退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-08-31 18:57:26 | 韓で遊ぶ


娘の笑顔を探して
生まれてから100日になる娘を乳母車に乗せて銀行に行った時のことです。子供を横においてあれこれと用を足していると、一人のおばさんが乳母車の中を覗き込んで娘に挨拶しました。
「こんにちわ。」
子供が本当にかわいいと何回か目を合わせたと思ったら、おばさんはかがんでいた腰を伸ばして、私の横を通り過ぎながら独り言を言いました。
「子供なのに、にこりともしないわね、、」
話のわからない赤ん坊に何がわかるかと、ちょっと見ただけで笑うとか笑わなとか余計なお世話よと、気分が悪いと思いました。何日か前にも笑わない娘のせいで、写真館で100日の写真を写そうと大変でした。写真館を3軒も回ったのですが、結局、娘が笑っている写真を1枚も撮ることができませんでした。しかめ顔のお姫様の写真ばかりでした。
大したことではないと、子供は元々良くは笑わないものだと自らをなぐさめて見ましたが、一方では釈然としませんでした。
「家の娘は一体なぜ笑わないのだろう。理由が何だろうか。こうしていたら一生、氷の王女と呼ばれたらどうしよう。永遠に笑わないのではないか、、、。」
怖くなって本を調べましたが、答えを見つけることができませんでした。がっかりしたあまり、実家の母と電話で話をしながら愚痴を並べました。
「お母さん、うちの子、何で笑わないんだろう。」
「ママが、毎日しかめ顔をしているのに、子供が何を見て学ぶのよ、、、、。」
母の話を聞いたときには、話にならないと思ったのですが、ある日、娘を抱いて鏡の前に立ったら驚愕しました。鏡に映った私たち母子の姿を見てふと飛び出した一言、、、。「本当に、同じだわ。」
不満いっぱいの目つきと疲労で汚れて力のない唇、、、。どうしたものか娘の顔が私とそっくりで、瓜二つでした。新米の母親たちが皆そうであるように、子供を生んで育てるということが何でこんなに大変なのか、私の顔はいつも曇っていたのでしょう。それで娘がそのしかめた表情に、そのまま似るとは、、、
「う、、、ダメだ、ダメよ。これではいけない。私がどうして、受け継ぐものがないからと、しかめた顔を受け継がせるのよ、、、。これからでも笑って暮らさなきゃ。娘を笑顔にしないと。」
そうやって考えを変えた後、子供に対する私の態度に変化の風が吹きました。いつも娘の名前を呼びながら笑顔で抱いてやりました。日常でもわざと大きく笑って、、、。笑いの天国を作ってやろうと努力したというか。
何日か後に、また銀行に行った時、今度は銀行の職員が娘にこんにちわと挨拶しました。果たして娘の反応はどうなるか気になりましたが、口を大きく開けて笑うではありませんか。天を飛ぶように気分が良かったです。
笑顔がくれる魅力、一瞬、つられて笑顔のなってしまう伝染性ではないかと思います。
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幸福な世界 9

