きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

塩山の温泉もある意味すごかったが、インパクトはなかった

2018-04-14 16:07:01 | 旅行
 高校の頃、山梨の温泉に親戚一同で行ったことがある。
なんでも、おばあちゃんがおじいちゃんと出会った思い出の温泉らしくて、
総勢10人で、何十回目かの誕生日をそこで祝った。
 
 学校帰りに特急に乗って行ってみたら、ものすごい山の中で、
あまりロマンチックな場所ではなかった。
古い日本家屋の旅館を当日貸し切ったそうなので、
うちの親戚の他には誰もいない。
何かが特にすごく嫌だという訳でもないが、
微妙に不安な要素がいくつかあった。
 
 
 不安要素①  宿の中1ぐらいの息子が、電話の子機を持って宿の中をうろついている。
出始めの携帯片手の業界人のように、これ見よがしにその子機で喋って見せたりするのだが、本当に通じているのか。
懐疑的なイトコと話し合った。
宿の予約を受けていたのではないかと今では思うのだが、
当時はだんだん偏執的な人物に見えてきて、
同年代だが、うちとけられそうになかった。
 
②  薄暗い和風旅館の宿中に、麗子像のようなタッチの肖像画みたいな油絵がいっぱい飾られている。
すべてに女将さんらしき人のサイン入り。
 
③  9月だったので、短いズボンとサンダル履きで行ったら、
宿の人が「寒いでしょう~」と言ってくる。
別に寒くないので、「寒くない」と言っても聞かない。
寒いでしょう~寒いでしょう~と言いながら、
宿の名前を書いた羽織を着せてこようとする。
いらないので断ったら、羽織を広げて追いかけてくる。
その羽織を着たら、もうこの宿から出られなくなるんじゃないのか?
という予感がして、逃げ続けた。
 
④  布団がかび臭い。
おばあちゃんは若い時、肺の療養でここに来たらしいが、
こんなところで湯治をしたら、もっと悪くなるのでは??
山だから湿気るのか。
とにかく濁った風呂も何もかもヌルヌルで、座布団の上から一歩も動けない。
 
⑤  どこかのお爺さんが行方不明になったという貼り紙が、
広告のように近所の電柱に貼ってあった。
日付は数か月前のゴールデンウィーク。
「その日付では生きて見つかる望みは薄いのでは」というようなことを
父が言い、
人が行方不明になっても見つからない山の深さを思って怖くなった。
ここの住民はそういう日常と生きているんだ、
都会とは違った理(ことわり)の世界に入ってきてしまったんだ、
という気がした。
そんな事件が起こっているのに、ちらっと貼り紙を見て楽しく誕生日を祝って、
翌日に帰っていいのか。
 
誰かが行方不明となっているのに。
 
 じゃあどうしろっていうんだ、あれでもさんざん探した後なんだぞ
という意見も、もっともだが、望み薄だとわかっていながら張り続ける思いや、じゃあ見つからないなら剥がそうかなんて、誰にも言い出せないだろうことも、
心の底からよくわかった。
まったくの他人の、1枚の紙にかなり揺さぶられた。
 
⑥  まだある。夜半に暴風雨。裏手は山。
とどめにNHK特集で、なぜか「地滑り」の詳細なメカニズムについてやっていたから、
もう誰も安心して眠ることはできない。
叔父などは、自分が窓際に横になり、
来たるべき土砂から妻子を守る覚悟で起きていたらしい。
なぜおばあちゃんの誕生会で、このような目に遭わなければいけないのか。
 
 朝になったら、ウソのように晴れ、
その温泉が今度できるダムに沈むことを知った。
いくら腐海のような宿だからって、
経済成長の波にのまれてもいいとは思わない。
 
考えた末、宿帳に一言、「また来る」と書いた。
 
 後で知ったが、古い有名な温泉らしい。
今は、移転してダムの近くの新築でやっているそうだ。
移転したら、源泉はどうなるのだろう??
オーナーは、今は息子さんだろうか。
 
朝食の鳥ミンチと卵の黄身を丸めてどうにかした雑炊は
おいしかった。
 
 イトコは何十年経っても未だに言う、
「いや~塩山はスゴかったね」と。
おばあちゃんの思い出話のついでに。

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