こんばんは。
朝のうちは日も射していましたが午後辺りから段々と雲が多くなりました。
今夜以降、台風の動きによっては雨が降り出すかもしれません。






今日も車を借り出してお祓いに伺いました。
明日は朝早い会社のお祓いがありますので今日明日と車は戻さず、連続で借り出しております。
そんな今朝、月曜日の朝ということもあり車屋さんへ行くまでのバスが渋滞で進まないかも?と思っていましたがそれほどでもなく
7:32の始発に乗ると8時過ぎには着きましたね。(片道わずか3,4キロですが;)
渋滞が激しい時には1時間近く掛かることもあるのですが、コロナ禍以降、出勤する車自体が全体的に減っているのかもしれません。
良いような気もしますが、どうなんでしょうかね;。
さて車に乗り込み参らせて頂いたのは広島市でも北部に当たる地です。
此方のお宅はおそらく平成3,4年頃から参らせて頂いているのではと思います。
それだけお互い歳を重ねている訳で、いつも応対して下さる方は既に80を越えておられます。
けれどまだ矍鑠たるもので、さすがに車の運転は3年ほど前にお止めになりましたが、耳も良く聞こえておられ、お話も多少くどい;
ところはありますが、まだまだ現役そのものという感じですね。(そこまでは;)
なんにせよ、二人して他愛ない話をしてお暇させて頂きました。

その後は帰路にあるスーパーへ寄り、またもやお弁当を買って車で食べます。
家に戻らないのかというところですが、帰る前にまたもう一軒行くところがありましたのでね。
以前は此方のお宅も信者さんとしてお祓いに伺っておりましたが、こちらのご主人というかおじいちゃんがおられなくなり、おばあ
ちゃんお一人になると、なんとなく縁遠くなってしまいまして。
それでもその後に時折こうしてお顔を拝見させて頂きに参っております。
息子さん、と言っても私よりちょうど10歳年上の方が毎日此方のご実家に戻られ、日々畑やら田んぼやら、またこのお母さんのお世話
をしておられるようです。
当然息子さんにはちゃんとおありですしご夫婦仲も決して悪い訳ではありません。
昔からこの方、Aさんとすれば、Aさんご自身が何かとご実家へ戻ってはこうしてなんやかやとされるのがご自分の役目と思って
おられるようです。
後一つは、母屋の隣にある納屋の二階にご自分専用のオーディオルームを作っておられ、そこで日々様々な音楽を聴くのがご趣味の
ようですしね。
今日も参ると、その二階からとても素敵なサウンドが響いておられました。
どうやら今ではなかなかお目に掛かれない大きなスピーカーを設置しておられるようです。
街中のご自宅では置く場所も、またその音自体もなかなか許されないでしょうし、山に囲まれたほぼ一軒家のようなそちらなら
どのように音を出そうととやかく言う人もいないでしょうしね。
御歳94歳になるというおばあちゃん、最近のことはつい2,3時間前のことなどすぐ忘れてしまわれるようですが、かなり昔のお話は
鮮明に覚えておられます。
今日も広島の原爆投下の当日のお話を聞かせて下さいました。
広島市内から此方までは直線距離で20キロ程ありますが、その道を原爆を受けた人々が大勢身体に火傷を負いながらも、その身体で
その道を歩いて戻っていたと言います。
そのお世話、看病をするのにその頃女学生であったおばあちゃん達は駆り出され、呻くばかりの人々を介抱しておられたようです。
とてつもなく大きな爆音と白いキノコ雲がもくもくと湧くのが見え、後日あれが新型爆弾だったんだと聞いたと話しておられました。
生々しいようなお話ですが、それが当時の現実であったのだと思います。
このような話は聞かせて頂ける時に聞いておかねば、段々と忘れ去られていく事に感じますね。
今も世界の各地で戦火は絶えませんが、このようなことを聞くにつけ、やはり争うことはしてはならないとそれを強く思うところです。
そんなお話をお伺いして後、Aさんが畑から山ほどオクラを取って来て下さいました。
更には小ぶりですがずっしりと重いスイカも。
それらをお土産に、どうかお元気でおられてくださいねとお暇させて頂きました。

(この空は朝です 午後からはどんよりムシムシでした;)
その帰り道、今度はうちのネコやら外のネコらの餌を買いにホームセンターへ立ち寄り、買い物を済ませて来ました。
やはり車があると便利だよねぇとつくづく感じますね。
明日は朝には雨かも知れませんがなんとか無事会社へ辿り着けるよう、願っておきたいものです。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝のうちは日も射していましたが午後辺りから段々と雲が多くなりました。
今夜以降、台風の動きによっては雨が降り出すかもしれません。






