退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-08-29 09:28:04 | 韓で遊ぶ


希望のビタミンを毎日摂取しなさい
ただ、何回かだめになったと、つらく思ったらプロになることはできない。人生は元々挫折の連続だ。幼い頃、乳離れをして歩き始めた時から死ぬ時まで、数多く転んではおきるのが人生だ。希望と言うビタミンを毎日摂取しなさい。希望のビタミンは私達を幸福にする。机の上にビタミン剤がたくさんあるのか。希望の妙薬を準備して、一番初めに飲まなければならない。一つ、慰めたい言葉は、今つらいならば良くやっているということだ。一生懸命努力したけれどダメだということは、すべの成就者が歩む過程に、自分もいるのだという意味だ。努力が足りなくてつらいのではなく、最善を尽くしているからつらいのだということだ。

つらくなければ人生ではない。生きるのはつらいものだ。だが、つらい理由が希望を追及しようとして生じたことならば良くやっているということだ。
勉強があまりできなくて両親も先生もあきらめた少年がいた。友達は「バカ」と言って一緒に遊んでもやらなかった。高校をやっと卒業して、チューリッヒ工大の入学試験にも落ちた。しかし、浪人してチューリッヒ工大に入った後、天才性を発揮した。彼が正にアインシュタイン博士だ。アインシュタインは自らあきらめることは無かった。周囲の人たちの低評価に落ち込まず、強く自分の道を行った。誰も自分をわかってくれない時、大きな自分で行動しなさい。その時を、自尊心の高める視点で捕えると、ゆれることは無い。周囲の反応のせいで嫌気がさして放棄したらだめだ。自分の人生は価値のある美しいものであることに挑戦しなければならない。挑戦しているという証拠は、つらいと思わされる時だ。挑戦しないで現状に甘んじているのにつらいだろうか。挑戦しない若者は惨めだ。創業しろとか、通っている職場を今すぐやめろとかという話ではない。私の言う挑戦とは、今やっている事で、夢を成し遂げるために嫌気を出さず持続して耐えていきなさいということだ。嫌気を出してあきらめると惨めになる。人生が惨めにならないためには、絶対に嫌気をださずあきらめるな。

現在の姿が満足できなくても落ち込む必要はない。希望のビタミンで免疫力を高めなさい。希望を持って逆境に勝った後に、希望の光を放つ人にならなければならない。他の人に希望を与える人と希望を奪う人がいる。最も良いことと、最も悪いことだと言う事ができる。希望で現在の苦難に勝った後に、人生の後輩たちに希望の証拠になりなさい。明日に対する希望で一杯に満たしていれば、嫌気を出す隙間がどこにあるだろうか。絶対に放棄することは無いだろう。希望があればどのような状況にでも、あらゆる方法を使ってでも、生きていくことができる。希望が無ければ、一生懸命生きても力が抜けて楽しくない。
どんなに大きなビジョンでも、あきらめると虚しい夢想に終わる。希望は犠牲が無くては絶対に現実にならない。あきらめないで代価を払えば必ず夢はかなう。そこに、夢を妨げることがおきても希望を持っていれば避けることができる。

「穏やかな海は良い船大工を作らない」と言う言葉がある。試練が無く成功した人はいないという意味だ。苦難と試練無しで人生を生きていくことはできない。試練は神が人間を鍛錬するためにつくった贈り物だ。高い温度で陶磁器を焼いてこそ本物になるように、人間の人格は苦難を通して生まれ変わる。試練を克服するために努力をしない者は、小さなことに挫折し落ち込む。

私達は皆、人生の運動場でかけっこをする。成功と言うメダルを取るために期待を胸に走る。しかし、現実は喜びばかりくれずに望まない失敗を共にくれる。その時、生の意志をつかまなければならない。嫌気を感じて生をあきらめてはいけない。誰でも出会う失敗に、どのような心で対するかによって人生が変わる。全力を尽くして最善を尽くしても、すぐには結果が出ない。時には状況がもっと苦しくなることもある。あきらめなければ必ず時が来る。成功したすべての人が経験した人生の法則だ。決してあきらめなければ、何でも成し遂げることができるという言葉のように聞こえる。

多くの企業の講演と執筆で忙しく人生を送っている私は、一日に数十回と放棄したいという心が出し抜けに生じる。その度に、「あと少し」そして、「多くの人が私により小さな挑戦を受けるはずだ」と思って、考えを整理して文章を書いて講演を準備する。もし私が日常で簡単にあきらめて原稿の執筆を遅らせたならば、多くの作品が出てくることができなかっただろう。
原稿の執筆によって尻が痛くなった経験のある人は、本がベストセラーになろうがなかろうが、自らあきらめないで人生の意味を成し遂げたと考える。楽しい執筆だけだろうか。毎度、同じではないか。あきらめない姿勢を体になじませてこそ、人生の価値が光を放つ。
「後もう少し」と言う心で自らを励まそう。そして、自分があと少し努力して誰かが幸福になれることを知ったならば、生きていく存在の理由が十分ではないか。


