Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

その時、その所

2011-09-11 23:36:19 | Weblog
中学生の頃、ぼくは福島県へ行きました。

そこで学校の皆と一緒に山に登りました。たしか、安達太良山だったと思います。山頂付近には雪がまだ残っていて、滑らないように腰を落として下ったのをぼくはよく覚えています。上りは比較的楽なのですが、下りはけっこう怖くて、女子生徒の中にはなかなか下りられない子もいたように記憶しています。ぼくだって怖かったですよ。元来が臆病なので。でも、中学生の男子だったわけです、ぼくは。怖いからと言ってぐずったりしてはいられませんよね。

けれども、ぼくはたしか友達と一緒になって、「こえー」「まじで?」とかなんとか、言い合っていたのではなかったでしょうか。女子も男子も一緒になって、これは怖いよね、と。だからといってぐずったりはしませんよ。しかし怖い怖いと言いながら、楽しく降りたのではなかったかな。

雪が残っているくらいだから、山頂はとても寒くて、手が凍るような冷たさになっていました。ぼくは昔から冷え症気味なので、普段から手が冷たくて、そしてそれは皆も知っていたから、何人かは「この寒さの中でぼくの手は一体どれだけ冷たくなっているんだろう」とわざわざ手を握りに来たりしたのでした。あの少女もまた、ぼくの手を握り、そして驚き笑ったのではなかったかな。君の手を握ったのはあれが最初で最後だったでしょうか?

                        ***

拳を握る。ぼくにはどうしても遣り切れない。これは悲しみでしょうか。これが悲しみでしょうか。ぼくは福島県に行ったことがある。ただそれだけで、たったそれだけなのに、これほどの悲しみ。

***

あの日急に熱を出した友人に代わってぼくは皆の前で挨拶をすることになった。朝の体操の時間に突然先生から頼まれて、慌てて文面を考えたのでした。でも、誰の前で挨拶したのだったかな。級友たちに対して?それとも農家の人たちに対して?ぼくらはとある農家のお宅にお世話になり、お餅を丸めて食べました。同じ班の子が方言を笑うから、ぼくはあとで「お前なあ・・・」と言って注意して、そうしたら「えー、笑ってないよお」と反論されて・・・

***

なんで悲観的にならなければいけない?そこまで事態は切迫している?
ぼくは現状をまるで知らない。
福島に原発があり、東京はその恩恵に浴していた、ということをぼくは去年まで知りませんでした。それなのに、いまぼくは福島県に対して何をしているのか。ぼくは恐ろしく恥ずかしい。あの日以来、ぼくは途轍もない恥ずかしさに時折り襲われるのです。ああ、しかしこれは単なる善意面だ。何もしていないぼくがいくら嘆こうが、いや嘆くことで、ますます偽善の色が強くなる。だからぼくはせめて、思い出を書くのです。楽しかった福島の思い出を。何が偽善であろうとも、何が傲慢であろうとも、何が恥辱であろうとも、ぼくの思い出だけはぼくのものであり、不動のものである。だからぼくは断乎として主張する。福島の思い出はすばらしい!