話は年末にさかのぼる。出かけようとして結果的に交通事故のすぐ近くにいて、一日中そのことを考え続ける。どっちから来たのかとか、どうしてすぐ近くで何も音がしなかったのかとか。
あの時バス停で待っていたら、サイレンを鳴らした車両がいっぱいあつまって来たが、何で来たのかわからない上にバスが来たので乗ったがすぐ止まってしまい動かない。そのうちドアを開けて乗客を無賃で降ろし始めた。さっきバス停に向かって歩いて来た道だ。何もなかったのに。
交通整理の警官がバスに近づいてきて運転手に(警察)「この交差点の7/11の駐車場を横切れますか?」(運転手)「やってみます」バスが狭いコンビニの駐車場に乗り入れ、何とか交差点を曲がった先に出た。とっさの判断で素晴らしいが、曲がり切れなかったらどうするつもりだったのか。通り過ぎる時に横倒しになった車を見た。死亡事故だったらしい。
年末恒例クリスマスの全世界慈愛募金。いつもは動物愛護だが今年はちょっと趣向を変えて交通安全を探してみようかな。交通安全と言えば警察だが、OBの天下り組織だったりすると残念だ。すると「やちまた」という京都の神社庁がやっている交通安全の組合のようなもののページを発見した。代表は松尾大社。毎年有志が集まって当番の神社でお祓いしたり、遺族の奨学金を援助したり予防したりしているらしい。ここにしてみようかな。しかし、募金はどこでやっているのだろう。振り込みは実感がわかないが、松尾大社は遠い。
主な活動は(HP)「毎年春分の日と秋分の日にやちまたキャラバン隊を結成。宣伝カーと幟を背負った会員が市内を練り歩く」それにどうやって遭遇するのか。あとは青年会がやってる有名神社のイベント時に募金を募る活動だ。そして記念ステッカーをくれるらしい。黒に緑で不敵な笑みの2人の神様。まわりに飛び交う人魂。どうしてこんなデザインにしたのだ。
北野天満宮や吉田神社、松尾大社などにイベント時に現れるらしい。1/25の北野は用事があった。2/3の吉田神社に行ってみようかな。いつか行った中央図書館の展示コーナーの案内係の婆さんも節分の吉田神社を勧めていた。そして(きの)「方相氏が見てみたい」(娘)「ほうそうし?」ラッピング・ペーパーではありません。鬼やらいの儀式で鬼を払う人。あんなに目があって、どこから見てるのか知りたい。
またあの交差点を通って出かける。まだペットボトルが供えてある。
都会はこんなものだ。そうは思うけど、どうも気にかかる。
吉田神社は大学の裏にある。大学を突っ切って行こうかと思ったら警備員がそれぞれの門のところに2人ずつ配置され、学生以外ゼッタイ通さない気迫でいる。一般観光客にゾロゾロ入ってこられては大変と思っているのだろう。敷地を通り過ぎてまわり込み、住宅街の奥からするっと入る。長い階段を登り、山際にある境内に入ると長蛇の列。
(放送)「参拝まで20分!」人々が持って来た古いお札をサーカスの檻のような鉄枠の中に積み上げ、烏天狗みたいな装束の若手がテキパキと平らにしている。夜になったらきっとこれに火をつけるのだな。広いとはいえない敷地で危険極まりない行為だが、それ専用の消防団がいて、詰所のテントで世間話をしていた。列をよけて社務所を見てみたが、それらしい箱はなく、鬼もいない。あまりに人混み過ぎるので帰ることにした。
近くに進々堂の本店があるのを知っていたが、建物が本当に古いのでホコリっぽい匂いがするらしく、とても苦手で避けていた。歩き回ったので水分を摂取したい。ふと、今日は入ってみようと思い足を踏み入れた。(きの)「カラン」(店)「ちがう。あっちあっち!」ドアを間違えた。入るとバザー会場のような急ごしらえの会議テーブルにビニールカーテンと簡易的なメニュー、チラシなどが置いてあり、とても歴史を感じさせるような重厚な雰囲気はしない。先に会計を済ませるようだ。
なになに、カレーにコーヒーにブランチメニュー?何!ブランチがあるのか。と前のめりになったが、メニューは1種類のみ。それでもパン・ド・セーグル(ライ麦パン)なので良しとしようか。肝心の飲み物はセットのコーヒーと(メニュー)「オレンヂジュース」
ヂ?