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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-08-28 14:44:33 | 韓で遊ぶ
嫌気が差して放棄する資格がまだ無い

ずるいやり方はやめて正面勝負すること
多くの人たちが私に進路に対して諮問を求める。はじめは一生懸命、目標を設定して教えてやったとおりに実行するが、結果まで話をしてくれる人はほとんどいない。初めは一生懸命やっていたが、疲れてあきらめたのか、能力が足りないという理由でやめる。しかし、最も大きな理由は嫌気がさしたからだ。やったけれど、疲れてやるのがいやになる心が生じると、いつそうなったのか、というように事をたたむ。新しいことを探してもこの過程を繰り返す。嫌気はあきらめにつながる。嫌気をしょっちゅう感じる程、諦めが早くなるということだ。しかし、嫌気はある程度の水準に達したプロの専有物だ。自分の分野で1等になってみて、成就感を味わった人が再充電のために過ぎる過程だ。

私に人々は、多くの講演が辛くはないかと聞く。忙しいスケジュールをどうやってすべて消化するのかと言う。特に嫌気がささないかと聞く。どうして辛くないことがあろうか。時々嫌気もさすが「私に、嫌気がさしたからと放棄する資格がまだありません」と言ってやる。
ある事を成そうとするためには、まだ挑戦しなければならないことが多いので、まだ嫌気がさしたからと放棄する資格がないということだ。一生、自分と共にすることだ。覚えておきなさい。事を成した後にこそ、その分野の業務に対して嫌気がさしたと言える資格がある。むしろ楽しく状況を受け入れたらいけないのか。それがたやすくは無い。私達は小さいことにも簡単にあきらめる習慣がある。自分自身もそうだ。しかし、熱情的な目標がある時は違う。夢がある時は違う。夜が明けるたびに執筆や、講演で忙しい自分に妻は言う。「なぜそうやって苦しく生きるのですか。」しかし、辛いならば良くやっているのだということを知っている。挑戦していることを。私の本を読む読者が豊かな人生の栄養分を得るために「今、放棄することはできない。」と答えてやる。
嫌気は夢を成すため徹底した自己管理と節制を経験した人が享受する特権だ。目標を立てて死ぬような力を尽くして最善を尽くさないで嫌気がさしたと言うな。卑怯な言い訳なだけだ。一度あきらめると習慣になるのに、人生の峠ごとに正面勝負してこそ成長することができる。あきらめて嫌気を出すずるいやり方をやめなければならない


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軽のワンボックスで、犬2匹、人2人の車中泊旅

2013-08-27 21:40:51 | 旅に出る
日本国中気まぐれな天気だ
雨が降ると、これでもかというような豪雨になり、被害が出たりして
そんな中2匹二人ダイハツのハイゼットに乗って出発
初日は伊達の道の駅国道5号線沿いのため交通量も多く人の出入りも多く、夜中に州射場を通り抜ける車の数も多く、うるさい一夜だった
2日目、深川西まで高速で走り、幌加内でそばを食べて(幌加内道の駅)日本海側に抜ける、羽幌の道の駅の泊まる予定も早くつきすぎもう少し先に行く。初山別道の駅
は日本海に沈む夕日を見ながら入れる。お湯の温度もちょうどよくとても良かった500円/一人
3日目、稚内の防波ドームを見て「らせーぬ」でランチ煮込みハンバーグ1000円、けっこうなボリューム、人気のある店らしく11時半開店と同時に人が入り始め12時には満席、その後猿払の道の駅に行く。宿泊するには早いのでもう少し先に進む。ピンネシリ道の駅温泉380円/一人。オートキャンプ場併設の道の駅。駐車スペースが小さい
4日目、唯我独尊のカレーを是非に食べたく富良野を通って南下。唯我独尊は20数年ぶりだろうか、外観は同時のままだ。韓国ドラマ「ラブレイン」に登場して、チャングンソクがカレーを食べたところとしてまた有名になったのか行列ができていた。混んでいて相席で食べる。同席したのは韓国からの旅行者だった。唯我独尊が韓国にも知られたのね鵡川の道の駅
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じゅんさい日本一 森岳

