ホーエンシュタウフェン

生きるために食え、食うために生きるな。

ラリー・ウォーレン受難(Rendlesham Forest UFO case-9)

2012-07-06 19:42:14 | UFOの研究(信憑性が高いもの)

 彼(ラリー・ウォーレン)の有力な証言に力を得たUFO研究家たちは、情報公開法をたてに、83年6月、ついに事件発生を裏付ける資料の一部公開に成功した。

それこそが、軍の発表した事件の唯一の手がかりである、基地副司令官、チャールズ・ホルト中佐の報告書だった。


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「80年12月27日の早朝。午前3時頃、パトロール中のアメリカ空軍警備兵二名がウッドブリッジ基地の裏門の外に異常な光をみとめた……」
 そんな書きだしで始まるホルト報告書は、不完全ながらも、謎の飛行体が多くの兵士によって目撃された事実や、飛行体が着陸した形跡があることを物語っていた。
 そして、83年10月2日。400万部以上の部数を誇る英国のゴシップ紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』が、UFO着陸事件をトップ記事に取り上げた。

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「サフォーク州にUFO着陸! しかも正式に承認!」
 そんな見出しとともに、目撃者アート・ウォーレス(ウォーレン)が描いたUFOの絵や、ホルト報告書、さらには当時の基地司令官ゴードン・ウィリアムスへのインタビューなどが一面で紹介された。
ホルト中佐は報告書へのコメントをこんなふうに拒否した。

『非常にデリケートな問題だ。もし報告書について何か発言したら、キミは将来を棒にふってしまうとはっきり言われた』。

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方、ゴードン・ウィリアムス米空軍准将は語る。

『ホルト中佐の報告書のことは覚えている。

何が起こったのかは っきりわからないが、すべて報告書にある通りだ。

彼は国防省や空軍に嘘の報告をするような人間ではない』。」
 この記事に、雑誌、ラジオ、テレビなどのメディアが追随し、当時の英国はUFO着陸事件の話題でもちきりになった。

それに合わせて、唯一の証人として表に登場したウォーレンも脚光を浴び始める。ニュースの余波はアメリカや日本にまで及んだ。

アメリカの科学誌『オムニ』は事件を特集し、その中で核搭載機の墜落説を強調した。しかしその後、先のCNNの特番は、いままでの核搭載機墜落事件とは経緯が明らかに異なっていることから、それを否定した。
 そして84年には、ウォーレン自身がテレビ出演のために来日も果たしている。

(管理人注:矢追純一の番組「第4の遭遇 第2弾」)

そのとき、ホルト報告書を前に、彼は次のように主張している。
「(ホルト中佐の録音テープを聴き終え)これは事実の一部しか伝えていない。もっと大きな事件が起こっていたのに、小さな事件としてすりかえようとしている」

 そして、彼は、なんと現場で子供のように小さな生き物を3体目撃したことや、その生き物たちが、現場に急行した司令官、ゴードン・ウィリアムスと何か意思を通わせあったと証言したのである。
 しかし、その真相は相変わらず謎につつまれたままだった。
 ところが、事件発生から15年間の歳月を経て、ウォーレンとピーター・ロビンスがまとめた著書、『レフト・アット・イースト・ゲート』がアメリカで出版された。

 

そこには、事件のあと、ウォーレンが体験した興味深い出来事が詳しく綴られている。


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 事件の直後、12月29日の朝。UFOを目撃した兵士たちに呼集がかかり、放射線被曝の有無を検査されたあと、一同は「奇妙な光をみた」とするだけの、偽りの証言書にサインさせられた。

その後、当局はUFOと人類との接近遭遇の歴史をまとめたフィルムを上映したあと、それが軍事機密であることを強調。

そして、スーツを着た情報機関のエージェントが2人紹介された。
 彼らは、冷たく笑いながら、一同にむかってこう警告した。
「2、3人くらいは誰かにしゃべるだろうが、それはかまわない。しゃべるやつには、ナマリ弾をくらわせてやる」
 しかし、ウォーレンは、その日の午後に基地内の公衆電話からアメリカの母親に電話をかけ、禁を破ってUFOを目撃した事実を告げてしまった。

その話の途中、突然電話が切れ、トラブルが始まったのである。
午後3時前。

呼び出されて証拠として母親との会話を録音テープで聞かされたあと、機密漏洩をたてに、除隊もしくは300ドルの罰金を払えと選択を迫られた。

入隊したばかりで、まだ軍に残りたかったウォーレンは、そのとき罰金を支払うことを選んでいる。

そんな彼は、事件を忘れようと試みたが、しかし、すでに軍はまったく別の顔をみせはじめていた。
 まもなく、OSI(特別捜査局)のビル内でデスクワークに配置替えになり、だれかの監視の眼がたえず注がれるようになった。

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やがて軍への不信感をいだき、次第に反抗的になっていったウォーレンは、基地の地下にある秘密施設の存在を裏付けるファイルを読んでいるところを見つかった。

こうして当局にすっかりマークされた彼に、ある日、友人が打ち明けた。
「気をつけろ。OSIのヤツらがお前をハメようとしてるぞ!」
 OSIは、その友人に頼んでウォーレンの部屋に麻薬を隠し置き、麻薬不法所持罪でウォーレンを空軍から除籍しようとたくらんでいたというのだ。

