足助を後にして、鳳来寺道の420号線を設楽・新城方面へ車を走らせました。
所々紅葉していて良い眺めの所もありましたが、山の間の道なので長い時間走ることになりました。途中257号線に変わり、伊那街道を上がって行くとトンネルが、それを抜けると豊川沿いに北へ。左手に田峯城があるはずなのですが、山しか見えません。地図では、ちょっとした山道を少し上がった所にあるのだろうと思っていたのが外れて、簡単には見つけられないと思い、断念しかけた時、山に入って行く道があり、そこを上がって行くと、地図に載っていた道や学校があり、何とか田峯城の駐車場に辿り着きました。
本丸への道を登って行くと、搦手門、書院造りの本丸御殿、厩、本丸大手門、物見台などが復元されており、受付で見学料を払い見て回りました。御殿の奥で受付の方がお茶を出して下さり、田峯城のエピソードなどを説明してくれました。
田峯城の城主は菅沼氏で、今川氏、松平氏、武田氏などに属しました。
田峰城を見学し終わると、山道を抜け257号線に戻り、新城に向かって南下しました。
所々紅葉していて良い眺めの所もありましたが、山の間の道なので長い時間走ることになりました。途中257号線に変わり、伊那街道を上がって行くとトンネルが、それを抜けると豊川沿いに北へ。左手に田峯城があるはずなのですが、山しか見えません。地図では、ちょっとした山道を少し上がった所にあるのだろうと思っていたのが外れて、簡単には見つけられないと思い、断念しかけた時、山に入って行く道があり、そこを上がって行くと、地図に載っていた道や学校があり、何とか田峯城の駐車場に辿り着きました。
本丸への道を登って行くと、搦手門、書院造りの本丸御殿、厩、本丸大手門、物見台などが復元されており、受付で見学料を払い見て回りました。御殿の奥で受付の方がお茶を出して下さり、田峯城のエピソードなどを説明してくれました。
田峯城の城主は菅沼氏で、今川氏、松平氏、武田氏などに属しました。
|
|
|
田峰城を見学し終わると、山道を抜け257号線に戻り、新城に向かって南下しました。