2月6日(水)前日の天気予報では朝から大雪だと言った。
八王子から通う女性には、交通網の混乱があるので
出勤しなくてもOKと言ってあった。
しかし 予報は外れた。
女性が来られない場合を想定して
前夜 モツ鍋を仕込んだ。
私が調理しなかったので出来栄えは良かった。
食べた後、池尻大橋に向かった。
14時 病院正面 会計清算窓口の長椅子に妻が座っていた。
電車乗車中、妻からメールを受け取っていた。
「診察終わり。
異常なしで 腫瘍マーカーも正常だった。 良かった」!
先月の検査で子宮頸癌再発の可能性を指摘された。
昨日 MR検査した。
今日はその診断結果を聞いた。
2年前 放射線治療をした。
それから3年目に入るところだった。
2年の経年が一番再発する恐れがあった。
妻はこの一ヶ月、気持ちが落ち込んでいた。
手術と抗癌剤の使用と入院、髪が抜ける心配をしていた。
ひとまず、安心したが
5年経過しないと完治したことにならず
後3年通院しなければならない。
妻の体調を思い、池尻大橋から自宅に帰させた。
私は246号線を渋谷方向に向かった。
1月半ばまでお袋は池尻に入院していた。ここからから転院した病院へ行く。
緩い坂道を5分ほど歩くと
上目黒氷川神社の急峻石段があった。
雨水が乾ききらない石段を登った。
社の鈴鳴らし、うろ覚えの「二礼二拍一礼」した。
妻の快復とお袋の安らかな生活を祈願した。
左折して山手通りを歩く
病院らしくない病院に着いた。
大理石の床 フロントでお袋の氏名
訪問者名を記入、名札をぶら下げ
二階に上がった。
4人部屋の一番手前、右側ベッドでまどんろんでいた。
気配を感じて目を開けた。
聞き取れない声を出したが、理解した。
おでこの湿布を貼り替えた。
終わると又お袋はお腹を指した。
お腹の湿布も貼り替えた。
更に胸上を指した。
胸の湿布も貼り替えた。
看護士呼び出しブザーを指さす。
渡すと、押した。
看護士が飛んで来て、痰の吸引をした。
終わると、私におでこの湿布の貼り替えをせがんだ。
貼り替えたことを直ぐに忘れたのだ。
レントゲン撮影で見ると
脳が小さくなっているのだ。
認知症が進んでいる。
16時 遺漏で食事が出来ないので
看護士さんが 点滴の準備をしたところで
病院を出た。
寒気厳しい松涛の住宅地を抜けて渋谷駅に向かった。
18時に石川県山中からお客様が来社する。
松涛にお住まいの元総理は、先頃
延命治療はいらないから、さっさと死なしてくれと言った。
気持ちは分かるなー!