退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 2

2015-05-20 07:03:54 | 韓で遊ぶ


水、コップ一杯の許し

皆が貧しい時代でした。
食べるものがなく、学校で粉ミルクや乾パンを配給してくれた頃、それでも、いつも足りなくて、私たちはいつもお腹をすかせていました。それでついには、軒下のツララまで食べていた頃、いつかミルクでも乾パンでも思いっきり食べるのが皆の願いでした。
そんなある初冬の午後、掃除当番だった私は、友達と意気投合して給食倉庫の戸を開けて入って行ってしまいました。
ドキドキと、心臓の音が鼓膜を突き抜けるような緊張の中で、私たちはそれぞれポケットいっぱいに乾パンを入れて、ミルクの袋に頭を突っ込んで粉ミルクを食べました。
「ゴホン、ゴホン、ゲェ。」
乾いた粉をむやみに口に入れてみると、乾いた咳が出ない訳がありません。その瞬間、よりによって倉庫の前を通り過ぎた先生に、私たちは身動きもできないまま捕まってしまいました。
「何だ、お前たちは。」
私たちは乾パンを口に入れたまま運動場を回ることになるだろうと、重い足取りで職員室に呼ばれました。
ところが意外な状況が起こりました。
「お前たち、乾いた粉を食べて喉に詰まったらどうするんだ、さあ、まず水を飲みなさい。」
「先生、、、。」
その後、先生がどんなことを言ったのか覚えていません。
ただ鼻の奥がツーンとして、胸がドキドキしたのを覚えています。
その時、私は心に決めました。
大きくなったら先生のような先生になろうと。
先生はムチの代わりにコップ1杯の水で私たちに人の道を教えてくれたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-19 07:50:01 | 韓で遊ぶ


熊さんの切手

私が夏休みを利用して郵便局でアルバイトをした時のことです。
私が任された仕事は、手紙に消印を押すために整理して、返送する手紙を選び出すことでした。同じような封筒に、同じような位置に書かれた住所や切手は同じだけれど、細かく見てみると、ひとつとして同じものはありません。
広いテーブルの上にいっぱいに積まれた手紙は、その主人を代弁するかのようにそれぞれの顔をして私を待っていました。
10円切手を一面にぺたぺたと貼った手紙、一枚すっきりと貼った手紙、はじめから切手のない手紙。
切手のない手紙はもちろん返送しなければなりません。
もう仕事が手に慣れてきたころの分類作業をしていたある日のことでした。たくさんの手紙の中に私の視線をひく手紙が一通ありました。
くねくねした字、、、幼稚園生ぐらいだけれど、住所もちゃんと書いてあり、規格にも合っているし、切手も定位置に貼ってある正しい手紙でした。
ですが、どこかわからないのですがおかしいのでした。
「おかしいな、、何が変なんだ。」
いろいろ探してみた私は、プッと笑いを噴出してしまいました。
切手が張っていなければならない所に、熊のステッカーがまるで切手のように貼ってあるのです。
「これをちょっと見てください。すごくかわいいでしょ。」
「何だ。おっ、熊のステッカーじゃないか。はははは。」
周りの同僚たちもそれを見て、ひとしきり楽しそうに笑いました。
私は手紙の主人の小さいながらもませてしっかりした発想を楽しく思い、かわいく思いましたが、返送処理をしなければならないのが惜しいと思いました。
その時、ふと幼い頃に読んだ童話の1編を思い出しました。
ある少女が、飴屋で飴を買って飴の代金を風呂敷に包んできた花の種で差し出した時、親切な店の主人がその子の美しい童心を壊したくなくて、おつりまで出したという話。
私は、その小さいながらもませていてしっかりした偽の切手の横に、本当の切手を一枚買ってかわいらしく貼りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-18 19:58:17 | 韓で遊ぶ


