11月11日はもう日付の上では昨日になってしまいましたが、ぼくの上ではまだ今日です。今日、つまり11月11日は、雫と聖司が再会した(丘から朝日を眺めた)日であると推測されます。映画内の情報を丹念に見てゆけば、自ずと明らかです・・・とは言えないかもしれませんが、カレンダーや聖司の発言から、この日であると推測されるのです。
さて、今日はそんな日なわけですから、雫と聖司にちなんで、中学の頃の思い出でも語ろうかと、まあそう考えたわけです。あ、ぼくの中学時代の思い出です。
今はどうだか知りませんが、ぼくが中学生のときは選択授業というのがありまして、音楽や美術といった科目から一つを選択して自由に履修することができました。絵を描くのが好きだったぼくは、迷わず美術を取りました。男女合わせて20~30名くらいがその授業を選択していたと思います。中学2年のときです。
ぼくらは、美術室の後ろの隅を陣取りました。ぼくら、というのは、全部で5人くらいのグループで(もちろん男子だけ)、色々なクラスから集まっていました。教室に整然と並んだ机をぼくらだけは後ろへガタガタと移動させ、そこで喋りまくりました。授業の課題など一切やらず、ただひたすら馬鹿騒ぎをして、もちろん他の生徒の迷惑など顧みず、「古今東西・悟空の名台詞!」などと今から考えてもアホみたいな遊びに打ち興じていたのでした。ええ、先生は頭にきたと思います。実際、ぼくらを注意しに教室の後ろまでやってきたことがありました。
「あんたたち、静かにしなさい!」
「あ~~?うっせーよ!」
そう言ってガッターンと思い切り机を蹴飛ばしたKの凄味に押されて、先生は引き返しました。その後ろ姿を見ながらげらげら笑うぼくら。
ぼくらは不良ではなかったし、成績も極端に悪い人はいなかったように記憶しています。ぼくらの中には絵の抜群に上手い人がいて、彼は与えられた課題を、毎週何もやらないくせに、提出間際になるとさらっと描き上げてしまい、しかもそれが他の誰よりもよく描けているといった具合でした。ぼくも絵は下手ではなかったし、他のメンバーで少し苦手な人には、その上手な彼が手助けしてまともなものに仕上げていました。そういったことが、一層先生の癇に障ったのだろうと思います。
ぼくらは、先生に対して悪いことをしたんだと思います。それは、自分が先生の立場となって中学校に教育実習をしに行ったとき、骨身にしみて分かりました。別に生徒からそういう仕打ちを受けたわけではありませんが、しかし生徒の悪ふざけ、というか、中学生特有のノリにぼくは必要以上に恐怖感を抱いたのでした。自分たちが中学生の頃に先生に対してやっていたことを、彼ら中学生たちは、いまぼくに対してなそうとするかもしれない、いやそうしない理由なんてどこにもないんだ、と。先生なんて、簡単に言えば敵だったし、あるいはそもそも眼中になかった。中学生にとって、先生という存在は一体なんなんだろう、とぼくは少し深刻に考え込んでしまいました。
ぼくらが特別だったわけじゃないと思います。比較的多くの男子中学生たちは、ぼくらと同様に先生を睨みつけ、威し、大声で罵るものです。もちろん、ぼくがグループの中でもそういうことはしなかったのと同様、態度の悪いグループにいたからといって、彼ら全員がそういう連中であるということは必ずしもないし、むしろそれは珍しい方だと思います。明らかな不良グループでない限り、一人か二人は仲間の乱暴のなだめ役がいるものですし、単に静観している人間もいるでしょう。肝心なのは、クラスに数人は先生に対して威圧的でさえあるほどのつわものがいて、更に多くの生徒たちは先生への暴言を笑って見ているということです。おとなしい先生なんかは、とてもじゃないですが手に負えませんよ。確かに暴言は悪いことですが、でもそれが中学校の現実です。いえ、別にぼくらの行為を正当化するつもりはありません。ただはっきりしているのは、ぼくにはあの美術室での時間がとても楽しかったこと、そしてぼくには中学校の先生は務まらないこと、この二つです。
