馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

朝10時 魚寅に並ぶオジサン達。

2016-03-06 17:13:27 | 日記

3月3日(木)

朝 10時 錦糸町で下りて駅前対面魚寅へ。

閉じられたシャッター前には、中年オジサン二人が

並んでいる。

姿格好からして、一般人購入客には見えない。

マグロブツの注文量が違う。

キロ単位での購入で金額も一万円を越える。

食堂、居酒屋の店主のようだ。

バイク、自転車に乗り去った。

夕方は一般客が行列する。

料理屋にとっても、市場で仕入れるより

はるかに廉価、上質で少量仕入れはお徳である。

私等は300グラム810円で購入。

好物のホヤも買った。

定食屋では、60グラムのマグロ丼が

1000円で食べられる。

原価率2割。

国道14号を歩き柳橋事務所に10時40分着く。

 

本日のランチ

マグロユッケ丼

若布、豆腐、油揚げ、キャベツ入り味噌汁

ホヤ酢。


92歳のお袋が過ごす介護病院へ。

2016-03-06 16:40:51 | 日記

3月2日(水)

13時 フランス田舎料理を食べた後

近くの介護病院に向かった。

3階の部屋にお袋は車椅子に座り

計算ドリル帳とにらめっこしていた。

 

私達を見上げ「ありがとう」

妻がティッシュで、そっとヨダレをふき取ってあげる。

ベッドに戻りたいと言う。

「もう少し待って 横になってばかりだと良くない」

三十分ほど、噛みあわない会話をする。

 

私が失職して2歳の息子、0歳の娘を抱えて

実家に戻った。

親父とお袋は

私達家族を黙って養ってくれたのだ。

 

妻も黙って懸命に支えてくれた。

その二人が病になった。

何も出来ないダメ亭主。

お袋と妻に感謝です。

そして、義妹にも感謝。

 14時 病院を出て道玄坂を下る。

途中にクレープの店があった。

 

タピオカがあり、台湾風のテイクアウトの店。

店員も台湾の女の子。

先に食べたガレットの店では、テイクアウトがなかったので

ここで事務所に持ち帰り用に買った。

渋谷 クレープの店


アイビーが覆う館で、フランス田舎料理を食べる。

2016-03-05 17:20:13 | 日記

3月2日(水)

大学病院を出て、246号線を渋谷に向かった。

 

 

たまには、しゃれたランチでも食べよう。

246号線を左折して山手通りを歩く。

お袋がいる介護病院近くまで来た。

松涛の坂道を下る。

 

お袋の見舞いの帰りに通る道沿いのレストランに入ることにした。

 

 

宵闇に、若いカップルが寄り添うカウンター席に

老夫婦が入るのは勇気がいる。

昼間なら大丈夫だろうと思ったのだ?

 

目指した小さなイタリアンの店は閉じられていた。

案内表示には、ランチタイムと書かれているのだが

12時13分

アイビーが壁を覆う建物に向かう。

仕方ない、3年前に妻娘で入ったフランス田舎料理の店に入った。

 

 

満席なので外で少し待った。

店内は若い女性ばかり。

窓側のカウンター席に案内される。

 

セットメニューを注文。

妻のガレットはハムチーズ、チョコレートクレープ、コーヒー

 

  

私はトマト卵 バター砂糖レモンクレープ

 

飲物は忍者ラガー。

このビールブランド名は忍者なのに ベルギー産。

 

ベルギービールは旨いはずなのだが

炭酸が抜けてビールらしくない。

そば粉を使った食べ物は 日本のもんじゃ焼きみたいなもの。

濃厚で美味しい。

クレープも濃厚だ。

テイクアウトはNOだ。

 

妻は食べきれずクレープを半分くれた。

私が物足りなそうにしていたのが分かったのだ。

(後で 腹減ってカップヌードルを事務所で食べた)

12時50分店を出た。

店内の女性客はおしゃべりに夢中。

私達より先に入ったのだが

テーブルに料理はないが席を立たない。

外で待っていたカップル達は諦めたようだ。

 

古い話だが 武道館近くでレストランを経営していた先輩の店。

飲んでいた時、武道館ライブが終わり

女の子達がレストランに入ろうとした。

私は出ようとした。

先輩が言った。

「そのまま いてくれ」

「女の子達が入ると飲み物だけで閉店までいる」

「商売にならない」

 

中年紳士と女の子のカップルでないと

売上は上がらない。

同感!