天国と地獄の間

彼は熟練したタクシー運転手です。
今日も彼は都心を注意しながら走っています。
「どちらまで。」
「光化門まで。」
事業に失敗して借金まみれのところに、妻まで病魔に奪われた、とても不幸な男。
そんな彼が絶望を耐えてタクシーの運転をするのは、まだ幼く年端の行かない子供たちのためでした。今日も彼は軽快に客に挨拶をします。
「ありがとうございました。」
フロントガラスにぶら下がっている家族写真。彼は客を乗せたり降ろしたりして、いつもその写真を見ました。回転椅子に座ってお金の束を転がしていた昔のことは忘れて久しいです。昔に比べればはした金には過ぎないけれど、タクシーの運転というのは交通地獄をさまよう苦しいことですが、1文2文と集めて借金を返す楽しみで、休む日もなく煤煙の中を走っていました。
そんなある日、一人のおばさんの乗客が封筒を置いて降りてしまいました。
「お、これは、おばさん、おばさん。」
急いで呼びましたが、おばさんは急ぎ足で行って見えなくなってしまいました。仕方なく封筒の中の内容物を確認した瞬間、彼は驚きました。乗客が置いて下りた封筒の中には、いくらかもわからないくらい大きな額のお金の束が入っていました。ドキドキする胸を落ち着かせることができず、しばらく車を降りてタバコを一本吸いました。彼は弱くなりました。お金のためにちゃんとした治療を一度も受けられずにあの世に行った妻、肩にずっしりと乗った借金の山、いい服を着せることもできず、おいしいものを食べさせることもできないかわいそうな子供たち。
「このお金があれば人生が変わるかもしれない、、、このお金があれば、、、」
封筒を穴が開くほど見つめした。呆然と座って見て、立ち上がって握りこぶしをぎゅっと握って見て、彼の心の中で欲望と良心が前になったり後になったりして戦うこと数時間、、、、。
ですが、彼は急にまたタクシーに乗りました。黄色の封筒を片手にぎゅっと握って、、、、。いつもより少し早く車を運転しながら彼が着いたのは近くの派出所でした。しばらくして警察から連絡を受けたお金の持ち主が、靴を履くか履かないかわからないくらい慌てて走って入って来ました。
「あれまあ、助かったわ。助かった。ふぅ、大変なことになったと、、、、ありがとうございます。」
おばさんが、ありがたくて、どうしていいかわらなくて挨拶をしましたが、彼は淡々と答えました。
「いいえ、間違いがないか確認してください。」
是非、謝礼をしたいと言うおばさんに彼が言いました。
「半日の間、天国と地獄を12回以上行ったり来たりしました。やっとさっぱりしました。」
彼はしまいには1文の謝礼金も受け取りませんでした。何よりも子供たちに堂々とできる父親でいたかったのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-17 04:50:23 | 韓で遊ぶ


ある面接試験

またいつものように冬が来ました。
そんな中でも水銀柱がガクッと下がるという「入試寒波」。今日はまさに大学入試の日です。ラクダが針の穴を通るよりも大変だという試験の日、ある大学の面接試験場であったことです。
面接試験官たちは議論の末、試験の主題をその頃のもっとも大きな現実であるIMFにしました。すごく緊張したまま針の穴を通ろうとするラクダたちが順番に面接官の前に座りました。
面接官が質問をしました。
「座ってください。もし、お父さんが失業したらどうしますか。」
「はい、もし、父が、、、、。」
同じ質問が与えられ、受験生たちはそれぞれ誠実に答えました。
「私の父は、すでに失業しています。」
「はい、父を連れて旅行に行きます。」
「はい、もし、もし、失業したら、、私、私がお金、、お金を稼いで、、、、。」
受験生の答えは本当にいろいろでした。
淡々と経験を話す者もあり、その中には予想もできない質問に慌てる学生もいました。ですが、すべての面接官の心を動かしたのは、一人の女学生の小さくて落ち着いた答えでした。
「もし父親がIMF時代に仕事を失ったらどうしますか。」
女学生は、少し考えてから答えました。
「私は父が仕事を失っても、今以上に良くしてやる事も、良くしてあげないという事もしません。いつもと同じように父に対します。」
女学生は話を続けました。
「そして、父がまた仕事ができる日が来たら、そんな日が来たら、父が履いていく靴を、心を込めて磨いてあげます。子供の頃、いつも私がそうしていたように。」
意外な答えに慌てた面接官たちに、女学生は落ち着いて幼い頃の話をしました。
女学生が幼かった頃、よく父親の靴を磨いてあげたということでした。
「パパ、靴がきらきらするほど磨いたわ。」
「おやまあ、そうかお前は大きくなったら靴磨きになってもいいね。」
「ははは、、、」
パパが明るく笑いながら頭をなでてくれたことがとてもうれしかった、と言う女学生の答えは、面接官たちの心を打ち、胸をいっぱいにしたのでした。
うれしい時も、疲れて苦しい道も父と一緒に歩いてきた父の靴、父がきらきら光を放つ靴を履いて元気に出勤する姿を、もう一度見たいという女学生の言葉は、点数をつけることができないくらい価値のある明答だったのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-16 06:14:52 | 韓で遊ぶ


