退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 2

2015-04-30 06:40:44 | 韓で遊ぶ


妻の失敗

視覚障害者の夫を持つ妻がいました。
新聞記者だった夫は、事故で両目の視力を失いましたが、家でコラムを書いて新聞社に送る仕事を続けていました。
妻は夫が引っかかって転んだら大変だと、家の中のすべてのものをいつも定位置に置き、夫は視覚障害者の特有の感覚で、すべての事が一人でできるようになるまで自ら練習しまいた。
その日も、夫は遅くまで記事を書いていました。寝る準備した妻は、ベッドの上に横になり、仕事をする夫の姿を愛情いっぱいの目で眺めていました。ですがベッドの横の引き出しがじゃまになり、夫の顔の半分が見えません。
妻は引き出しを横に少しずらして夫を眺めました。
夫を見つめる妻の顔に、やっと明るい笑みが浮かびました。
どのぐらいたったでしょうか、妻は眠気に勝てず知らずに寝てしまいました。
夫の記事の作成が終わったのは真夜中でした。
「あぁ、疲れた。」
夫も伸びをして横になりました。
いつものように妻のそばに横になった夫は、ふと書斎の明かりを消さなかったことを思い出しました。ぐっすり寝ている妻をおこしてはいけないと思い、そっと起きた彼は、歩き出そうとした瞬間、引き出しに引っかかって倒れてしまいました。
目の前に火花が飛んで全身に熱湯をかけられたような感じと共に床に倒れました。メガネとスタンドが壊れる音に驚いた妻が起き上がりました。
「あなた、どうしたの。」
驚いた妻は、夫を支えて起こしました。
「う、大丈夫だ。」
「これ、血だわ、血、、、」
救急車がきて病院に運び込まれ応急処置を受けて、妻はやっと事態を把握することができました。妻は泣きながら言いました。
「あなた、ごめんなさい。私のせいだわ。引き出しを少し動かしたのに、、そのまま、」
本当に少しだったのでした。10センチになるかならないか動かした引き出しにぶつかって上まぶたが裂けたのです。
奇跡は、何日か病院の世話になって退院して帰る車の中で起こりました。
夫が目をこすって窓の外に頭を回した瞬間でした。
「どうしたの。目が変なの、病院に戻ろうか。」
「いや。それが、、、見えるみたいだ。」
妻はとても驚いて道端に車を止めました。夫は妻の顔がぼやっと見えると言いました。
「見える、お前が見える。」
「あなた。」
妻の目に涙が浮かびました。夫の顔が見たくて引き出しを動かした妻の深い愛が、信じられない奇跡を起こしたのです。
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幸福な世界 2

2015-04-29 06:27:20 | 韓で遊ぶ


入れ歯

ある朝の早い時間でした。
ある地方都市の汽車の駅の待合室の食堂に、一組の老夫婦が互いにさえあいながら入ってきました。
食堂の中には3名ほどの客がいて、二人は席に座りました。背負った包みや地味な服装からして、田舎から今しがた来たように見える夫婦でした。
夫婦は座ってむつまじく話始めました。
「さあ、お前も早く座って。」
「あれまあ、腰が。」
「あの子が迎えに来てくれるって?」
「ええ、そうですから。ここに来るって。」
仲良く話をしながら座った夫婦は、海苔巻き1本とスープを注文しました。
人々の視線は夫婦に向いましたが、二人は何事も無いように互いに見つめあって注文したものが来るのを待ちました。
やっと海苔巻き一本と湯気の立つスープが出て来ました。ところがおかしなことが起こりました。
おじいさんはゆっくりと海苔巻きを食べ始めましたが、おばあさんは海苔巻きには手もつけないまま、熱いスープだけをふうふう吹きながら飲み、限りなく愛情に満ちた目でおじいさんを見つめていました。おじいさんを見つめるおばあさんの顔はこの上なく幸せな表情でした。
少し過ぎて、おじいさんが海苔巻きの皿をおばあさんの方に押してやり、入れ歯を取り始めました。そしてナプキンできれいに拭いて妻に渡しました。
おばあさんはその入れ歯を受け取り、何でもないように自分の口に入れました。そして残った海苔巻きをおいしそうに食べました。
おばあさんが海苔巻きを食べている間、おじいさんも子供のように天真な目で、おばあさんを見つめました。
たとえ互いにひとつずつの入れ歯を持つほどの余裕のある生活ではないけれど、夫婦の愛は、世の中のどの若いカップルも真似できないくらい深く濃く美しいものでした。
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幸福な世界 2

