Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

11月11日だから思い出を

2010-11-12 01:20:14 | Weblog
11月11日はもう日付の上では昨日になってしまいましたが、ぼくの上ではまだ今日です。今日、つまり11月11日は、雫と聖司が再会した(丘から朝日を眺めた)日であると推測されます。映画内の情報を丹念に見てゆけば、自ずと明らかです・・・とは言えないかもしれませんが、カレンダーや聖司の発言から、この日であると推測されるのです。

さて、今日はそんな日なわけですから、雫と聖司にちなんで、中学の頃の思い出でも語ろうかと、まあそう考えたわけです。あ、ぼくの中学時代の思い出です。

今はどうだか知りませんが、ぼくが中学生のときは選択授業というのがありまして、音楽や美術といった科目から一つを選択して自由に履修することができました。絵を描くのが好きだったぼくは、迷わず美術を取りました。男女合わせて20~30名くらいがその授業を選択していたと思います。中学2年のときです。

ぼくらは、美術室の後ろの隅を陣取りました。ぼくら、というのは、全部で5人くらいのグループで(もちろん男子だけ)、色々なクラスから集まっていました。教室に整然と並んだ机をぼくらだけは後ろへガタガタと移動させ、そこで喋りまくりました。授業の課題など一切やらず、ただひたすら馬鹿騒ぎをして、もちろん他の生徒の迷惑など顧みず、「古今東西・悟空の名台詞!」などと今から考えてもアホみたいな遊びに打ち興じていたのでした。ええ、先生は頭にきたと思います。実際、ぼくらを注意しに教室の後ろまでやってきたことがありました。
「あんたたち、静かにしなさい!」
「あ~~?うっせーよ!」
そう言ってガッターンと思い切り机を蹴飛ばしたKの凄味に押されて、先生は引き返しました。その後ろ姿を見ながらげらげら笑うぼくら。

ぼくらは不良ではなかったし、成績も極端に悪い人はいなかったように記憶しています。ぼくらの中には絵の抜群に上手い人がいて、彼は与えられた課題を、毎週何もやらないくせに、提出間際になるとさらっと描き上げてしまい、しかもそれが他の誰よりもよく描けているといった具合でした。ぼくも絵は下手ではなかったし、他のメンバーで少し苦手な人には、その上手な彼が手助けしてまともなものに仕上げていました。そういったことが、一層先生の癇に障ったのだろうと思います。

ぼくらは、先生に対して悪いことをしたんだと思います。それは、自分が先生の立場となって中学校に教育実習をしに行ったとき、骨身にしみて分かりました。別に生徒からそういう仕打ちを受けたわけではありませんが、しかし生徒の悪ふざけ、というか、中学生特有のノリにぼくは必要以上に恐怖感を抱いたのでした。自分たちが中学生の頃に先生に対してやっていたことを、彼ら中学生たちは、いまぼくに対してなそうとするかもしれない、いやそうしない理由なんてどこにもないんだ、と。先生なんて、簡単に言えば敵だったし、あるいはそもそも眼中になかった。中学生にとって、先生という存在は一体なんなんだろう、とぼくは少し深刻に考え込んでしまいました。

ぼくらが特別だったわけじゃないと思います。比較的多くの男子中学生たちは、ぼくらと同様に先生を睨みつけ、威し、大声で罵るものです。もちろん、ぼくがグループの中でもそういうことはしなかったのと同様、態度の悪いグループにいたからといって、彼ら全員がそういう連中であるということは必ずしもないし、むしろそれは珍しい方だと思います。明らかな不良グループでない限り、一人か二人は仲間の乱暴のなだめ役がいるものですし、単に静観している人間もいるでしょう。肝心なのは、クラスに数人は先生に対して威圧的でさえあるほどのつわものがいて、更に多くの生徒たちは先生への暴言を笑って見ているということです。おとなしい先生なんかは、とてもじゃないですが手に負えませんよ。確かに暴言は悪いことですが、でもそれが中学校の現実です。いえ、別にぼくらの行為を正当化するつもりはありません。ただはっきりしているのは、ぼくにはあの美術室での時間がとても楽しかったこと、そしてぼくには中学校の先生は務まらないこと、この二つです。

それにしても、ぼくが中学生のときは、平気で相手を罵り、手放しで相手を褒め、ボロクソに誰かをけなし、ぼそぼそと恋を語る、そういう連中が周りにたくさんいて、大変愉快だったのですが、大人になるということはそういう爆発的な感情を封印するということなのでしょうかねえ。

特報映像!新海誠新作!!!

