退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

今がつらいならば、よくやっていると言うことだ

2013-09-30 18:38:44 | 韓で遊ぶ

持っている物が無く自らみすぼらしくなった人に




美しい外見、非凡な能力、うらやましいほどの財産
手に入れたいものを全部持ったもの達もいるが、
時に困窮と欠乏にみすぼらしくなるのが人生だ。

一筋の光もないと感じた時節があった。
飢える心配をするほどの貧しさ、早くなくなった母の欠乏
貧しさだけでも解決できたら望むものは無いと思った時節だった。
すべてのものを受け入れなければならず、すべての責任を取らなければならないと思った日々。

壁のように感じる限界の中で生きてきながら学んだことは
困窮と欠乏を観照する方法だ。

欠乏に執着しないで環境の支配から抜け出すこと。
外見も能力も富みも名誉も、人生の責任を負うものにならないことを悟ってこそ、欠乏から抜け出すことができる。





完璧な環境などどこにもない。
しばらくの間存在する富と名誉は、永遠な平和を持ってくることはできない。
永遠に変わらない心の持ち主にならなければならない。
たかが土地の持ち主になるのに人生をかけなければならないのか

目に炎をつけてお金だけを追いかける人は絶対に金持ちになることはできない
物質は追求しなければならないものではなく、ついてくるものであることを悟らない限り物質を手に入れることはできない。

持つことができないすべてのものは、軽く思って信念に集中しなさい。
自らの霊魂に正直にまっすぐ立ち向かうことが先だ。
所有に執着すれば貧しくなる。
所有で限界をつくらない心の持ち主になって欠乏に勝たなければならない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

函館音楽協会定期演奏会

2013-09-29 19:56:55 | リコーダーを楽しむ


春にもやったのですが秋の演奏会もあります
11月16日
今回函館リコーダー協会の演目は
ヘンデル
「王宮の花火の音楽」です

(2023/6月30日画像サイズ変更)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定期演奏会

2013-09-29 19:49:03 | リコーダーを楽しむ


函館リコーダー協会の定期演奏会があります
10月5日
函館五稜郭タワーのアトリウムで
通りかかったら聞いていってください
緊張で震えながら演奏しているサクラ母の姿を発見できます

昨日老健施設で演奏をしたのですが、やはり震えていました
この震えさえなければ、ちゃんと演奏できるのに、、

(2023/6月30日画像サイズ変更)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今がつらいならば、よくやっていると言うことだ

2013-09-29 19:48:12 | 韓で遊ぶ



愛は最高の成熟だ
愛することを知っている人は成熟している。愛は目の高さを同じにして合わせることだということができる。目を同じ高さにしようとするならば、低くしなければならない。自らを低くすることは誰でもできることではない。この世を生きていく上で、最も貴いエネルギーがあるならば、それは愛だ。誰かを愛することは相手の目の高さに合わせるということだ。

ある日、職場生活を送っている女性が次のような質問を持って私に相談に来た。

「マーケティングをしている職業人です。
この度、私がとうとう商品を市場にだして、活性化させるために孤軍奮闘中です。教育コンテンツ分野で仕事をしていて、いつかコンテンツ分野のグローバルリーダーになろうと言う気持ちを持っています。目標のために一つの方向に向けてやることは簡単ではありません。他の道もたくさん見えて、他の消費者製品も引き受けてみたいと言う思いもします。どうやって目標を管理するのがいいでしょうか。代表の秘訣を教えていただけば大きな助けになると思います。」
私は成長よりもっと重要なことが成熟だと言ってやりました。成熟を完成させる過程には、自分と仕事、隣人に対する愛がなければならないと付け加えました。マーケティング担当者の目標達成は、顧客の目標を達成していく時に可能である。自分の目標をどうやって管理するかに集中すると、成長中心になって、まかり間違えば失敗をし得る。成長するなと言うのではない。
成長はどのような意味においてもよいことではあるが、持続的な成長を成すことができず、一過性で留まる時が問題だ。後遺症と副作用が大きいからだ。顧客を愛する気持ちで一杯に充たして、愛の指数をチェックしていけば、成熟のプロになることができることを説明してやった。この職場人は挑戦して粗末な若者を脱皮するために、まじめに努力している人だ。だから、深い助言をしてやりたかった。成長より成熟が先であり、成熟をなす近道が愛だという事実を話した。成熟の意味を理解した人こそが、成長と言う実を豊かに手に入れるのだ。