2015-04-28 06:06:19 | 韓で遊ぶ


美しい夫婦

夫婦は学校の前で、小さな屋台の粉物屋を20年やってきました。
寝ても起きても、立っても座っても、少しの間も離れているところを見たことがないインコ夫婦。周りにきれいな食堂がたくさんできて、なじみの客を皆失っても、夫婦は年端の行かない客のためにトッポギや餃子を作りました。
私がひどく具合を悪くした後、急にその店のトッポギを思い出して行った日も、夫婦は並んで座って遅い夕食を食べていました。
「夕飯食べているんですね。トッポギ1人分、できますか。」
「あ、いいですよ。そこに座ってください。」
おばあさんが食べていた匙を置いて立ち上がろうとしました。
その時、おじいさんがおばあさんを座らせて厨房に行きました。
「お前はご飯を食べなさい。私がやってやるから。」
おじいさんが厨房でトッポギを作っている間、おばあさんはおじいさんのために、一緒に見ていた連続ドラマの内容をずっと中継してやりました。
テレビを見ておばあさんが言いました。
「なんとまあ、さっきのあの叔父さんが犯人だね。」
「ほら、俺の言ったとおりだ。どおりで怪しかったじゃないか。」
おじいさんはトッポギを準備しながら答えました。ドラマよりも、もっと面白いおばあさんの連続ドラマの中継放送は、トッポギが出来上がるまで続きました。
「さあ、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
私がトッポギを受け取って店を出てきた後にも、仲のよい夫婦の食卓での対話がむつましく続いたのでしょう。
老夫婦の仲のよい対話を聞きながら、結婚して2年もたたない友達夫婦が、互いに激しく言い合って結局は別れたという話を思い出しました。
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幸福な世界 2

2015-04-27 05:59:12 | 韓で遊ぶ


妻の秘密

日差しの気持ちいい休日の朝でした。
大掃除をしようと家具を動かしていたら、隅に無理やり押し込んだ包みをひとつ見つけました。私はその包みを持って妻のところに行き尋ねました。
「おい、、、これは何だ。」
「な、何が。」
瞬間、慌てたように見えた妻は、すぐに何事もなかったようにその包みを取り上げて、屋根裏部屋に上がって置いて来ました。包みを持って行きながら妻はため息をつきました。
「ふぅぅ、、」
顔色まで変わった妻の態度が気になりましたが、私はそれ以上問い詰めることなく掃除を続けました。そして何日か過ぎました。夕食を食べていて急にその包みのことを思い出し、それとなく、聞いてみました。妻はいったん匙を置いて、そしてまた持って上の空で答えました。
「何でもないって言っているじゃないの。」
私は、妻が何か隠しているという事実が不快で、もう一度催促し、結局その包みにまつわる事情を聞くことになりました。
その色あせた包みは、妻が末の子を産んだ時に、妻の実家の母が、産後に飲みなさいと送ってくれた補薬だということでした。もったいないことをしたと思って、どうしてその時に飲まなかったのかと聞くと、妻は悲しそうに言いました。
「義母さんの前で、新米の若い嫁が補薬を飲むなんてとんでもない、、と思って、一日伸ばしにしていたら忘れてしまって。」
妻のその言葉に、私は何も言うことができませんでした。息子の私の目にも、母は普通の姑ではありませんでした。
毎日ゴミ箱をチェックして、食べ物グズや使わないものが捨ててあったならば、取り出して難癖をつけていた母、そんな20年でした。
私は心の中ですまないと思いながら妻の顔を見ました。補薬の包みが黄色くなる間に、妻のきれいだった顔にも、しわが増えました。
その日の夕方、私は妻に隠れて屋根裏部屋の年月を経た補薬を取り出して、心を込めて煎じました。
「オイ、俺が補薬、煎じてやったぞ。」
「ええっ。何ですって。」
「調べてみたら、10年たった補薬でも中国産の薬よりはいいってよ。実家の母さんが大事な一人娘にくれたものを、捨てるわけにはいかない、ハハ、、、さあ、早く飲みなさい。」
妻は、年老いた夫の冗談が嫌ではないようなそぶりで、補薬の入った器を受け取り飲みました。歳月を経た補薬には亡くなった実家の母さんと、できの悪い夫の深い愛が染み出ていたのでした。
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幸福な世界 2