2010-11-09 23:52:05 | アニメーション
新海誠『星を追う子ども』特報映像


ついに特報映像が公開されました。
新海誠『星を追う子ども』。本当に、ついについについに、ですね。映像を見る限りではファンタジックなアクションもあるみたいで、どんな物語になるのでしょうか。公式サイトもオープンしていますが、そこにある情報だけではまだ全体像がつかめません・・・って、それは公開する5月まで待たないとダメに決まってますね。ファンタジー色の強い物語と日常的な物語と、両方のタイプの物語をこれまで新海誠は紡いできましたが、今回は前者の色合いが強くなるのかな。

かつて東浩紀は前者のタイプの物語に新海誠の真価を見、大塚英志は後者にそれを見ましたが、いまや新海誠はその両方の領域で才能を発揮しており、どちらか一方ということはないです。やっと来年に楽しみができました。よかった。

熊本!!

2010-11-08 23:08:41 | お出かけ
昨日(サクジツ)のつづき。

本当は、もっと観光したかったのですが、結局、熊本城しか見ることができませんでした。でも、熊本城はとても大きなお城で、日本三名城の一つなのだとか。敷地内に入ってみると(入るのに500円かかります)、人はほとんどいなくてさみしいなあと思っていたら、天守閣の周りには大勢いて、賑わっていました。フランス人や韓国人が多かったですね。なんでわざわざ熊本に来たんだろう。

この日はかなり暑くて、汗をかきました。セーターにジャンパーまで着こんでいたので当然かも。階段をかなり上るし。でも天守閣のあるところは広場になっていて、そこのベンチに腰掛けてジャンパーを脱ぎ、汗をぬぐい、一休み。それからお城の中に入って、最上階へ。たしか6階くらいまであって、けっこうしんどいですが、頂上から見る眺望はなかなかでしたよ。街の向こうに山並みがきれいに見えるというのはよい光景ですよね。

お土産の「あか巻」ですが、なかなか家族の評判がよいようです。ぼくも食べてみましたが、おもちが柔らかくておいしかった。熊本物産展というのが銀座にあるそうで、一度行ってどんなのが売られているのか見てみたいけれど、銀座ってほとんど行ったことがなくて、なんとなく気が引けるなあ。試食で食べたデコポンだんごってやつがおいしかったので、それが目当てです。今は、青森の新幹線開通を記念して、青森物産店が開かれているようですが、青森もおいしいものが多いですよね。特にリンゴを使用したものはやはりいい。

熊本は馬刺しが有名だそうなので、是非それを食べたかったのですが、けっこうお高くて、また機会もなかったので、残念なことをしました。もし次再び訪れることがあったら、本場の馬刺しを食してみたいです。あと、水前寺公園にも行きそびれてしまって、こちらももったいなかったですね。

空港から出ているリムジンバスに乗るとアナウンスが随分かわいい声なのでマジで!?と思ったら、スザンヌでした。ああ、熊本宣伝大使だか部長だかをやっていたんだっけ。でも彼女の言う通り、水はとてもおいしかったよ。

熊本!

2010-11-08 01:19:19 | お出かけ
やっと熊本から帰ってきました。と言っても、着いたのが土曜日、帰ったのが日曜日なんですけどね。1泊2日でした。
何しに行ったかというと、観光ではなくて、学会があったからなのでした。発表しなければならなかったので、熊本かよ!と思いつつ(遠いですからね)、行ってきたのです。でも、飛行機で2時間弱ですから、電車で青森に行くよりは近いですよ。飛行機ってのはすごいもんですよ。飛行機と言えば、ぼくは2年前まで飛行機に乗ったのは高校の修学旅行だけで、あとは皆無だったのですが、今年だけでももう二回も乗ってしまいました。二回って、サラリーマンなんかに比べればぜんっぜん多くない回数ですけども、それまでの20何年間で1度きりだった(しかも修学旅行)のが、同じ年に二度というのは、ぼくからすれば多いのです。しかも、一人で乗ったのは、国内線では初で、ちょっと緊張しました。乗り方なんかも国際線と違って、あと羽田を利用するのも高校以来でしたから、勝手が分からず、行く前はどうしよう!とうろたえていたのですが、やはり成田よりも手順が楽で、国内線の方が「レベル」は低いですね。レベルって、その、難易度のことですが。とはいえ、初めての全国大会の学会発表の場が熊本というのは、けっこう「レベル」高いです。って、さっきから「レベル」低いことばかり言ってすみません・・・

