きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

京都再び

2022-07-14 16:21:58 | 旅行

 先日、用事があったのでひらりと京都に赴く。高速バスがてっきり八条口の方に着くと思っていたが、どうやらまわり込んで来たようだ。ということは降りて(きの)「おぉ!京都タワーだー」おのぼりさんか。去る時は急だったが、来る時はもっとあっさりしていた。

 

 

 夜に着いて改装中の駅ビルでラストオーダーのトンカツをむさぼり、ホテルがどこか探すのもめんどくさいので、もはや常宿となってしまっているギンモンドへ。烏丸御池で降りて、いつもは3番だがうっかり別の出口へ。

 階段を上がると、なんとあの意識がスカイハイの新風館につながっていた。あいかわらず気取ったデザインだが今日は時間も遅いので人もいない。通り抜けて裏道に出た。ということはこっちの方に行けばホテルがあるはず。真っ暗な事務所や学校?らしきものを越えて、右に曲がればギンモンドと。あった!

 

 前回は表通りに面した大きな部屋だったが、今回は角を曲がって脇道を1本入った方の部屋だ。狭いわけではないが、正面に向いたきらびやかなしつらえの部屋とは違い、なんだか古い旅館のような雰囲気がただよう。ということは、表向きの部屋だけをリニューアルしたのか。開けようと思えば開く窓の向こうには小さなベランダと、カーテンの内側に昔障子だったようなモダンなふすまが。

 そういえば舞鶴の老舗ホテルもこうなっていた。今回は壁にかかる不可思議な絵画はなく、落ち着いた押し花を額縁に入れたものだ。下を見ると大通りの方向に神社が見え、窓が東山の方を向いてはいるが、目の前の高層ビルでほぼ何も見えない。

 

 表向きの部屋の時も不自然に思ったが、あの内装で部屋に置いてある飲み物セットが「湯飲み」な理由がわかったような気がした。鉄柵だらけのレストランに圧倒されるが、ここは実は古いのだ。もしかして最近までパジャマではなくて浴衣だったのではあるまいか。

 半年ほど前イトコに絶賛してもう1泊勧めて、ついでに便乗イタリアン朝食を狙っていたが時節柄朝食は休止したと聞いてフロントで引き返し、部屋までは送らなかったので確かめなかった。神社が見えて良いホテルだったと聞き満足していたが、どっち側の部屋だったのだろう。こういうことは後で確認しなければ気が済まない性分だ。

 

 

 

不愉快なレストランagain

 用事をこなし、またしても意気揚々とカギを振り回しながら入っていく。今日はカウンターに座ってみよう。(店)「さて、今日はどんな風に飲まれますかね」もう安定のアル中扱いだ。(きの)「これはこの前食べたから、カルボナーラが食べたい」(店)「そしてそれに合わせる?・・・」コーラだバーカ。

そんなに不愉快なら行かなければいいが、ほの暗い店の誘惑に勝てない。イタリアン朝食はバイキングだというのでいつか食べてみたい。

 

 ピンクの肉の乗ったカルボナーラを丸飲みにしコーラで流し込んで愉悦にひたっていると、奥から出てきたヒゲの海賊のような店員がおもむろに古式ゆかしい装飾だらけのビールサーバーから無糖の炭酸水をコップに注ぎ、(バンダナ)「あの、これここに置いておきますから」と言ってコトッと置いて去って行った。(きの)「おぉ!これはどうも。」

 前にサービスですと言ってくれたことがあるからわかっているのであって、初めて来た人に突然気泡の浮いた液体を微妙に離れたところに置かれても何の目的か釈然としない場合もあるだろう。掃除用かなとか、展示ケースの乾燥防止の水を飲んでらぁとか笑われたらどうするとか、気になるのではないか。常連の証だろうか。これこそ店主こだわりのイタリア炭酸・サンペレグリノなのかな。ゴクゴク。

 

 寝ようと思ったら、珍しく夜に暴走する集団がいた。その後も現場に急行するパトカーなど多数。あの堀川御池のところから救急車が無限に産み出されてくるのだな。ホテルや店が、奥まった部屋に通そうとしてくれる意味もわかる気がしてきた。月が東山のあたりから出てきてパステルカラーのビルの横に並び、トーマス・マックナイトのような構図になっているのを眺めながら寝る。

