たったいま知ったのですが、大学の論文検索システムで、論文へのアクセス数を調べることができるのですね。思いがけず、ぼくがこれまで書いた論文へのアクセス数やダウンロード数が分かってしまった。100件くらいアクセス/ダウンロードされているみたいです。たぶん専門外の人も見ているんですねえ。もちろん専門の人も見ているんでしょうねえ。いやあ、怖いなあ。不勉強ですみません。
今日から大学ではセミナーが始まり、ぼくはロシア・アヴァンギャルドの授業に出席してきました。で、先生が色々と喋るわけですが、初回ということもあってか、ごくごく基本的な情報だけで、この授業出る意味あんのかなあと、少しぼんやりしかけていたところへ、「сдвиг」がどうのこうのと先生が仰るのです。反射的に頭を上げると、先生と目が合ってしまいました。どういうものか知っていますか、と聞いているようだったので、ぼくは説明しようとしたわけです。「例えば、「 сосна」が「 со сна」に移動することですよね」と。そうしたら、「全く違う」と言われました。「全く違う」と仰ったのですよ。「ダー・ニェット」ってやつです。いや、確かにぼくのロシア語も片言だったけどさ、そしてそのとき先生は美術のことを話していたんだけどさ、「 сосна」と「 со сна」って言やあ、分かるでしょ。「クルチョーヌイフは書いていますよ、сдвигの典型的な例は、「 сосна」が「 со сна」になることです」って言おうかと思ったんですけど、話が進んでいってしまったので、結局何も言えず仕舞い。なるほど「сдвиг」ってのは本来は美術用語ですけれども、でも詩においてもその概念は使用されていたわけで、それは専門家の間では共通認識だと思っていたのですが、違うの?「 сосна」・「 со сна」と聞いて一切の反応がないということは、この先生は詩における「сдвиг」の用法を知らないのだと断ぜざるを得ないと思うのですが、どうなのでしょう。したがって、クルチョーヌイフの創作以外の著作を読んでいない。
だいたい、クルチョーヌイフの「дыр бул щыл」を「дыр бул щил」と書いている時点で、信用ならんと思ってしまったのですよね。「щыл」というのは、「ロシア語の音声システムにおいて不可能な音と文字の組み合わせ」なわけですよ。ロシア語の正書法を破壊している点で、「щыл」というのには大きな意味が見出されるのであって、「щил」と書いてしまえば、それは単なる不可解な文字の羅列に過ぎないのです。
まあ、こう厳しく書いてはいますが、実はぼくも論文の中で、この文字列を間違えて書いてしまったことがあるようなのです(ネットで検索したら間違えて書いている!)。理由は分かりません。クルチョーヌイフの著作は直接参照しているはずなのですが、なんで間違えてしまったんだろう。でも、そんなぼくだって、「щил」とは書きませんよ。間違いにも「いい間違い」と「悪い間違い」があって、これは後者です。・・・ぼくの間違いは・・・少なくとも「いい間違い」ではないよね。ごめんなさい。
と、ちょっと反省モードになってしまいましたが、ともかくぼくはこの先生の理解と知識にかなり疑問を持つようになってしまったのですよ。見解が分かれる、とかそういうことではなく、ごくごく基本的な、当然知ってるよね、ということが分かっていない気がするのです。もちろん、ぼくにもそういう部分は多々ありますよ。ロシア・アヴァンギャルドに関して、知らないことは一杯あります。基本的な知識においても、抜けているところがあるかもしれません。だからもしぼくが授業でアヴァンギャルド関連を教えるのだとしたら、学生には申し訳ないです。辞退したいくらいです。ではこのロシア人の先生は?