学会直前の1ヶ月間は集中して文献を読んで、自分なりには最善を尽くしたつもりだったのですが、どうもぼくは詰めが甘いみたいで、質問をされた先生からちょっと突っ込まれてしまって、たじたじでした。う~む、勉強不足でした。というか、なぜかそのことにあまり注意を払っていなくて、やはり詰めが甘いな、と。また、もう一つの質問に対してもうまく答えられず、こっちは完全に勉強不足でした。けれども、質問してくださった先生方、どうもありがとうございました。あと発表を聞きに来てくださった先生・先輩もどうもありがとうございました(ブログ見てないと思いますが)。司会の先生もお世話になりました。・・・学会って、実はけっこういろんな人からお世話になる場なんだなあ。いま気付いた。というのも遅すぎる気がしますが・・・

まあしかし、学会のことは忘れて(はいけないのかもしれないけど)、食べ物の話。お土産に「陣太鼓」と「あか巻」というお菓子を買いました。前者は熊本を代表する銘菓だそうで、有名みたいです。家族から買ってきてくれと言われて初めてぼくはその存在を知ったのですが。一方、「あか巻」は天草名物だそうで、ちょっと珍しそうだったので買ってみました。かまぼこみたいな半球型で、でもかまぼこというよりはロールケーキくらいの大きさで、中がやはりロールケーキと同じスポンジ、外は赤いお餅でくるんでいる、というお菓子です。まだ食べてないのですが。あ、陣太鼓はもういただきました。中にお餅が入っていて、外は餡子をゼリーで固めたようなお菓子。なかなか美味でした。このほかに、でこぽんだんご、というのが空港で売られていて、試食したところとってもおいしかったのですが、買いませんでした。手元に一万円しかなくて、くずすのが嫌だったから、というのが一つ、荷物が多くなりすぎる、というのが一つ。そんわけで、お土産は上記の二つだけ。ちなみにでこぽんは熊本では有名みたいです。

そういえば、熊本は醤油がうまかった。東京の醤油とは味がちがって、甘いんですよね。それとも、ぼくの食べたホテル独特の味付け?甘いと言えば、水が甘い。阿蘇山の水を謳うペットボトルの水が、甘くておいしいのです。熊本って食べ物がおいしいのかも。

観光で熊本城にも行ってきたのですが、もうだいぶ(文章が)長くなってしまったので、また今度。
ああそうだ、飛行機で偶然、大学の先輩でいまはもう別の大学の先生をされてる方と隣り合わせになりまして、色々とお話しできてよかったです。本を読む時間を奪ってしまう形になってご迷惑だったかもしれませんが、どうもありがとうございました。この先生は、ものすごく謙虚な方で、自分は語学ができないと謙遜ばかりされていて、ぼくのロシア語が苦手だという話まで、ぼくが謙遜しているんだと思ってらっしゃるようで、それで恐縮しきりでした。ぼくのはマジですからね。本当にできる人ってのはすごく謙虚なので、できる人だらけの環境にいると、ぼくのような本当にできないからできないと言っているだけの人間まで謙遜していると思われることがけっこう辛かったりします。言っときますけど、ぼくのはマジですからね。自慢になりもしないことを強調しても仕方ないですが。

それにしても、疲れました。今日はもう寝ます。新海誠の新作の特報がいよいよ今週中に公開されるみたいですよ。期待して寝ましょう。

海外アニメーション・ベスト10を考えてみる

2010-11-05 17:41:09 | アニメーション
きのうのつづき、ということで、海外のアニメーション作品でベスト10を考えてみます。自分なりに。あまり趣味に偏りすぎず、かといって世評の高いものだけを入れるのもいかがかと思うので、バランス良く。思いついた順に。

『話の話』(ノルシュテイン)、『ナイトエンジェル』(ポヤール)、『ビーズゲーム』(パテル)、『クラック!』(バック)、『あなたは私の誇りよ』(ハーツフェルト)、『地球の果ての果て』(ブロンジット)、『線と色の即興詩』(マクラレン)、『盗まれた飛行船』(ゼマン)、『ファンタジア』(シャープスティーン)、『ストリート・オブ・クロコダイル』(ブラザーズ・クエイ)