そしてコーヒーには(メニュー)「ミルクス」
??? 液体に複数形?
Take a シャワーのようなものか。不可解なメニューを注文し席へ。なるほど真の老舗はレシートも番号札もなくても、誰がどれを頼んだかわかるらしい。奥に学生専用席がある。暖房は中央に置かれた学校の教室にあるようなストーブのみ。静かに座って待つ。それにしても変なベンチだな。長い分厚い1枚板で作って赤茶のニスを塗ってあるから手は込んでいるのだろうけれど、何だろうこのバーベキュー場みたいなザックリ感は。横に、固い木で作った背もたれのないちゃんとした椅子が2脚戸棚の土台として活用されているが、元は全部これだったのではないか。
(貼り紙)「設備や什器の写真撮影はしないで。備品の採寸をするのもやめてください」採寸?なぜ??誰がこのおかしな高級野外ベンチの寸法を測るというのか。謎だ。例え名のある人が作ったとしても、目を見張るほど素晴らしいとは思えない。
店内の中心を占める風呂の番台のような部分で、盛んにブランチが作られている。ほかに客が3~4人いたから、間違えずに持って来れるか?と楽しみに待っていたら、ちゃんと来た。そりゃあそうだ。毎日これをやっているのだろうから。しかし、3つ子コーデなどの女子学生がわんさか来たらどうするつもりだろうね。
セーグルはライ麦の粒の食感があって大変おもしろいのだが、飲み物が少ない。こんな試飲みたいなオレンヂでは足りない。食べ終わってボ~ッとベンチの脚部分の荒々しいアラベスク模様のスペードを見ていると、女将のような人物が出てきて奥の中年女性達に向かって60分以内に食べてくれとか言い放った。ご婦人方は気配を察して早々に出て行ったが、このご時世だからなのか、どうもさっきから注意事項ばかりで学生寮みたいだ。
入り口の近くに「大学の第二の図書館」と書いた紙が貼ってあった。確かにおば様方もうるさいが、学生にしか来てほしくなかったら学生専用とでも書けばいいのに。それに近頃の学生はイヤホンを愛用しているぞ。きっとパリの学生街の活発な議論でも求めているのだろうけど、うまくいっていない。
店内の壁面の下半分の腰板を1m四方にくりぬいたフィルターのような部分があったが、もしかしてあれは、大昔のセントラル・ヒーティングの装置ではないのか。どこかで暖めた空気をその穴から出すという。等間隔で設置してあるということは、そこに座席を置き、冬は各席の横から温風が出る仕組みになっていたのではないだろうか。ぜひ作動させてみてほしい!