そんなわけで、来週からこの授業を取ろうかどうか迷い中。う~む、詩における「сдвиг」を知らないとはなあ。ハンゼン・リョーヴェとかテリョーヒナの論文を読んでないんだろうか。それでロシア・アヴァンギャルドの講座を持つって、どんだけだよ。
いやあ、(たぶん)久々に毒を吐きました。
実はまだ、今日がパッとしない理由はあったのですが、もうだいぶ長く書いてしまったので、このへんで終わりにします。
******************
ついでに書きます。以下のHPで、ロシア・アニメーションベスト100についての紹介がありますが、18位の題名の邦訳が間違っています。
http://mediag.jp/news/cat1/100-2.html
「臨時の音楽家」ではなく、「ブレーメンの音楽隊」です。これはうっかりミスだと思うので、誰か教えてあげて下さい。
今日から大学ではセミナーが始まり、ぼくはロシア・アヴァンギャルドの授業に出席してきました。で、先生が色々と喋るわけですが、初回ということもあってか、ごくごく基本的な情報だけで、この授業出る意味あんのかなあと、少しぼんやりしかけていたところへ、「сдвиг」がどうのこうのと先生が仰るのです。反射的に頭を上げると、先生と目が合ってしまいました。どういうものか知っていますか、と聞いているようだったので、ぼくは説明しようとしたわけです。「例えば、「 сосна」が「 со сна」に移動することですよね」と。そうしたら、「全く違う」と言われました。「全く違う」と仰ったのですよ。「ダー・ニェット」ってやつです。いや、確かにぼくのロシア語も片言だったけどさ、そしてそのとき先生は美術のことを話していたんだけどさ、「 сосна」と「 со сна」って言やあ、分かるでしょ。「クルチョーヌイフは書いていますよ、сдвигの典型的な例は、「 сосна」が「 со сна」になることです」って言おうかと思ったんですけど、話が進んでいってしまったので、結局何も言えず仕舞い。なるほど「сдвиг」ってのは本来は美術用語ですけれども、でも詩においてもその概念は使用されていたわけで、それは専門家の間では共通認識だと思っていたのですが、違うの?「 сосна」・「 со сна」と聞いて一切の反応がないということは、この先生は詩における「сдвиг」の用法を知らないのだと断ぜざるを得ないと思うのですが、どうなのでしょう。したがって、クルチョーヌイフの創作以外の著作を読んでいない。
だいたい、クルチョーヌイフの「дыр бул щыл」を「дыр бул щил」と書いている時点で、信用ならんと思ってしまったのですよね。「щыл」というのは、「ロシア語の音声システムにおいて不可能な音と文字の組み合わせ」なわけですよ。ロシア語の正書法を破壊している点で、「щыл」というのには大きな意味が見出されるのであって、「щил」と書いてしまえば、それは単なる不可解な文字の羅列に過ぎないのです。
まあ、こう厳しく書いてはいますが、実はぼくも論文の中で、この文字列を間違えて書いてしまったことがあるようなのです(ネットで検索したら間違えて書いている!)。理由は分かりません。クルチョーヌイフの著作は直接参照しているはずなのですが、なんで間違えてしまったんだろう。でも、そんなぼくだって、「щил」とは書きませんよ。間違いにも「いい間違い」と「悪い間違い」があって、これは後者です。・・・ぼくの間違いは・・・少なくとも「いい間違い」ではないよね。ごめんなさい。
と、ちょっと反省モードになってしまいましたが、ともかくぼくはこの先生の理解と知識にかなり疑問を持つようになってしまったのですよ。見解が分かれる、とかそういうことではなく、ごくごく基本的な、当然知ってるよね、ということが分かっていない気がするのです。もちろん、ぼくにもそういう部分は多々ありますよ。ロシア・アヴァンギャルドに関して、知らないことは一杯あります。基本的な知識においても、抜けているところがあるかもしれません。だからもしぼくが授業でアヴァンギャルド関連を教えるのだとしたら、学生には申し訳ないです。辞退したいくらいです。ではこのロシア人の先生は?
そんなわけで、来週からこの授業を取ろうかどうか迷い中。う~む、詩における「сдвиг」を知らないとはなあ。ハンゼン・リョーヴェとかテリョーヒナの論文を読んでないんだろうか。それでロシア・アヴァンギャルドの講座を持つって、どんだけだよ。
いやあ、(たぶん)久々に毒を吐きました。
実はまだ、今日がパッとしない理由はあったのですが、もうだいぶ長く書いてしまったので、このへんで終わりにします。
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ついでに書きます。以下のHPで、ロシア・アニメーションベスト100についての紹介がありますが、18位の題名の邦訳が間違っています。
http://mediag.jp/news/cat1/100-2.html
「臨時の音楽家」ではなく、「ブレーメンの音楽隊」です。これはうっかりミスだと思うので、誰か教えてあげて下さい。