2015-08-30 11:47:58 | 韓で遊ぶ


親切の価値
寛大で情け深い父が、自分と瓜二つの息子と一緒に靴店に行きました。息子の17歳の誕生日に合わせて、プレゼントを買ってあげるためでした。形も色も機能も多様な数百の靴を見て、息子は目をキラキラ輝かせました。息子は慎重に見てよく考えたあげく、気に入った靴を選びました。
「わぁ、かっこいい。へへへ、お父さん、これにするよ。」
「そうか、、、。あの。この靴はいくらですか。」
「35,000ウォンですが。」
客が入って来ても見たのか見ないのか、何を聞いても上の空で、、、。父は、ガムをクチャクチャかみながら斜めに座っている店員が気に障りました。
「クチャクチャ、気に入ったならば2,000ウォンぐらいはまけてあげますよ。」
店員の無礼な態度に我慢し切れなかった父が、息子に断固として言いました。
「ここから早く出て行こう。その靴を早く脱ぎなさい。」
「えっ、どうしたの、お父さん。僕はこの靴が気に入ったのに。」
息子は残念な表情をしましたが、父は後ろを振り向かないでさっさっと店の外に出て行ってしまいました。息子も素直に父の後に従いました。道に出た父子は次の通りにある靴店に入って行きました。
「あった。へへへ。」
息子はそこで少し前に見たものと同じ靴を見つけました。
「その靴がお気に召しましたか。センスがいいですね。」
若くて印象が明るい店員は、客をまめまめしく尊重しながら、きわめて正しく応対しました。
「価格は35,000ウォンです。靴に問題がありましたらいつでも持ってきてください。すぐに交感いたします。」
客に対する言葉使いや態度が親切で優しい若い店員を満足げに見ていた父は、何も言わないですぐに靴の料金を払いました。息子は靴を持って店から出てきて、父に気になることを聞きました。
「お父さん、最初の店よりも2,000ウォンも高いのに、あえてこの店で買った理由は何ですか。」
父は笑いながら答えました。
「私たちは、この店で2000ウォンでは足りないぐらいの親切を受けたんじゃないか。残りがあっても決して損はしていない。」
お金では買うことができない、お金とは比較することができない親切な微笑みの価値、、、。父と息子は靴1足を買って、お金よりも値打ちがあり、もっと大切なものを胸に抱いて家に帰っていきました。
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幸福な世界 9

2015-08-29 20:36:09 | 韓で遊ぶ


子供のように考えること
何年か前の夏、妻に絵を習う小学生が、夏休みになって我が家でキャンプをすることになりました。妻が組んでおいた日程表の通りに、子供たちは3,4人ずつ組になって合同で絵を描きました。それに続く料理の時間には、直接食べ物を作って食べて、夕方になると小川で魚とザリガニも採って、広い板の間でどれが息が長いか競ったりして楽しい時間を過ごしました。
純粋な童心に浸って、澄んだ自然に酔った、ひと夏の最後の夜の予定で、私が行ったのは、名づけて「推理劇場」でした。暗い庭で繰り広げられる薄ら寒い話に、子供たちは耳を傾けました。
「昔、昔、ある山深いところの古い家に、力が強く性格が悪い猫が住んでいました。世の中で一番価値のある宝物を守っている守護猫でした。」
夜が深まるにつれて子供たちも話には夢中になっていきました。
「怖い猫のせいで、人々は宝物を持っていくことができません。ならば本当に宝物を手に入れる方法はないのでしょうか。」
子供たちは、話の中の主人公になって、いろいろな妙案を考えました。
「僕なら、お尻で猫をびっくりさせてやる。」
核爆弾1発ならば力の強い猫もぶるぶる震えるという子供、薬で猫を眠らせるという子供、、、、各自各様の答えが出て来ました。
「だけど、そいつは、そのどんな武器とか薬も問題にしない天下無敵なんだけど、どうする。」
これだという解決策が出てこなくなると、だんだん興味をなくしていく気配でした。
「ならば猫から宝物をもらう方法はないのかな。」
「そうじゃないよ。方法はあるよ。」
言葉ではそういったものの、私もまた方法がわからずに冷や汗が流れました。
みなが悩んで答えを探していた時、一人の子供が大きな声で叫びました。
「猫と親しくなればいいじゃないか。大事な友達になったならば猫が宝物をくれるはずだ。」
ひざをポンと叩かせた明快で痛快な答えでした。
「そうだ。猫に好きになってもらうといいな。好きだという心はとても大切な宝物をもらうことができる力がある。だから君達も、いつも友達が好きだという気持ちを持っていないとダメだよ。わかったかい。」
「はぁい。」
子供たちの力強い答えが、月の明るい夜にりんりんと響きました。子供のように考えて愛する純粋な心、、、、。それが人生のすべての問題と悩みをさっぱりと解決する知恵ではないかと思います。
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幸福な世界 9

