アウステルリッツ三帝会戦。ここら辺になると混乱して何が何だか分からなくなっている受験生も多いだろう。まだまだ間に合う。ブルボンのアンシャンレジームが倒れたところから。
栄華を極めたブルボン王朝(Maison de Bourbon)も怒る国民のスローガン(Ancien régime)の下にあっけなく倒れた。文化的にはMaison de Bourbonが残したものは多い。いわゆるフランス刺繍。マリーの衣装だけのために年間30億円が投じられた。僕はブレゲ以上の上品な時計を知らない。しかしパリの貧民にとってはそれらすべてがベルサイユのあだ花に見えたのだ。
揺れるフランスに恐怖感を持った周辺国がいた。周辺国は革命の輸出に怯えたのだ。貴族は既得権喪失の恐怖におびえ貧乏人は愛国心に燃えた。オーストリア 南ネーデルラント(オーストリア領ネーデルラント) グレートブリテン王国(イギリス) ナポリ王国 プロイセン王国 サルデーニャ王国 スペイン王国 は団結し対仏大同盟を結んだ。
しかしナポレオンの登場によりフランス国民の士気は大いに上がりやがてこの大同盟は崩れる。(第一次対仏大同盟)
ナポレオンがエジプトでネルソンの艦隊に敗北するとこの時とばかり再び周辺国は対仏同盟を結んだ。
オーストリア グレートブリテンおよびアイルランド連合王国(イギリス) ロシア帝国 オスマン帝国の4カ国である。
しかしナポレオンの進軍はとどまるところを知らずリュネビルの和約によりラインラントを獲得した。イタリア付近にはフランスの傀儡国がいくつもできた。
そしてついに第三次対仏大同盟である。 (Third Coalition)エジプトから逃げ帰ったナポレオンは得意の弁舌で皇帝の地位につく。周辺国はあわてて対仏同盟をつくって対抗する。グレートブリテンおよびアイルランド連合王国(イギリス) オーストリア帝国(神聖ローマ帝国) ロシア帝国 ナポリ王国 スウェーデン王国。
ここで面白いのはプロイセンが中立を宣言することである。強力な陸軍を持ちながらもナポレオンには対抗できないと見た。ナポレオンもプロイセンを敵に回しては勝利は危うくなる。ナポレオンは気前よくハノーバー領をさしだして中立を維持させた。
三帝会戦と言っても3人が同時にケンカしたわけではない。問題となる戦力はロシア、オーストリアの連合軍対ナポレオンの軍隊であった。
同年すでにトラファルガー沖の海戦でネルソンに敗北していた彼は陸戦にかけた。
わざと弱点を見せ戦いにおいて有為な高地に敵を誘い込み主力で背後を突き一気に殲滅した。
その高地にたった彼は下の湖に滑り落ちる敵兵を救うことはなかった。湖は凍っていた。大砲で湖の氷を割ると敵兵を溺死させた。
自分がエジプトを脱出する時は恥も外聞もなくほうほうの体で脱出する。厚顔無恥にも勝ったことにして皇帝の地位を略取する。あぶないと見るや将兵の血であがなった土地も平気で献上する。勝てるときは残虐この上ない。
対仏大同盟は7次まで結成される。当分はヨーロッパの歴史はナポレオンの歴史になる。