Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

アニメのニュースと文学の話

2010-11-03 02:03:22 | アニメーション
先日閉幕したオタワですが、あの石田祐康の『フミコの告白』が特別賞を受賞したそうですね。実はさっき知りました。いつもながら情報が遅いな・・・
でも、オタワで特別賞ってかなり注目を集めてよいニュースだと思うのですが、新聞やテレビは報道してませんよね・・・いやテレビのニュースはあまり見ていないので正直よく知りませんけど・・・少なくとも『つみきのいえ』みたいには大々的にやらなかったですよね。けれどそれを言ったら、広島での大山慶の受賞も大々的に報じられませんでしたよね。どうなってるんだろう・・・
アニメは日本の文化だとか言う偉い大人の人がいますけども、そしてそれをさもありなんと報道している大人たちがいますけども、こういうニュースが大々的に報じられないことについてどう思っているんでしょうか。・・・まだまだアニメーション文化は成熟していないんだなあとつくづく思います。

で、もう一つ。キネマ旬報がアニメーション・ランキング的な本を先日出したそうですね。これもさっき知りました。いやほんと知るの遅いな・・・。
あとで本屋に寄って、ぱらぱらっと中味を見て、買うつもりです。が、ただいま金欠中でして、「あとで」がいつになるか分かりません。とりあえず誰が選者でどういう作品が選ばれているのかは早めにチェックしたいのですが。選者って大事ですからね。

ここから文学の話。
某出版社の「百年文庫」シリーズ(だっけ?)。なかなか渋い作家や作品が選ばれていたりして、選者も大変だったと思うのですが、今回の事件でこの出版社の編集者は株を落としたような・・・百年文庫シリーズで挽回してほしいです。

ゴルバートフという、誰も知らないような作家の小説を読みました。もろに社会主義リアリズム時代の社会主義リアリズムに染まった作家の小説ですが、これがしかし、なかなかおもしろい。思うに、社会主義リアリズムというのは、それ自体は別に悪いんじゃない。ただ、それだけが専制的に文学界に君臨してしまったのが異常だっただけです。もちろん、その表現の紋切り型、展開や人物配置のパターン化、ある種のいわゆる「儀式性」が糾弾されるなど、文学の表現として社会主義リアリズムは相対的に見て劣悪であった、という指摘にも正当性はあります。でも、いかなる文学の主潮というのものにも「傾向」があるはずだし、日本の私小説だって例外ではありません。要は、スターリンに阿諛追従していたという政治的偏見が社会主義リアリズムを陋劣な文学であると糾弾せしめているのではないでしょうか。無論、自由を圧搾する者に阿る文学は、文学の名に値しないという価値観は尊重されるべきだし、このような「偏見」はしばしばむしろ正論であるとも考えられます。けれども、社会主義リアリズムで描かれた人間というのは、不屈の精神を持った、何らかの仕事のために自己を投げ捨てるような、一般人に比べて一段高いところにいる人々です。彼らのたゆまぬ努力や自己犠牲は、それが平易な言葉で書かれているからこそ(装飾的で絢爛たる美文でないからこそ)、胸を打ちます。

いま、お伽話や聖人伝に喩えられる社会主義リアリズムは、本来人の心を純粋に感動させる要素に満ちています。感動させなければ、この文学ジャンルがかつて流行することはなかったはずです。純文学を愛好する大人が読むには少し物足りない部分もあるかもしれませんが、一般の読者、それに児童にとってはかなり楽しめるのではないかと思います。社会主義リアリズムを子どもに推薦することには倫理的疑問がなくもないですが、そこがまた「文学/政治」の難しいところですね。

・・・と、ちょっと褒めすぎの感あり。そういう意図は全くないのですが…言いたかったのは、小説自体はけっこうおもしろいぜってことだったのです。だから、独裁者を擁護する文学を褒めるのはけしからんとか言わないでくださいね…