【従軍慰安婦制度の実態】
前にも言及したように、従軍慰安婦制度は日本の公娼制度の延長である。明治革命(明治維新)以後日本政府は乱れた遊郭を整理してすべての売春婦と売春置屋を国家に登録し税金を納付させるようにした。登録された公娼には芸妓、娼妓、酌婦、女給などいろいろあったが売春に従事するということにおいては大きい違いはなかった。
これは当時現代文明の発祥地であるヨーロッパにおいても純潔イデオロギーが猛威を振るっていたことを考えるとき、非常に発展した制度であることを否定できるものではない。明治時代に定着した公娼制度は以後キリスト教などの西洋宗教の影響で廃止運動がおこったりしたもののひたすら存続発展してきた。当時は売春を許可する国家がなかったため日本の娼妓たちは全世界に進出し莫大な外貨を送金し、これは後発工業国である日本の産業革命に決定的な手助けとなったのである。
日本人がいるところならどこでも公娼がいたため海外に派兵された日本軍部隊に遊郭が存在するのは当然のことだった。よって従軍慰安婦は軍の部隊についていく公娼に対しその公益性をより強化、制度化したものに過ぎない。海外に派遣された従軍慰安婦は競争者がいなかったので収益が高かったのみならず国家のために奉仕するという自負心にも支えられて慰安婦たちは厳しい労働に黙々と耐え自発的に仕事をしたのだ。当時、朝鮮も台湾も日本に完全に同化されていた状態だったので、従軍慰安婦問題を取り上げて朝鮮出身なのか日本出身なのかをただすのはつまらないことのようだ。
ただ、一部女衒(置屋)たちは急いで公娼を募集する過程において当事者をだましたり賃金を不当に搾取したりする副作用もあっただろう。しかしこれはどんな職業においても避けられない問題であり女衒自身の不正行為であるのみであり日本政府とか日本軍が責任を負う問題ではない。韓国人従軍慰安婦たちの証言によると、彼女らは大部分強制的に引っ張られていき賃金に対しても軍票で受け取り置屋が巻き上げるばかりでカネに触れることはなかったという。しかしこれがすべての朝鮮人従軍慰安婦を代表していると見るのは困難だ。慰安婦によっては短期間に財を成したとか、あるいはよい軍人と出会い結婚した慰安婦も多いようだ。このようなことは統計学でいう標本母集団の誤謬として、最も不当な待遇を受けていた慰安婦だけをカミングアウトしたものであるという点を勘案しなければ真実に近づくことは困難だ。