2015-04-26 07:02:51 | 韓で遊ぶ


最後のコンサート

ソウルのある大きなコンサート場で有名な歌手のコンサートが開かれました。
中年の夫婦のため特別に企画された、思い出のコンサートでした。予想通り4,50代の中年の男女が客席をいっぱいに埋めました。
舞台の上で歌手が熱唱をしている間、一緒に歌う人がいるかと思えば、目を閉じて思い出をたどる人もいました。
そうやって2時間のコンサートが大体終わる頃、女性歌手がマイクを持って客席に下りて来て、観客何人かと話をしました。
「このコンサートはどうしていらっしゃいましたか。」
「ただ、昔の歌が聞きたかったからですよ。」
「はい、私は若い頃からのファンです。」
それぞれにコンサートに来た理由を言っている間、歌手は列の一番後ろに座っている男女に視線が行ってしまいました。みんなが笑って楽しんでいるのに、始終粛然とした顔で座って、時々ハンカチで涙まで拭くみすぼらしい姿の夫婦、歌手はその人たちの所に近づいていきました。
「お二人は、私の歌が楽しくなかったようですが。」
皆がその人たちを注目しましが、その人たちは簡単には口を開きませんでした。
どのぐらい過ぎたでしょうか、男性がやっと口を開きました。
「実は、私たちは死ぬ前に、最後にコンサートでも見ようとここに来ました。」
人々は意外な言葉にびっくりしました。男性は、一言一言、長い事情をため息のように話しました。事業をしていたけれど不渡りを出して、逃亡生活をしていたということ、いつまでもそうやって悲惨に暮らすわけにも行かないと思って、所帯道具を全部処分して借金を払ったこと、そして残ったお金十万ウォンで、死ぬ前に好きだった歌手のコンサートでも見て死のうと券を買ったというのでした。
男性はゆっくりと言葉を続けました。
「ですが、いざ歌を聞いて見ると、生きたくなりました。生きて笑って歌を歌って、がんばって、また始めたいと思いました。」
そして、男性は涙を流して悔恨のため息をつきました。
男性は泣いて、歌手は喉が詰まりました。男性が尋ねました。
「私たち間違っていないでしょ。」
喉が詰まって言葉の出ない歌手は、息と整えて客席に向かって熱い拍手を要請しました。
夫婦は拍手の音に席から立ち上がり挨拶をしました。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
拍手の音は「よく考え直したね。がんばれ、、、。」そのように、そのように言っていたのでした。
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幸福な世界 2

2015-04-25 05:57:57 | 韓で遊ぶ


おばあさんの頭のてっぺん

私が5歳になった年でした。
とても寒い冬、母は私たち三兄妹を祖母の手に預けて亡くなりました。
ぽつんと残された私たち三兄妹と祖母、その悲しみをどうしていいのか、わかりませんでした。
「うああん、お母さん、お母さん、、、、」
「この幼い子達を連れて、いったいどうやって生きれば、、、、」
母を呼びながら泣く私たちを抱きしめて、祖母は涙を流しました。
その日から、祖母は私たち三兄妹の母であり、神様であり、頼りになる身内であり、垣根でした。苦しい暮らしの中で、年端の行かない孫に食べさせて、着せて、勉強させようと、祖母の毎日は疲れるだけの日々でした。
夜明けの4時には間違いなく起きて、その曲がった腰で、洗濯をして、ご飯を炊いて、夜が明けるとどこかに出て行き、夕暮れになって帰ってくる祖母。そうやって1年、1年の歳月が流れていくうちに祖母はすっかり年をとってしまいました。
私は小学校4年生の時まで、祖母が何の仕事をしているのか知りませんでした。
ある日遠足に行って来る途中、町の工事現場を通り過ぎた時、遠くに祖母が見えました。祖母は頭にレンガを一塊載せて、3階もある階段を、這うように上り下りしているのでした。
「お、、、おばあちゃん。」
瞬間、涙があふれましたが、幼い心にも誰かに見られたらと、その場から逃げてしまいました。
その日の夜、私は死んだように疲れて寝ている祖母に、黙って近づいていき、心の中で許しを請いました。ですが、寝ている祖母を黙って見ていると、頭のてっぺんが赤くなって毛が抜けていたのでした。
私はあふれる涙をこらえきれず、外に飛び出してウォンウォン泣きました。祖母の頭の上の重いレンガは、他でもない私たち三兄妹だったということを、その時やっと悟ったのでした。
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幸福な世界 2