2013-08-26 19:57:31 | 秋田
순채라고 하면 고급 요정에서 작은 그릇에 담겨진 식초가 들어간 요리라든가, 국물에 조금 넣고 있는 것을 상상하지만, 모리타케에서는 야채처럼 먹는다.
식초가 들어간 요리도 먹지만 작은 그릇이 아니라 큰 그릇으로 먹는다. 가장 맛있는 것은 찌개다.닭고기 넣은 남비에 간장 넣고 맛을내고 그 속에 야채처럼 많이 넣어서 색이 변하면 먹을 수 있다.
모리타케 순채 이야기 속에 한국인이 한명 있다고 들었다.
순채가 본격적으로 재배가 시작되는 전에 순채 수확량이 적어졌을 때, 모리타케 한 순채공장 사장이 순채의 수입을 위해서 한국에 가고, 그 때 만난 한국여성과 결혼해서 모리타케에 데리고 돌아왔다고 한다. 그 사람이 상당한 사업가이었다. 그 후 순채는 논에서 재배하게 되어 수확량도 자라고, 모리타케는 원래의 순채 일본 제일 되고,그녀도 그것으로 성공했다. 또 모리타케에는 옛부터 온천이 있어서 거기에 있는 낡은 호텔을 매수해서 고쳐서 호텔업에서도 성공하고, 지금은 간병 사업에도 시작하고 크게 사업을 하고 있다라고 하는 것이다.
사쿠라 엄마의 나이 많은 어머니가 하나하나 정성껏 딴 순채로 큰 부자가 된 한국 여성, 조금 복잡한 마음이다.
한번 꼭 만나고 싶어요.
순채 꽃
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蓮の咲く町 森岳

2013-08-21 20:06:26 | 秋田


사실은 사쿠라 엄마는 아키타 모리타케 출신이었다.
지금은 미타네 마을이라고 이름을 바꾸었지만, 이전에는 야마모토 마을이라고 했다.
이 모리타케라고 하는 곳, 지금은 순채 일본 일등이라고 하는 것으로 때로는 텔레비전으로 방송될 때도 있을 정도다.
사쿠라 엄마가 어렸을 때는 카쿠수케 호수라고 하는 곳에 자생하고 있었다. 카쿠수케 호수는 모리타케 중학교의 교정을 삥글 둘러싸게 있어서, 시기가 되면 그 호수에 작은 배를 띄워서 순채를 따는 젊은 아가씨 모습이 아름다운 그림같았다.
지금은, 순채도 경작 면적 줄이기 정책으로 쌀을 재배하지 않게 된 논에서 관리 재배하고 있다.
자연의 호수 카쿠수케호수에서 순채 채취, 재배는 호수가 깊다라고 하는 이유로 그만뒀을 모양이다.
그 호수가 크게 변했다.


호수 전체에 연꽃이 피어 있고, 아마 극락정토라는 곳 이러한 풍경이 아닐까라고 생각했다. 연꽃 명소로서 소개하고 싶다
다만 일번 추석(일번에 오번)때 연꽃이나 잎 무덤에 올리기 위해서 꽃도둑이 속출!! 슬픈 현실이다, ,

(2023/6月30日画像サイズ変更)
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今がつらいなら、よくやっているということだ

2013-08-20 02:50:58 | 韓で遊ぶ

貧しさと傷も人生の資源だ
30を前にした青年が人生を相談しに研究室を訪れた。彼は書店で私が書いた本をすべて買って精読し、感動を受けたと言った。
「代表は職場や人生において困難に陥った弱者のため、悩み、助けをくれる方だという思いがします。何よりも、私もまた代表のような人に成長したいという目標ができました。」
本を読んで著者にまで会いに来るという心に、本当の心を感じた。人生の大事な時期に私を相談する相手としてくれたとは、うれしくも思い、大きな責任感が生じた。彼は心を開いて自分の話をした。
「高校2年の時にIMFが生じて家族が集まって食事をすることが一度もできませんでした。両親は仲が悪くなり別居しました。大学修学能力試験以後、自分もまた、すぐに仕事を始めて大学の入学金を補わなければならず、母は持っていた金の指輪とネックレスを売って、地方の大学に入学することができました。そして1年後に海兵隊に志願して入隊しましたが、退役後も経済的な部分は全く変わりませんでした。私は仕事をして両親を助けなければと思って、苦しいけれども多くのお金を稼げる造船所で、退役後の仕事をすぐに始めるしかありませんでした。私の月給は借金を返すために使われ、人生の夢は、経済的な問題から自由になるということだけでした。その後に、母は小さな居酒屋を始めました。私は、人生で一度は英語をしっかり身につけたかった。だからオーストラリアへワーキングホリデーで行くことになり、大学で勉強したいという夢が生じました。2年の間、英語の勉強と仕事をしながら、2年目にたとえ技術学校ではありましたが入学資格をもらいました。韓国で証明書を発給してもらうために今年の初めに入国しました。韓国に来ると心が揺れるのは明らかだったので、2年の間、韓国へは帰って来たくありませんでした。やはり、母は店の運営が大変だと言って、カードローンのために私がためたお金を半分ぐらい使うしかありませんでした。結局、再びオーストラリアに行けませんでした。否定的な心を捨てようと思い、成功と肯定的な変化に関する本ばかり読みました。」
青年は、目に涙をためていました。どうすることもできない状況のために苦しむ青年の姿がかわいそうでした。夢が無く怠ける人が多いのに、両親の弱さのために心の苦労をしたとは。しかし、夢を失わないようにと言う意志と熱情を美しく思いました。
青年はオーストラリアで学費を稼ぎながら勉強する自信があったけれども、いつも酒に酔って暮らす母を置いて韓国を離れることができないと言った。母の面倒を見ようとする愛と、自分のビジョンである資産管理士の間で葛藤していた。誠実な人が経済的に苦しい理由を納得することができないと言った。自分と家庭が豊かになることが望みだと言った。
事情を聞いてかわいそうで悲しかった。どうやって慰めて励まそうか。相談者としてどのような助言をしてやろうか悩んだ。母親が正常な生活を回復することが優先で、その後に、力を合わせて負債の解決に最善を尽くすことを勧めた。特に本人が夢見ていた資産管理士の仕事をあきらめないように、一定期間を決めて負債の解決に優先的に努力を傾け、そして自分の夢の成就のために最善をつくしなさいと話した。青年の暮らしの中に、言い表すことのできない自壊感と苦しみが、いつも同時にあったことを、短い対話でも十分に推測することができた。しかし、重要なのは現在の難題が、未来にも難題として残らないという点だ。
現在の苦しみが一つの悟りとなって、人生に大きな栄養分として作用することができるからだ。傷だけを上手くなだめて治すことができたならば、貧しさもとても大きな偉大さを成し得る資源だ。