愛する顧客を得るために自分の目の高さを低めた女性の態度は、高い愛の指数を見せてくれる。愛は関心、尊敬、理解、責任、を与えてくれることだと言うことができる。愛の秘密は、受けることより分け与える時に喜びが大きくなると言う事実だ。人生において愛は最も重要なことだ。愛が必要だが、本当の愛はよりそうだ。人は愛されないで生きていけないので、愛されることを切実に願う。愛を確認しないでは生きていけない。愛を確認して理解して、悟って、感じて感謝して、私もまた愛を与えながら生きてこそ、滞ることがない。愛も循環してこそ健康だと言うことだ。人生の苦難が近づいてきたとしても、愛の関係が確実ならば生きることができ、耐えることができ、病気にも勝つことができる。愛の関係が壊れた時、これ以上生きていく理由を見つけることができないのが人間だ。

生活の現場で毎日愛の指数を高めなさい。愛を表現する言葉はみすぼらしくない。一日を生き生きとさせ、聞く人を楽しくさせる。自分の存在感と相手の存在感が共に高まる。
愛は小さな関心から始まる。ヘアースタイルを変えたこと、服、家族の安否など、少しだけ関心を傾けて、心を表現したならば愛の挨拶になるのだ。利己的な成功者として生きるのか、美しい成熟者として生きるのかは、愛の指数にかかっている。愛の範囲を「自分」に限定するのは、やめよう。広く深く人を抱いて生きていけば成熟した人の喜びが流れ出てくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今がつらいならば、よくやっていると言うことだ

2013-09-25 21:08:40 | 韓で遊ぶ
成功より成熟が優先だ



成熟は満足を知る能力だ
私は、ばかげた事で目標を成し遂げる前に途中下車する人を多く見てきた。黙って見てみると、すべての原因は欲望だ。欲望と言う、持つことができないものを強く望み手に入れたいという心で、節制と満足の反対語だということができる。少しだけ注意を傾けたならば、遥かに尊敬され乗勝長駆(勝った余勢を駆っていっそう猛烈に攻撃すること)できるのに利己的な欲望で名誉を失墜して自ら崩れていく。
成功より重要な価値は成熟であることを覚えておかなければならない。成熟と言うことは満足を知る能力を持つことを言う。満足する能力は誘惑に勝つ状態に埋もれている。成熟した人というのは、結局、誘惑に強い人を言う。成熟した人が成功した状態を維持することができる。成熟できない人にとっては、しばし訪れる成功は毒だ。

いくらか前にソンチュヘン検事事件で世の中がしばらくの間、騒がしかった。報道を見ながら、私は、その若い検事がもう少し世の中を生きて経綸(国を治めること)が多かったならば成熟したのにと、独り言を言っていた。早すぎた成功がむしろ毒になったのだと思った。成功より成熟が優先だという言葉は、人格の形成が重要だという意味だ。成功に没頭する限り成熟はだんだん遠くなる。成熟が基になった成功は長く続く。成熟は誘惑に勝つ特性を持っている。本能に偏った生活をせず、節制を通して成熟した暮らしが、成功を私達のそばにとどめることになる。

ヘルマンヘッセは、誘惑は人間の心に根を下ろした恐ろしい病気だと言い、人間は3つの誘惑に陥ると言った。肉体の欲望である「享楽」と、自分が良くやったと威張り散らす「驕慢」、そして拙劣で不遜な「利己心」だと言って、その3つさえなければ、地上には完全な秩序が成立すると言った。誰でも誘惑と言う病気にかかって生きている。
人間はいつでも誘惑の前にさらされて人生を生きている。しかし、成熟した人とそうでない人の違いは、誘惑の前に立つ姿勢だ。成熟した人は何とかして誘惑から抜け出すが、成熟していない人はいつも自ら合理化する。そして振り払うことができずに誘惑に陥って生きる。黙って見ていると、誘惑から別れられないようながんじがらめの考えがある。

