級の壁。そこでstruggleする庶民。下品で暴力的ないがみ合いの中にも連帯の絆が確かにあること。PUBの一瞬を切り取っていつまでも心に残る作品を書いた。

最高裁は時代遅れの解釈でエロ作家と断定した。われらは禁書になったlawrenceの作品に触れることは出来なくなった。(1951年) 完訳がでるのは1960年だ。短編はほとんど訳されていない。

元気になる方法はいまやたくさんある。歌、楽器、クルマ、・・・ だが本ほど感動が続き人生観に影響を与えるものはない。

(夢は誰でも見る。が、皆同じではない。くたびれた心を休めようと夜夢を見る人がいる。そんな人は朝目覚めてみるとそのむなしさに気がつく。しかし日中に夢を見る人は危険だ。目を開けて夢を見る。そうして夢を現実にする。)     ©からけん訳

 

ある町内誌が廃刊になった。僕は毎号を取り寄せ文章の確かさに只者ではないと感じていた。きわめて客観的に戦時中の話を集めていた。これは貴重な資料になるものでそこらの町内で読むには、実にもったいないものであった。

ところが町内会長を補佐する副会長が因縁をつけたのだ。「自分へのインタビューがなぜ後回しになったのか。」この人は町内誌のメンバーにしつこく迫りなじりどう落とし前をつけるか迫った。

町内誌を見ればわかるように、きちんとした文章と編集能力がある人達は教養人だ。だが教養だけではヤクザに対抗できない。だれもがlawrenceにはなれない。lawrenceは母親の死、駆け落ち・・・と、気が狂いそうな不幸が続く。しかし、彼の信念はいろんな作品を通していまや世界中で開花している。

僕は蟷螂の斧の脆弱さを感じた。文を書くとはなんと弱弱しいことだろう。ペンは剣の前にはひとたまりもない。それが現実だ。このヤクザ副会長は自分のしたことがわかっていない。あたし様にインタビューをしないから新聞なんてつぶれて当然だ。こう考え、自分が犯した罪を自覚しない。

あなたは文化をつぶしたのだ。

しかし、ヤクザババアは自身の犯した大罪にたいし、いつの日か必ず責めを負う日が来る。世間をなめて大声で自分の我を通したつもりか。1000人のstrawsが伏目がちにあなたを憎んでいる。

 

 

 

 

 

 


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