心の中に自分でも認知できない傷がある。人に対する不信であることもあり、社会に対する怒りであることもある。人生それ自体に対する挫折であることもある。心の病気は霊魂から始まる。芸能人のように形成手術をして素敵な外見を持ちたいのか。目に見えることは、持てば持つほど満足が無い。むしろ他人と比較する心が大きくなって、取り残されるのではないかと不安になる。自己管理の次元で、優しい外見を維持することは現代人の必須であり、競争力だ。しかし、霊魂も伴わなければならない。霊魂を管理しなければ人生に活力が落ちる。心の病気が生じる。空虚な内面を満たそうと外見に執着するが、外見の変化は内面に与える影響がわずかだ。内面が満たされてこそ、やっと行動として外見に反映され、人生の活力を取り戻す。

どうすれば心の病気を治すことができるのか。心の病気は霊魂から始まるので、治療のためには、一番目に、傷を与え苦しめた人を許すことだ。私は「応報は神の業であるから、あなたは、あなたのいる場所から静かに自分の道を行きなさい。」と励ます。実際にそんな経験をたくさんした。恨みを晴らしたいならば自分をもっと愛し、自分の仕事と霊魂を愛するために、傷を与えた人を許しなさい。難しいことではあるが、それが自分を愛する道だ。傷を与えた人が父、兄弟、友達、恋人、同業者、その誰だとしても許そう。許すことが長く続いた傷から自由になることであり、治癒する道だ。

2つ目は、望みを持つことだ。急がれるのは、どのような状況でも絶望せずに望みを持つ訓練と習慣だ。これもまた難しいことだろうが、黙って探しなさい。望みを探そうと努力したならば見つけることができる。生命のあるところに望みがあり、家族がいるところに望みがあり、誰かが私のために祈ってくれていることに望みがある。失敗してもまたやれる機会があるところに望みがある。絶望の余り望みを見つけられないならば、それはまさに、自分の霊魂を破滅させることであり、日々望みを探さなければならない。

絶望の中であればあるほど、望みに集中しなければならない。自分の霊魂を管理する重要な方便が望みを持つことだ。望みはいつも傍にあるから、観点を望みのある方向に変えなさい。それが訓練になり、自由にできるようになった時、外見より霊魂を管理することができる。人は過去を恨みながら前に進もうとしない習性がある。それにより、過去の苦しみを断ち切って、自分を幸福と安楽に導いて行けばそれまでだ。「今まで私はいろいろな理由で上手くいかなかった。」と言う考えから脱出して、自分から始める姿勢が必要だ。自ら望みを持てないと、他の誰の望みも探してあげることができない。宗教生活に忠実になる方法も霊魂の管理に良い。宗教が無くても瞑想プログラムや忙しい日常の中に安息を見つけることのできる時間を持つようにしよう。

望みは未来に存在するものではなく、今日を通して成し遂げられ所有することになる。
老人は、ある少年に世の中で一番貴い贈り物をやると言った。だが、贈り物が何なのか教えてあげなかった。少年は贈り物を探して努力したが、すぐにやらなければならないことがたくさんあって見つけることができないまま時間が流れた。少年は成長しながら贈り物について忘れてしまった。成人した彼は職場で昇進から脱落して、いつも思い通りに上手くいかない人生に対して不平を持っていた。不平が積もったある日、急にその贈り物を思い出した。自分の人生を変えることのできる贈り物を今こそ見つけることができたなら、と言う期待を抱いて老人を訪ねた。彼が老人との対話を通して遅まきながら発見した贈り物の正体は「現在」、まさに今日と言う時間であることを悟った。
今日と言う時間、現在と言う時間が、まさに幸福を開く鍵であることを悟ったのだ。ずいぶん前に読んだスペンス ジョーンズの力作「贈り物」の話だ。

