退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

法頂“美しく終わる”より その2

2011-08-24 07:24:49 | 韓で遊ぶ
老いの美しさ

ずっと続くのではないかと思えた夏の暑さも処暑を境に峠を超えるという循環の法則、この宇宙の秩序が続く限り地球は息づく。言い換えると、同じようにすべてのものには時があるということだ。
秋風が吹いてくると空が高くなり水が澄んで、お茶の味も新鮮だ。昨日の朝、秋に似合う茶器に変えた。前の修行の終わった日、보원요の智軒様が新しく作って持ってきた湯飲みに初秋の香りを吟味して、久しぶりに山中の閑寂を味わい楽しんだ。
 いくら優れた芸術作品でも、作家はその作品の中に半分の魂しか吹き込むことができないということだ。残りの半分は、その作品を所有した者、すなわち作品を慈しみ愛し活用する者によって完成するのだ。色合いの美しいその湯飲みは보원요風で最近のものではあるが、大きさも程よく、持った感じもよく、なかなかいい感じだ。糸ぞこもたっぷりあって見ても触っても楽しくなる。この湯のみは、これから私のまなざしと、私の手で触れられることにより歳月とともに完璧な器になっていくのだ。
 最近계로록(戎老録1)、老いにおいて気をつけなければならないことを読んでいて、私自身の人生を振り返っているところだ。振り返って見ると、自分では意識できないまま同じ言葉を繰り返してきた。同じ言葉を繰り返すということは、過ぎた時間の沼に閉じ込められ抜け出せずにいるということだ。これはまた、老衰の現象ではないか。
 これと同じ現象は新しいことに対する関心と探求の能力が欠如してきたという証だといえる。私たちは、自身の夢と理想を捨てる時老いるのだ。歳月は私たちの顔にしわを刻むが、私たちが物事に対する興味を失ったとき霊魂にしわが刻まれるのだ。誰でも、探求する努力をしなくなると人生が錆付くのだ。これは心に刻んでおくべきことだ。
 老後に対する不安はよくあることであるが、これはまだ次のことであり、今すぐのことではない。世の中を知らない節操のない話かも知れないが、今、この瞬間を自分の分をわきまえ、ちゃんと生きて行ったならば老後に対する不安のようなものに臆することはないのだ。すべての生きているものは、その瞬間は過去でも未来でもない純粋な時間だ。いつどこでも、今、この瞬間を生きていかなければならない。
 考えて見ると、私がこの世を生きてくる間、この地球の資源をたくさん消費し、知っている、知らないにかかわらず、それ分だけ地球環境を汚染してきたようだ。今日のこの恐ろしい気候の変化は地球環境を壊し、かき乱してきた私たちの所業のせいだ。これを克服するために地球人はそれぞれの暮らしの現状で、できる限りこの地球を汚すようなことを慎まなければならない。
 そうしようとすれば何よりもまず、簡素な単純な生き方をしなければならない。それほど必要でもない多くの物に囲まれて抜け出せずにいる私たちの暮らしを、一つ一つ点検し振り返って見なければならない。1年過ぎても手付かずに使わない物があったら、それは自分には必要ないと言うことで、惜しみなく新しい持ち主に回してやるべきだ。
 金持ちの家とは、物を人よりも多く持って暮らしている人ではない。不必要なものを持たないで、心が物に縛られることなく、生きている人たちこそ本当の意味での金持ちだと言える。
 一晩中輝く星の輝きのようにはっきりした意識で、その日その日の暮らしを一つ一つ振り返り、自己中心に考える行動しないで、世の中の目で自分を見るというこのような事を通して老いを美しく迎えることができる。
 老いの美しさはすべてのことを淡々と受け入れ、人に譲歩できる寛大さにあるということを忘れてはならない。
コメント
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