貧しさと傷も人生の資源だ
30を前にした青年が人生を相談しに研究室を訪れた。彼は書店で私が書いた本をすべて買って精読し、感動を受けたと言った。
「代表は職場や人生において困難に陥った弱者のため、悩み、助けをくれる方だという思いがします。何よりも、私もまた代表のような人に成長したいという目標ができました。」
本を読んで著者にまで会いに来るという心に、本当の心を感じた。人生の大事な時期に私を相談する相手としてくれたとは、うれしくも思い、大きな責任感が生じた。彼は心を開いて自分の話をした。
「高校2年の時にIMFが生じて家族が集まって食事をすることが一度もできませんでした。両親は仲が悪くなり別居しました。大学修学能力試験以後、自分もまた、すぐに仕事を始めて大学の入学金を補わなければならず、母は持っていた金の指輪とネックレスを売って、地方の大学に入学することができました。そして1年後に海兵隊に志願して入隊しましたが、退役後も経済的な部分は全く変わりませんでした。私は仕事をして両親を助けなければと思って、苦しいけれども多くのお金を稼げる造船所で、退役後の仕事をすぐに始めるしかありませんでした。私の月給は借金を返すために使われ、人生の夢は、経済的な問題から自由になるということだけでした。その後に、母は小さな居酒屋を始めました。私は、人生で一度は英語をしっかり身につけたかった。だからオーストラリアへワーキングホリデーで行くことになり、大学で勉強したいという夢が生じました。2年の間、英語の勉強と仕事をしながら、2年目にたとえ技術学校ではありましたが入学資格をもらいました。韓国で証明書を発給してもらうために今年の初めに入国しました。韓国に来ると心が揺れるのは明らかだったので、2年の間、韓国へは帰って来たくありませんでした。やはり、母は店の運営が大変だと言って、カードローンのために私がためたお金を半分ぐらい使うしかありませんでした。結局、再びオーストラリアに行けませんでした。否定的な心を捨てようと思い、成功と肯定的な変化に関する本ばかり読みました。」
青年は、目に涙をためていました。どうすることもできない状況のために苦しむ青年の姿がかわいそうでした。夢が無く怠ける人が多いのに、両親の弱さのために心の苦労をしたとは。しかし、夢を失わないようにと言う意志と熱情を美しく思いました。
青年はオーストラリアで学費を稼ぎながら勉強する自信があったけれども、いつも酒に酔って暮らす母を置いて韓国を離れることができないと言った。母の面倒を見ようとする愛と、自分のビジョンである資産管理士の間で葛藤していた。誠実な人が経済的に苦しい理由を納得することができないと言った。自分と家庭が豊かになることが望みだと言った。
事情を聞いてかわいそうで悲しかった。どうやって慰めて励まそうか。相談者としてどのような助言をしてやろうか悩んだ。母親が正常な生活を回復することが優先で、その後に、力を合わせて負債の解決に最善を尽くすことを勧めた。特に本人が夢見ていた資産管理士の仕事をあきらめないように、一定期間を決めて負債の解決に優先的に努力を傾け、そして自分の夢の成就のために最善をつくしなさいと話した。青年の暮らしの中に、言い表すことのできない自壊感と苦しみが、いつも同時にあったことを、短い対話でも十分に推測することができた。しかし、重要なのは現在の難題が、未来にも難題として残らないという点だ。
現在の苦しみが一つの悟りとなって、人生に大きな栄養分として作用することができるからだ。傷だけを上手くなだめて治すことができたならば、貧しさもとても大きな偉大さを成し得る資源だ。
心の中に自分でも認知できない傷がある。人に対する不信であることもあり、社会に対する怒りであることもある。人生それ自体に対する挫折であることもある。心の病気は霊魂から始まる。芸能人のように形成手術をして素敵な外見を持ちたいのか。目に見えることは、持てば持つほど満足が無い。むしろ他人と比較する心が大きくなって、取り残されるのではないかと不安になる。自己管理の次元で、優しい外見を維持することは現代人の必須であり、競争力だ。しかし、霊魂も伴わなければならない。霊魂を管理しなければ人生に活力が落ちる。心の病気が生じる。空虚な内面を満たそうと外見に執着するが、外見の変化は内面に与える影響がわずかだ。内面が満たされてこそ、やっと行動として外見に反映され、人生の活力を取り戻す。