2015-08-28 10:01:24 | 韓で遊ぶ


49引く19
ある子供が、唯一引き算だけができなくて先生を困らせていました。子供はとても簡単な問題を、いつも間違えました。
「ジョン、49から19を引くといくつだ。」
「49です。」
「じゃあ、17から3を引くと。」
「17です。」
「また、間違えたね。答えは14だよ。」
「いいえ、17が正しいよ。」
先生は間違った答えを何回か正してやりましたが、子供は自分の計算がなぜ間違っているのか理解できませんでした。
「49から19を引いたら何で30なんだ。49が合っているのに、なぜ皆30だと言うんだろう、、、」
子供は苦しい心情を日記帳に書きました。偶然にその日記を見た父が、驚いて息子に聞きました。
「ジョン、お前は49引く19は49だと考えているが、、、なぜそうなのか説明できるかい。」
子供は父に自分の考えを言いました。
「それは、引くということはそれ自体がなくなるという意味だから。49と19があって、19がなくなったならば49だけが残るじゃないか。引いた数が何であっても、それだけが消えるだけ、もともとの数字はそのまま存在するのが合っていませんか。お父さん、僕の考えが間違っていますか。」
父は子供の話に心から同調しました。
「そんな深い原理が隠れていたとはわからなかったな。お父さんもお前の話が合っていると思う。だがな、すべての人がお前の様には考えないのさ。だから、互いに疎通ができるようにするために、約束を決めたのさ。数を計算する方法もひとつの約束だ。だから、ジョン、他の人といる時には49引く19は30だという約束を守ったらどうだろう。代わりにその答えが49だということを、一人ではもっと研究をしてもいい、ジョン。」
子供はやっと49引く19が30だということを受け入れました。父は子供の考えが間違っていると頭ごなしに否定しませんでした。むしろ独特な思考を尊重しました。父は思慮深い態度で子供を導き、後日イギリスを代表する思想家に育てました。
それが、正に哲学者であり政治経済学者として膨大な著述と業績を残した「ジョン スチュアート ミル」です。
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幸福な世界 9

2015-08-27 10:03:25 | 韓で遊ぶ


息子と一緒に行った中国旅行
小学校3年の息子が、いつの頃からか普段と違う行動を見せ始めました。何か言葉をかけても、ただうつむいてこて答えもしないで、学校から帰ってくると自分の部屋に閉じこもって、芋虫のように布団に包まっています。様子を見ていると胸が張り裂けるような気分でした。
「一体何が不満なの。話をしないとわからないでしょ。」
私は友達と会ったとき、息子に対する愚痴をこぼしていました。すると、みんなが、一緒に旅行することを薦めてくれました。
「そうしてみると、息子と二人きりで旅行したことが一度もないわね。そうよ、一緒に行こう。」
中国旅行のために、これ見よがしにパスポートを作って、カバンを買って、、、いよいよ空港に到着する時までも、息子はどこに行くのかさえ聞きませんでした。心の中ではあせりましたが、楽しい旅行のために我慢しました。ずっと口を閉ざしていた息子が話をし始めたのは、北京に到着してからでした。
「わぁ、中国だね。お母さん、万里の長城にも行くの。」
「ええ。」
息子の口を開かせるために、できるだけ答えは短くして、絶対に質問はしませんでした。中国に滞在している時間が過ぎるほどに、息子はおしゃべりに変っていきました。
「お母さん、本で見たのと本当にすごく違うよ。ずっと大きくて壮大だよ。道もとっても広くて、車も本当に多いよ。あ、あれを見て。僕が知っている漢字だ。わぁ、ここにはハングルで書いた看板があるよ。へへ、、、」
はじめて体験する外国旅行が新しくて興味深いからでしょうか。息子は芋虫のようにすっかり落としていた肩を広げて、羽ばたく一羽の蝶になって中国の町を闊歩しました。短かったけれど中身の濃いい旅行の最後の夜が来て、、、私は意味のある締めくくりのために、息子に紙を一枚差し出しました。
「お母さんに望むことがあったら、ここに正直に書いてちょうだい。お母さんは、あなたの気持ちが知りたいの。」
黙って紙を受け取った息子は、白い紙に黒い字で、言葉では言いにくい心のうちを表現しました。
「ごめんなさい。僕も他にやりたいことがいっぱいあるのに、お母さんがしょっちゅう勉強しろとだけ言うから辛かった。自分で勉強できるように信じて見守ってくれたらダメですか。これからは心配かけないように勉強を一生懸命やります。お母さんと一緒に来た旅行、本当に楽しかった。いつもありがとう。」
世の中のすべてのお母さんがそうであるように、子供がちゃんと育つことを願う心で、あれやこれや小言を言ったのだけれど、そんな私の行動が息子にとっては関心ではなく干渉だったのです。
息子と一緒の3泊4日の中国旅行、、、、真の教育の分かれ道で少し道を見失った私にとって、そのせいでさまよった息子にとって、互いを本当に理解することができるようにしてくれた時間でした。
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幸福な世界 9