が、すでに表面がホコリにまみれているので、出てくる空気も埃まみれだろう。カビ臭の原因はこれではないのか。手をかざしてみたが、空気の流れは感じられず。ここから出入りするトリックを誰か考えないのだろうか。どこに繋がっているのかマスターに聞いてみようかと思ったが、ただでさえ人がテーブルの幅を測っていく時代だ。うんざりしてしまってはいけないので黙っていよう。
トイレは外の中庭にあるそうだ。だいたい古い建物のトイレが外にあるというとろくなことがない。リフォームしたのならいいが、絶対ここは違うという確信がある。どうせ貼り紙だらけの不快な空間なのだろうと思うと、調度を確かめに行く気にもならない。
最近、進々堂の不正がバレてスーパーでも売り場を縮小されたりしているから応援の気持ちもあって来たのだが、島田荘司の本に出てくる名探偵が昔話をしていた風情のあるあの店は、本当にここなのだろうかという気がしてくる。創業者の孫らしきマスターは親しみの持てる笑顔で接してくれたが、大半が分別のある客だったらこんな張り紙だらけにならないのではないかと思うと、すべてが残念で物悲しい。
御所の下の方にある村上開進堂というクッキー屋は、落ち着いた佇まいと落ち着いた客層とで現代を優雅に生きている感じがしたが、ここは学生が多いから、これはこれでいいのかもしれないと思った方がいいのだろうか。
店を出て出町柳に向かう。風情のある裏道をDiDiと書いた有料のパシリがバイクで走って行く。昔のソバ屋の出前のバイクの音を思い出した。てっきり中国資本だと思っていたドイツのfood panda は、日本から早々に撤退したらしい。
この辺の橋の欄干に生えていた野良生えの松(松ぼっくりが落ちて勝手に生えてきたらしい)は、近隣の熱烈なファンの働きかけにより改修時に近くの公園に移植されたと聞き、見に行った。あったあった。工事用の仮フェンスに囲まれて、大事そうに養生されている。よかったな~お前。うんうん。
大満足で記念写真を撮り、横を見ると「ここから先は下鴨神社」という幟が立っている。そうだ、ここまで来たのだから、どうせなら「鴨のくぼて」を買いに行こう。神社の敷地内から出土した太古の土器を模した器ということだそうな。あれは儀礼にふさわしい。なぜかというと不必要に平べったいので中身がこぼれそうになるから、おのずと丁寧に扱うようになる。お祝いの盃と同じ感じだ。あれを5つ揃えて、やってきた客人をもてなそう。そうだ、それがいい。
アイデアは大変素晴らしいのだが、喉が渇いた。さっきのヂュースが少なかった。建物の(壁)「旧三井邸で甘い和菓子と少量の抹茶!」いやだああぁぁ。自動販売機は・・・なぜここは森しかないのか。こんな街中に。糺の森か。
どっか出口はないか。遥かかなたまで続くうっそうと茂る雑木林。その暗い幹にぽつんと(看板)「←カリン水こちら」ホラー映画でいえば絶対に飲んではいけない展開だが、背に腹は代えられない。ふらふらと引き寄せられるように河合社へ。奥に入って行って売店に近づいてよく見ると、
「カリン水(美人の水)」
こないだ無効にしたはずだが。京都じゅうの神社で配っているのだろうか。(茶屋)「飲むんですか?飲まないんですか?」(きの)「いや、だからその・・・じゃあ一杯だけ」しどろもどろで注文し、緋毛氈の台に腰掛けてカリン水を味わう。ただ甘いだけで、もうちょっとレモンを入れたらいいんじゃないのかと思った。飲み終わりに何かザラザラしたものが残るから、色付きの砂糖水ではなく、本当に果実を漬け込んだのだろう。それを御神水で割ったそうだ。ふぅん。
まわりをよく見ると、なぜか妙齢の女性ばかり。絵馬を書く場所は「化粧室」。中で大学生ぐらいの娘さん達が屈み込んで熱心に筆で木の札に塗っている。神に祈っても骨格は変わらないぞ。何なんだこの神社は。
あぁ河合って、鴨長明が宮司になりたかったっていう、あれか。確かにここは出町柳だから鴨川と高野川の「川合い」だ。あんなにワビサビみたいな随筆を書いて蟄居しておいて、こんなに美を意識した神社の神職になりたかったのか??