瞬間、瞬間、集中して、一日一日、意味があるように過ごすことが幸福だ。そうだ。明日ではなく、今日と言う時間に感謝して、すぐに始めよう。今、望みを持つことができないならば、永遠に望みを持つことはできない。望みは「現在語」であり「未来語」ではない。自分が今、始めることができる時、望みは始まる。「この次はじめよう。」と言う考えは望みをかすめとる絶望の誘惑だ。望みは霊魂を豊かに管理してくれる。

3つ目は肯定的な相談相手を見つけなければならない。人は出会う人によって成功を夢見ることもでき、失敗を味わうこともある。いつも否定的で、不満のある人に会っていると否定的になるしかない。だから肯定的で活力のみなぎる人に会うことが重要だ。直接会って相談者として人生の方向を決めてもいいし、本やメール相談など間接的な方法で疎通してもいい。人生で一家をなした人たちは肯定的だ。しかし、漠然とした肯定ではなく緻密で計画的な肯定だ。

学生達が私に尋ねる。どうすれば上手く単位をとり、いい成績をとることができるか。差は集中力だ。集中力がどうなのかによって成果が異なる。勉強する学生の場合にも霊魂管理の影響力が絶対的だ。自分の霊魂を管理できなければ、すべての考えにおいて勉強に集中するのが難しい。勉強が良くできるようになり、職場でよい成果を出したいのか。そうならば、外見よりも霊魂を管理しなければならない。
自分の霊魂を上手く管理する優れた相談者が、私達の周りにはたくさんいる。霊魂の管理のために、その人たちに会ってみると、明白な価値観を立てることができるはずだ。以下に提示した事例も、よい相談者に会ったことが立派な道を悟るのにどれだけ重要なのかを見せてくれる。
若い宰相が年をとった王様に質問をした。宰相は王様を相談者にしたのだった。宰相は、どうすれば罪を犯す誘惑に負けず国のための忠臣として仕事をすることができますか、と言う質問をした。王様は若者の意志を殊勝に思い知恵を授けた。宰相に水がなみなみと入ったコップを持って、決められた時間の内に市内を一回り回って、水を一滴でもこぼしたら大きな罰を与えると命令した。そして、槍と剣を持った兵士を宰相の後を追随させた。若い宰相はちょっと質問をしたらひどい目にあった。とうとう王様が命令した通り決まった時間に水の入ったコップを持って宮殿に戻ってきた。王様は彼をほめてやり、労をねぎらった。そして訊ねた。
「お前が市内を一回りする間に女性を見たか。」
「見ませんでした。」
「なら、酒屋は見たか。」
「見ませんでした。」
「ならば、道に人はどれぐらいいたか。」
「王様、見ることができませんでした。私は何も見たものがありません。」
「まさにそれだ。お前がやることを一生懸命やれば、やらなくてもいいつまらないことは目に入ってこないし、聞こえないものだ。」
王様はなぜそのようなことをさせたのか説明してくれました。
王様に会って人生の原理を悟った若い宰相は、優れた相談者である王様のおかげで、これを教訓にして正しく政治に専念したという。いつも人の餅が大きく見えるのか。今、していることに精進して集中して相談者の話に耳を傾ける必要がある。

4つ目は、自ら反省しなければならない。反省が無ければ発展することはできない。しかし、反省して新しい決心があれば挑戦することができる。今まで良く生きてきたと満足すれば発展はそれまでだが、持続的に反省して振り返って、未来を約束する時、目標が成就され、傷の痛みを終結させることができる。自ら反省することは霊魂を管理することであるが、霊魂の管理は私達を華麗に再生させる。私達をみすぼらしくするのは外見至上主義だ。

霊魂の管理で重要な観点は、根源的に傷を認め反省することだ。自身からがはじめとして告白して深い痛恨がある時、傷は癒える。傷のない人がどこにいるだろうか。自分が成長過程で受けた傷が何であるかを知って、振り払わなければならない。反省が無ければ治すことができない。食べ過ぎて腹が痛くなったら食べ過ぎたことを反省してこそ、食べ過ぎないように決心することができる。そうすれば次には腹痛を防ぐことができる。

ブランドの洋服に対する情熱と同じぐらいブランドの霊魂の所有者になるように夢見なさい。洋服は脱げばそれまでであるが、霊魂はそうではない。一度脱ぐと永遠に着ることができない。霊魂の状態は簡単に変わらない。一言で、行動の一つが積み重なり品格をなし、その品格は霊魂の元となる。どこでも愛される人は外見がすばらしい人ではなく、霊魂が美しい人だ。霊魂の香りが出るように霊魂を管理しなさい。同じようなスペックで社会生活を開始しても、人生の終わりには霊魂の勝負だ。終わりのいい人は品格と霊魂の格を粘り強く高めた人だ。
霊魂を管理するということは、良心が腐らないように、外見以上に管理することを言う。目に見える外見より、見えない心と内面がより重要で、良心の管理が私達を本当の幸福に導く。