2015-08-26 11:21:57 | 韓で遊ぶ


お義母さんと一緒なら
「おばあちゃん、耳掃除してよ。」80近い義母が、体の大きな高校生の孫の甘え声に、内々待っていましたとばかりに、足を伸ばしてあげます。毎日、夜になると繰り広げられる、ほほえましい我が家の光景です。年ほどに熟練した年輪と、年の割には意欲があふれ家族に幸福を与えてくれるお義母さん。
歳月が流れても変らない腕前で、味噌やコチジャンをおいしく作って、頭もしっかりしていて、勤勉で高齢にもかかわらず畑で作った新鮮な野菜を食べさせてくれます。
愛に満ちていて、孫の世話も良くしてくれますが、小さな動物も粗末にしないで、大事に面倒を見る優しい人が、家の義母です。
わが家には、毎日1個ずつ卵を産むニワトリが2羽います。庭の隅にレンガを積んで木の板で屋根を乗せて、、、。はたから見ると粗末な鶏小屋ですが、2羽は義母の愛を受けながら贅沢を味わっています。
雨が降れば臭いし、暑ければハエが飛んで、私の目には餌だけほしがる面倒な動物ですが、義母にとっては大事な子供以上のようです。わざわざ市場に行ってニワトリが好きな青物を拾ってきて、台所のまな板の上でトントンと、きれいに切って器に盛った餌を与えるほど熱が入っています。
「あれを見なさい。あの子達、ご飯をくれると思って見ているよ、、、本当に感心しないかい。」
「えっ、まさか、ただ見ているだけでしょ、、、。」
ただ、小さな命にも暖かく見守る義母の言葉に関心もなく答えましたが、義母が釜山の兄の家に行った次の日から、毎日毎日卵を産んでいたニワトリが、どうしたことか全く産まないのです。そんなことはないと思ったのですが、義母が家に帰った次の朝、まさかと思ったことが現実になりました。
2羽は、待っていましたとばかりにコケコッコと鳴いたと思ったら、7日ぶりに白い卵を産んだのです。
「お義母さん、お義母さん、ニワトリが卵を産みました。」
「そうかい。家のかわいいニワトリたち、苦労したね、、、、。」
誰かが偶然だと言いました。ですが、私はこの目で見て心で感じました。義母の広い愛が作り出した小さな奇跡を、、、、。
薄い胸に世の中のすべてを抱いている義母と一緒なら、日常が100倍楽しく1000倍幸福です。
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幸福な世界 9