境内に長明が住んでいた組み立て式の2畳ぐらいの小屋があった。バラして移動先で組み立てられるらしいが、山小屋のような粗雑な感じはしない。むしろ境内の摂社をちょっと大きくしたぐらいの造りで、木戸などはすべての木材が硬質で面取りしてあって、どこかのベンチより上質な感じだ。平安時代のプレハブといったところか。
狭い部屋の真ん中に囲炉裏があってどうやって寝るのだろう。基礎は岩を重ねてその上に柱を置くだけなのだな。ふむふむ。台風で飛んで行かないか。あのつっかえ棒をした跳ね上げ戸いいなぁ。柵から身を乗り出してしつらえの写真を撮る。
そういえば、さっき茶店の人がこの広大な森のどこかに、カリンが植わっている場所があるようなことを言っていたな。くれた地図で言うと氷室の近くだ。氷室は見てみたい。氷を入れた洞窟だろうか。川の右側を歩いていると古代の祭祀場跡というのがあった。川原の平べったい丸い石を積んで、なにか意味のある形を作っている。こういうのは原始的で、シンプルであるほど怖い感じがするのだが、なぜだろう。その横を通り、原生林のような小道に入っていく。なんで誰もいないのか。そして、この辺は妙に気温が低い。日が当たらないからかな。あっちに火が燃えているのがちらりと見えた。暖かそう。
進んでいくと建物が見え、端の方から入ったら人が集まっていて、カーテンのようなものがあった。右側から回り込んで見てみると、たった今何かの催しが始まった所だったようだ。向かい側は正面入り口らしく人だかりがしていたが、こちら側は奥の神殿側なので人もあまりいない。S席のような場所に立っていたら後ろの社務所から数人出てきて退路をふさがれ、身動きが取れなくなった。
舞殿では平安装束を来た人が弓を持って四方を周っている。
矢を手に持ち、東に向かって九字を切り、西に向いて五芒星をなぞる。南に円を描き、
やおら(装束)「ぃやあああぁぁぁ~あ~あ~あ~~~~ ぁ !!!」
何の儀式ですかこれ?
下鴨神社は世界遺産だというが、今日はあまり人がいないな。そして最終段階になると若者がいっぱい出てきて、全員でヤァーヤァー叫びながら全方向に撃ちまくるというフルーツバスケットのような瞬間が訪れた。さっき(きの)「なんだろうなこれ」と思いながら立っていたカーテンは、その的の裏側であった。あのままホェ~っと突っ立ってたら危ない所だった。
弓って大きい。人間の身長と同じくらいある。そして外しまくる。あんまり遠くないと思うが、射った矢の1/3ぐらいしか当たらない。日ごろから練習しているだろうに、充分狙ってそれでもその確率ということは、和弓が相当命中率が悪い構造になっているのか。あんなのでどうやって流鏑馬や、八艘飛びやら合戦をするのだろう。ボウガンと違って固定されていないから、撃ちたい方向以前に、つかむ位置によって本体の上下左右の水平が違ってくる。全部当人のさじ加減なのか。う~~む。
一番手前の左側の、一番最初にやり始めた人は、矢が一瞬で「ヒュ」と素早く飛んで行くが、向こうの若者は「ビョ」と、なにやら琵琶のような音がする。
眼鏡をかけた現代の皆さんは、長い裾を踏んでよろけたり、刀までが自分だという意識がないまま後ろにさがって柱にぶつけたり、帽子が鴨居につかえたりして所作が見苦しい。前日に全部の衣装を着けて練習で歩き回ればよいのだ。少なくとも人に見せるのならば、いかにも嘘くさいような動きが一番興ざめだ。
終わって退場らしく、列になってこっちへ向かってくる。本当に終わったのだろうな。間近で声を張り上げられたりしたらびっくりして笑い出してしまったりして最悪だ。なるべく遠くを見たり衣装を漠然と眺めたりしていたが、後ろに引きずっているそのシッポのような布。ウェディングベールみたいに誰か持って歩いたりしないのか。明らかに土埃で薄汚れているが。時代祭を見ていても思ったが、定期的に衣装を洗うわけにはいかないのか。
