『屋根裏のポムネンカ』のとあるレビューで、この作品はアニメーションの約束事・遊びについて考え抜かれていて、それだからこそ人形たちには生命感が溢れている、という「論考」がありました。なるほど。技術から内容にまで迫る記述で、納得です。ぼくのきのうのレビューでは、人形の世界が息づいているのは人間の世界をきちんと描いているからだ、としましたが、両者の一致点は、とにかく人形たちの生活が魅力的だ、ということですね。
それはさておき武田泰淳『ひかりごけ』(新潮文庫)。
収録作品は、
「流人島にて」
「異形の者」
「海肌の匂い」
「ひかりごけ」
情景描写がなかなかに濃密で、すらすらと読み下せる類の文章ではありませんが、会話文も多いので全体としては均整がとれています。「海肌の匂い」だけは主たるプロットがありませんが、他のものは物語としても読ませる力を有しています。
それで、内容ですが、異常心理のようなものを扱っている場合が多いようですね。しかも、日本的な異常心理と言えるかもしれません。「流人島にて」は、かつて流人(島に流されてきた不良少年)だった主人公が、当時自分を使役していた男の元に戻り、彼に対して復讐を試みる話です。流人は差別の対象であり、かなり鬱屈した思いを抱いて生きていたようですが、そういった心理描写が日本的な気がするのです。人種差別とは違う、何か粘着質的で被差別者には諦念さえ感じられる差別。風土に根付いている差別。それがトラウマになっている主人公の心の内は恐らく屈折していて、だからこそ丁寧な言葉で男に残虐な行為を要求できるのです。
「異形の者」は寺に修行に行った語り手の話。ここでは神についての考察がたぶんキーポイントとなるのでしょうが、それは本当に最後の部分で現れます。物語は穴山という人物の奇行を観察する語り手の記述に沿って進みます。あの世の極楽を信じない若き日の語り手は、仏門に入っている間女について煩悶したりして、そういうことを巡って話が展開しているので、ちょっと若書きの謗りを免れない気がしますが、まあつまらないことはない。で、神についての考察というのは、仏像とは単なる「その物」なのだ、ということです。人間でも神でもない「その物」。ただ見ているだけの「その物」。解説を読むとここが引用されているので重要な箇所なのでしょうが、こういうこををぼくはまだ10代の頃に考えていたので、新鮮味がない…
「海肌の匂い」は、漁村の共同体に幸運なことに加入できた女と、できずに狂人となってしまった女という二つの軸を対照させた短編。やや作り物めいていて、大しておもしろい話でもないけれど、狂人を出す辺りがこの作者らしい。
名作と言われる「ひかりごけ」は大きく二部に分けられて、一つが作者の取材記録。もう一つがそれを基にした戯曲。題材は当然どちらも一緒で、食人。スキャンダラスな内容ですが、人間の罪とは何かということに肉薄しており、また単純に食人を絶対悪として裁いてはいないところが興味深いところ。まあ小説にするならそれくらいの考察は当然ですが、この作品を文学たらしめているのはやはり「ひかりごけ」という存在でしょう。人を食べた人間はひかりごけのように発光するという逸話を絡め、象徴性の高い物語に仕立てています。そのカラクリを使用したラストは、思想的なことも含めて名シーンだと思います。
どこかじめじめした暗い作品ですが、この人の後期の小説も読んでみたくなりました。
ところで、明後日からロシアに行ってきます。来週中には帰ってきます。ブログの更新は…ロシアからできるかな?