11月14日分直しました
結果は後悔の対象ではない
ロンドンオリンピックでチャンミラン選手は光を放った。メダルを取れなかったと彼女を非難する人はいなかった。むしろ感動をもらって拍手を送った。自分の最後のオリンピック、最後の試技で失敗した後、長い間を共にしてきたバーベルにキスをした。敗者の美しい姿を今さらながら発見した時間だった。何が、チャンミラン選手を見守る私達も泣かせたのか。後悔を残さない努力だ。たとえメダルを取れなかったが、それよりも価値のある過程を知っているから愛される選手になったのだ。
仕事の結果を前にして後悔する人が多いが、結果は後悔の対象ではなく、受け入れなければならないものだ。何をしようと真心を尽くさなければならない。たとえ適当にしたことよりも結果がよくなくてもだ。誠実であること自体が天がくれる賞金だ。
金持ちの家の主人が僧を呼んで、同じ量の藁を与えて、縄を細く長く作るように言った。怠ける僧は、太い縄を作ってすぐに終わって寝た。誠実な僧は、主人の命令通り最大限、細く長く作った。
次の日の朝、主人は銅銭がたくさん入った金庫を見せてやり、縄で通せるだけ銅銭を持っていきなさいと言った。怠けた僧は、太い縄では銅銭を通すことができなかったが、誠実な僧は多くの銅銭を通すことができた。
策を弄することなく誠実な人は福を受ける。小さい仕事だと無視して最善を尽くさなくて後悔する場合がある。もう少しだけ忍耐する気持ちを持って仕事をしたならば、いい結果を得ることができたという機会を逃したという記憶もある。
人は完璧ではないから失敗するしかないが、失敗をしても後悔を残してはならない。過程において、できるだけ最善を尽くしたならば結果を受け入れやすい。
アメリカのミシガン州エンアボには「失敗博物館」がある。この博物館には1965年から37年の間、消費者にそっぽを向かれ市場の開拓に失敗した新製品が展示されている。食品28000余点、飲料8000余点、生活必需品13000余点、家庭用品6700余点、哀願動物用品1000余点などだ。
新製品を作るならばその中の80~95パーセントは失敗するという統計が出ている。この博物館の正式な名前は「ニュープロダクトワークス」で、実は新製品を集めておいたところなのだが、新製品の大部分が失敗するから、失敗博物館と言う別名が付いたのだ。アメリカの大型会社の理事は失敗博物館を訪ねる。過去の失敗を鏡にして再び失敗しないためだ。
会社で作り出した製品だけが失敗するのではない。人生を生きてみると人も失敗を避けることができない。失敗には2種類ある。後悔のない失敗あり、後悔この上ない失敗がある。一生懸命やったが戦争と天災地変、IMFのような突発変数で失敗する時がある。誰のせいにもできず、どうしようもないことだ。自分ではない他の人がやっても、やはり失敗するのだから、後悔この上ないという失敗ではない。自分ができることを皆やった後に失敗を経験したならば後悔は残らない。
しかし、自分が怠けて失敗したならば、後悔この上ない失敗だ。だから、どんなことをしたとしても、すべての真心を傾けなければならない。仕事の重い軽いを離れて自ら恥ずかしくない姿で生きなさい。
人生の品位を守もろうとしたら、後悔することは、始めなければいい。この仕事が自分の人生にどんな意味を与えるのか、省察して決定する習慣を持ってみよう。終わりを予測してみたら迅速に正確な決断を出すことができる。誘惑を感じる時、仕事の結末を覚えておいたら後悔を避けることができる。公金横領で監獄に行く人、人をだまして不当な利益を手にする人、社会的な犯罪で被害を与える人を見ると、瞬間的な欲望を抑えることのできない場合が多い。お金と名誉、本能を治めることができず、人生に汚点を残す。誘惑をふるい落とす境界線は、仕事の結末を覚えておいて後悔の罠から抜け出してくることだ。
後悔しないために今つらいならば、よくやっているのだ。青春の時には何が後悔することで、何が後悔しないことなのか見えない。入学金を払うことができない暮らしにアルバイトをするか、勉強をもっと一生懸命やって奨学金に挑戦するかを置いて葛藤し悩む。
どの道を選択するかは重要ではないと思う。どんな選択をしようとも最善を尽くしたならば後悔する必要も、後悔することも起こらないことだと確信する。後悔しないために瞬間、瞬間の全力を尽くし、それでつらいならば明らかによくやっているということだ。
死ぬ時がきたら、皆に共通する後悔がある。一番最初に「自分が、なぜ施すことができなかったのだろうか。」という後悔、次には人を傷つけたことを後悔するという。無味乾燥した人生を悔しく思う。余裕を持って楽しく生きることができたのにと思いながらである。
人は死に至ると欲望がなくなる。生命がある時まで私達は欲望がある。自分が、まず最初に受け入れられて、認められなければならないと言う考えは、実状は後で後悔することだ。本当の意味で自分を下げておくと、後で後悔することは少なくなる。施すことができず、幸福であることができず、我慢することができないことを死ぬ時に後悔してみても意味がない。
今、世の中を生きる方式をしっかりと掴まなければならない。美しい人生の実を残して旅立たなければならない。他の人に自分を通して良いことが生じて、それによって幸福だったということができるぐらいに。
ウァトルロー戦争の英雄ウエリントン将軍が勝戦記念のパーティを開いた。陸、海、空軍の宰相と、功を立てた将校が皆集まった。ウエリントンは賀客に宝石がぎっしりと付いた財布を自慢したかった。ところが、ついさっきまでポケットにあった財布がなくなってしまった。ウエリントンは賀客に向かって叫んだ。
「宝石のついた財布を盗んだ犯人捕まえる。門を閉めなさい。」
賀客達はポケット検査をしようと叫んだ。その時、一人の老将軍がポケット検査に反対した。人々は老将軍を疑いの目で見た。老将軍は慌てて門を抜けて外に出て行ってしまった。結局、老将軍が犯人だということになった。
1年後、またパーティが開かれた。外套を着たウエリントンはびっくり驚いた。盗まれたと思っていた宝石のついた財布がポケットに入っていた。ウエリントンは急いで老将軍を訪ね詫びた。
「なぜ、あの時、検査を拒否して逃げたのですか。」
老将軍が答えた。
「実は、その日の夜、妻と子供たちが食事をできないでいました。私のポケットには家族にあげる為、パーティの時に隠したパンが何個か入っていたのです。」
その言葉を聞いたウエリントンは慟哭し、再び詫びた。ウエリントンが豪華な宴を開いている間、部下の家族は食事もできないでいたのでした。その後、ウエリントンは持っている物の自慢をしなかったと言います。人に配慮しない行動はいつか後悔となります。
後悔することを始めないためには、自分がやることが他の人に有益であることであるかどうか、最初に考えなければならない。後悔することの大部分は、他人の苦痛と社会的影響力を考えないことから始まることを覚えておかなければならない。
もっと重要な点は、過ぎたことは肯定的に評価する姿勢で、どうすることもできないことにずっと心を痛めて悔やんでいてはいけない。パッパッと払ってしまうことも能力だ。
こんな人生を生きてみると、日常が喜びでいっぱいだ。たとえ、持っている物が特になくても、自慢できるものがなくても、何一つ成したことがなくても、喜びを選択することができるようになる。喜びを選択することに決めたということは、悪い環境とか状況が排除されたということを意味する。状況と環境を排除して喜びを選択する勇気こそが後悔しない知恵だ。