そして、沓。後に続く皆さんの木靴が全員うまく履けていないようだが。木製の指の部分が浅いクロックスのようなものが、あんなにカポカポしてたら歩きにくいだろうに。そもそも弓や刀を持ってる武人という設定なら、動きやすい履物にするべきではないのか。
もし宮中で祭祀の最中に暴動でも起きたら、みんなあのカポカポで泳ぐようにして近づいてきて取り締まるのか。それとも靴は脱ぎ去り、ゴツゴツした白砂利の上を足袋で走るのか。もしかして長袴のように、余計なことをしないように最初からあまり自由に動けないようにしているのか。
そうだ、鴨のくぼてを買いに行こう。それを買いに来たんだった。真後ろの売店に売ってたら買おう。と思って入ってみたら売ってた。巫女さんが時間をかけて割れていないかチェックしてくれて、店を出ると、
(裃)「今から皆さんの頭に豆を投げるから、下を向いて動かないように」(全員)「ピタッ」また動けなくなってしまった。氷室・・・。
こういう全員が黙祷するような時って、ついスリがいないか見てしまう。なぜみんな目をつぶれと言われたら素直に目をつぶるんだろう。平和な国の平和な日常だなと思いながらあたりを見回していたら、壇上の裃とバッチリ目が合ってしまった。しょうがないので下を向く。
大豆がポカポカ頭に当たり痛い。
なんでこっちにいっぱい飛んでくるんだ。
当方は鬼ではない。
やっと終わったので氷室に向かうが、どうやらそっちに行く通路は閉まっていたようだ。
寒い。
どこか店で暖を取ろう。外の看板にサイフォンと書いてあったので、通りを渡った内装がほの暗い木製の木枠のガラスドアの店に入った。下鴨デリというこじゃれたフランス風の惣菜の店は前に入ったので、どうせならと、いかにも”純喫茶”みたいな所を選んでみた。
昔はサ店で待ち合わせというと、こんな薄暗い店だった。コーヒーが当時の値段で350円もして、その理由は席料でもあると知って納得。今は800円もする生クリームだらけの飲料をややもすると持ち帰らされるはめになる。しかし、純粋にアメリケーノだっけ?あれだけなら今も350円程度なのではなかろうか。
常連客が新聞片手にナポリタンを食べている。
カウンターに陣取ってサイフォンのつくりをじっくり見たいと思って近づいて行ったら、洗練された雰囲気の(マスター)「奥にしなさい」ちっ。奥のテーブルに座り遠くのサイフォンを眺める。カウンターの常連オヤジらしき人物はヘビースモーカーなのか盛んに煙を吹き出している。そうか、どうも入った時に視界が曇っていると思ったが、喫煙OKなのだな。今どき珍しい。
奥から眺めると、入り口のアーチのドア枠が美しい。カフェラテの上に何か乗ったものを注文し、どうやってあの器具で淹れるのかと見ていたら先ほどの(煙オヤジ)「新聞バサァッ」広げやがった。見えないじゃないか。後で新聞を畳んで立ち去ったから、他の客の分を淹れているのをじっくりと見よう。
舞鶴の松栄館では、テーブルの真横で支配人が独自のコーヒースタンドのようなものを展開し、さかんにヘラでかきまわして、そんなに煮出したら冷めるしエグくなるのではと思うぐらい手の込んだ一杯をいただいた。戦後すぐに母方が赴任していた北海道の住居にもサイフォンの機械があったらしいが、子供たちが触ってすぐに壊れてしまったと叔母が言っていた。
アルコールランプを使った理科室の手品のような仕組みはどうなっているのか、なぜあんなに沸騰して割れないのか、そして液体は急にどこから出てくるのか、すごく興味がある。一度でいいからやってみたい。監視付きで貸し出してほしい。それ以上熱したら割れますよとか、横に付いててガイドしてくれると尚いい。あの機械で緑茶やほうじ茶は淹れられないのかなと、ふと思った。サイフォン茶道などはないものか。
見てると、台のついたフラスコに水を入れ、ミキサーのガラス部分のようなものを上にセットし熱源の上に置く。沸騰して湯がせり上がってきたらフィルターと思しき平べったいコイン状のものを敷いて粉を入れ、2~3回棒でつつく。