私がよく知っている先輩の話をしようと思う。貧しい田舎の町で育ち、苦労の末に成功した先輩が、毎年年末になると自分の経営する企業の売り上げと利益が増えていることを喜んで、取引先の人々を呼んで会食をし、宴会を催した。去年の年末、経営成果がとてもよくて宴会を開いた後、費用を支払って出てきたところ階段から落ちてそのまま永遠に起き上がることはできなかった。私は急な事故の知らせに、悲しみを隠すことができなかった。しかし、もう少し注意深く謙遜だったらという残念な思いが残った。
霊魂の管理は、宴会をすることより孤児院や養老院を訪ねて、一日奉仕活動をする方がより豊かにするという意味を言う。
その先輩は霊魂の管理のための奉仕と献身をすることより、自分のことに没頭した。まじめで仕事しか知らない誠実感が抜きん出ていた。彼の葬式でたくさんの人が「生きるのは、大したことではないね。一生懸命仕事ばかりしたのに。本当に、生きるのは、大したことではないね。」と言いながら嘆きの言葉を吐いた。霊魂の所有のためにもう少し時間を割いたなら良かったのにと言う思いがした。
虚像をつかんで余裕無く、かつかつに走ってきたのではないか、自分の姿とも似ていて、もう一度霊魂の豊かさに目を向けさせられた。



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今がつらいなら、よくやっているということだ

2013-08-19 11:08:31 | 韓で遊ぶ
外見を磨くより差し迫った霊魂の管理

心の管理が霊魂の管理だ
外見を磨くより重要なことが霊魂の管理だ。目に見えるものは衰えるものであり、永遠であることはできない。外見を磨くことが上手でも、目に見えない心を磨くことを放って置く人がどんなに多いことか。私は、余りにも多くの青年と職場人が、知ってか知らずか、傷を負って生きていることを、相談を通して見守って来た。彼らと2、3時間話をしてみると心の深い傷が露になる。治療が必要だ。
心の管理が霊魂の管理だ。私達の霊魂も栄養分が必要だ。私達は知ってか知らすか、自ら傷を負って、他人によって傷つけられる。また、傷を知らないうちに与えたりもする。傷から抜け出す方法は何か。目に見えることから抜け出し、見えない永遠な霊魂を管理することだ。言い方を変えると、内面の失敗の前に正直であることだ。失敗と弱さを認める時、成功の道は開ける。

経営コンサルティングと職場人の相談を通して悟った点は、失敗して目標を成し遂げることができない人たちの共通点が、皆同じように自分の間違いを認めないという点だ。単に運がよくなかっただけだと主張する。自分の弱さを認めて内面の門をさっと開いて、新しく見る考えを持つことが重要だ。

自分の責任を認めなければ心の平安を成すことができない。自分の間違いと失敗を認めなければ成功は無く、感激も無く、心の平安も無い。大きな成功を成そうとするならば、失敗の前に正直でならなければならない。正直が無ければ回復も無い。回復とは自身の失敗に対して正直に認めることだ。自分の失敗に対して正直ならば、体と心に急速な治癒が起こる。世の中に傷のない人はいなく、傷を避ける方法も無い。反対に治らない傷も無い。どんな傷でも自らを認めることで治癒する。このために最も必要な前提条件が、失敗の前に正直であることだ。失敗を認めて自分の不足感を自覚する時、やっと発展が始まる。

誰でも外見を磨くことに熱中する。外見が人の目に見える人柄をある程度は語ってくれるから、より神経を使う。しかし、外見を磨くより重要なことは霊魂の管理だ。霊魂の管理ということは難しいだろうか。私は、見えることに集中したならば本質を失うと後輩たちに話をしてやった。見えることは外見であるが、実際に管理しなければならないことは心であり霊魂だ。外見は、小さなアザが一つあってもとってきれいにしようと努力しながら、心は傷があってつらくても、そのままなだめて放置しておく。そうすると心の傷がだんだん大きくなって、それが心をすっかり傷つけることになる。真っ黒になった心を持って立派な外見だけ自慢して見たら、生命力は喪失して活力は無くなる。

職場生活や私達の暮らしも同じだ。個人的に感じる感情や傷ではなく、本質的を見る目が必要だ。母親の小言を多く聞いて育った息子は、妻が少しの小言を言っても敏感に反応する。妻の立場から言うと十分に言いうる言葉でもそうだ。その時の本当の問題は「妻の小言」よりも「自分の傷」なのだ。その傷を認めて「傷を克服して妻の言葉に余り敏感になるまい」と祈ったならば問題は解決される。その時、自分の傷に正直になれず「私には何の間違いも無いのに、どうしてあのような悪妻に出会ったのか」と思うと、その家庭は苦しくなる。問題を克服して治癒を望むならば自分の失敗に正直になりなさい。失敗の現場に率直に立ち、その失敗の傷を愛で覆っていくことが勝利への秘訣だ。

治療を必要とするのが霊魂であることを覚えておかなければならない。無条件にいい、大丈夫だ、ではない。自分の弱点と欠点をさっぱりと払って話をして専門的に霊魂を磨かなければならない。そうしてこそ激浪の波を乗り越えることができる。