内面を縛っている固執的な考えから抜けだしたならば、誘惑に勝つことができる。誘惑に陥れる考えについて調べて見よう。
一番目に「誰でも皆やることだから。」と流してしまうことだ。ここに引っかかっていたら、今まで誠実に正直だった私、献身的で忠実だった自我が消えてしまう。
「人も皆そうやって生きているのだから、私だけがバカのように生きなければならないか。他の人がやっているのに私にできないものか。」と、考えながら大衆の中に埋もれて生きていく。恥ずかしさを栄光にして。
二つ目は「大したことではないから。」と言う考えだ。「このぐらいならいいじゃないか。」という心だ。言い換えると、大したことでないから深刻に考えたり、気にしないということだ。まさかと思っていたことがとんでもない結果を運んできた時はすでに遅い。
三番目に私達を誘惑する考えは「今回一度だけだから。」と言う考えだ。「たった一度の嘘なのだから、何をそんなに苦しむのか。ただ一度、目をつぶったならば、すべてのものを手に入れることができるのに、何をそんなに悩むのだ。」と、言いながら良心の腐敗を煽ぐのだ。しかし、これがいかに恐ろしいことなのかわからない。だんだん良心の呵責に無感覚になる。どんなことでも「一度」から始まる。
昔の言葉に「千里の道も一歩から」と言った。どんなことでも、一度で成ることがないと言う意味だ。はじめが重要だと言う言葉だ。
成功だけでなく、人が失敗する時も、いつも始めの一歩があるものだ。「一回ぐらい」と言う考えを決して簡単に考えてはならない。一生を左右する危険な結果を招く。

一人の人が成熟するまで、その過程に多くの誘惑が訪れる。瞬間ごとに誘惑に負けないで勝ってこそ完全な人になる。目標のために走って、それに該当する忍耐をしてこそ、いろいろな人の詭術と世の中の風潮の誘惑に勝って、成熟に至ることができる。
自転車に乗る時、止まっていると倒れて、ペダルを踏んで動くと動き続ける。マックスウェルマルツという心理学者は「人は活動する面で自転車と同じで、目標とか目的を達成するために前進しなければ、必ず倒れる。」と言った。
心理学者の分析によると、人間は誰でも皆、持っている136億個の脳細胞を積極的に活用したならば、一週間に100万個のアイデアを推論することができると言う。このように人間には無限の潜在的な可能性がある。普通の人は136億個の脳細胞中2~5パーセントぐらいしか使用できない。有名な天才、アインシュタインは脳細胞の15パーセントを活用するという驚異的な記録を立てたという。

昔の言葉に内衣明珠という言葉がある。
インドのある郡主がかわいい自分の息子の服の中に高価な宝石をつけてやったが、子供は家を飛び出し、乞食をして流浪しながら、高価な宝石が自分の服の中についていることを知らずに、おなかをすかして過ごした。何年かぶりに家に帰って来た息子に「どうしてお前は、服の中に高価な宝石があるのに乞食のようなことをしたのだ。」と聞くと、その時になってやっと息子は、自分の服の中に宝石を見つけたのだ。人は誰にでも皆、内衣明珠があると言ういい話しだ。
私達の中に隠された善いものが積まれて成熟した人になると言うことだ。

成功よりも成熟が優先だ。成熟は、人に「なること」を言う。幼い頃から小さなことで人に配慮して迷惑をかけないことを学ばなければならない。成熟しない人が成功したら、むしろ危険な人物に成る。いつ爆発するかわからない爆弾のように、他の人に害を及ぼすことを覚えておかなければならない。謙遜な言葉と行動が習慣になってこそ成熟した人の香りがでる。成功の奴隷として生きていくみすぼらしい人生ではなく、風格のある人のオーラを噴出さなければならない。

テレサ修女はどうして生涯貧しい人のために奉仕できたのだろうか。ヘレンケラー女史が障害に勝って大学の講堂に立つことができた力は何だろうか。この人たちが偉大な理由は一貫性を持って人類の幸福のために最善を尽くした点だ。名誉や偉大性を誇示するために動いたのではなく、成熟した人格を持って愛を追及したと言うことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今がつらいなら、よくやっているということだ

