武士道とは行動において「死にぐるい」(必死)であるべきだと説く。戦争中の特攻を美化するためにヒステリーにかかった低能がこれを利用した。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という一節を本人の読解力のなさから部分的に取り上げ曲解したものである。
即断即決をよしとする。さらに即決即行動を説く実用の書である。「抜即斬」の示現流にもつうじている。やられたら間髪いれずやり返せ。それは武家の存在理由でもある。ああだこうだと理屈を言う山鹿素行をきらった。
真珠湾攻撃がいい例だ。味方の被害を恐れてさっさと引揚げてしまう。バカみたいに独りよがりのアウトレンジ戦法にこだわる。そんな悠長なことを言っているから特攻を出す戦になってしまったじゃないか。
後からならいろいろ言えるとかいう人がいる。頭が悪いな。やる前から分かっていると言っているのだ。
山本常朝が葉隠れを説いてから60数年して鍋島藩藩校の弘道館ができた。昨日ここの教科書が残っていると聞いて見せてもらいに行った。成績の悪いものは家禄を減らされたという。場合によっては藩吏になれないこともあった。
すさまじい漢文だった。これを見るとセンター試験の漢文なんか平仮名だ。これを15歳ぐらいのガキが読んでいたのか。僕も勉強しなくちゃと思った。
ダメなやつ、見込みのないやつ、飲み込みの遅いやつ、はドンドン落とさなくっちゃ。ままごとゴッコの変態学校で何が生まれるか。この頃は朝鮮人に負けているではないか。日本人よ、恥を知れ。
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。いまどきどこで正しさなんて教えるだろうか。学校がすべて養護学校になっている。
さきほどの教科書の中にいい一文を教えてもらった。「勧功興学」このなかから二文字をとって小学校の名前にしている。勧興小学校だ。
学校の案内に、勧興魂「勉強はベストをつくし、 運動はくたくたになるまで」を合言葉にしているとあった。島義勇を見習って私は北海道にいきたいですという児童がいる。いいじゃないか。ゲームしかしないバカ親のバカ息子よりどれほどましか。勧興小学校はすさまじい偉人を出している。佐藤尚武その人だ。後日書く。
藩校弘道館は今の佐賀西校だ。佐賀はなんと素晴らしい高校を持っているんだ。先生にもまして生徒が素晴らしい。自由闊達な校風の中から大勢の東大合格者を出している。こいつらが大学入学後伸びるんだ。
僕は話す機会があって何度か行ったことがあるが彼らの目を見ていると安心した。僕が話すことは何にもないと思えてきて恥ずかしくなった。
補習だ課外だだと締め付ければ東大ぐらいならだれでも通る。何千人も合格しているんだぞ。問題はそのあとだ。佐賀西、武雄、鹿島の生徒は伸びる。福岡市の南区にあるような馬鹿でガサツで利己主義でプライドだけの生徒は落ちぶれる。この根拠はまたいずれ論じます。