傷を抱いて生きるならば、心置きなく大きな事をすることができず健康も害する。ある医者の話によると、末期がんの患者は、多くの場合3年ぐらい前に心に大きな衝撃を受けたという医療記録があるという。

心を自分の自由意志で、すべての悪い誘惑から管理することが霊魂の管理だ。心を自らなだめることが外見をよくすることより急がなければならないと言うことだ。


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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-08-17 21:47:06 | 韓で遊ぶ
つまらない人生、絶対に認めないこと

つまらない言葉がつまらない人生をつくる


偉大な人はみすぼらしい発想をしない

本当に不思議なことが一つある。言葉は吐いたとおりに行動することになる。つまらないことを言うとつまらない結果が訪れ、偉大で力に満ちたビジョンの言葉で夢を見ると、ビジョンが成し遂げられるようになる。
多くの企業の1等の秘訣はまず大きな夢を宣言するところにある。その夢が大きかろうが小さかろうが、それは問題にはならない。核心は夢を宣言したか、構成員がそれを良く理解して共有しているかだ。
必ず達成できると確信してビジョンを共有したならば、その夢がいくら不可能に見え非現実的でも成し遂げられる。しかし、どんなに小さなことも不可能だと構成員が信じてあきらめたらば、どんな成功も作り出すことができない。成長はつまらない言葉からは決して起こらいない。成功した人々の一つの共通点は、言葉で世の中をすべて抱いていることだ。もう一度言うが、大きな夢を描いてビジョンを宣言する。

ある日、面接をしたのだが、入社候補者に「夢は何ですか。」と尋ねたら「この会社の会長になることが私の夢です。」と答えた。私と同僚の面接官たちは意外に思い「どうしたらその夢をかなえることができると思いますか。」と追加の質問をしたら「主人のように仕事をすればいいと思います。会社が苦しい時は私も給与を返納し、会社が上手くいっている時は、未来を考えて会社が上手くいく方法を研究することです。」と答えた。突拍子もないとも思ったが、殊勝だという思いがした。抱負と主人意識で透徹したならば、愛社心とビジョン、責任感があると判断してよい点数をやった。この青年のように夢を大きく宣言することが重要だ。月給取りとして誠実に生きていくのも重要だ。しかし、もっと重要なことは、一日一日食べていくこと以上の夢を抱くことだ。夢さえつまらなくてはだめだ。大きな夢は、その夢がとんでもないとしても発想を大きくさせてくれるからだ。
偉大な人はつまらない発想をしない。つまらない言葉を発しない。つまらない考えをしない。大きく話をすることを知っている。大きく考えることを知っている。大きく求めることを知っている。
大きく話をして、大きく考えて、大きく求めるということは、より積極的な目標と肯定的な思考で、未来に到来する大きな成功を宣言して共有することだ。例をあげると、先生になりたければ「先生になって、安定して生きるのだ。」でなく「学生たちに最も愛される先生になる。」と大きく宣言して大きな夢を描けということだ。
つまらないということの基準は「所有」を目標にするか「存在」を目標にするかの差だ。もう一度言うと、「影響力」が大きいほどに「存在」に近いと言える。




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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-08-15 16:37:40 | 韓で遊ぶ


敗北の苦さでつらいあなたに
果たして負けたらだめなのか


「勝つ習慣」を著述した私に胸の痛いメールが来た。
勝とうと思うが、思った通りにならないということだった。
私は他人と比較して相手に勝たなければならないという本を書いたのではない。
一貫した自分の夢を維持し、困難が来ても屈しないで、時間がかかってもあきらめず最善を尽くすこと。
その状態にいることが勝つことだ。

多くの人が2等は価値がないことなのかと聞いた。
2等は価値がないと言ったことはない。世の中を生きていきながら、どうしてすべて勝つことができようか。
負けないで生る人は一人もいない。

人生は倒れて起き上がる連続だ。
倒れたら起き上がればいい。
何度も倒れて起き上がる中で不屈の意志が生じる。
瞬間の失敗はだれにでも訪れる。
失敗だけでは敗北ではない。





夢に対する一貫した態度を維持して、環境と関係ない偉大な話をしなさい。
余生に成し遂げようという偉大な夢は環境に任せてはいけない。

ただ、勝つことはひとえにあなたの夢だ。
環境と状況が私達を押しつけ支配しようとする時、
静かに多くの比較をやめてあなたの計画を、
あなたの夢を考えなければならない。

他人でなく自分に集中して霊魂を培うこと。
世の中を正しく眺めて、明るい心と真実の霊魂をもつこと。
自分の仕事を愛し、怠けないこと。

激浪の中でも笑うことができ、敗北の中でも再び望みを持ち、最も恐ろしいと思う時に淡々と、最も弱った時に堂々とすることができる霊魂の力を育てたまま生きていくこと。
これが勝つことだ。