2013-09-05 08:50:51 | 韓で遊ぶ



スタイルは堂々としていることから出てくる
人生で勝負をかけるスタイルを探そうとすると、どうしなければならないか。自分をほめることに慣れなければならない。私達はほめることにけちだ。他人であれ、自分であれまず、粗探しからする。他人の粗はさておいて、自分の粗は隠された劣等感として作用する。他の人をほめることを知っている人が自尊心も高く、自我が健康だ。誰にでも通じる成長の妙薬があるとしたら、真心のこもった賞賛だ。深く賞賛しなさい。スタイルは堂々としていてこそ見つけることができる。堂々としていることは内面が健康であることから出てきて、自らほめる習慣から表出される。

自分の弱点をしょっちゅう責めて倒れるな。すぐには何の結果が出なくても、現在何かを試していたらいいことだ。粗末な言葉は粗末な人生を作り、素敵な言葉は素敵な人生を掘り起こす。言葉から始まる。私を立たせてくれる言葉から美しい人生が花開く。

人間は一人では生きていけないので、共に生きていかなければならない。共同体の中に混ざって整えられる。生まれもっての気質と品格が隣人と共に発達して、不足な点を悟らせ、他の人を通して充たされたりもする。良い性格は変化に柔軟であり、違いを受容することができる性格であり、相手を配慮する性格だということができる。このような性格を「良い」と言う理由は適応力が高いからだ。

良い性格を維持しようとすれば、他の人を評価する心を捨てて、我慢して待つことを知らなければならい。自分に生じたすべての状況をあるがままに受容することだ。

統合の力、受容して愛して祝福する心が、個人と共同体にどれほど大きな影響を与えるか悟らされる。自分に害を及ぼしていた人を許し、受容する経験を積んでみよう。他人に配慮することが簡単になるはずだ。いくら相手が間違っていたとしても、比較したり非難せず広い心で同じ側で抱く努力こそが大人物になる近道であり、このような暮らしの姿勢が、時間が過ぎるほどに美しい記憶を残す。

受容性を高めようとするならば、いつももっと大きく見る術を知る眼力を育てなければならないのだが、今、友達に復讐しようとして、もう一発殴ると敵になって心が重く関係が遠くなるように、受容性を高めようとするならば、相対的な自尊心ではない、絶対的な自尊心でまっすぐ立たなければならない。進んで所有の概念を捨てて存在の価値を選ばなければならない。所有とは、まず自分に有利不利を問う姿勢と態度だ。存在の価値を重要視すると、有利不利を超えて、大儀に忠実なことなのか、どのような存在として光を放つことなのかを、先に考える品格が育てられる。小人物のように度々怒って小心な品格を発達させるか、自分の存在を省察しながら生きていくかに対する選択だ。

世の中を生きていく上で、良い品格になるような要素が多いけれど、よく生きて本当の意味での平安な人生を享受する秘訣は正直だ。正直であると損をするように感じられる。しかし、正直は間違いない成功へ導くので絶対に急ぐ必要がない。正直な道が最も早い道だ。正直で損をしたならば必ず、積み立てられた貯金のように、いつか利子がついて自分に再び戻ってくる。時間が少しかかっても正直には真実の力があるからだ。人の心を動かす魅力がある。
私は、若者が訪ねて来て悩みを打ち明けると、その大部分が進路問題であり、苦々しく感じる時がある。自分のスタイルに固執する人はまれだ。世の中のどこにもないスタイルをつくろうとすると、自分が上手くできることをしなければならない。スタイルは開発されるものであり、すでに作られたものではない。自分の香りが出るものが人生だ。
ある青年は、自分は個性があって立派な企業家になれると主張した。その時、私は、そんな我執をはったならば、組織や社会生活から外れているように見えて、のけ者にされることがあるから、個性にだけ偏らないように教える。よくなじむ術を知って、まんべんなく意見も受容することを知るが、ただ自分のスタイルを持って仕事をすることだ。
よく、個性と言う垣根で他人の意見に同調できない態度はスタイルだということはできない。自分のスタイルは、性格の問題ではなく問題を解く方式を言う。もし、ある人がプサンに行こうとすると、必ず飛行機で行くと固執することを個性だと考えたら、混乱する。プサンに行く時は飛行機と汽車、乗用車と船などいろんな方法がある。ただ、プサンに行くという目的によって、時間と交通方法が異なるのだ。