あ、10作品だけって無理ですね。なるほど。
でもなるべくバランスに気を付けて選んだのですが、どうでしょうか。国も作風もバラバラで、長編短編も織り交ぜて、新旧も一緒くたに。ただ、日本人が選ぶのであれば『やぶにらみの暴君』は入れたいところですが、なにぶん『王と鳥』しか見たことがないので・・・。あと、トルンカも入れたいなあ。ブロンジットの代わりにトルンカ『手』を入れてもいいかもしれない。ああ、色々作品が浮かんでくる・・・特に過去1年以内に見たもの(再見含む)が。

それにしても、こういうのってやっぱりクラシックなものが選ばれやすいですよね。実際、自分で選んでみても有名なのがほとんどです。・・・はっ!ペトロフが入ってない!あと近年見た中で5指に入るタラソフも!しまった、ニック・パークを抜かしてしまった!ラギオニの『大西洋横断』や、ティルビーとフォービスの『ある一日のはじまり』も・・・

うう、やっぱり10作品は難しいなあ。個人的にはヴィドリッチの『FAST FILM』も入れたいですけど、これは入れられないかなあ。『ブラック・ドッグズ・プログレス』なんかも、入れたいけど入れる余地がないなあ。

などと言いつつ、他にも幾つか名前を挙げてしまいましたが(ずるい)、10作品だけを選んでみる、というのは非常に難しい試みなのですね、やっぱり。でも、1位と2位は『話の話』と『ビーズゲーム』かな。

『オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇』を買った

2010-11-05 02:23:06 | アニメーション
先日ちょこっと書いたキネ旬ムック、買ってしまいました。ランキングは日本篇と海外篇とに分かれていて、それぞれの1~3位までは、

1、カリオストロ
2、ナウシカ
3、トトロ

1、ファンタジア
2、ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
3、白雪姫

でした。
う~む、どうなのよ、これ。おかだえみこさんの言うように、こういうランキングにそもそも意味があるのかっていう疑問は常にあるわけですが、それにしたってこうも偏るとは。選者がどういう基準で選んでいるのかがそれぞれ違うんですよね。個人的思い入れだったり、歴史性を鑑みていたり、影響を受けたのを入れてみたり、と。このセレクションで選者の審美眼を判断しないでほしい、みたいなこともおかだえみこさんは言っていましたが、確かに日本と海外とそれぞれ10作品ずつというのはいかにも少ない。おのずと思い入れのある作品を選んでしまいがちで、そうするとなるほど審美眼とは別のものが働いてしまうのかも。

にしても、にしても、ですよ。宮崎監督の作品が3位まで独占って、どうなのよ。他にもあるでしょうがと言いたくなるのはぼくだけではないはずですが。まあしかし、宮崎駿の作品はクオリティが異常なほど高いからなあ。やはり傑出しているのは認めざるを得ません。

海外篇も、大体同じようなのがランクインするんだよなあ。同じようなの、というのはどのランキングでも同じような、という意味です。ただ、意外なことにノルシュテインが3位以内に入っていない。なぜ。ハリネズミは5位ですが、話の話なんて13位ですよ。これはどうかしてるんじゃないですか、と言いたくもなる。10位以内にマクラレンがいないし、(個人的には好みじゃないけど)パルンもいない、パテルも、ブロンジットも、いない。ハーツフェルトがいないのは、このアンケートを取ったのが前過ぎたせいでしょうか(まさか去年じゃないよね)。ゼマン、トルンカ、ポヤール、シュヴァンクマイエルといったチェコ勢の有名どころももっと上位に食い込んできてしかるべきだし。そういやバルタも。チャン・ヒュンユンは絶対何人かは投票すべきだろう。って、誰も名前を挙げてない!?

と、かなり不満が残るランキング結果となっています。同種の本としては、『世界と日本のアニメーションベスト150』の方がバラエティ豊かで、しかもかなり下位の作品まで載せているので(この下位の作品に傑作が埋もれているのです)、こっちの方が鑑賞の手引書としては役に立つかな。

ぼくもそんなにたくさん見ているわけじゃないのでランキングを作るのは難しく、どうしても暫定的な意味合いが強くなってしまうのですが、でも自分が選者だったらもうちょっとバランスのいい10個を選ぶのになあ、と思ったりもするのですが、それは選者でない者の放言でしょうか。今度、仮の10傑を作ってみようかなあ。宮崎駿の監督作から何を選ぶか、というのは難問ですが・・・

