8月15日(水)柳橋事務所で14時より迎え盆をした。
8月初めに学生時代同期のアイスマンからメールがきた。
「お盆にあいつの墓参りして一杯飲もう」
私は返信した。
「墓参りより、お盆なので墓にいるよりも我々で迎えてあげよう」
同じく同期のボディー・ボーマンも誘った。
学生時代同期が亡くなって二度目のお盆が巡った。
61歳独身のまま食道癌で旅立ち、2010年6月25日が命日。
酒豪だった彼が初富の墓で寂しく墓石に置かれた杯に注がれる
酸っぱい酒飲むよりも、外出して仲間と飲ませたい。
両親既に同じ墓に同居、この世の家は既にないので
盆に帰るとしたら私と一緒に仕事した柳橋事務所で迎えてあげたかった。
亡くなったあいつの妹様からも「兄が生前住んでいたマンションが火災被害に遭い、その後経過を聞いてきた」
15日に迎え盆をすると伝えたところ「是非参加したい」との言葉。
ところで前述のカタカナ名はニックネーム。
アイスマンは別称で昨年まで「アイズ、マン」の社名で商売をしていた。
自分の日本名を英語風に加工したのだ。
最近又、本名で商売を再開した。
本名が社名になったのであだ名で呼ぶことにした。
20年前 ヨーロッパアルプスで氷河から五千年前の冷凍遺体が発見された。
世界的に貴重な冷凍遺体はアイスマンと呼ばれている。
骨と皮だけ、色黒い写真を見た時、咄嗟に思い浮かんだのが彼だった。
彼は5年程前 胃癌になり胃を少し切除した。
そのため、痩せだして現在は中学校の理科室にある
骨格標本のごとき体になってしまった。
しかし、今でも酒は大量に飲み、胃袋ないからそのまま通過する。
煙草もスパスパ!
もう一人 ボディー・ボーマンは昨年 帯状疱疹になった。
ストレスからなる病らしいが本人は○○○士という自営業をしているが
ストレスはなかった。
治ったらしいが、右腹が大きく膨満したのだ。
病院に相談したが「別に異常はないと言われた」
女性看護士が膨れた腹を見て「ぷっ!」と笑いをこらえるらしい。
腹の膨満は少しずつ減少しているらしい。
別名 ボディー・ボーマン(腹ボテ、腹膨満)
プロレスラーのハルク・ホーガンとはおよそ似ていないが
尚、彼ら二人からニックネームを無許可で作ったが
了承は得ていない。
不服申し立てがあれば、速やかに修正、削除を行う用意あり。
最も、他人のニックネームとやかく言える立場ではない。
私も西瓜的老板という中国名のあだ名が付けられていて
腹が西瓜のように出ている。
諺 「鵜の黒さをあざ笑うカラス」
自分の黒さを忘れて他人をコケにする、バカにする。
自戒する。
午後2時 ボディー・ボーマン、アイスマンがそれぞれ酒持ってやってきた。
息子がつまみの用意をしてくれた。
午後3時、埼玉県入間市から彼の妹さんが酒の肴を持ってきた。
亡くなったあいつの合気道部同期からも電話でメッセージをもらった。
神田川と隅田川の合流点、屋形船、クルージング船が行き交い
正面にはスカイツリーが見える窓辺で迎え盆の飲み会は開かれた。
神田川の柳橋を渡った真向かいは料亭亀清楼
先日の毎日新聞のコラムにジャーナリスト牧太郎が書いた。
初代総理、伊藤博文がこの料亭で寝泊りして湯屋に出かけた。
佐藤栄作初め大物政治家が使った料亭。
だが、今は寂れて料亭も柳橋芸者もいない。
料理とは格段の差があるがビール、日本酒には殆ど格差はない。
眺望としては弊社の窓辺が、より優っている。
オジサン達の古い思い出話は擦り切れそうなテープレコーダーのごとき
同じ話は繰り返される。
室内はクーラーだが、窓を少し開け、彼が入って来られるようにと
涼しい川風を通過させた。
私にとって彼の早すぎる死は衝撃だった。
51歳で脳腫瘍により亡くなった山岳部同期が再来したようだった。
その親友も寡黙だったが、さりげない優しさがあった。
その死から10年経って私の傍に来たのが彼だった。
やはり寡黙だったが静かな思いやりがあった。
病状が深刻化していた春
しゃべることの出来ない彼からメールが来た。
「負けるな孤高のアルピニスト、上を見たらきりがない、起き上がりこぼしのお前だ」
余命旦夕迫った日々の中で、私への励ましメールに耐えられなかった。
私が九段スズキ本店 長野に騙されて苦境にあった時だ。
刻一刻迫る死の中で私を元気づけたのだ。
ケアマネジャーの女性が私に顔を背け呟いた。
「夏になる前までの命です」
19時、スカイツリーにLEDライト照明が青く煌いた。
19時半、あいつも初富の墓地に戻り
私たちも饗宴を閉じグリーンライトの柳橋渡りそれぞれの自宅に帰った。