Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

短編アニメーション

2011-09-26 00:02:26 | アニメーション
恵比寿ガーデンプレイスに行ってきました。数年ぶり。目的は、東京都写真美術館で上映中の『マイブリッジの糸』を見ること。

上映作品は、「カノン」「心象風景」「ビーズゲーム」「技」「ワイルドライフ」「Fig(無花果)」「こどもの形而上学」「マイブリッジの糸」で、最後の三つが山村浩二の監督作品。それ以外の作品は、NFB(カナダ国立映画制作庁)の名作と呼ばれるもの。ただし「ワイルドライフ」だけは新作で、たぶんまだ評価は定まってないです。

最初の4つについてはまあ別に書くことはないのですが(何度も見ているし)、とりあえず「ビーズゲーム」はやはりすごい。色んな意味で神がかってます。

で、「ワイルドライフ」ですが、この監督の前作の・・・えっと・・・しまったタイトルを失念してしまった・・・ある朝のはじまりだっけ・・・とにかくそういうタイトルの作品なのですが、そこでは対象が接写されるシーンが多くて、それが特徴的だったのですが、今作ではその手法が部分的に踏襲されていました。ただ、似ていたのはそれくらいで、あとはまるっきりタイプが違う。絵柄も違えば雰囲気も違うし、物語性の高さも違う。そう、今回はナラティブが重視された作りで、一本のストーリーラインがありました。

20世紀初頭、イギリスから開拓のためカナダに渡った青年の生活と孤独を描いた作品です。青年はカナダから両親に宛てて嘘の内容の手紙を記しつづけ、自分が幸福で裕福な暮らしをしていることを彼らに伝えます。しかしある冬の日、青年は自らの心中を少しばかり吐露し、そして行方を断ちます。やがて彼は雪原に死体となって発見されます。どうして彼が死んだのかは、誰も知りません。

この作品は、青年の両親への嘘の手紙と、それから青年を取り巻く人々の証言から構成されています。したがって、青年の内面を確実に知る手立ては、最後の手紙の他はほとんど残されていません。ただ彼の置かれた状況から彼の胸中を察するばかりです。

ぼくは、この作品はなんだか胸に沁みました。基本的にユーモアのオブラートに包まれた作品なのですが、それにもかかわらず、何か物悲しい。100年前の人間の孤独は、ひょっとしたらぼくらには無関係なのかもしれない、これは単なるカナダ開拓に失敗した男の情けない末路に過ぎないのかもしれない、でも、何かがぼくの心の琴線に触れました。青年の心情は誰にも明かされません。観客にも明かされません。それは明白だと思う人もいるかもしれませんが、でも、青年の心理描写は作品から排除されています。それなのに浮き彫りになってくる彼の孤独。

一歩一歩と進む彼の足取りが、克明に画面に刻まれてゆきます。彼はどこへ向かおうとしていたのか。孤独から抜け出そうとしていたのか。彼の人生が彗星に例えられていたように、彼の儚い一生は単なる100年前の出来事ではありません。それは宇宙の理を背景にした人間の生そのものです。しかしながら、彼が足もとばかりを見ながら歩き続けた末に、最後の最後で(倒れる瞬間に)天空を仰ぎ見たことは、何かしら救いをも提示していたように思いました。

概してこの作品は「ギャップ」で構成されていたように思います。自然と人間、嘘と真、天と地。そのギャップからユーモアが生まれ、また人間の孤独が浮かび上がってくる。この方法はかなり意識したものと思われますが、監督(二人いますが)は非常にクレバーなのでしょう。

アジアで初上映とのことですが、100年前の一人の人間の孤独が、時間と空間を超えて多くの人々の心に届けばいいなと思います。

さて、本日目玉の「マイブリッジの糸」ですが、感想がもうだいぶ長くなってしまったな。だからほんの少しだけ。色々と考えてみたい作品ではありましたが、実を言うと、ぼくにはとっかかりがなかった。考えるためのとっかかりが。それこそ時間と空間を超えて何物かが伝達されてゆく話なのだとみなせますが、正直ぼくには分かりづらかった。でも世の中には、初見で色々なことが見えてくる作品と、何度も見返すことでやっと何かが見えてくる作品とがあります。だから、ここでは一言「分からなかった」と書くだけに留めておきます。