成功より成熟が優先だ
成熟は満足を知る能力だ
私は、ばかげた事で目標を成し遂げる前に途中下車する人を多く見てきた。黙って見てみると、すべての原因は欲望だ。欲望と言う、持つことができないものを強く望み手に入れたいという心で、節制と満足の反対語だということができる。少しだけ注意を傾けたならば、遥かに尊敬され乗勝長駆(勝った余勢を駆っていっそう猛烈に攻撃すること)できるのに利己的な欲望で名誉を失墜して自ら崩れていく。
成功より重要な価値は成熟であることを覚えておかなければならない。成熟と言うことは満足を知る能力を持つことを言う。満足する能力は誘惑に勝つ状態に埋もれている。成熟した人というのは、結局、誘惑に強い人を言う。成熟した人が成功した状態を維持することができる。成熟できない人にとっては、しばし訪れる成功は毒だ。
いくらか前にソンチュヘン検事事件で世の中がしばらくの間、騒がしかった。報道を見ながら、私は、その若い検事がもう少し世の中を生きて経綸(国を治めること)が多かったならば成熟したのにと、独り言を言っていた。早すぎた成功がむしろ毒になったのだと思った。成功より成熟が優先だという言葉は、人格の形成が重要だという意味だ。成功に没頭する限り成熟はだんだん遠くなる。成熟が基になった成功は長く続く。成熟は誘惑に勝つ特性を持っている。本能に偏った生活をせず、節制を通して成熟した暮らしが、成功を私達のそばにとどめることになる。
ヘルマンヘッセは、誘惑は人間の心に根を下ろした恐ろしい病気だと言い、人間は3つの誘惑に陥ると言った。肉体の欲望である「享楽」と、自分が良くやったと威張り散らす「驕慢」、そして拙劣で不遜な「利己心」だと言って、その3つさえなければ、地上には完全な秩序が成立すると言った。誰でも誘惑と言う病気にかかって生きている。
人間はいつでも誘惑の前にさらされて人生を生きている。しかし、成熟した人とそうでない人の違いは、誘惑の前に立つ姿勢だ。成熟した人は何とかして誘惑から抜け出すが、成熟していない人はいつも自ら合理化する。そして振り払うことができずに誘惑に陥って生きる。黙って見ていると、誘惑から別れられないようながんじがらめの考えがある。
内面を縛っている固執的な考えから抜けだしたならば、誘惑に勝つことができる。誘惑に陥れる考えについて調べて見よう。
一番目に「誰でも皆やることだから。」と流してしまうことだ。ここに引っかかっていたら、今まで誠実に正直だった私、献身的で忠実だった自我が消えてしまう。
「人も皆そうやって生きているのだから、私だけがバカのように生きなければならないか。他の人がやっているのに私にできないものか。」と、考えながら大衆の中に埋もれて生きていく。恥ずかしさを栄光にして。
二つ目は「大したことではないから。」と言う考えだ。「このぐらいならいいじゃないか。」という心だ。言い換えると、大したことでないから深刻に考えたり、気にしないということだ。まさかと思っていたことがとんでもない結果を運んできた時はすでに遅い。
三番目に私達を誘惑する考えは「今回一度だけだから。」と言う考えだ。「たった一度の嘘なのだから、何をそんなに苦しむのか。ただ一度、目をつぶったならば、すべてのものを手に入れることができるのに、何をそんなに悩むのだ。」と、言いながら良心の腐敗を煽ぐのだ。しかし、これがいかに恐ろしいことなのかわからない。だんだん良心の呵責に無感覚になる。どんなことでも「一度」から始まる。
昔の言葉に「千里の道も一歩から」と言った。どんなことでも、一度で成ることがないと言う意味だ。はじめが重要だと言う言葉だ。
成功だけでなく、人が失敗する時も、いつも始めの一歩があるものだ。「一回ぐらい」と言う考えを決して簡単に考えてはならない。一生を左右する危険な結果を招く。
一人の人が成熟するまで、その過程に多くの誘惑が訪れる。瞬間ごとに誘惑に負けないで勝ってこそ完全な人になる。目標のために走って、それに該当する忍耐をしてこそ、いろいろな人の詭術と世の中の風潮の誘惑に勝って、成熟に至ることができる。
自転車に乗る時、止まっていると倒れて、ペダルを踏んで動くと動き続ける。マックスウェルマルツという心理学者は「人は活動する面で自転車と同じで、目標とか目的を達成するために前進しなければ、必ず倒れる。」と言った。
心理学者の分析によると、人間は誰でも皆、持っている136億個の脳細胞を積極的に活用したならば、一週間に100万個のアイデアを推論することができると言う。このように人間には無限の潜在的な可能性がある。普通の人は136億個の脳細胞中2~5パーセントぐらいしか使用できない。有名な天才、アインシュタインは脳細胞の15パーセントを活用するという驚異的な記録を立てたという。
昔の言葉に内衣明珠という言葉がある。
インドのある郡主がかわいい自分の息子の服の中に高価な宝石をつけてやったが、子供は家を飛び出し、乞食をして流浪しながら、高価な宝石が自分の服の中についていることを知らずに、おなかをすかして過ごした。何年かぶりに家に帰って来た息子に「どうしてお前は、服の中に高価な宝石があるのに乞食のようなことをしたのだ。」と聞くと、その時になってやっと息子は、自分の服の中に宝石を見つけたのだ。人は誰にでも皆、内衣明珠があると言ういい話しだ。
私達の中に隠された善いものが積まれて成熟した人になると言うことだ。
成功よりも成熟が優先だ。成熟は、人に「なること」を言う。幼い頃から小さなことで人に配慮して迷惑をかけないことを学ばなければならない。成熟しない人が成功したら、むしろ危険な人物に成る。いつ爆発するかわからない爆弾のように、他の人に害を及ぼすことを覚えておかなければならない。謙遜な言葉と行動が習慣になってこそ成熟した人の香りがでる。成功の奴隷として生きていくみすぼらしい人生ではなく、風格のある人のオーラを噴出さなければならない。
テレサ修女はどうして生涯貧しい人のために奉仕できたのだろうか。ヘレンケラー女史が障害に勝って大学の講堂に立つことができた力は何だろうか。この人たちが偉大な理由は一貫性を持って人類の幸福のために最善を尽くした点だ。名誉や偉大性を誇示するために動いたのではなく、成熟した人格を持って愛を追及したと言うことだ。