さて お盆も終わりました。
高校野球も私の関連する地区は(北海道と埼玉)今日ですべて終わりました....
超スローボールで話題になった西嶋君 もう少し見たかったですね。
と云った所で お墓のお話です。
20年前 母が亡くなった翌年 友人の勧めで 札幌郊外の簾舞にある霊園にお墓を作りました。
(以前にもこのブログに載せていると思いますが)
定山渓に行く途中にある 自然真っただ中のこの霊園に
私のデザインで宗教色のない 当時としてはちょっと風変わりな墓石を作ってもらいました。
「水落」名にちなんだ水滴が大小2たつ
見る人によってはふざけたお墓と思われそうですが 私は大いに気に入っています。
(母がどう思っているかは判りませんが....)
その頃この霊園にはこの様な一般的ではないお墓は我が家以外ではひとつだけでした。
こちら
それが20年たった今 驚く程たくさんありました。
聖書の一説が書かれています。
かなり変わったところでは こちら
本体のお墓の脇に 猫のお墓がありました。
それも親子二代の墓標がしつらえてあります。
きっとかわいがっていたんでしょうね。
この他にもまだ沢山ありましたが
これらのお墓に共通なのは
墓誌に何も記録されていないか あってもひとつだけというのがほとんどでした。
最愛の人を想って あるいは自分の死後をイメージして 好きな形に造り上げたのでしょう。
60歳を過ぎると やはり「死」を考えない人はいなでしょう。
死はイメージでしか捉えられませんので 死後を具体的な形で意識するしかありません。
最近会った友人の一人は「散骨」にすると言っていました。
自分の形がまったく無くなるのは ちょっと心もとない気もしますが
でも これもいいなぁと 思ったものです。
もう一人は 簾舞霊園に敷地を確保しているのですが
霊園は札幌市内から遠いので すぐ近くのお寺の納骨堂に入れるつもりと言っていました。
家族が 買い物のついでにでも 散歩の途中でも 気楽に寄って ちょいと拝めるのがいいと。
これもまた いいなぁ と思いましたね。
墓を持つだけが死後処理ではないし
遺された家族のことも考えたり また家族が有る無しに関わり無く
いろいろな方法を選択できる現代はいい時代なのかも知れません。
ことほど左様に
従来の習慣に捕われず 自由に死後を考える流れはもっともっと広がるべきですな。
さてさて 御同輩は いかが考えますでしょうか。
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