下の方ではフラスコの沸騰が絶頂を極め、底に水分はほとんど残っていない。空焚きになって大爆発して四散しないかとヒヤヒヤする。頃合いを見計らって火から外すとサーッと茶色い液体が降りてきて、上の部分を外してフラスコから鷹揚にカップに注いで完成。ずいぶん簡単そうだ。これならできそう。あれ密閉されてたのか。気圧の膨張ってすごいなぁ。
平成に入り、アメリカからお土産にと持って帰った Mr.Coffee というネーミングセンス 0 のコーヒーメーカーを渡したら、母はガラスのピッチャーの方に水をためてセットし、スイッチを押してしばらく黙って不思議そうに見つめていた。何をしているんだろうとこっちも不思議だったが、今理由がわかった気がした。ていうか、あの解放空間をどうやって液体が上昇すると考えたのか。幼い日に父親が持って帰ってきた舶来の品の記憶がうっすら残っていたのだろう。
肝心のサイフォンで淹れたコーヒーのお味はというと、正直なところよくわからなかった。不味い訳ではないが、とびきり「おいしい!」という風味でもなく、わざわざ古い機械でレコードを再生して楽しむようなものかなと思う。だって、あんなにお湯が逆流してきて全てが渾然一体となったら、三角のフィルターで淹れる時の、やれドームを崩すなとか、ゆっくり円を描くようになどといった繊細な機微はどこかに吹っ飛んでしまう。
だいたい今まで、おおこれは!と思ったのは叔母が買ってきた成城石井のコーヒーの袋を開けた時か、新宿のおばちゃんが2階で壁掛けの鉄製ミルでゴリゴリやる音を聞いた時、昔アメリカで知り合いだったイーデンという人物が「最近隣町の大学の側にスターバックスというコーヒー屋がオープンして勉強もできてとてもオシャレだ」というようなことを興奮気味に言いながらそこで買ってきたダークローストの粉で薄いコーヒーを淹れた時。
味はどうした。
下関で飲んだスペシャリティーコーヒーは焼き芋の味がした。どうも高級なほど焼き芋のような味がする気がするのだが、何でだろう。ローストの問題か。京都の老舗のコーヒー屋さんの近くを通ると、天津甘栗でも売っているのだろうかという気になる。
壁にかかっている大阪万博のポスターを眺める。あんなにあった建物はみんなどこへ行ったのか。そして、太陽の塔が銀色の屋根に埋まってないか。今の方が自由気ままだ。そして店主どこへ行った!気がついたらカウンターには誰もいない。何かいま人が表から入ってきてカウンターの端に四角い紙のようなものを置いて出て行ったぞ。それを温かく見守る常連の爺さん達。
小さい時に見た新宿のほの暗いレストランは、こんなところだったのかな。もう少し山小屋風のハンバーグ屋だったような気もするが。木でできていると安心するのは何でだろう。手洗いを借りたいが、食い逃げしたと思われてはいけないので戻って来るまで待とう。
どこへ行ったのか。
しばらくして客が来たら、奥に繋がるバックヤードのような空間から出てきたから、席を立つ。トイレを出るとレジの前で待機して待っていたので、ちょうどいい。もう帰ろう。
後で知ったが、有頂天家族というアニメの聖地らしい。それって何だっけ?ホテルじゃなくて、タヌキが出るやつ?
あぁあれなら原作を20~30ページ読んでつまらないからやめた。どうもあの森なんとか彦という作者の話は京都が出てくるだけであまり内容は面白いと思えないので、読もうと思わなかった。喫茶店が出てくるシーンの画像を見てみたら、奥から見たドアの風景だ。左にレジスターがあって、うん、すごく見覚えがある。煙をよけろと言っているのかと思ったが、聖地巡礼をしに来た客だと思われたのか。
結局あれが追儺の儀式だったらしい。鬼は?
下鴨は弓矢しか出てこないようだ。
わけもわからず巻き込まれた形で、しっかりと邪気は払われた。
募金はまだしていない。