 

 早朝に目が覚めた。下の道路で音がしたのかな。起きるとなぜか何かしようと思う。もったいない気がしてそのまま寝る気になれない。黒い板はこの前見た。科捜研のトリックがある意味すごかったので、ますます気になってはいけないから他に何かないかなとスマホを操っていたら、YouTubeのオススメでADHDのテストを紹介していたので見てみた。要は人の気持ちがわかるとかわからないとかの心理テスト。

 

1 なんたら問題(名前忘れた):じゃじゃんっ!

 女の子が2人遊んでいた。片方はビー玉を持っていて自分のカゴに入れて退出。その隙にもう一人が自分の箱に移し替える。さっき出てった方が入ってきて、さあどうする?

 

解答:箱にあると思う。

 

「不正解」

 

 なぜだ。女の子が2人だぞ?そこに重要なヒントが隠されているように思えてならない。大人しくお花畑の夢見心地で遊んでいるのだろうか。幼馴染のひとみちゃんなどはマセすぎて、おしゃまを通り越して年増のようであった。

 

 

最適な答えはこうだ!:

 A子は部屋に入って視界の隅でビー玉がないことを捉えるが、それについては言及しない。そのまま遊びを続ける。A子は知っている、ずっとその子がビー玉をうらやましがっていたことを。そして大人が来た途端(ひとみ)「あれぇ~?私のビー玉がない~(泣)」

 大騒ぎして弁明の余地なく盗人の汚名を着せられたその子は、以降彼女のお姫様ごっこのしもべとなるのだ。すべては最初から仕組まれた罠であったとも知らずに。このように幼少期の女性は恐ろしい。

 

次。

 

 

アイスクリーム問題:

 これはもうちょっと難しいらしい。なるほど。今度はA子ちゃんとB君が公園にいてアイスクリームを買おうとするが、A子ちゃんは財布を持っていない。家に取りに帰る。B男はしばらく待っていたがアイスクリーム屋が次の場所に移動すると聞き、A子に教えに走る。

 一方A子は財布をつかんで家を出ようとしたところにアイスクリーム屋が通りかかり、次の場所に移動する旨を告げられたので追いかける。そこにB男が到着。A子はもう家を出たと聞かされ、向かうのはどっち?

 

こいつは浅はかだ。だから一番直前に聞いた場所。

 

不正解!!なぜならB男はA子ちゃんがアイスクリーム屋と会ったことを知らない。

 

 そうかもしれないが、そもそもこいつは財布を持って戻ってくるはずのA子を待たずに飛び出した野郎だぞ。行き違いになったらどうする。A子もA子でアイスクリームのことしか頭にないのか。

 

 そしてスティングのテーマを大音量で流しながら走るアイス屋に街のどこかで追いついて買い、満足そうにすするA子は思い出す、「あれ、B男クンは?まいっか。あ!なんとかちゃんだ。お~久しぶりーそれでね、それでね、キャハハハ(スタスタ)・・・。」B男はいたずらに走り回って不憫だ。

 

 これはある情報を知ってるか知らないかの質問であって、相手の立場や気持ちを「思いやる」という視点が全く入っていない。人間の心はスパイの情報戦ではないのだから、こんなこといくら聞いたって人の気持ちは測れない。

 

 例えポケットのGPSでアイスクリーム屋の位置を把握できたとしても、最初にしたA子との約束を守ってアイスも買わず公園で待っているB男の方が人間的に好感が持てないか。おごってやれよB男!だいたい世の中の子供全員がアイスを追いかけるマヌケだと思っている出題者にも問題がある。

 

こういうテストは心理学や哲学など、人文学のエリアの人間ほどやりにくいのではないか。

 

「それは田舎の1本道で起きた出来事でしょうか?」

「1人でしたか?他に味方は?」

「B君は第二言語?A子の家の経済状況は?」

「普通?普通って何?」

「意識はありましたか?それとも無意識の領域の話?」

 