2015-04-24 06:17:09 | 韓で遊ぶ


孝行者と老人

バスは湖のほとりをくねくねと曲がりながら走っていました。
江原道の田舎ピスグミという村に住んでいるというチャン老人を訪ねて、ゆれるバスに乗って行きながら心は重かった。
その人が癌に良いという天然のサルノコシカケを採ったという新聞の記事を見て、やみくもに飛び出して来たからでした。
「手にすることができるだろうか。その高い物を1文無しで、、、」
不安な気持ちで独り言を言いながら、ため息をつきました。結果は運命に任せることにして、尋ね尋ねして到着した老人の家は、村のはずれの湖のほとりにありました。家を訪ねて行くと、庭に出ていた老人は気乗りしない表情で聞きました。
「だ、、れだい。」
私はいきなり庭に手をついて挨拶をしました。
「新聞を見てきました。」
「新聞だって。」
思いもよらない状況に、老人はとても慌てたように見えました。私は一部始終を話しました。
「父が癌にかかって寝込んでいます。病気を治そうと家を売って、車を売って今は一文無しになってしまいましたが、これでも受け取って、きのこを少し分けて貰えたら、、、」
私は腕につけていた腕時計をはずして差し出しました。とても貴重で言われたらそれが値段だといわれる天然のきのこ、自分でもとんでもないことだと思いましたが、藁にでもすがる思いでした。
そんな私に顔を背け老人はフッと笑いました。
「えぃ、まったく、度胸がいいわい。10ウォン1つも持たないで来て、、、チチ。」
ぶっきらぼうに庭に膝まづいた私を、不憫に思う顔でじっと見ていた老人が、急に息子を呼びました。
「おぉい、中に誰かいるか。」
「はい、お父さん。」
「残っているのがあるだろう。持って来い。」
「お、、父さん。」
息子は、とても驚いて言葉を失いました。
「持って来いと言ったら持って来い。」
「はい、お父さん。」
断固とした老人の言葉に、息子がどうしようもなく持ってきたサルノコシカケ一箱。老人はそれを時計さえ受け取らず私の手に渡してくれました。
私はうれしさ余り、挨拶さえもちゃんとしたのかしないのかわからないで帰路に着きました。
その時、後ろで老人が息子に話す声が聞こえました。
「あの様な人をただ帰したら、生涯心にひっかかって生きるようになる。」
父はその後15日して亡くなりましたが、きのこのおかげなのか、人情のおかげか大きな苦痛もなく旅立ちました。
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幸福な世界 2

2015-04-23 05:38:28 | 韓で遊ぶ


おばあさんの夜間学習

本当に理解できないことでした。 
いつからか、私の勉強部屋から本や雑誌が一冊ずつなくなるようになりました。そうして忘れた頃になると帰ってくるのでした。
「お、これはまた、どこへ行ったのかしら。本当に、、、」
今回は新しく買った携帯電話の説明書が見当たらなくなりました。
「お母さん。」
「また、何。何だかわからないけど、私じゃないわ。」
母は、今度はまた何だと言いました。弟も同じ反応でした。
「ボクも知らないよ。姉さん。」
母も、弟も見たことが無いと言うならば、説明書に足でもはえたのかしら。到底、理解できないことでした。仕方がないので、私はいろいろと押したり触って、試行錯誤しながら使用法を会得するしかありませんでした。
そうやって夜が深まった頃、水でも飲もうかと居間に出て行くと、おばあさんの部屋に灯りがついていました。
戸が開いていたので、そっとのぞいてみました。
「おばあちゃん。」
小さく呼んで見ましたが、おばあさんは誰が背負って行ってもわからないくらい、ぐっすり寝ていました。
「おばあちゃん、よく寝ているわね。」
蒲団をちゃんとかけてあげようと、おばあさんの部屋に入っていった私は、灯りを消して出てこようとして、偶然におばあさんの鏡台の上を見ました。私があんなに探していた携帯の説明書がそこにありました。
「あれ、これがどうしてここにあるのかしら。」
おばあちゃんもまったく、と思いながら説明書を取ろうとした私は、鼻先がじーんとしました。ノートにぎっしりと説明書を1行1行書き写しているおばあさんの文字。
認知症になったおじいさんのそばで3年の間世話をしたおばあさんは、おじいさんが自分の子供たちさえわからなくなって息を引き取った後、自分もそんなことになるのではないかといつも心配していました。
口癖のように、子供たちに醜い姿を見せたくないと言っていたおばあさん。おばあさんはいつかニュースで見た認知症予防として、夜毎この本あの本と持って行っては、文字を書きながら不安な心を鎮めていたのでした。
私は説明書をそのままにしておいて、おばあさんのしわの多い手を黙って握って見ました。明日の夕方には、おばあさんの好きな童話の本を何冊か買ってこなきゃと思いながら。
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幸福な世界 2