黄色の封筒

彼は教師です。
それも小学校の落ち着きのない子供たちの中で20年、欲もなく実直に送った教師です。ある日、たくましい青年が彼を訪ねて来ました。
教室の床にひれ伏して挨拶をした青年は、20年前に彼の元を巣立った教え子でした。
「先生、私を覚えていますか。」
「君は、、、」
先生は、かすかな記憶の中から、一人の鼻をたらした学生を思い出しました。貧乏で汚れていて、いつも気後れしていた子供、その子はいつも仲間はずれにされて一人でいました。
国連国際児童基金から分け与えられたお粥と粉ミルクを食べ過ぎてお腹を壊し、友達にからかわれたこともありました。
先生は、のけ者にされたその子をいつも暖かく包んであげました。先生はその子を連れて行き洗ってやって、その子はそういう時、いつも頭を掻いて恥ずかしがりました。
「へへへ、、、」
「ほほ、こいつ、、ズボンをしっかりと持っていろ。」
幼い頃、そのようにか弱くて打ちしおれていた子が、このようにちゃんと大人になって、、、。教え子は、驚きと再会した嬉しさにどうすることもできないでいる先生を家に連れて行きました。
教え子の妻が茶を出して3人が茶を前にして座りました。彼はいい大学をでて、社会的にも成功し、結婚もし、立派な家長になっていました。
手厚いもてなしの夕食の膳を下げた後、彼は引き出しの奥深くから黄色い封筒をひとつ出して来ました。それは昔、先生がクラスの子供たちみんなに作ってくれた一種のタイムカプセルでした。先生は驚いて尋ねました。
「これを、今まで持っていたとは、、、」
是非、先生と同席した席で開封したかったと言う、その黄色い封筒、タイムカプセルから出てきたものは、古いノートと成績表、そして磨り減ったスプーンでした。
「先生このスプーン覚えていますか。」
「、、、。」
スプーンは、お腹を壊した事件が起こった後、その子供の苦しい事情を知った先生が、その子にあげたものでした。先生は毎日弁当を2人分もって来て、その子と一緒に食べ、その子は記念封筒を作った日、その忘れることができない愛のスプーンを封筒の中に入れたのでした。
向かい合った二人はその時の事を思い出して微笑みました。
「あの時、君のあだ名は、多分、大食いだったろう。」
「先生も本当に、、、私はこのスプーンを家宝として大事にします。」
平の教師として過ごした20年の歳月、自分でも知らないうちに胸を押し付ける無力感が洗われたように消えた瞬間でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-15 05:33:36 | 韓で遊ぶ


