高校の卒業旅行に、友人と4人で行った。デパートのレストランのシェフをしていた友人のお父上が、知り合いから券をもらったとかで行くことになった。その頃はバブルで社会全体が浮かれていたので、そこらじゅうで気前のいいプレゼントが往き交っていた。
テレホンカードが常に余っていたし、西武の本拠地だったので知り合いの誰かがチケットを持っていて、自分で買ったことなどなかった。だから、タダ券には特に疑問は持たなかった。行く前からそこはかとない不安要素があったが。
不安要素その1:叔父も知らない。
長野に別荘を建て、足繫く通う叔父が(叔父)「聞いたことない。そんなのあんの?」さぁたぶん。(叔父)「国際的?」うん。名前が仰々しすぎて詐欺みたいだ。
その2:当日友人が不調な上に電車の切符を家に忘れてくる。
それを延々在来線に乗ってやってきて、それから特急に乗り換えようかという段階になって気づく。今さら取りには戻れない。出発数日前にちょっとしたいさかいになったこともあるので、念のために欠席の意思を確認してみる。行く気は十分あるらしい。
食事付き宿+スキーは前もって別の友人が手配したので、たどり着きさえすれば何とかなる。気づいた時から明らかにびっくりしてオロオロしていたから、余程の演技派でない限り多分本当だろう。
(きの)「まず、その席は予約してあるのだから、切符本体があろうがなかろうが出発前から誰かが座っているということはないだろう。そこに座って確保して、車掌がやってきたらまたその席を買い直せばいいのでは。切符がないからといって車体に乗り込めない訳ではない。入場券でホームに入れる。持ち合わせがなかったら貸そう。」その作戦で行くことになった。
途中で切符を拝見、とやってきた車掌に訳を話し、残りの3人と同じ地点からの乗車券と指定券を買い、中央本線は雪道を順調に進む。途中で右側の窓に洋風の廃墟のようなものがあって、何の建物か知らないがいつ通っても、ふと見るとそれがある。長い行程の中で見過ごすこともない。なんだろう。
その3:誰もいない。
駅に着いても誰もいない。確か迎えのマイクロバスが来るはずだが。寒い中いつまでも立っててもしかたがないのでタクシーに乗り込む。雪のトンネルを進みホテルに着くと(フロント)「駅に着いたら電話くれればよかったのにー」なるほど。
ホテルの中でも他の客は居たのか。どうだったのか定かでない。しかし卒業旅行だから3月近辺でシーズンも終わり。しかも学校も休みで後は卒業式に来いというだけだったから、平日だったのか。
4:愉快な森の住人たち
運営は地元の人がやってるみたいだ。貸しスキーのおばさんも(オバ)「こんなに何もないとこでーホントに何もなくて困るでしょう~」だから来たんだ。ここまで池袋の通勤ラッシュが伸びてきたらもうおしまいだ。翌日は朝から吹雪いてきた。リフト小屋のお爺さん(爺)「あんたら2日も物好きだな~まず味噌汁を飲め」
味噌汁?
急に定食のうち酢の物だけを味わえと言われたみたいで何だろうと思ったが、ストーブの上の鍋から具沢山のスープをよそってくれた。だんだん日本昔話のような温かい世界へと入っていく。
そのうち雪もやんで晴れてきた。リフトの上からは、針葉樹林の間に誰にも踏み荒らされていない真っ白な雪原が見える。そこにポツポツと一列に連なる小動物のカワイイ足跡が。キツネかな。シカさんかな。ほほえましい気分で見ていると、
(きの)「なんだあれは」
1mぐらいの歩幅で、大きな鳥のような足跡が向こうの方へと続いて消えていった。ダチョウ??そんなのいるか?隣にいた切符忘れのボケボケ友人に聞いてみる(きの)「今の見た?」(友)「はぁ?何が?」見てない。どうして!ホラー映画で言ったら今のが伏線だ。
頂上付近も人が居なかったので、ますます感覚が研ぎ澄まされてくる。景色を見渡してみても木々の一本一本までが愛おしい。この山は自分たちのものだと思った。妄想もいいところだが、自分の世界が広がる感覚というのは新鮮だ。
滑れないと言っていた友人に、ボーゲンなしのいきなり横滑りの超つづら折りという荒療治(?)が功を奏してなんとか滑れるようになり、こっちの心配をよそに何事もなく全行程を全員で滑り降りて宿に帰り、風呂後にロビーのゲーム機でぷよぷよなどをやってから部屋に戻って寝た。
しかし布団の中で、どうも得体の知れない恐竜のような鳥類がグゲゲゲなどと奇声を発しながら、月光りの下を我が物顔に走り回る構図しか思い浮かばない。
恐ろしい所だ。だから空いていたのではないのか。3月になるとそいつが冬眠から覚めて・・・「なんにもないとこで困る」緊急の通信手段が?「あんたら物好きだ」こんな危ないところへ来て!?(きの)「う゛~~ん国際・・・」寝にくい。
最近知ったが、あれはウサちゃんの足跡らしい。1個の独立した大きな足ではなく、小さな4本足でジグザグに飛ぶから左右の足跡に見えたが、違った。しかも後ろ足が大きいから逆向きに走って行った跡だ。大型鳥類じゃなかった。よかった。雪をよく知らない人間は、何を思うか知れない。
飯山国際スキー場は、今はもうない。
地図で探してもなかった。そんな!と思って最近知り合った長野県の人に聞いたら、閉鎖されたらしい。そうなのか。やっぱりあったのかという安堵と共に、寂しい気持ちがした。80年代ほど人々は雪山に熱狂しなくなったからか。自然環境が元に戻って良かったのか。それで雇用はどうなったのか。複雑だ。
何もなくていいじゃないか。電線もないまっさらな雪景色や、自然に生えてる松や白樺の樹を見に行けば。その価値がわかる人がもう少しだけ多く居たら、あのスキー場は存続したのかもしれない。
後年、雪の素人は懲りずに凍った雪の壁に頭を突っ込んだり、何が楽しいのかマイナス20℃の雪山のロッジに出かけて行って暖炉一つで夜を明かしたりした。無知な素人の唯一の美徳は、雪に対して楽しい!という純粋な好意しかないことだ。
もしかして雪山の方が、その気持ちを知る必要があるのではないかな。思いを運ぶ道が閉ざされて残念だ。
今でも具が多い味噌汁のことを、心の中で秘かに長野風と呼んでいる。
あの景色を、まだ覚えている。