2015-04-22 06:10:28 | 韓で遊ぶ


親が子を思う気持ち

実家の父が、久しぶりに娘の家に来ました。
地方の小さな町に住んでいる父、孫に会いたくて慣れない町のビルディングに圧倒されながらも、娘の家に出かけてきたのです。
「わぁ。おじいちゃん。」
「あれ、家のチビちゃんたちは、みんな元気だったかい。」
母が亡くなり、定年退職までしたせいか、何ヶ月かの間に10年は老けたように見える父、私は何か食べさせてあげようと、急いで夕食の準備をしました。その間に父は、三輪車に乗るのが好きな上の子を連れて公園に行ってくると出かけました。
それから2時間ぐらいたったでしょうか。電話が鳴りました。
「もしもし。」
電話から父の慌てた声が聞こえました。子供が怪我をしてあごを4針縫ったということでした。
とても驚いた私は、そのまま電話を切ってあたふた病院に走って行きました。
あごに包帯を巻いて痛そうにしていた子供は私を見るなり泣き出しました。
「う、、、うぁ、、、うぁん、、、」
泣く子供を胸に抱いて、私は父をいきなり怒りました。
「子供に何てことしてくれたの。」
父は叱られた学生のように、うなだれたまま何も言いませんでした。
治療が終わって家に帰ってくる途中、父は三輪車を引きながら何も言いませんでした。そうやって家に来て子供を寝かせ、やっと気持ちが落ち着き父を探した時、父は荷物をまとめていました。
すっかり落とした肩を見るなり、怒りにまかせて浴びせた言葉がとても後悔されましたが、私はかばんを奪って、またそっけない言葉を言ってしまいました。
「遅くなったから、夕飯でも食べていって。」
とても後悔して、これだから娘を育てても何の甲斐もないというのではないかしらと自責しながら、すまない気持ちで夕飯を準備しました。
「夕飯、、、」
部屋の戸を開けると、どれだけ驚いたのか青白い顔で上の子の横に身をすくめたまま、力なく寝ている父、、、。
その時になってやっと父の額の傷が目に入りました。子供のあごの小さな傷にはあんなにも心を痛めながら、父の額の大きな傷に気がつかなかったダメな娘。
私は胸をなでおろして父の額に謝罪の絆創膏を貼ってやりました。気配を感じて目を開けた父が起き上がりました。
「すまないなぁ。びっくりしたろう。」
「お、、、お父さん、、、」
子供が親を思う気持ちがいくら深いといっても、親が子供を思う愛にかなう事はないということをやっと悟ったのでした。
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幸福な世界 2

2015-04-21 06:52:42 | 韓で遊ぶ


老人と海

静かな海辺の村に一人の老人が住んでいます。
老人は今日も網を整えて背負って家を出ました。老人は白内障の治療をちゃんと受けることができずに視力を失った視覚障害者です。
ですが、彼は、毎日小船を操り海に出て魚を獲りました。
漁場まで張っておいたロープに沿って船を動かして行き、失明後、何倍も鋭敏になった指先の感覚を利用して網にかかった魚の動きを読むのです。
クロソイ、鯛、コノシロなど、今日も彼が仕掛けた網には型の大きな魚が10匹以上かかりました。
老人は網の中でピチピチはねる魚を引っ張りあげました。
「やあ、やあ、じっとしていろ、お前たち、、、そんなに暴れたらまた網が破れる。」
魚がピチピチ跳ねる音を聞いて老人の顔には笑が浮かびました。
熟練した腕で暴れる魚をすくいだして、裂けた網目まで探し繕う老練な漁師でした。
老人が視力を失っても漁師としてやっていられるのは、若い息子の隠れた孝行のおかげでした。
軍から除隊したばかりの息子は、大都市に出てちゃんとした仕事をする機会をすべて捨てて、父に従って漁師になったのでした。
海を捨てることができなという父のかたい思いをあきらめさせる代わりに、絶望を乗り越えて再び立ち上がろうとした父の眼になろうと思ったのでした。
老人は、息子が海への道を見守っていてくれ、船を安全な所へうまく行くようにしてくれ、破れた網を縫っておいてくれていることをまだ知りません。
もしや、父が自信感を失ったらと思うと怖くて、影のように息を殺しながらするからです。
それだけではありません。老人が家に帰る夕方になると、丘の上の家には老人が方向を失わずに家に向かえるように、彼が好きな歌を大きな声で歌って門の外に立って待っているやさしい嫁がいます。
ふんふん一緒に歌いながら来る老人の顔には笑みで満ちています。
老人は世界で一番明るい目を持った幸せな漁師なのです。
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