博物館であったこと

いつも観覧客で混んでいる大きな博物館であったことです。
昔の名画が展示されている部屋に、背の大きな中年の紳士が一人、入って来ました。
ですが、その人は、なぜか絵の前に行くと膝を曲げて中腰の姿勢になるのでした。そうしては、目の高さよりずっと上にかけられている絵を、いろいろな方向から見るのでした。
その姿を見た博物館の警備員たちは、怪しいとひそひそ言いました。
「あの人、何であんな事をしているんだ。」
「本当に、ちょっと変だ、、、」
誰が見ても正常な行動ではありませんでした。他の観覧客も彼のおかしな行動を見てひそひそと言いはじめました。
「お、あの人、何だ。」
「本当に、」
ある団体の青少年は話をしながら何気なく通り過ぎようとした時、紳士にぶつかって転んだりもしました。
「あ、これは、すみません。」
「大丈夫です。大丈夫。」
彼は人の視線のようなものは気にすることなく、すべての絵を同じ中腰の姿勢で見た後悠々といなくなりました。
疑問は次の日に解けました。
ある小学生の団体が博物館の展示室に入ってきたのでした。
ざわざわと騒ぐ子供たちの中に昨日のあの背の高い紳士がいたのでした。彼は子供たちを引率して、一つ一つの絵の前に立ち止まり、やさしい低い声で絵の説明をしてあげていました。
二人の警備員は、それでやっと互いに目を合わせてうなずきました。
「ああ、どうりで。」
「ああ、そうだったのか、そうだったのか。」
これでやっと意味がわかったというような表情でした。
「みんな、絵を鑑賞する方法はいくつかありますが、それはですね。」
背の高い紳士の説明が続きました。
小学校の先生である彼は、子供たちの目の高さで絵がどのように見えるのかを知るために、人々の視線を一身に受けて中腰の姿勢で前もって絵を鑑賞していたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-14 19:29:12 | 韓で遊ぶ


靴下一足

私は田舎の郵便局の配達員です。
それも船に乗り、また車に乗り換えしばらく行かなければならない南海の小さな島の村の配達員です。出勤の道が大変なので、郵便局に到着する頃、配達業務を開始する前に全身の力の半分は抜けてしまっている状況です。
ほんの何日かでもゆっくり休めたら、と思う気持ちが切実ですが、だからと言って積まれた郵便物を放置することもできません。
一つ一つ分類し袋にいれて出る頃になると決まったように電話がなります。
「あぁ、また来た。もしもし。」
夫婦が二人共に肢体不自由者である家の郵便物を配達するついでに、お使いを何回かやってあげたことがあったのですが、その後からは、初めから遠慮なく注文をするのです。
ボールペン、ほうき、じゅくし柿、、、さらには魚や尿瓶まで、、、。
仕事が忙しくなくて余裕があるときは喜んで手助けしてあげますが、業務量が多い日には正直、嫌になることもありました。
その日注文を受けた物は靴下1足。
私はいらいらする気持ちをなだめながら、仕方なく靴下1足を買って家に向かいました。自転車に乗って船に乗り換えて、また少し入っていかなければならない遠い道。ブツブツ言いながら到着してみると、おばさんが部屋の戸を少し開けて待っていました。
「あれまあ、来たね。あ、これ、いくらかな。」
「あ、はい、2000ウォンです。」
無愛想な私の答えにおばさんはポケットからしわくちゃになった1000ウォン札を2枚差し出しました。
「はいよ、2000ウォン。」
ところが、靴下代を支払ったおばさんが靴下をまた私の手に握らせてくれたのでした。
「毎日、頼みごとをしてすまないね。身体がこうだからお返しする方法もなくて。」
「えっ、いいえ、いいえ、、そんな、、」
つまらないもので恥ずかしいけれど、と言いながら差し出した靴下1足。その小さな贈り物を私はどうしても断ることができませんでした。
靴下を、いいえ、その人の気持ちいただいて帰りながら、私は嫌になってブツブツ言った自分の心が見透かされるのではないかと、後ろを振り返らずに歩きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-13 06:54:27 | 韓で遊ぶ