どうすれば心の病気を治すことができるのか。心の病気は霊魂から始まるので、治療のためには、一番目に、傷を与え苦しめた人を許すことだ。私は「応報は神の業であるから、あなたは、あなたのいる場所から静かに自分の道を行きなさい。」と励ます。実際にそんな経験をたくさんした。恨みを晴らしたいならば自分をもっと愛し、自分の仕事と霊魂を愛するために、傷を与えた人を許しなさい。難しいことではあるが、それが自分を愛する道だ。傷を与えた人が父、兄弟、友達、恋人、同業者、その誰だとしても許そう。許すことが長く続いた傷から自由になることであり、治癒する道だ。
2つ目は、望みを持つことだ。急がれるのは、どのような状況でも絶望せずに望みを持つ訓練と習慣だ。これもまた難しいことだろうが、黙って探しなさい。望みを探そうと努力したならば見つけることができる。生命のあるところに望みがあり、家族がいるところに望みがあり、誰かが私のために祈ってくれていることに望みがある。失敗してもまたやれる機会があるところに望みがある。絶望の余り望みを見つけられないならば、それはまさに、自分の霊魂を破滅させることであり、日々望みを探さなければならない。
絶望の中であればあるほど、望みに集中しなければならない。自分の霊魂を管理する重要な方便が望みを持つことだ。望みはいつも傍にあるから、観点を望みのある方向に変えなさい。それが訓練になり、自由にできるようになった時、外見より霊魂を管理することができる。人は過去を恨みながら前に進もうとしない習性がある。それにより、過去の苦しみを断ち切って、自分を幸福と安楽に導いて行けばそれまでだ。「今まで私はいろいろな理由で上手くいかなかった。」と言う考えから脱出して、自分から始める姿勢が必要だ。自ら望みを持てないと、他の誰の望みも探してあげることができない。宗教生活に忠実になる方法も霊魂の管理に良い。宗教が無くても瞑想プログラムや忙しい日常の中に安息を見つけることのできる時間を持つようにしよう。
望みは未来に存在するものではなく、今日を通して成し遂げられ所有することになる。
老人は、ある少年に世の中で一番貴い贈り物をやると言った。だが、贈り物が何なのか教えてあげなかった。少年は贈り物を探して努力したが、すぐにやらなければならないことがたくさんあって見つけることができないまま時間が流れた。少年は成長しながら贈り物について忘れてしまった。成人した彼は職場で昇進から脱落して、いつも思い通りに上手くいかない人生に対して不平を持っていた。不平が積もったある日、急にその贈り物を思い出した。自分の人生を変えることのできる贈り物を今こそ見つけることができたなら、と言う期待を抱いて老人を訪ねた。彼が老人との対話を通して遅まきながら発見した贈り物の正体は「現在」、まさに今日と言う時間であることを悟った。
今日と言う時間、現在と言う時間が、まさに幸福を開く鍵であることを悟ったのだ。ずいぶん前に読んだスペンス ジョーンズの力作「贈り物」の話だ。
瞬間、瞬間、集中して、一日一日、意味があるように過ごすことが幸福だ。そうだ。明日ではなく、今日と言う時間に感謝して、すぐに始めよう。今、望みを持つことができないならば、永遠に望みを持つことはできない。望みは「現在語」であり「未来語」ではない。自分が今、始めることができる時、望みは始まる。「この次はじめよう。」と言う考えは望みをかすめとる絶望の誘惑だ。望みは霊魂を豊かに管理してくれる。
3つ目は肯定的な相談相手を見つけなければならない。人は出会う人によって成功を夢見ることもでき、失敗を味わうこともある。いつも否定的で、不満のある人に会っていると否定的になるしかない。だから肯定的で活力のみなぎる人に会うことが重要だ。直接会って相談者として人生の方向を決めてもいいし、本やメール相談など間接的な方法で疎通してもいい。人生で一家をなした人たちは肯定的だ。しかし、漠然とした肯定ではなく緻密で計画的な肯定だ。
学生達が私に尋ねる。どうすれば上手く単位をとり、いい成績をとることができるか。差は集中力だ。集中力がどうなのかによって成果が異なる。勉強する学生の場合にも霊魂管理の影響力が絶対的だ。自分の霊魂を管理できなければ、すべての考えにおいて勉強に集中するのが難しい。勉強が良くできるようになり、職場でよい成果を出したいのか。そうならば、外見よりも霊魂を管理しなければならない。
自分の霊魂を上手く管理する優れた相談者が、私達の周りにはたくさんいる。霊魂の管理のために、その人たちに会ってみると、明白な価値観を立てることができるはずだ。以下に提示した事例も、よい相談者に会ったことが立派な道を悟るのにどれだけ重要なのかを見せてくれる。