みすぼらしい言葉がみすぼらしい人生を作る
外見を磨くより切迫した霊魂の管理
嫌気が差してあきらめる資格、まだない
世の中のどこにもないスタイルで勝負をかけること
成功より成熟が優先だ



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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-08-11 12:55:08 | 韓で遊ぶ

三日坊主、よくやっていることだ
この結果が絶対的な標準ではない。三日坊主型はどうしなければならないか。実践の意志を高めるために、日ごとに実践の計画をチェックし、周囲の人の助けを受けるようにしなければならない。一ヶ月坊主も問題は同じだ。やり始めて一ヶ月たたないうちに自分を振り返る時間を持つなど、実践の意志をより強化しなければならない。特に実践力の不足している人は、目標を小さく分けて計画を行動単位で実行していけば助けになるはずだ。例えば「TOEIC900点」よりは「一日に英単語20個暗記」などがよっぽど効率的だ。
自ら決めたことをよく守るためには、一番目に、簡単なことから実践する習慣を育てよう。忍耐力向上が目標ならば、「1時間だけ耐えよう」、「今日一日だけ達成しよう」などの具体的な設定をして自信感を持てばいい。自分との戦いはただ一度だけ勝てばいいのだ。
2つ目は、こうなりたいというモデルを前もって決めて、そのモデルを心の中にいつも描くことだ。熱望するモデルが自分の決めたことを守るように導いてくれるだろう。
3番目は、忙しいという言い訳を言ってはならない。忙しくない人は誰もいない。計画はやってもいいし、やらなくてもいいものではない。すなわち実行してこそ守ることができる。
最後に、目標を周囲の人と共有することだ。互いに気運を高めて肯定的なエネルギーが集まるようにようにする。自分の力が不足していたら隣人の力を借りて使うという原理だ。原理を知ると自分と戦って勝つことができる。
「中間試験が終わっていくらも経たないのに、また期末試験です。今まで計画したものがあり計画通りに実践しようとしますが、家では勉強を長くできません。どうしてでしょうか。私なりに根気があると思うのですが、しばしば計画がずれて自分との戦いに勝つことができません。自分に負けないという決心と覚悟をしても三日坊主になります。どうしたら自分との戦いに勝って成功することができるでしょうか」

「代表、私は職場生活5年になります。目標を達成するために、職場でちゃんと計画を立てますが、思い通りになりません。計画した通りに実践しようとすると、前の部署の仕事や、会社の急な仕事で自分の部署の計画はいつも後ろに回されます。どうすれば計画通りに上手く実践することができ、自分との戦いに勝って成功できるでしょうか。」

就職を前にして、いい単位やスペックを積まなければならない大学生と、職場生活5年目の苦悩だ。そうだ。計画したとおりに、すべてスルスル行ったならば、成功できない人がどこにいるだろうか。計画したとおりにならないようだ。計画をはじめから立てないことよりは、たとえ三日坊主で終わったにしても、計画を立てて挑戦したならば良くやっているということだ。三日坊主を繰り返せばいいのだから。

どうして計画通りにならないのか。優先順位で実行しようとする熱情が不足するからだ。すべてのことに優先して計画を立てたならば、その計画を守ろうとする知恵と習慣が必要だ。遊ぼうが、寝ようが、トイレに行こうが、テレビを見ようが、すべて問題ない。今日計画したことを完了さえすればいい。
私達は時系列の計画、すなわち、午前7時から8時まで戦略会議、8時から10時まで稟議書作成。こんな風な計画に慣れている。時系列では計画の完了が難しい。束ねることを単位にしなければならない。もう一度言うが、行動単位で切って計画を樹立しなければならないということだ。簡単な技法だ。
時間に縛られて7時から8時にやることを決めて、8時から9時までやることを決めることが計画ではないということだ。まず、しなければならないこと、自分がすることを行動単位で設定した次に、それにタイリミット(終了する限界時間)を決めなければならない。例えば、英語の単語を覚えた後に問題を解くという計画を立てたければ、英単語暗記すること、問題を解くことを中心に計画をたて、時間はタイムリミットだけ設定するということだ。こうすれば午後8時になって、やるべきことがすべてできていなかった時、いい加減にならない。遊んでも一日が過ぎていく頃には、当初の目標とした計画が終わるように帳尻があう。
すべからく自分との戦い、計画を守ろうとするならば管理方式を変えれば可能だ。時間が過ぎて前の計画を実行できなかったと、後の計画も全部あきらめることが問題だ。だから行動単位で束ねて計画を管理して、特に計画をたてる時少しぎりぎりに立てるぐらいにすればいい。
自分との戦いはただ一度の勝利で終わってしまおう。そして、何でも一生懸命やってみよう。一生懸命やろうとする心を失うと、人生のすべてのことが足踏みだ、という事実を覚えておかなければならない。今つらいならば理由が何であろうと良くやっているのだ。

最後に敗北の苦みでつらいあなた達を激励しながら、この章を終えます。



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