オフの日

2010-11-04 00:20:04 | Weblog
今日は完全オフの日でした。
本当になんにもしませんでした。
とりあえずレジュメも作り終わって、もちろん勉強しなければいけないことはまだまだ残ってはいるものの、終わってしまったので、だら~っと過ごしてました。こんなに何にもしなかったのは久々だなあ。外国語は読みませんでした。日本語も、新聞とネット以外は読みませんでした。

明日からはまた気を引き締めてやらないといかんですね。今週はぼくは土日がないので、今日はその代わりって感じで。

なんかブログのネタがないですね。
明日はロシアの列車の思い出でも書こうかな。分からないけど。

ああそうだ、今日は少しだけ本の整理をしたんだっけ。ちょっとはスペースを確保できました。あと、文字通り埃の積もった本をきれいにしました。でもそれくらいですかね。

アニメのニュースと文学の話

2010-11-03 02:03:22 | アニメーション
先日閉幕したオタワですが、あの石田祐康の『フミコの告白』が特別賞を受賞したそうですね。実はさっき知りました。いつもながら情報が遅いな・・・
でも、オタワで特別賞ってかなり注目を集めてよいニュースだと思うのですが、新聞やテレビは報道してませんよね・・・いやテレビのニュースはあまり見ていないので正直よく知りませんけど・・・少なくとも『つみきのいえ』みたいには大々的にやらなかったですよね。けれどそれを言ったら、広島での大山慶の受賞も大々的に報じられませんでしたよね。どうなってるんだろう・・・
アニメは日本の文化だとか言う偉い大人の人がいますけども、そしてそれをさもありなんと報道している大人たちがいますけども、こういうニュースが大々的に報じられないことについてどう思っているんでしょうか。・・・まだまだアニメーション文化は成熟していないんだなあとつくづく思います。

で、もう一つ。キネマ旬報がアニメーション・ランキング的な本を先日出したそうですね。これもさっき知りました。いやほんと知るの遅いな・・・。
あとで本屋に寄って、ぱらぱらっと中味を見て、買うつもりです。が、ただいま金欠中でして、「あとで」がいつになるか分かりません。とりあえず誰が選者でどういう作品が選ばれているのかは早めにチェックしたいのですが。選者って大事ですからね。

ここから文学の話。
某出版社の「百年文庫」シリーズ(だっけ?)。なかなか渋い作家や作品が選ばれていたりして、選者も大変だったと思うのですが、今回の事件でこの出版社の編集者は株を落としたような・・・百年文庫シリーズで挽回してほしいです。

ゴルバートフという、誰も知らないような作家の小説を読みました。もろに社会主義リアリズム時代の社会主義リアリズムに染まった作家の小説ですが、これがしかし、なかなかおもしろい。思うに、社会主義リアリズムというのは、それ自体は別に悪いんじゃない。ただ、それだけが専制的に文学界に君臨してしまったのが異常だっただけです。もちろん、その表現の紋切り型、展開や人物配置のパターン化、ある種のいわゆる「儀式性」が糾弾されるなど、文学の表現として社会主義リアリズムは相対的に見て劣悪であった、という指摘にも正当性はあります。でも、いかなる文学の主潮というのものにも「傾向」があるはずだし、日本の私小説だって例外ではありません。要は、スターリンに阿諛追従していたという政治的偏見が社会主義リアリズムを陋劣な文学であると糾弾せしめているのではないでしょうか。無論、自由を圧搾する者に阿る文学は、文学の名に値しないという価値観は尊重されるべきだし、このような「偏見」はしばしばむしろ正論であるとも考えられます。けれども、社会主義リアリズムで描かれた人間というのは、不屈の精神を持った、何らかの仕事のために自己を投げ捨てるような、一般人に比べて一段高いところにいる人々です。彼らのたゆまぬ努力や自己犠牲は、それが平易な言葉で書かれているからこそ(装飾的で絢爛たる美文でないからこそ)、胸を打ちます。

いま、お伽話や聖人伝に喩えられる社会主義リアリズムは、本来人の心を純粋に感動させる要素に満ちています。感動させなければ、この文学ジャンルがかつて流行することはなかったはずです。純文学を愛好する大人が読むには少し物足りない部分もあるかもしれませんが、一般の読者、それに児童にとってはかなり楽しめるのではないかと思います。社会主義リアリズムを子どもに推薦することには倫理的疑問がなくもないですが、そこがまた「文学/政治」の難しいところですね。