かくして当局の圧力を受け続けた彼は、軍の弁護士に除隊を勧められたこともあって、81年5月16日付けで名誉除隊となり、ついに空軍を去った。
 除隊後、ウォーレンはアメリカに戻って職を転々としながら、生活のために再び軍に入隊しようと何度も試みている。

しかし、そのたびに拒否された。

地元の下院議員を通じて申し込んだがやはり拒否された。

ところが、しばらくして軍から奇妙な手紙が届いたのである。
 そこには、81年9月17日付で、彼が永久に入隊資格を失っていることや、その理由は、彼が「右腕を水平に伸ばせない」からであることが、はっきりと書かれていた。

しかし、そんな事実は存在しない。

何者かが、事実を捏造し、彼に圧力をかけていることは明らかだった。
 その後、80年代半ばに事件の証人として頻繁にマスコミに登場したウォーレンは、87年にピーター・ロビンスと出会い、2人で事件に関する本を書く準備を本格的にはじめている。
その秋。

アメリカのテレビ局が、大佐に昇進してベルギーの基地に配属されていたチャールズ・ホルト元基地副司令官のコメントをついに入手した。

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このとき、ホルトは、報告書に記述された事件の発生を認めたが、証拠物や記録の存在を否定し、さらに、ゴードン・ウィリアムス大佐が事件にかかわったことも強く否定している。
 しかし、92年6月。ロビンスはすでに退役したホルトから電話で注目すべき発言を引き出すことに成功した。

ホルトが「実に奇妙な出来事が起こったのさ」と、事件の発生を認めたのだ。

しかしウォーレンの発言には否定的であった。
 さらに8月26日には、今度はウォーレンも参加して、2度目の電話インタビューを行なったのだが、その時ホルトはこう謎めいた言葉を残した。
「断わっておくが、この会話はみんな傍聴されているよ……」
 盗聴をきらったウォーレンらは翌93年2月16日、とうとうホルトとの直接会談を実現させた。
「実はね、事件の日誌が私の知っているある場所に保管されている」
 そんなふうに打ち明けたホルトは、94年に、別のインタビューに答えて、ついにこんな爆弾発言までしているのだ。
「はじめはUFOなど信じていなかった。しかし、今では、自分たちはこの地球上のどこかの国が作ったのではない、われわれの想像をはるかに超えたものを見たのだと確信しているよ」

 しかし、ホルトの態度が軟化するのとは裏腹に、国家はウォーレンへの圧力を強めていった。

94年9月16日、彼は再び英国へ渡るために、パスポートを更新しようとしたのだが、なんとそれが国から認められなかったのだ。

 彼は「外国で一般大衆にむかって国家防衛の機密にかかわることがらを語った」として、なんと1947年に成立した国家安全保障法違反を問われてしまったのである。
 ここにきて、この特殊な法律を自由に利用できる組織、つまりNSA(米国国家安全保障局)の介入が明らかになったのだ。
 当然ながら、それを不服とするウォーレンとロビンスは、一計を案じ、ケネディ時代に司法長官を歴任したラムゼイ・クラークに直訴。

クラークの圧力によって、パスポートはただちに再発行されている。
 さらにその頃、ウォーレンは退行催眠を受けているのだが、それによって、事件のあと彼は何者かに拉致され、地下の秘密基地とおぼしき場所に連行されていたことが判明した。

そのとき彼を拉致したのも、やはりNSAのエージェントだったのだろうか? そ れにしても彼らNSAとはいったい何者なのだろう?
 52年11月4日に発足したNSAは、やがて国民や議会からほとんど独立し、「アメリカの安全保障のため」に隠然たる影響力をふるいはじめる。

設立当初もマスコミや政府の公的資料に決して現われず、1万人とも言われる局員たちが密かに仕事を開始したらしい。

その活動の実態は、徹底した秘密主義によって現在もベールに隠されたままだ。そのため、NSAとは、「No Such Agency」(ありもしない機関)の略だ、と皮肉るものもいる。
 このNSAが、UFO着陸事件の証拠を隠滅させようと謀っていると見えるのはなぜだろうか? 

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彼らがそこまでUFOにこだわる理由は何だろう?

 先ごろ、元英国国防省UFO担当室書記官長ニック・ポウプが本誌で語ったように、やはりアメリカはUFOを回収しているのではないか。
 もし、その通りならば、「はるかに進んだ地球外のテクノロジーをアメリカが国家機密として独占し、機密が漏洩して世界に拡散した核の二の舞いになることを防ぎ、世界戦略を有利に展開する。

そのためにUFOの出現するところには必ずNSAの影がある」、そんな説明が可能になる。
 しかし、別の可能性もあるだろう。
 たとえば、事件発生当時、折しもポーランド国境付近でソ連軍の動きが活発化し、警戒体制に入った基地は、異常な緊張につつまれていた。

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ひょっとすると、80年代にミグ戦闘機の亡命が話題を呼んだように、ソビエトからUFOのごとき新型の航空機が飛来して亡命をはかり、当時緊張関係にあった米ソ間で裏取り引きがなされたのかもしれない。

いずれにせよ、事件は依然として謎に満ちている。

※月刊『ボーダーランド』97年9月号より抜粋

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