2015-08-25 16:44:54 | 韓で遊ぶ


人生最高の贈り物
何日か後に近づいた私の誕生日のために準備したと言って、夫が列車の切符を4枚差し出しました。結婚して、はじめて迎える私の誕生日は、夫と二人だけで旅行に行きたいと思っていました。
「君の誕生日、土曜日だね。友達と楽しく旅行に行っておいで。僕が連絡をしておいたから。ホテルも予約したし、、、。」
友達との旅行が嫌だということではなく、正直、寂しいという言葉の他に言葉がありませんでした。二人だけのほのぼのとした時間を期待したので、不満そうな表情でいると夫がなぐさめて言いました。
「実は、週末に大事なことが入ったんだ。少し後に時間をとって一緒に行こう。ね、へへへ。」
私の誕生日よりも大事なことが何があると、まるで古い履物になった気分でした。
「あーぁ、、、」
列車の予約からホテルの予約まで、夫の旅行の贈り物は何一つとがめるところがありませんでした。
「あなたの、だんなさん最高だわ。どうしてこんなにまめなの。」
「あなたいいわね。うらやましいわ。うらやましい、、、。」
友達は口を揃えて褒めてくれましたが、電話ひとつない夫のせいで私の気分は最低でした。
「一体、何事で電話もないの、、、あんまりだわ。」
次の日の夕方、旅行を終えて家に帰って来ましたが、夫の姿は見えませんでした。誰かにでも傷ついた気持ちを吐き出さないと気持ちが治まらないようでした。私は田舎にすむ母に電話をかけました。
「お母さん、ひどいのよ。結婚してはじめて迎える誕生日なのに、一緒にいなきゃならないと思わない。ふぅ、、、。」
「実はだね、、、彼は、昨日、私と一緒にいたんだよ。」
私は、しばし受話器を持ったままボーっとしました。母の説明はこうでした。
「昨日、彼が連絡もなく来たんだよ。」
夫は約束もしないで急に訪ねてきて、母を立派なレストランに連れて行き、高い夕食をご馳走し、一緒に劇場にも行ったということでした。そして、母が娘の誕生日に私がいい思いをするねと言うと、急に夫がさっと立ち上がり大きな礼をしたということでした。
「お義母さん、妻のようないい人を産んでくれてありがとうございます。お義父さんもいなくて一人で大変だったでしょ。お義母さんは私に生涯最高の贈り物をくれました。だから、今日は妻ではなくお義母さんに感謝するのが正しいと思いました。妻を友達と旅行にやったことも、今日ぐらいはお義母さんとほのぼのとした時間を送りたいと思ったからでした。
そんなに深い意味があることも知らず、私は夫を恨んだ悪い妻でした。夫の純粋な愛を受ける気分は、、、何と言うか、心に春が来たという気分というかしら。
私の人生最高の贈り物が夫ならば、私の人生の最高の奇跡は夫に出会って結婚したことです。
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幸福な世界 9

2015-08-24 06:40:09 | 韓で遊ぶ


対話が必要だ
父が脳梗塞で倒れて危ないという連絡を受けたのは、父が長い教職生活を終えて1年経った、ある日でした。あたふたと駆けつけた釜山の病院で、父は生死の境をさまよいうめいていました。
あまりにも厳しくて近づきがたい人。学生たちにとってはいい先生だったのですが、家族にとっては愛情表現の下手だった父、、、、。
友達のように父との仲よくできませんでしたが、父の病気の知らせに気持ちがドスンと落ちたような気がしました。キビがらの様にからからにやつれた父を見て、涙が出ました。
「お父さん、、、ううう、、、。」
幸いにも、危ない山を越えましたが安心することはできませんでした。その上、顔と半身が固くなり日常生活が難しい状況でした。
「青春を、、、返して。私の青春を返して。」
今まで歌ったことのない歌を歌って、食べ物をくれと子供のように駄々をこねる、、、。謹厳で自信感にあふれていた父の以前の姿は、探すことができませんでした。
4ヶ月の病院生活を終えた父が家に帰って来て、うちの家族には大きな変化が起こりました。以前には対話もなく、一緒に外出することも我が家にとっては見慣れない風景でした。
ですが、父を襲った病気は、朝が来るたびに3人家族が手をとって散歩に出かける機会をくれ、一緒に運動をして、のり巻きを分けて食べる仲睦ましい時間を与えてくれました。
少し前に家族がそろったところで父が学生時代の話をしてくれました。
「オニョン、高校の時の僕のあだ名は何だったかわかるかい。ホ博士だ。ホ博士。」
「私には、ホ老人だと言ったわ。」
「あ、それは中学校の時のあだ名だ。」
他の家ならばすごく普通の対話ですが、我が家にとっては、はじめて経験した特別なものでした。互いを知っていく時間です。
中風にかかった父を見て、天を恨んだこともありました。ですが、ある時から今回のことが、天がくれた機会かもしれないと思いました。遅ればせながら、父の手を取って父に歩調を合わせて並んで歩けるようになりましたから。
父に対する愛で、より強くなっていくうちの家族、、、。そうやって暖かい気持ちだけは永遠に一緒です。
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幸福な世界 9