・・・と、ちょっと褒めすぎの感あり。そういう意図は全くないのですが…言いたかったのは、小説自体はけっこうおもしろいぜってことだったのです。だから、独裁者を擁護する文学を褒めるのはけしからんとか言わないでくださいね…

例の話

2010-11-01 22:40:46 | 文学
某俳優が某出版社の大賞を受賞したという例の話について。
これについて書くとどうしても悪口になってしまいそうですので、なるべく気を付けて書くようにします。

まず、ゴーストライター説はあまり説得力がないように思います。俳優を辞めてしまったのだから、それ相応の覚悟と決意はあったわけで、ライターを雇うというのは考えづらい。それに、慶応出身で高校のときはサッカーで全国大会にまで行っているそうですし、プライドが許さないでしょう。

出版社が知っていた説。これは非常に有力だと思います。応募するときは略歴を書いて提出しなければいけないようですので、当然職業欄には「俳優」ないしは「モデル」などと記載する必要があります(応募時はまだ引退していない)。彼の経歴は広く知られているし、出版社が感づいたとしてもおかしくない。

正真正銘の受賞説。多くの人が考える通り、これはかなり怪しい。そんなにとんとん拍子で上手くいくわきゃない、という常識もそうですが、小説というのは書くのはけっこう難しいものでして、いくら文章が巧くても、エンターテインメントさせるのには技術が要ります。

ぼくは、彼は悪くないと思うのですが、この出版社が気付いてしまったのではないかと疑っています。

さて、ここまではまあ下世話な話でして、個人的な感想を述べてみたわけですが、気分を害された方、ごめんなさい。問題はここから。

まず、慶応大学の学生は、ピンキリでして、なんで君この大学に入れたの?って人から、かなりレベルの高い人まで、色んな人が勉強して(遊んで)います。ぼくの知っている人には「歩くOPAC」がいましたし、ものすごい美文を書くことのできる古風な文学青年もいました。この「歩くOPAC」、あるいは「歩く文学事典」は、本当に途轍もない知識を備えていて、ぼくのような浅学の人間は舌を巻くばかりでした。先生が彼にテストを免除したのはぼくの中では伝説となっています。岩波講座の『文学』を全巻読破したのは、ぼくの少ない知り合いの中だけでも2、3人いましたし、大学に入学したての頃からブロッホを愛好していたり、少年愛について語ったりする人もいました。ぼくの見立てでは、文学部の学生の50人~100人に1人は純文学系の文芸誌の最終選考に残ってもおかしくない力を備えています(実際残るかどうかは相性もあるので別です)。ちなみにどうしてぼくがこんなに慶応大学の学生について詳しいかというのは内緒ということで。

だから、慶応大学出身の人間が、文芸賞を受賞すること自体は不思議ではありません。

しかし今回の受賞者は、巨大な重荷を背負ってしまいました。今後は大勢の人から、冷ややかな目で見られることでしょう。「出来レース」という言葉が今ネットを駆け廻っています。受賞作を公表したとき、どのような騒ぎになるのでしょうか。ぼくはその作品を読んでみたい。そして、それがいかなる作品なのか、自分で判断したい。もしもそれが駄作であれば選考委員、ひいては出版社は信用を失くすでしょうし、優れていれば、そして今後も良作を連発すれば、世間の見方も変わるでしょう。

たぶん、ぼくのような純文学側にいる人間は、今度の騒動に無関心か、冷静に見守っているのだと思います。ブログで取り上げたりするのは論外だと考える人もいるかもしれません。ましてその小説を読みたいだなんて、なんて大衆的な奴なんだと嘲るかもしれません。けれども、インテリぶるのは飽き飽きです。文学の本質に関わる問題じゃないとか、そういうのはもういいです。文学賞と文学との関係、文学という制度の問題を改めて考え直すよい契機になる、とかいうもってまわった言い回しももういいです。

純粋におもしろいじゃないですか。謎の引退をした若い役者が多額の賞金の出る文学賞を受賞したというニュース。人生にはこれほどの幸運がありうるのか?出版社は知っていたのではないか?本当に出来レースだったのか?全ては藪の中ではありますが、こんなに興味深いニュースは久々でした。いやいや、ぼくはその小説を読みたいですよ。

*その後、職業欄は無記載だったと報道されました。なるほど。(11月2日)