今日も車を借り出してお祓いに伺いました。
明日は朝早い会社のお祓いがありますので今日明日と車は戻さず、連続で借り出しております。
そんな今朝、月曜日の朝ということもあり車屋さんへ行くまでのバスが渋滞で進まないかも?と思っていましたがそれほどでもなく
7:32の始発に乗ると8時過ぎには着きましたね。(片道わずか3,4キロですが;)
渋滞が激しい時には1時間近く掛かることもあるのですが、コロナ禍以降、出勤する車自体が全体的に減っているのかもしれません。
良いような気もしますが、どうなんでしょうかね;。
さて車に乗り込み参らせて頂いたのは広島市でも北部に当たる地です。
此方のお宅はおそらく平成3,4年頃から参らせて頂いているのではと思います。
それだけお互い歳を重ねている訳で、いつも応対して下さる方は既に80を越えておられます。
けれどまだ矍鑠たるもので、さすがに車の運転は3年ほど前にお止めになりましたが、耳も良く聞こえておられ、お話も多少くどい;
ところはありますが、まだまだ現役そのものという感じですね。(そこまでは;)
なんにせよ、二人して他愛ない話をしてお暇させて頂きました。

その後は帰路にあるスーパーへ寄り、またもやお弁当を買って車で食べます。
家に戻らないのかというところですが、帰る前にまたもう一軒行くところがありましたのでね。
以前は此方のお宅も信者さんとしてお祓いに伺っておりましたが、こちらのご主人というかおじいちゃんがおられなくなり、おばあ
ちゃんお一人になると、なんとなく縁遠くなってしまいまして。
それでもその後に時折こうしてお顔を拝見させて頂きに参っております。
息子さん、と言っても私よりちょうど10歳年上の方が毎日此方のご実家に戻られ、日々畑やら田んぼやら、またこのお母さんのお世話
をしておられるようです。
当然息子さんにはちゃんとおありですしご夫婦仲も決して悪い訳ではありません。
昔からこの方、Aさんとすれば、Aさんご自身が何かとご実家へ戻ってはこうしてなんやかやとされるのがご自分の役目と思って
おられるようです。
後一つは、母屋の隣にある納屋の二階にご自分専用のオーディオルームを作っておられ、そこで日々様々な音楽を聴くのがご趣味の
ようですしね。
今日も参ると、その二階からとても素敵なサウンドが響いておられました。
どうやら今ではなかなかお目に掛かれない大きなスピーカーを設置しておられるようです。
街中のご自宅では置く場所も、またその音自体もなかなか許されないでしょうし、山に囲まれたほぼ一軒家のようなそちらなら
どのように音を出そうととやかく言う人もいないでしょうしね。
御歳94歳になるというおばあちゃん、最近のことはつい2,3時間前のことなどすぐ忘れてしまわれるようですが、かなり昔のお話は
鮮明に覚えておられます。
今日も広島の原爆投下の当日のお話を聞かせて下さいました。
広島市内から此方までは直線距離で20キロ程ありますが、その道を原爆を受けた人々が大勢身体に火傷を負いながらも、その身体で
その道を歩いて戻っていたと言います。
そのお世話、看病をするのにその頃女学生であったおばあちゃん達は駆り出され、呻くばかりの人々を介抱しておられたようです。
とてつもなく大きな爆音と白いキノコ雲がもくもくと湧くのが見え、後日あれが新型爆弾だったんだと聞いたと話しておられました。
生々しいようなお話ですが、それが当時の現実であったのだと思います。
このような話は聞かせて頂ける時に聞いておかねば、段々と忘れ去られていく事に感じますね。
今も世界の各地で戦火は絶えませんが、このようなことを聞くにつけ、やはり争うことはしてはならないとそれを強く思うところです。
そんなお話をお伺いして後、Aさんが畑から山ほどオクラを取って来て下さいました。
更には小ぶりですがずっしりと重いスイカも。
それらをお土産に、どうかお元気でおられてくださいねとお暇させて頂きました。

(この空は朝です 午後からはどんよりムシムシでした;)
その帰り道、今度はうちのネコやら外のネコらの餌を買いにホームセンターへ立ち寄り、買い物を済ませて来ました。
やはり車があると便利だよねぇとつくづく感じますね。
明日は朝には雨かも知れませんがなんとか無事会社へ辿り着けるよう、願っておきたいものです。




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。