遠い記憶の彼方から、あの日あの場所で聞いた今でも甦る私への言葉。
「貴方はどうしてそんなに生き急ぐの?」
私自身は気付く事がありませんでしたが、私の言動、行動、思考にはそう見えた一面があった様です。
「あった」という過去形ではなく、今でもそうなのでしょう。
そうした一種の焦燥感は、三十代に入った頃には既にあった様な気がします。
やりたい事、やらなくてはならない事、でも明日は何かの事故で死ぬかもしれない。
人は日々様々な事に対し悩み、葛藤し、困難を打破しようとします。
手にしたいもの、守りたいもの、大切にしたいもの...
しかし何かの拍子で、それらのものは掌のにのせた砂の様に指の隙間からこぼれ落ちてしまうかもしれない。
毎日全力で生きてる訳じゃない。
だがいつか死ぬ。
死なないまでも老いは確実に自分自身を蝕んでいく。
あれこれ考えるのが人間です。しかし考えるだけでは物事は動きません。
ラブレターを書いても、ポストに投函しなければラブレターを書いていない事となんら変わりない。
大事なのは行動力。
行動力があれば勝手に「引きの強さ」や「縁」、運命で繋がっていたものと邂逅出来ると経験から確信しています。
この度、ハスラーの他にもう一台クルマを買う事を決断しました。
棺桶に片足を突っ込んでから出来る事は全部後回し。
これは、残り少ない人生をいくばくかでも愉しくさせる、自分の人生への投資です。
かなり長期間悩みました。
ハスラーの他に更に増車するというのは、以前の2台持ちの状態に戻る事です。
2台持ちは不経済だから、軽自動車で充分だから、それがハスラー一本に絞った大義名分でした。
しかし人間はタテマエと本音の深い部分では違っているものだと痛感しました。
沢山の想い出が詰まったエクシーガを手放したのは間違っていたのかもしれません。
取り回しが悪い。燃費が悪い。それはそうでした。
しかしそれらを上回った「相棒」としての心強さ、優しさ、頼り甲斐、何より刺激がありました。
今の生活に全く張り合いが無いのは何故なのか?
刺激が無いからだ。
そういう結論に至りました。
この先数十年に渡って共に過ごす刺激的なサムシングが必要だ、と考えた時に、それは私にとってはクルマでした。
目に視えない縁で繋がっていたクルマとの邂逅が、私を導いてくれる羅針儀と信じて。
コイツとの出逢いはめぐり逢いです。
自分の直感を信じて私は行動しました。
既に契約を済ませましたが、私のもとに来るのは1月となります。
今回はコックピットのみをチラ見せ。
こいつは私に確実な刺激を与えてくれるだろう。