2015-08-23 11:52:08 | 韓で遊ぶ


幸せなメール
学校へ行こうとする娘をつかまえて小言を言ったのは、私の誕生日の朝でした。
「お前は、高3にもなるのに、なんでそんなに子供みたいなの。」
娘は一言の言い訳もしないで黙って聞いていました。私は気がすむまで小言をぶちまけました。
「ほかの人は勉強しようと明け方まで寝ないでいるのに、お前はそうやっていて大学にいけると思っているの。」
それ以上は我慢できなかったのか、悲しみに近い訴えをして、そのまま出て行ってしまいました。朝ごはんも食べないで。娘に誕生日のお祝いをしてほしかったのですが、残念ながら気まずくなってしまいました。この頃、勉強をせずに怠けてばかりいる娘の態度に腹が立って一騒ぎしたことが、午後の間、のどにひっかかったとげのように気になっていました。
「ふぅー。」
「お母さんは、そんなに私のことが信じられないの。誰よりも不安なのは私なんだから。高3だからと言って、他の子たちのお母さんは補薬を準備してくれたり、夜毎に車で迎えに来てくれたりするのに、お母さんはそうできないじゃないの。」
苦しい生活を考えて参考書も友達に借りて見ている娘が、、、、。
「苦労しているお母さんを考えると、私もしっかりと勉強をしたいのよ。」
娘が吐き出して行った言葉が、一日中、頭の中を離れませんでした。今、一番大変なのは受験生である本人でしょう。なのに、私は暮らしが苦しいという理由で、娘を暖かくつつんでやることもできませんでした。その日の夕方、家に帰ってきた娘の顔色を伺いながら、私は仲直りする機会を探していました。「ティン、トン。」と携帯電話がなりました。メールが来たのを知らせる音でした。何気なく見た携帯電話の中には鼻先をツーンさせるような気持ちがこめられていました。
「お母さん、誕生日おめでとうございます。ヒオンの友達、ヨンエより。」
その一通を始まりに携帯がなり続けました。
「お母さん、本当におめでとうございます。大好きです。ヒオンの友達、ミラより。」
そんな愛のメッセージが何と9本。娘のクラスの友達からもらった9回のお祝い、、、、。
娘が私にくれた特別な誕生日プレゼントでした。私はありがとうと言う言葉の代わりに娘をぎゅっと抱きしめてやりました。
幸福な人からは香りがするというでしょう。さわやかな草の葉のように香る娘に、私は愛し方を学びました。
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幸福な世界 9

2015-08-19 04:49:03 | 韓で遊ぶ


母のにんにく漬け
実家の母は70歳近い年で田舎で一人で農業をしています。母の唯一の楽しみは丹精こめて作った農作物を私に送ることです。遅くに生まれた一人娘を、とても大事に思う母の真心で、我が家の食卓はいつもたくさんのおかずでいっぱいです。私のように仕事をしている人には、この上なくいいことなのですが、時には面倒なこともあります。にんにく漬け事件がそうでした。
「お前たちが良く食べるからにんにく漬けを作ったけど、いつ取りにこれる。」
電話ではすぐに行くといっておいて、私は、今日明日と延ばしていました。電話で一日に何回も確認する母は、とても気をもみました。
「ヒジン、お前のお母さんが入院した。」
町内のおばさんに電話をもらって行った病院で、母は風邪と疲労で寝込んでいました。
「何ヶ月前からか、にんにく漬けを作っていて、一日中にんにくを処理していたんだけど、こんな病気にもなるさ、、、」
母のその間の状況を語ってくれるおばさんの言葉、、、。ありがたいというよりも先に心が痛んで、のどが詰まりました。
その日の夕方、私は母の家に行きました。必要なものをいくつか整えて急いで帰るつもりだったのですが、縁側にきちんと置かれているたくさんのガラスの瓶に視線が行きました。
「これ、皆、何なの。」私は独り言を言いました。1年食べても十分に残るぐらい位のたくさんの量のにんにく漬けが、ガラスの瓶に漬けられていました。瓶ごとに名前札がついていました。
「漬けた日、、、食べる日。」漬けた日と食べられるようになる時期が書いてあり、一種の品名だったのです。
指先がひりひりするほどに、このたくさんのにんにくの皮をむいて洗って漬けた母、、、。子供が食べると思うと辛いこともわからないのでしょう。
辛いにんにくのにおいが胸をえぐるように痛く押し寄せました。
「母さん、ごめんね。ううう、、。」
母さんの気持ちを軽く考えたいたのを恥ずかしく思いました。
辛いにおいが消えて、いい匂いの甘い味が出てくる母のにんにく漬け、、、。その強い愛に甘い幸福を味わっています。
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