それにしても、ぼくが中学生のときは、平気で相手を罵り、手放しで相手を褒め、ボロクソに誰かをけなし、ぼそぼそと恋を語る、そういう連中が周りにたくさんいて、大変愉快だったのですが、大人になるということはそういう爆発的な感情を封印するということなのでしょうかねえ。
さて、今日はそんな日なわけですから、雫と聖司にちなんで、中学の頃の思い出でも語ろうかと、まあそう考えたわけです。あ、ぼくの中学時代の思い出です。
今はどうだか知りませんが、ぼくが中学生のときは選択授業というのがありまして、音楽や美術といった科目から一つを選択して自由に履修することができました。絵を描くのが好きだったぼくは、迷わず美術を取りました。男女合わせて20~30名くらいがその授業を選択していたと思います。中学2年のときです。
ぼくらは、美術室の後ろの隅を陣取りました。ぼくら、というのは、全部で5人くらいのグループで(もちろん男子だけ)、色々なクラスから集まっていました。教室に整然と並んだ机をぼくらだけは後ろへガタガタと移動させ、そこで喋りまくりました。授業の課題など一切やらず、ただひたすら馬鹿騒ぎをして、もちろん他の生徒の迷惑など顧みず、「古今東西・悟空の名台詞!」などと今から考えてもアホみたいな遊びに打ち興じていたのでした。ええ、先生は頭にきたと思います。実際、ぼくらを注意しに教室の後ろまでやってきたことがありました。
「あんたたち、静かにしなさい!」
「あ~~?うっせーよ!」
そう言ってガッターンと思い切り机を蹴飛ばしたKの凄味に押されて、先生は引き返しました。その後ろ姿を見ながらげらげら笑うぼくら。
ぼくらは不良ではなかったし、成績も極端に悪い人はいなかったように記憶しています。ぼくらの中には絵の抜群に上手い人がいて、彼は与えられた課題を、毎週何もやらないくせに、提出間際になるとさらっと描き上げてしまい、しかもそれが他の誰よりもよく描けているといった具合でした。ぼくも絵は下手ではなかったし、他のメンバーで少し苦手な人には、その上手な彼が手助けしてまともなものに仕上げていました。そういったことが、一層先生の癇に障ったのだろうと思います。
ぼくらは、先生に対して悪いことをしたんだと思います。それは、自分が先生の立場となって中学校に教育実習をしに行ったとき、骨身にしみて分かりました。別に生徒からそういう仕打ちを受けたわけではありませんが、しかし生徒の悪ふざけ、というか、中学生特有のノリにぼくは必要以上に恐怖感を抱いたのでした。自分たちが中学生の頃に先生に対してやっていたことを、彼ら中学生たちは、いまぼくに対してなそうとするかもしれない、いやそうしない理由なんてどこにもないんだ、と。先生なんて、簡単に言えば敵だったし、あるいはそもそも眼中になかった。中学生にとって、先生という存在は一体なんなんだろう、とぼくは少し深刻に考え込んでしまいました。
ぼくらが特別だったわけじゃないと思います。比較的多くの男子中学生たちは、ぼくらと同様に先生を睨みつけ、威し、大声で罵るものです。もちろん、ぼくがグループの中でもそういうことはしなかったのと同様、態度の悪いグループにいたからといって、彼ら全員がそういう連中であるということは必ずしもないし、むしろそれは珍しい方だと思います。明らかな不良グループでない限り、一人か二人は仲間の乱暴のなだめ役がいるものですし、単に静観している人間もいるでしょう。肝心なのは、クラスに数人は先生に対して威圧的でさえあるほどのつわものがいて、更に多くの生徒たちは先生への暴言を笑って見ているということです。おとなしい先生なんかは、とてもじゃないですが手に負えませんよ。確かに暴言は悪いことですが、でもそれが中学校の現実です。いえ、別にぼくらの行為を正当化するつもりはありません。ただはっきりしているのは、ぼくにはあの美術室での時間がとても楽しかったこと、そしてぼくには中学校の先生は務まらないこと、この二つです。
それにしても、ぼくが中学生のときは、平気で相手を罵り、手放しで相手を褒め、ボロクソに誰かをけなし、ぼそぼそと恋を語る、そういう連中が周りにたくさんいて、大変愉快だったのですが、大人になるということはそういう爆発的な感情を封印するということなのでしょうかねえ。