私は現場に出る時、時間に合わせて動くスタイルだ。だから、なるべく地下鉄を利用する。運転手が運転すれば便利だが、正確な時間に合わせるには地下鉄が一番便利だ。人の匂いも漂って新しいアイデアを得ることもできる。私達はどんな交通方法を利用したかをスタイルだと錯覚する。しかし、スタイルは約束に遅れないようにスケジュール通り動く行動だ。交通手段は方便であるだけだ。

自分のスタイルだと言って絶対に融通性が無く固執をはると成功することが難しい。この世の人たちは多くのスタイルを持って生きているからだ。自分だけのスタイルが正しいと思うことは間違いに陥ることがあるから、禁物だ。50分勉強して10分休むのが勉強のスタイルならば、そうすればいい。周辺の同僚が2時間勉強して10分休むといって真似る必要が無い。
自分のスタイルを最大に尊重したら、差別化ができ目標を成し遂げ易い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今がつらいなら、よくやっているということだ

2013-09-04 15:27:00 | 韓で遊ぶ
世の中のどこにもないスタイルで勝負をかけること

スタイルは戦略だ
「どうやって赤字の企業を何ヶ月かで黒字に変えましたか。」
「運が良かったのでしょう。」
私が、インタビューでよくする答えだ。だが、しつっこく聞く人には、あとひとつ秘訣を説明してあげる。
「自分のスタイルを探さなければなりません。」
多くの人が他人のスタイルで勝負をかけようとする。それは自分のものになることができない。タウォスはコルリアスを撃退するときに鎧と槍を使わなかった。いつも使っていた石の鞭と水ひき臼を武器とした。
世の中のどこにもない自分のスタイルを作り出さなければならない。それが私達を富裕にする。企業と職場人、個人も成就を成そうとすれば、自分のスタイルを探さなければならない。自分のスタイルを失ってしまって、他人の真似をすると無様な人生を生きることになる。他人のスタイルをうらやんで、自分を卑下すれば成果が半減する。

一頭の鹿が池で水を飲んでいた。水に映った角を見てうっとりしていた。
「わぁ、かっこいいわ。」
しかし、骨と皮になった細い足を見て失望した。
「本当にみすぼらしい。」
その時、急にライオンが鹿を食べようと走ってきた。鹿は細い足を利用してライオンを余裕で捲いた。だが、鬱蒼とした森に入っていくなり、角が木の枝に引っかかって動くことができなくなった。結局ライオンにつかまってしまった。鹿はそれでやっと悟った。
「私が恥ずかしく思った足は命を救ってくれて、自慢だった角のせいで私は死ぬのか。」
鹿の姿から長点にうぬぼれ、弱点にすくむ人間の姿が見える。才能があって謙遜ならば福が来る。不足な点を肯定的に受け入れたならば他の人の毒になる。だから単純に、今、目の前に見える姿で、人生の悲喜を予測することはできない。目的地に至る方法にはいくつもの道がある。どの道を行くのかは選択にかかっている。
まず、本人のスタイルを見つけなければならない。スタイルは最も着やすい服を選ぶことと同じで、簡単ですぐに生じない。精魂をこめてこそ完成され、努力したほどに光を放つ。試験勉強をする時、目だけで本を読む人がいて、書きながら勉強をする人がいる。明け方に集中できる人がいて、夜に集中できる人がいる。日常習慣も差が大きいのだから、成果を出す方式も違いがあって当然だ。他人のスタイルに従っていくことは、よい結果招くことができないだけでなく、自分を苦しめることだ。目的としたことを成す前に疲れてしまう。しかし、スタイルが自分を合理化する道具になってはいけない。
「人と仲良くするのがいやだから、職場生活はしない。」
「エクセル作業ができないから、エクセルを多く使う仕事はしない。」
人生においてスタイルは不自由さを避ける行動ではなく夢を成す固有の戦略だ。
いくらか前に研究する上で、天井型エアコンが必要で注文した。ところが電子会社の支店長が直接、現場を訪問して設置を指示しようと何回かやってきた。支店長が現場を訪問して直接指示して設置することに関与することは珍しいことだ。後で知ったことだが、私がずいぶん前に職場にいた時の後輩だった。
「私達はひとえに顧客の経験を通して、違いを話すことができる。支店長は現場を訪ねて顧客を訪問しなければならない。」
私に教育を受けたとおりに後輩は実践していたのだ。どんなにうれしいかわからない。誰にも自分だけのスタイルがある。小さなスタイルの違いが後で大きな差を作り出す。私が苦労して組織文化として定着させ、良い成果として連結されたスタイルが維持されていた。
あなたはどんなスタイルで世の中を開いて行っているか。つらいならば自分のスタイルを探さなければならない。自分のスタイルは自分の唯一性から出発する。

