前回の続き
ある日本人から聞いた話だが、日本人が礼節が正しく社会が秩序整然としているのは天皇がいるからだという。つまり、天皇の国に住んでいるから深化した道理のもと静かに礼節を重んじ生きているのだということだ。今日、日本の発達した民主主義を見るとでたらめな話ではある。しかしながら時々韓国の騒がしい社会や政治を見て気分を害するときなどそんな庶民意識が起こってきて、我々にも王がいたらという気持ちになる。多分、こんな心情は少し年配の韓国人だったら誰でも一度は持ったことがあるに違いない。
それほど朝鮮王朝の滅亡は現代の韓国人たちにはいまだに同時代の事件として痛恨の極みなのである。この話になると韓国人ならだれでもこぶしを握り締め、朝鮮王朝に侵入した日帝(日本帝国主義)の蛮行を糾弾する。北朝鮮はいまだに日本を同じ太陽を仰ぐことのできない(不倶戴天)敵だという。もっともけしからん輩は日帝に協力して国を私物化した売国奴李完用たち乙巳五族だ。彼らにつけられた「売国奴」という地上最大の不名誉は100年が過ぎた今まで色あせない。
そんな事件を前にして韓国人たちが見せたこれ以上ない激烈な集団の激高した反応の底辺には、先ほど指摘した体面メンツ主義と民衆意識がおおもとにあると考える。再論するが私を産んでくださったおじいさんがその時代の民衆であったし、その民衆の主人である王朝の体面とは結局私の体面であるという論理だ。しかしながら韓国社会が文明的な先進国家であるためには、このような体面主義や民衆意識(百姓意識)から解き放たれる必要がある。そもそも朝鮮王朝が私と何の関係があろうか。
朝鮮王朝時代の国家の主人は王である。天が王を産みその王が百姓を産んだ。王は百姓の父母であり百姓は王の赤子である。これが朝鮮王朝を下支えした政治哲学であり王朝が滅びるときまで大きな変化はなかった。であるから私の曽祖父と祖父はその時代の主人公ではなかった。朝鮮の王は朝廷に参与する両班の特権を保護し支持した。百姓をてなづけるのはその両班である。朝鮮王朝が滅んだのはその王と両班の支配共同体が政治を誤り外交をしくじったからである。多数の百姓が何かをしくじりこうなったのではない。
からけん訳
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