バブルはじけて、経費使えないサラリーマン幹部。

今では、よれよれのスーツで立ち飲みだ。

 

13時 お袋が待つ介護病院に向かった。

 


子宮頸癌治療 5年経過 最終判断。

2016-03-04 17:26:42 | 日記

3月2日(水)

診療所で痛風の薬を受け取り、柳橋事務所に11時に着いた。

 妻の診察は11時半だ。

事務所に書類一式を置いて、都営新宿線 東日本橋駅から乗車。

神保町で半蔵門に乗り換える。

乗って直ぐに 妻からメール。

11時26分「今 終わった」

今日が5年間の治療経過の最終判断を医師が下す。

 

車内で回想する。

長かった!

2010年10月

妻の子宮頸癌発症の知らせが健診を受けた病院から連絡があった。

指定病院で癌発症を告知された。

「ご自分で、大きな病院を探して治療をしてください」

冷たい告知であった。

 

息子は叔母さんに連絡した。

「千葉県内で治療できる病院を教えて」

叔母さんは言った。

「遠いけど、うちに来なさい」

直ぐに集中的検査を2日間でした。

婦人科部長から、治療方法について

三つ提示された。

①     手術

②    抗癌剤治療

③    放射線治療

放射線治療を選択した。

 

それから、45日間 定期券を購入して

土日を除き、船橋から池尻大橋駅まで

放射線治療で通った。

駒沢の国立医療センターにある

特別な放射線機械があり、交互に放射線治療をした。

2010年12月末

駒沢国立医療センターで

小線源治療で6日間入院した。

 

 

地下の手術室前 廊下の長椅子でじっとしていた。

医師と看護師、技師が無言で室内の出入りを繰り返していた。

待つのは私 一人。

アメージンググレイスの曲が、暖房が効いていない

冷たい廊下に流れ、祈りと慈しみメロディーは悲しい。

 

 

その時から 5年が経った。

11時40分 病院に着いた。

 

妻は正面入り口の長椅子に座っていた。

院内廊下 長椅子は患者でギッシリ。

 

「終わったか」

「それがね 99%大丈夫だけど

念のために7月にもう一度検査することになったの」

 

チョット がっかりだが安堵した。

 

病院を出た。

正面玄関に向かって一礼した。

来年には老朽化した病院は更地になり

近くに新築移転する。

昨年 3月 義妹は定年退職した。

副院長兼看護部長をしていた。

義妹に感謝!

 

昼飯を食べることにした。

「あの中華はダメよ」

 

 

私達は246号線の坂道を

渋谷方向に歩いて行った。

 

 

 

 


朝 診療所から電話 痛風。

2016-03-03 20:12:14 | 日記

3月2日(水)

朝9時 自宅の電話が鳴った。

自宅電話が鳴ることは殆んどない。

妻が「昨日の朝も鳴っていたが、怪しいので取らなかった」と言う。

受話器を取り「ハイ!」とだけ言う。

「もしもし、診療所です」

看護婦さんからだ。

「あなた、尿酸値が10.8よ」

「基準値を大幅に越えています」

先週 血液検査した。

 

その結果を知らせくれた。

 

今日はこれから、妻の癌検査結果を訊き行くのだ。

急遽、診療所に向かう。

妻は池尻大橋駅まで向かう。

 

診療所は待ち客がいた。

先週は一人もいなかったのだが!

 

老先生 「あんた、このまま放置すると痛風発作が起きるよ」

「新薬が出たから、飲みなさい」

7年前 激痛で治療してもらったのが

診療所との付き合いだった。

 

老先生 「飲み過ぎ 食べ過ぎだよ」

診療所の細道を駅に向かう通りは

居酒屋通り。

宵闇に素通りは困難、無視出来ぬ。

 

妻からは「内臓系の食べ物ばかり食べているからよ」

 

せっかく、前立腺肥大の薬が不整脈を生じるので

服用を止めたばかりなのに。

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/d6afefea76bdc2034c97f41fd5933bd9

 

60過ぎて 心身に無傷で健康なんて男は

それ自体が異常なことだ。

それを自慢するような奴とは付き合いたくない。

全然 面白くない。

 

雄は闘争本能があるので

無傷ではいられないのだ。

 

11時半までに池尻大橋まで行かねばならない。

10時半 走って駅に向かう。

 

続く。