か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

凍土壁のような大学入試改革

2016年08月19日 | 教育

 

 

大学入試は行き詰っていた。80年代、将来の人口減を見据えた対策は私学こそ焦眉の課題だった。

「ああ、勉強のことは関係ないもん、僕にはモモのハンドルが大事だもん。」、という人は子々孫々無限の貧困低能の悪循環をなす。

子に対する責任としてできる限りの教育環境を準備するのは、まっとうな親の常識だ。

読解力の無い人は自分の思い込みと僕の文章を比較して反感しか持ち得ない。入学定員の限られたなかでの競争は必ず大部分の夢破れた若者を残す。

その若者はフリーターの格差社会を笑顔で受け入れ奴隷の様に働く。あるいは、4流大にやむなく進学する。

そんな仕組みは公正なものではない。社会の一員としてはこんな戦前以下の選抜制度を到底肯定できない。だが受験に打ち勝つことにとりあえず努力を注がなくてはならない。

日本は再チャレンジを許さない国だ。

 

私大についての僕の考えはそのうち書く。国公立。緊急の課題は(独立行政法人)大学入試センターが、また小手先の改革でお茶を濁そうとしている点にある。

2020年からの実施。完成は2024年。国語数学の記述式をふやした。暗記ゴッコの我慢大会で優れた人材が選ばれるはずは無い。予備校は、ラップのリズムで覚えろと真顔で言って丸暗記競争を奨励する。追い詰められた受験生はなんでもする。

そんな跛行した入試は改善すべきだ。

モンスターペアレントがいるはず無い。声だけ大きい無能な痴呆はもうド派手な服を着て学校に怒鳴り込むことは無い。さあ平均値の定理を証明してもらおう。

すると残る問題は何だ。

だからじっくりセンターで考えてほしいのだが、じつは高校側の希望は採用されない。高校側が、授業から遠ざかって20年にもなる校長や校長上がりが出す思いつきの意見は邪魔だ。

国語と数学は毎年解いてみるが、現行で十分良い問題だ。 大学入試問題の作成を各大学ばらばらに実施するより合理的だといって始めたのがセンター試験だった。

このときガラポンで選んだ学生が、地方の4流大学ならまだしも東大、京都に行くようになってはいけない。センター試験は現行でも十分な振り分け能力を持つ。独自試験は東大クラスのみに必要なことだ。

日本は、アジアのリーダたるには、学問研究についても世界一であるべきだいう大いなる夢を見た。百歩譲ってその夢が正夢になるにはどうしたらいいか考える。

まさに井底の蛙。

IVYリーグの学生が狂気を感じるほど勉強するのを見たか。プリンストン大学から小学生扱いを受けたことはあるか。屈辱も分からぬ有様か。

99%の大学は魑魅魍魎が行けばいい。しかし、本当に能力で選ばれなくてはならぬ1%が、入試センターの担当が変わるたび翻弄される。天下りどもは、入試制度の「変更」を手柄のようにして次の天下り先に向かう。

考えてもみろ。入試科目のごく一部が記述式になったとき、優れた学生を選抜する精度が上がるか。現行の入試問題の選択肢はよく考えられていて、誤答をありうる場合に分け、すべての誤答を選択肢に反映しようとしている。

問題を解いて反論してほしい。

 

 

私大合格者は福引会場にあるガラガラポンで選ばれたのと同じだ。全員が最低で均質な集団であれば、入試は意味を成さない。それでも学生不足に悩む絶望私大は中国人を入れた。

中国人の優秀さは、知っている。そいつらが来れば楽しいが、そうとはならず、頭も、マナーも、顔も悪いとりえの無いのが大挙する。4流大学は自分の大学の偏差値への興味が無い。別に人間でなくても学費を払えばなんでも歓迎だ。儲かる儲かる。

絶望した学生は暴力的である。

私大の苦悩についてはまたの機会に。

 

夏風邪でくたばってました。失礼しました。

 

 

 

 

 

 

 


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