公務員を目指していた僕にとっては、寝台にのるということは東京で試験を受けるということだった。年に一回。
合格するのにも100倍程度の競争率であったが、それより苦しかったのは合格が採用を意味しなかったことだ。
ひどい時は、合格僕一人、採用0というときもあった。そしてまたチャレンジできるのは一年後。それまで僕は親の妾の家でバイトと勉強の日々を送った。ほかに行くところもなかったが、その家も飯があるだけでカネは出さなかった。
したがって「さくら」のステップを踏んで社内に乗り込むときは、決戦に臨む戦士の気分もしたが追い詰められた境遇と遮断されるわずかな幸せのときだった。
それを4回、すなはち4年も繰り返した。
ここまでくると落ちても悔しくなくなる。負け惜しみでなく悔しくないのだ。
アホがまともに努力しないで試験を受けても悔しくない。ただのお遊びだからだ。
だが究極の頑張りの後もまた悔しくなくなる。俺を落とすなんてことは試験のほうがおかしいのだ。若かった。僕はその後10年ぐらいそう信じ続けた。
僕の人生は「特記事項なし」で終わった。ただその「さくら」の中のひと時はきっと一番幸せな時かもしれなかった。