Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

東浩紀とソルジェニーツィン

2011-06-29 00:29:00 | 文学
一般にはあまり知られていないのかもしれませんが、東浩紀のデビュー作はソルジェニーツィン論です。学部の2年生のときに柄谷行人に論文を持ち込んで、雑誌への掲載が決まったのだとか。驚くべきは、その論文は東氏の初めて書いた論文であったこと。人生初の論文がいきなり雑誌掲載。

で、彼はその後『存在論的、郵便的』で論壇に華々しく登場し、それからいわゆるサブカル方面へと進出してゆき、今では小説も書いちゃったりしているわけですが、よく考えたらずっと陽の当たる場所にいるじゃないですか。彼の書いたものをそんなに読んでいるわけではないので、せめて『新現実』に載っている大塚英志との対談くらいは読破しておくか。

ずっと陽の当たる場所にいる人、日向から日陰へ行く人、日陰から日向へ行く人、ずっと日陰の人、日向と日陰を往復する人、色々なパターンが考えられるわけですが、でも実際のところ、日向と日陰というのはたぶんそれほど明瞭に分かれているわけではなくて、薄明かりの差しているところ(もやもやと薄暗いところ)にいることが多いのではないかと思います。

まあしかし、うまく行かないことが何年も続いたりすると、今は日陰にいるだけだから、と復活を期すことがあってもいいと思いますけどね。

それはいいとして、ソルジェニーツィンなんかは日陰と日向がくっきりと分かれた人生を歩んだ人なのかもしれませんね。そういうジェットコースター式の人生がいいか、それともより平坦な道を歩き続けるような人生がいいか、判断の割れるところですね。その判断は、性差や個人差よりも、年齢差によく表れるような気がします。つまり、歳を食っていればいるほど平坦な道を好み、年少であればジェットコースターを好む。ぼくなぞはもう前者に惹かれますね。かつては完全なジェットコースター派だったのに。

居心地のよい場所にいたいと思う。新海誠は、次回作として、どこか他所の場所にあえて飛び出す行為を肯定的に描きたい気持ちがある、と語っていますが、それはぼくの今の感覚に一種の石を投げ入れるかもしれません。ぼくもいずれはロシアへ留学しなければいけないかもしれない。地方で職探しをしなければいけないかもしれない。それはとても気の重い行為なのだけれども、しかしそういうことを肯定的に描いてくれたら、ものすごく気が楽になるんじゃないかと思うのです。

話が転々として収まりが付かなくなりました。オチなしで終了。