若い宰相が年をとった王様に質問をした。宰相は王様を相談者にしたのだった。宰相は、どうすれば罪を犯す誘惑に負けず国のための忠臣として仕事をすることができますか、と言う質問をした。王様は若者の意志を殊勝に思い知恵を授けた。宰相に水がなみなみと入ったコップを持って、決められた時間の内に市内を一回り回って、水を一滴でもこぼしたら大きな罰を与えると命令した。そして、槍と剣を持った兵士を宰相の後を追随させた。若い宰相はちょっと質問をしたらひどい目にあった。とうとう王様が命令した通り決まった時間に水の入ったコップを持って宮殿に戻ってきた。王様は彼をほめてやり、労をねぎらった。そして訊ねた。
「お前が市内を一回りする間に女性を見たか。」
「見ませんでした。」
「なら、酒屋は見たか。」
「見ませんでした。」
「ならば、道に人はどれぐらいいたか。」
「王様、見ることができませんでした。私は何も見たものがありません。」
「まさにそれだ。お前がやることを一生懸命やれば、やらなくてもいいつまらないことは目に入ってこないし、聞こえないものだ。」
王様はなぜそのようなことをさせたのか説明してくれました。
王様に会って人生の原理を悟った若い宰相は、優れた相談者である王様のおかげで、これを教訓にして正しく政治に専念したという。いつも人の餅が大きく見えるのか。今、していることに精進して集中して相談者の話に耳を傾ける必要がある。
4つ目は、自ら反省しなければならない。反省が無ければ発展することはできない。しかし、反省して新しい決心があれば挑戦することができる。今まで良く生きてきたと満足すれば発展はそれまでだが、持続的に反省して振り返って、未来を約束する時、目標が成就され、傷の痛みを終結させることができる。自ら反省することは霊魂を管理することであるが、霊魂の管理は私達を華麗に再生させる。私達をみすぼらしくするのは外見至上主義だ。
霊魂の管理で重要な観点は、根源的に傷を認め反省することだ。自身からがはじめとして告白して深い痛恨がある時、傷は癒える。傷のない人がどこにいるだろうか。自分が成長過程で受けた傷が何であるかを知って、振り払わなければならない。反省が無ければ治すことができない。食べ過ぎて腹が痛くなったら食べ過ぎたことを反省してこそ、食べ過ぎないように決心することができる。そうすれば次には腹痛を防ぐことができる。
ブランドの洋服に対する情熱と同じぐらいブランドの霊魂の所有者になるように夢見なさい。洋服は脱げばそれまでであるが、霊魂はそうではない。一度脱ぐと永遠に着ることができない。霊魂の状態は簡単に変わらない。一言で、行動の一つが積み重なり品格をなし、その品格は霊魂の元となる。どこでも愛される人は外見がすばらしい人ではなく、霊魂が美しい人だ。霊魂の香りが出るように霊魂を管理しなさい。同じようなスペックで社会生活を開始しても、人生の終わりには霊魂の勝負だ。終わりのいい人は品格と霊魂の格を粘り強く高めた人だ。
霊魂を管理するということは、良心が腐らないように、外見以上に管理することを言う。目に見える外見より、見えない心と内面がより重要で、良心の管理が私達を本当の幸福に導く。
私がよく知っている先輩の話をしようと思う。貧しい田舎の町で育ち、苦労の末に成功した先輩が、毎年年末になると自分の経営する企業の売り上げと利益が増えていることを喜んで、取引先の人々を呼んで会食をし、宴会を催した。去年の年末、経営成果がとてもよくて宴会を開いた後、費用を支払って出てきたところ階段から落ちてそのまま永遠に起き上がることはできなかった。私は急な事故の知らせに、悲しみを隠すことができなかった。しかし、もう少し注意深く謙遜だったらという残念な思いが残った。
霊魂の管理は、宴会をすることより孤児院や養老院を訪ねて、一日奉仕活動をする方がより豊かにするという意味を言う。
その先輩は霊魂の管理のための奉仕と献身をすることより、自分のことに没頭した。まじめで仕事しか知らない誠実感が抜きん出ていた。彼の葬式でたくさんの人が「生きるのは、大したことではないね。一生懸命仕事ばかりしたのに。本当に、生きるのは、大したことではないね。」と言いながら嘆きの言葉を吐いた。霊魂の所有のためにもう少し時間を割いたなら良かったのにと言う思いがした。
虚像をつかんで余裕無く、かつかつに走ってきたのではないか、自分の姿とも似ていて、もう一度霊魂の豊かさに目を向けさせられた。