20年目の真実

年端の行かない幼い頃のことです。
苦労して用意したお金で、母は新しい服を一着買ってくれました。その日に限って、母は何があっても見知らぬ人についていってはだめだと念を押しました。そう言われながらも、私は洋服の自慢をしようと出て行きましたが、おやつを食べている他の子供たちをうらやましく思って見ていました。
その時、あるおじさんが私に近づいてきました。
「変電所がどこにあるか知っているなら、つれて行ってくれないか。」
「変電所。」
子供たちは互いに顔を見合わせました。
「あそこの丘じゃないか。」
私はいい事をしようという欲が出て、変電所まで行く道案内を買ってでました。
ところが丘を登って行くと雨が降り始めました。
私たちは少しの間、木の下に非難しました。その時おじさんの親切な声が聞こえました。
「君たち、服を脱ぎなさい、雨に濡れちゃうから。」
私はすぐに新しい服を脱いでおじさんに預けました。
「カバンにちゃんと入れて変電所に行ったら返してあげる。」
変電所はそれほど遠くありませんでした。目的地に着くと、おじさんは私の手に10ウォン硬貨を1枚握らせてくれ、パンを買って来なさいと言いました。パンをおごってもらえると思って、二言なしに走って行きましたが、その日に限ってパン屋は休みでした。がっかりして帰ってみると、あのおじさんは道を走って行っていました。私はびっくりしました。
「僕の服。僕の服を置いて行って。わん、、、わん、、、」
下着姿の私に残ったものは、たった10ウォン硬貨一枚だけでした。
がっかりして帰ってきた私に、母はムチを持ち、私は泣きながら門の外にしばらく座っていました。
それから20年の歳月が流れました。
いつしか小さな繊維工場の責任者になっていた私を一人の友達が訪ねてきました。
彼は取引先の職員で、長い間柄の友達でした。静かな喫茶店に座って友達が変な話を始めました。
「20年前にこんなことがあったんだ。父が失業したために家のくらし向きがとても大変だった。だけど、私の誕生日に父が約束通り、新しい服を1着買って来てくれたんだ。本当にいい服だった。だけどポケットから何が出てきたかわかるかい。」
友達が私に尋ねました。そして話を続けました。
「イチョルス。君の名前が書かれた名札だった。」
まさか、私はすっかり忘れていた記憶がよみがえり本当に驚きました。
友達は、その時父が盗んできたその服をどうしても着ることができず、そのままかけておき、罪責感に悩まされたと言いました。その友達の父親が昨日の夜、亡くなったということでした。20年前の、その幼い子供にすまないと言う言葉を残して。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-12 06:12:19 | 韓で遊ぶ


先生のモヤシスープ

冷たい風が窓を叩く冬です。
今ぐらいの時期、窓に白く霜がつき冬が始まるとまず思い出す人がいます。
私の思い出の中の美しい顔、それは初恋の人でもなくサンタクロースでもなく、小学校5年生の時の担任の先生です。
その年の冬、教室で初めてストーブに火が入った日のお昼の時間、ストーブの上に弁当をのせてひとしきり騒いだ頃に先生が入ってきました。
大きな鍋としゃもじを持ってです。先生は鍋をストーブにのせて、前もって準備して来た材料でモヤシスープを作りました。
初めて見る光景に私たちは皆わくわくしました。
「わぁ、モヤシのスープだ。」
「うむ、さあ、これぐらいでいいだろう。」
熱いスープを作ろうと先生は額に汗を浮かべていました。
スープがグツグツ煮えると、先生が弁当を出して鍋の蓋の上にご飯を半分近くとりだして置き、そのご飯のなくなったところにモヤシのスープを入れました。私たちも先生のように弁当の隅から一匙すくって蓋の上においてモヤシスープをもらいました。鍋の蓋の上にはそうやって置かれたご飯が白く積みあがり、そのご飯は弁当を持って来られない友達の分になりました。
「さあ、こっちに来なさい。」
先生が友達を手招きして呼ぶと、弁当を持って来られない子供たちも一人二人と集まり始めました。
「さあ、一緒に食べよう。こっちに来なさい。」
それは、普段とは違い、食べることのできない友達が一人もいない、そしてとってもおいしい昼ごはんでした。
家に帰って、お母さんにモヤシスープの話をすると、お母さんは次の日の朝、登校する私の手に小さい包みをひとつ持たせてくれました。
「さあ、これを先生にもって行って頂戴。」
「ううん、これ何。」
包みの中にはチゲを煮ることができる材料が入っていました。学校に行って見ると、他の子供達も、それぞれキムチやねぎのような材料を持って来ていました。
昼の時間になると、先生は持ってきた材料を全部混ぜてごった煮を作りました。
その後、鍋はわかめスープを煮る日もあったし、味噌汁を作る日もありました。寒い冬にぶるぶる震える子供たちの心を、ストーブの火よりも暖かくしてくれ、貧乏のために弁当を持ってこられない友達のお腹を満たしてくれた先生のモヤシのスープ。
毎年冬になるとその時のそのモヤシのスープが、いいえ先生がとても恋しく思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な世界 2