人生は私たちに毎日選択と集中を要求する。選択には責任がついてきて、選択を遅らせると誤りを犯すことになる。どのような選択が正しいのか、答えを求めてさまよう。事が生じるたびに明快な答えを出してくれる相談者を探す。相談者を探す時に念頭に置く点がある。相談者は教えてくれる人ではない。良い相談者は、相手が自ら内面から答えを探し出すことができるように導いてくれる人だ。いくつかの助言をすることよりも、潜在力を目覚めさせてくれ、目標に合う実行ができるように助ける役割をする。生気とエネルギーを吹き入れる相談者を探さなければならない。相談者は自我を新たに知って再発見する喜びをくれる人だ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今がつらいなら、よくやっているということだ

2013-09-03 05:37:57 | 韓で遊ぶ

成功の反対語は失敗ではなく放棄だ
「マーガレット ミッチェル」は事故で足を怪我し、若い時に新聞記者の仕事をやめて退職した。人生が終わってしまったような絶望に落ち込んだ。大きな夢を抱いて記者として仕事をしていたのに、26歳の花のような年に足が使えず、仕事まで失って目の前が真っ暗だった。
「足を怪我して記者生活はできないが、自分ができることがあるはずだ。」
心を決めて彼女は小説を書き始めた。生まれて初めて書いた小説なので、話の展開が簡単ではなかった。それでも、あきらめないで作品を書いて、実に10年かけて小説を1冊完成した。原稿を持って3年間、多くの出版社を回ったが誰も目を向けなかった。文学賞を受けた作家が書いたものでもなく、名前も知らない人が書いた小説を誰が見るのかと、冷たく扱われた。原稿がぼろぼろになる程、ミッチェルは出版社を回った。
ある日、彼女がレイスンと言う出版社の社長に会おうとした。約束もしないで社長が旅行に出かける時間に合わせて駅に行った。
「社長、どうか、旅行しながらこの原稿を一度読んでください。」
社長はマーガレットが切実に頼むので原稿を受け取りカバンに入れた。旅行を終えて家に帰って来た社長のところに電報が来ていた。
「原稿を一度読んでください。マーガレット」
数ヵ月後、電報がまた来た。
「原稿を一度読んでください。マーガレット」
3回目の電報が来た時、社長は駅で切実に頼んでいた顔を思い出し、ぼろぼろになった原稿を読み始めた。
社長は小説を読んだら、どっぷりとはまった。マーガレットが10年の間書いた小説を短時間で読みきった。出版されると、1日に5万部が売れた。当時、1936年にはものすごい事件だった。これが正にあの有名な「風と共に去りぬ」だ。

自分の限界を超える人の話は同じような共通点がある。それが正に熱情があるという点だ。熱情が無ければあきらめる。熱情はエネルギーであるから、熱情がさめると嫌気がさして無気力になる。成功は熱情と言う華麗さより、熱情を守るために努力した汗にある。不断の努力をしなければ、はじめに抱いた熱い心を維持することはできないから、心がさめるとあきらめたくなるのが自然の現象だ。限界を超える者には、皆、熱情があり、その熱情こそ人生を光らせる原動力だということができる。
持っている物が無く、時間がなく、能力がないと、すべてのことを投げ出してしまいたい時、不可能は無いと信じなさい。人生は、失敗する時、終わるのではない。失敗は新しい機会を持ってくる。

人生はあきらめた時に終わる。あきらめない限り機会は訪れる。一度も倒れたことの無い人を私達は成功したとは言わない。倒れるたび起き上がる人、環境に勝った人に成功したと拍手を送る。もしかしたら、成功は失敗の反対語ではなく、あきらめの反対語かも知れない。
あきらめなければ希望がある。最後まであきらめないと心に決めなさい。環境がくれる苦痛が大きい程、偉大なことを成すために最善を尽くすと心に決れば幸福だ。いつの瞬間も、あきらめなければ夢はかなう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする