たしかに街を歩いていると、どうしてこんなに醜いのに育てるんだろうと思うものを見るときがある。
僕の場合は客観的にかわいい赤ちゃんだったので、人生を生きるにあたり多くの妨害があったが命がけで育てた。社会の様々なものは、子育てを邪魔しようにかかっている。
そればかりか時として子供からもモヤモヤッ、イラっとするものを感じるときはある。
布団におしっこをされて常に笑顔の人は神だ。食事の時、目の前でドバっと吐かれて平気な人は何かがおかしい人だ。
だけどその何千倍も素敵なことがあるじゃないか。明日、はや出なのにわざとのように夜泣きをするが、悪いのは赤ちゃんじゃなくてそんなときまで仕事をさせる社会のシステムにある。
日本がいくら貧乏国に転落しつつあるといっても企業の内部留保は史上最高だ。シリアやソマリアではなく日本での話が当然の前提だ。
国は労働者に無理なことを言って、それができないと人間失格のように思いこませる。すると負けたくない人は異常にがんばる。だんだんエスカレートして子供を殺しても会社に行こうとする人が出てくる。人間が人間の作ったルールに苦しんでどうする。幻の目標に走るのはバカげている。
そしてその人は低賃金だ。そしてその人は休んでも大勢(たいせい)に影響のない仕事をしている。そしてその人の心はできなかったこと負けたこと悔しかったことで詰まっている。
国は言う。カネは出さんぞ年休も与えんぞ、だが少子化だから子供を産め、保育園は高いぞ入れんぞ手当は出さんぞ子供は育てろ女も働け。
こんなこと神でも無理だ。
低能がイラっとしてわが子を殺すなんてひどい話だ。人間社会には必要ない人だ。
だが僕らは檻の外から猿のけんかを眺めているのではない。当事者なのだ。子育てを妨害しているものはなにか、それをいかに取り除くか考える責務があると思う。
こんないい青年になる権利があったのに
もともとは、世の中に子育てほど楽しいものはないじゃないか。僕は子供から親にしてもらった。親こそ子供に恩を感じるべきだ。それを殺すなんて。僕は人殺しの国に住んでいる。一番殺してはならない人を殺す人は、この世にいてはいけない。