3月2日(水)
診療所で痛風の薬を受け取り、柳橋事務所に11時に着いた。
妻の診察は11時半だ。
事務所に書類一式を置いて、都営新宿線 東日本橋駅から乗車。
神保町で半蔵門に乗り換える。
乗って直ぐに 妻からメール。
11時26分「今 終わった」
今日が5年間の治療経過の最終判断を医師が下す。
車内で回想する。
長かった!
2010年10月
妻の子宮頸癌発症の知らせが健診を受けた病院から連絡があった。
指定病院で癌発症を告知された。
「ご自分で、大きな病院を探して治療をしてください」
冷たい告知であった。
息子は叔母さんに連絡した。
「千葉県内で治療できる病院を教えて」
叔母さんは言った。
「遠いけど、うちに来なさい」
直ぐに集中的検査を2日間でした。
婦人科部長から、治療方法について
三つ提示された。
① 手術
② 抗癌剤治療
③ 放射線治療
放射線治療を選択した。
それから、45日間 定期券を購入して
土日を除き、船橋から池尻大橋駅まで
放射線治療で通った。
駒沢の国立医療センターにある
特別な放射線機械があり、交互に放射線治療をした。
2010年12月末
駒沢国立医療センターで
小線源治療で6日間入院した。
地下の手術室前 廊下の長椅子でじっとしていた。
医師と看護師、技師が無言で室内の出入りを繰り返していた。
待つのは私 一人。
アメージンググレイスの曲が、暖房が効いていない
冷たい廊下に流れ、祈りと慈しみメロディーは悲しい。
その時から 5年が経った。
11時40分 病院に着いた。
妻は正面入り口の長椅子に座っていた。
院内廊下 長椅子は患者でギッシリ。
「終わったか」
「それがね 99%大丈夫だけど
念のために7月にもう一度検査することになったの」
チョット がっかりだが安堵した。
病院を出た。
正面玄関に向かって一礼した。
来年には老朽化した病院は更地になり
近くに新築移転する。
昨年 3月 義妹は定年退職した。
副院長兼看護部長をしていた。
義妹に感謝!
昼飯を食べることにした。
「あの中華はダメよ」
私達は246号線の坂道を
渋谷方向に歩いて行った。