うた恋というアニメを見た上に、マンガも読んだ。
さぞかしドロドロしているのだろうと思ったが、そうでもなかった。
歌を詠む旅行に3人で出かけようとなったところは、西遊記みたいで面白かった。
ただ、全員名前と見た目が似ている上に、時代が急に前後するので、
はっきり言って話の繋がりがよくわからない。
帽子が脱げたら、現代で言うズボンが脱げたぐらい恥ずかしいという、
その時代の常識も、新鮮だった。
しかし、一番衝撃を受けたのは、第1話を見て、じゃあこの人が主人公なのねと思っていたら、
次の週あたりで急に時代が変わってて、
その人はずいぶん前に病気か何かで、早くに亡くなっていたことを知らされた時だった。
えっ!?今までこの人の立場に立って物語を見ようとしていたこちらの意気込みは、
どうなる!
意外性があって、その時代の命の儚さが実感できるのかもしれないが、
どちらかと言うと、作者に裏切られたような気持ちしかしなかった。
CSIという科学捜査番組の一番最初も、オンタイムでTVで見ていたが、
ちょっとショックだった(ネタバレ)。
サイコパスに出てくるみたいな新人の一生懸命な女の子が、
1話目の終わりで、さて来週も頑張るのかなと思いきや、急に死んでしまった。
主人公は実はそいつの上司の小太りのおっさんで、
次週からは彼が大活躍!と言われてもねぇ。
探偵が犯人だったとか、そういう意外性もあまり好きではない。
スパイ映画も皆で嘘をつきまくるだけなのでキライだ。
話の枠組みは一つがいい。
小さい頃、新所沢のパルコの映画館はハシゴができた。
今はどうなのか知らないが、よく小学校の友人と特に見なくてもいい映画まで見ていた。
見れるとなったら見ないと損な気がして、隣の部屋の上映に身を滑り込ますのだが、
そもそも自分たちの見たい映画を1本見終わったあとなので、
時間的にも遅くなるし、小学生が暗い部屋で映画を立て続けに2本見るのは、
テンションの持続にちょっと無理がある。
子猫物語という、子猫が出てくる実写のムツゴロウさん監修で、
小泉今日子ナレーションの映画が見たかったので、見に行ったついでか何かで、
「うる星やつら」の映画をやっていたので、それも見てしまった。
うる星やつらは荒唐無稽なSFで面白いが、
たまに商店街の夕暮れのようなもの淋しい描写があって
(漫画のサクラ先生の登場回なんて場末のスナックみたいだ)、
それがすごく怖かった。
短編集だったのか、何個か違う話が続き、
最初のキツネの話もあまり楽しくなかったが、
次の、主人公の諸星あたるの母親の独白(?)のような、
白昼夢が繰り返す話が不気味で、
起きても起きても夢の中というような、終わりのない合わせ鏡の構造が恐ろしく、
こんな世界はいやだと悲しくなってしまった。
せっかく出かけたのに、雰囲気はぶち壊しだし、見なければ良かったといっても、
見ようと言い出したのは自分で、あの時はすごく嫌気がさして後悔したが、
また半年後に、同じパターンで「ヤング・シャーロック」という、
ホームズの少年時代の映画を見てしまい、
イギリスの建物は重厚で暗くて、
なにやら秘密結社のコーラスが、もう最高潮に恐怖を煽ってきて、
ムンクの叫びもかくやという世界観の映画だった。
「ひどい!ミイラにするためだけに、キレイな人の一生をぶちこわしにするなんて!」と
暗い気持ちになり、
さらに映画が終わって、最上階にある非常階段のような出口から出たら、
冬であたりは真っ暗で、どこまでもネオンが続く所沢の街並を見下ろしながら、
本当にこの世の終わりのような気分がした。
それが決定的だったので、それから高校生になってクラスの可愛い子とエイリアン3を見るまで(どうしたチョイスだ)、その映画館には行かなかったが、
何の話だったか…そうそう、
自分が一つだと信じてた世界の外に、もうひとつあると思うのは恐いですね、
という。
アラビアン・ナイトみたいに、これは入れ子構造になっていますよ、
と最初からわかっていればいいのだけれど。
近年だと、デスクトップいっぱいに1画面を広げる人がたまにいるが、
テレビならいざ知らず、
パソコンだとその後ろに何枚ウィンドウが隠れているかわからないので、
自分が使う時には、わざとずらして複数の画面の端が見えているようにしてある。
世界はそれで全部だと、一応信じて使っている。
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