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若いころ、ある公務員試験を目指していた。試験は6~7月にかけてあり合否は9月に発表された。しかし、合格とは採用を意味するものではなく合格したが不採用という場合も多かった。
ひどい時には合格が僕一人で採用ゼロという年もあった。
試験会場には高校の教室が使われた。一つの教室に受験生は50人。競争率は最低100倍。ということは2教室の中から一人しか合格しない。
何を血迷ったのか、身の程をわきまえず、などなど罵詈雑言を浴びつつ悪口雑言を振り切って我ながらとんでもない挑戦を始めてしまった。
一番つらかったのは自分の位置がどの程度にあるのか皆目見当がつかなかったこと。全然手が届かない無謀な挑戦をしているのか、一点差で不合格になっているのか、まったく知る手立てがなかった。
勉強をしていると悪魔がささやく。大手銀行の内定通知が来たじゃないか、このままじゃあお前の20代は暗黒時代になるぞ、もう意地を張るのはよせ、と。
そんなこんなを振り払いやりかけた試験合格にかけることにした。ここでやめたら20代を棒に振るどころではない。不合格という烙印は一生のコンプレックスとなること必定だった。
紆余曲折あって、
僕は何とか合格&採用になった。4年間の絶望的な努力には見合わないが、世間は手のひらを返したように揉み手すり手、平身低頭して僕の周りでしっぽを振った。先生様先生様、様様。
僕は全力を出し切って疲労困憊していたので、ちやほやされてももはや何ともなかった。
意外なことが嬉しかった。研修を受けている中で、指定された銀行に口座を作れと言われたこと。
絶望と極貧の中で頑張って勉強していたので当たり前のことを忘れていたのだ。そうか。今からはお金をもらえるのだ。しかも夢みたいな大金。毎月。俸給という名の賃金が降ってくる。
中核とか革マルとかが僕を裏切り者だといった。どーーぞ、言ってください。僕は心の中で快哉を叫んだのだ。僕はぼくの勝負に勝ったのだから。
午後から銀行口座を持たないやつばかり連れ立って口座開設に行った。まだ現金支給の時代。都市銀行に口座なんて。
銀行の行員たちが全員起立した。「ありがとうございます。」
帰りに台所用品をくれた。そのころはバブルの予感がする豊かな時代。立派なボウルやザルや水切りをもらった。
時は流れ、
40年後、何千回と使った水切りについに限界が来た。うどんはいいがそばは壊れた水切りから漏れるようになった。
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僕の子供たちは、けち臭く劣化したプラの水切りをいつまでも使いやがって、と思っている。僕は説明しない。
到底理解してもらえない。
プラの水切りを捨てた。