2015-05-11 07:08:05 | 韓で遊ぶ


家庭訪問

私は静かな田舎の村に住んでいます。
曲がりくねった黄金色の田舎道の上をトンボが飛んでいます。トンボと一緒に私もハアハアと息を切らして走っていました。授業が終わるなり母が仕事をしている畑に向かって、一度も休まずに走って来たところでした。
「母さん。先生が、はあはあ、、、家庭訪問するって。」
「家庭訪問だって。どうしよう。もてなすものが何もないわ。」
白い手ぬぐいを頭に巻き、畑にしゃがんで仕事をしていた母は、大きくため息をつきました。
そして、あえて心配を振り払うように草取りを続けました。
私は地団駄を踏んで村の入り口のほうを見ました。
いつの間にか、先生は子供たちと一緒にそこまで来ていました。
「あ、大変だ。大変だ、、、」
仕方なく自分一人だけでもと、家に向かって走り始めました。
あたふたと畑の道を走って村に入って行きながらも、何をどうすればいいのか何の方法もなく胸だけがドキドキしました。
走って行きながら塀越しにチラッと見ると、先生は村の入り口のイッチョルの家にまず入って行きましたが、イッチョルのお母さんは、いつの間にかきれいな服を着ておいしそうな餅まで作って出していました。
「あ、これはどうしよう。ふぅ、、、」
私はどうしていいかわからず、ただ家に走って行きました。
あたふたと家に走って行き、縁側に座布団の代わりにきれいな風呂敷を敷いておきました。そして納屋に行き、母がしまっておいた種芋を何個か取り出して、かまどに火を入れ焼きはじめました。煙がしみてゴホンゴホンと咳をして、涙と鼻水まみれになりましたが、芋がちゃんと焼けないとどうしようという心配だけでした。
ですが、かまどの中がどうなっているかわからない先生は、すでに庭に入って来ていていました。
門のところに走っていって先生に挨拶をしました。
「先生。」
「お前一人か。お母さんは、、、仕事をしておられるのか。」
「はい。」
先生は縁側の風呂敷の上に座って、私は台所に行ってジャガイモを持ってきて先生に差出ました。
「これを召し上がってください。先生。」
「こいつ、芋を焼こうと、顔が真っ黒になったな。」
炭が黒くついた私の顔を見て先生はにっこり笑いました。
「おいしいね。お前も一緒に食べよう。あぁ、おいしい。」
「へへ、、、」
あせっていた気持ちが、先生の笑いで徐々にほぐれていきました。
ですがこれがどうしたことか、私も芋の皮をむいて一口かじった瞬間、舌の端がピリッとしました。外側だけがやっと黒く焼けていましたが、中は焼けていなくてザクザクしているジャガイモ。何かを感じた先生はすばやく言いました。
「大丈夫だ。ジャガイモはこうやって焼けていない方が栄養がある。」
先生がそうやって焼けていないジャガイモを2つもおいしそうに食べました。
ちょうどその時、母が帰って来ました。
ですが、先生を見て門の外にすばやく引き返し隣の家に行ってしまいました。汚い格好が恥ずかしかった母。
「お母さんかい。」
私は何も言えないでうつむき、先生はそれ以上聞く代わりに私の手を握ってくれました。何も言わないで、ずっと。
庭に咲いた背の高いひまわりがニコニコ笑って私たちを見ていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする