こんな映画は原始人には作れない。原始人は犬を食うのがお似合いだ。日本ですら僕が見た時は観客は5人だった。さすがに教養のある人たちで入れ歯をガチャガチャ言わせたり、いちいち声を出してうなずく枯れ葉マークはいなかった。
真面目に頑張ることの尊さを静かに描いていた。映画の主張と観客の心がまさに編まれていくようで素敵な時を過ごした。
僕はもともと「頑張らない」ということを信条としてきた。日本人たちはすぐ頑張る。度を越して頑張る。最大トルクの回転数あたりで走ればいいのに、最高回転を出したがる。結果、故障事故イライラという貧乏の三点セットにのめりこむ。
若いとこれが分らない。僕は若いころとてつもなく難関の試験に挑戦するため頑張ってしまった。結果、病気トラブルコンプレックスという絶望の三点セットが残った。
努力、根性、忍耐。これらはやったことのない人があこがれに持ちたがるものにすぎない。本当に努力して根性があって忍耐があるとその人間はたぶん憤死する。スローダウンすると今まで無駄にした人生が浮き上がって見えてくるのに。
辞書を編纂するということは人間関係も同時に編み上げていくものだ。バカ用漫画映画が大スクリーンを占領する中、興行的には成功するはずもないこの映画が細々と上映され続けていくのを見て日本人の素養の高さを見た。
朝鮮人を元気いっぱい罵る前に豊かな語彙、きれいな字、上品な生活を確保すべきだ。
僕は柳川で生まれた。そのまま住んでいたら伝習館高校に通うところであった。伝習館は今はアホ生徒が通う田舎の三流校だが、本来藩校の流れを引き継ぐきちんとした流れを持つところだ。戦前、この学校にある国語教師がいて、彼は時間ぎりぎりにしか来ず、また帰りはだれよりも早かった。同僚は当然よろしく思わない。学校運営に非協力的だと烙印を押す管理職もいた。
僕はこの国語の先生の名前を書いてあげたい。とても悔しいがそれはできない。最後まで読むと理由が分かる。
この先生はまさに「船を編んで」いた。映画のような協力者はいない。残念ながら国語の教員というだけでは辞書編纂の能力があるとは言えない。しかも現代文、古文、漢文と専攻が分かれ漢文の教員は一校に二人程度だ。彼は一人でまさに頑張った。一年二年の話ではない。一生をかけた。この辞書をだれかが見て、知る喜びが織りなされて、まさに編まれていくのを信じた。
同僚が彼の奥様に重度の障害があるということを知るのは彼の死の直前だった。
つまり、彼は誹謗中傷を浴びつつ一度も弁解をしなかったということなのだ。奥様の介護がすんで彼が作業に取り掛かるのはいつも深夜だった。
辞書は完成した。時代はそれを評価できない。下品な時代だった。