魚介類アレルギーがある人に対して、どんなに素敵な寿司を出そうとあまりありがたくない。
ぼくは翼をもがれた鳥のように雌伏して都会で公務員をしていた。そのころはまだ特権が多く、民間人は少なくとも10万/月は出すだろう都会の官舎に、2000円/月で住んでいた。カネはたまる一方で、連日の説明会だの研修だの名目は何であれ食事がついていた。
その公務員をやめて、田舎に帰るとき銀行預金を解約すると行員が全員そろって見送った。
実は、僕には田舎はすでになかった。親からすると自分の思う職業に就こうとしないぼくは不要な存在で家に帰らせなかった。
ぼくは公務員アレルギーだ。どんなに美味しい公務員でも、ネクタイの質、色、靴は紐靴であること、紙の分け方まで指示された。もはや監禁ノイローゼ状態になっていた。アレルギーなのに寿司を強要されていた。
そんな僕を拾ってくれてのは熊本県だ。就任式の前日、ぼくは浮かれてバイクに乗り足をねんざして革靴がはけなくなり長靴で式に出た。ズボンを長靴の外側にするとあまりわからないだろうと思ったのは僕一人だった。
そんな僕を福岡から熊本までバイクで送ってくれたのは不良でチンピラの仲間だった。彼らは優しい心を持っている。ただし仲間内に関してのみ。
悪いことは重なる。県関係の全新任者の辞令交付にあたり、ぼくの座席だけが指定されていたので嫌な予感はしていたが、・・・ ぼくが宣誓をすることになっていたのだ。知る由もない。突然言われてアドリブで、「私たちは日本国憲法を体して誠実に職務に邁進し・・・」とか言って何とか切り抜けた。
じつは会場に遅刻していったので、予行ができなかったのだ。
本論
小学校中学校の先生は一般に、先生ご自身が教えることを放棄している。当たり前だ。その実力がないから教えられるわけない。やることと言えば仲良しごっこ。みんな仲良くお手お手つないで楽しい学校ごっこをする。
知的好奇心の強い子はやってらんないから私立に流れる。これがまたバカ公立🏫の先生にはありがたいことだ。ますます勉強しなくてよくなる。
身分という既得権はカネを積めばコネ採用としていつでも得ることができる。組合費という保険を日教組や地区労に払うと、ただ尻で椅子を温めているだけで数千万の退職金が待っている。議員に数百万のわいろなんざあ安いもんだ。
ということに該当するほとんどの先生は、バカをさらして一生を終わる。たいていそのバカのひどさに応じて校長や教育委員会やその他の天下り先に行く。
3年も前に自殺した中学生の遺書を教育委員会が隠していた。明らかにいじめを受けけていたことが実名入りで書かれていたにもかかわらず、遺書や重要な日記、手紙の類を保護者から取り上げ隠匿し返還に応じなかった。つまり、いじめはなかったことにしていたことが内部告発で明るみに出た。委員会が言った言葉は、
「真相究明のためにアンケートを実施します」「個人情報の管理を徹底します」
などと言ってマヌケぶりをさらした。
国家の根幹、百年の計はどこにあるんだ。これは犯罪だ。もともと低能だったものが耄碌したら際限なくバカになる。これではいかんのだ。
人間力を高めないと社会からはじかれる。日本にはその力をつけてくれる先生が消えていく。
ぼくは願う気持ちで先生を志す人に言う。こんなあほな現状だからこそ、そう、だからこそなんだ。
共感して読んでくれた君に先生になってほしい。