引っ越しの途中、滞在した京都のホテルで、
書類を書くからと部屋を追い出され、
ロビーで待ってる時に時間つぶしに横の池のコイを眺めながら、
ぱらりとページをめくったが最後、引き込まれて用事も終わったのにまだ読んでる。
呼び出されても、(きの)「今話が佳境に入った」 戻ってくる気配なし。
手に持って行ける本は1冊だけだったので、
家にあって今まで読んだことない本を選んだ。
裏に亡き父のメモを発見。
まるでこれ面白いよと勧めてくれているようで、思わず笑ってしまった。
語り口は、ノーベル賞の人よりきれいだと個人的には思う。
筋の通った小父さんたちが多くて、読んでて気分が良い。
昔に書かれた本を、どうしてこうもすらすらと読めるのか不思議だ。
作者が、元新聞記者だからだろうか。
昔むかし、あるところにではなくて、
明治三十七年八月二十九日の夕方、午後三時頃に満州の楊家店という村で、と
きっちり書いてある。
しかも、出てくる人がみんな自分の秘密をべらべらと見知らぬ人に喋り、
話を聞いた役人も「なるほど、そうだったのか」といたく納得。って、
なぜすんなり信じるの!?大ウソつきかもしれないじゃないか。
途中の話で突然「真犯人は〇〇」って、いきなり推理小説の流れになってしまった。
しかも犯人(?)が・・・うぅ不潔。
確かに理論上そうかもしれませんが、それまでの駆け落ちの美しい話どうしたんですか!?
その青白い男の人しばらくどこ行って何してたんでしょうか!?
こうなったら気になるので、半七捕り物帳シリーズも読まなければならない。
恐ろしくも美しい江戸の情緒と、人々の交わりが織りなす模様を書いたこの粋な人は、
その後の日本がどうなったのか知らない。
100年経って自分の本が読まれていることも。
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