 矢継ぎ早にすべてを無効にするような質問が聞こえてくるようだ。とにかく要素ひとつでだいぶ違ってくるのだから、最終的な返答は “何とも言えません” だ。ちゃんと聞かないと正しい結果は得られない。(きの)「こんな使えないテストはだめだ。invalid(的外れ)!!」

 

不正解だと怒り出すというのがチェック項目になってないといいが。

 

 

不眠。

 

 

 

 

 

 

寝不足のままチェックアウトし晴明神社に行って、人生で2回目ぐらいの気まぐれでおみくじを引く。「吉」

 

健康-心身共に充実。

勝負-好機到来。

旅行-近場で済ませよ(タイムリーだねハハハ)。

商売-感謝の気持ちを表せば繁盛。

仕事-初心忘れるべからず(新入社員はどうする)。

転居-今が好機(大体の人は3月から4月)。

失せ物-すぐ出る(これは本当にそうだった/重要なものをなくし数か月悩んでいた)。

 

 確かに当たっているものが多い。ここ一か月の報告書を受け取った気分だ。いかんいかん。占いに振り回されるようでは。自分の人生は自分で決めないとね。(貼り紙)「よくない結果が出た人は結んで帰るように」良くない結果こそ持って帰ってじっくり反省すべきではないのか。当たっているところばかりに注目するのも楽観的すぎる。しかし、ネガティブな結果に囚われるのはますます良くない。ふりまわされても良くないが、確かな心持ちの人は占いなどいらないのでは。じゃあ誰が引くんだ?

 

 箱の隅の方にあった紫のヒモの付いた紙を選んだ(陰陽五行で黒だそうだ)。黒は水らしい。最近水の多い所に来た。しかし、最初は箱の中央にこれ見よがしに出ていた山吹色のヒモを選ぼうかと思ったが、やめて紫にした。もし山吹を選んでいたら違うことが書いてあったのだろうか。そりゃそうだろう。全部同じことが書いてあったらあまりにも観光客に対して暴利をむさぼり過ぎている。

 

 全部見て比べてみたいが、それでは「選んだ」という特別感がない。全部見た上で選んだらなぜダメなのかわからないが(マナー的にではなく、パラレルワールドを予測・検討するとか人生設計的な目線で)、他のを見ないという所に人知を超えた神の視点を残しておこう的な心の遊びがあるのかもしれない。その場合、見なかった未来についてああでもないこうでもないと考えをめぐらすのは野暮なのか。自分が「選んだ」ものがどうなのかが重要なのかな。

 

 そもそも「選んだ」のだろうか。全部見て自分の意思で選んだのなら選んだと言えるだろうが、中身が何かもわからないものを目についたというだけで引いたのならそれは「縁があった」という方が近い。縁があるとかないとかを知る意味って。

 確かにただ漫然と生きるより、人が気づかない物事のつながりに気づいたら人生は過ごしやすいだろうが、ではなぜ縁が知りたいだけなのに最初に自分で選んだように見せかけるのか。それを始めるのはあなたなのですというヒント?人は何の目的でランダムに書いた暮らしの指標を売るのか。

 

天文学の祖・兼著名な占い師(陰陽師)が勘で掘ったというボウフラの井戸も止まっていた。ちぇっつまんねえの。

 

 

 時間があるので、せっかくだからつい1か月前まで住んでいた家を見に行ってみる。見慣れた住宅街を通り、角を曲がると見覚えのある景色がまだそこにあった。当たり前だ。消えていたらそれこそびっくりだ。向かいの家のぎりぎりに停めたベンツや隣の玄関前のメダカの鉢など何もかもがそのままで、こっちからすると時間が止まっていたような気分になる。

 

 道路に立って肝心の部屋のベランダを見上げると、知らない洗濯物がかかっていた。もう別の入居者が住んでいるんだと思うと、淋しいような随分感慨深いものがあった。しかし、大家サイドに立ってみると、新しい人が決まってよかったね!という見方もできる。いくら街なかにあるとはいえ、ここ2~3年の混乱で住人も減り、階下の部屋などは軒並み空いている時もあった。

 

 4年前、混んでいる時期に突然来た割に良い部屋を貸してくれた感謝をこめて部屋をピカピカに磨いて出たが、次に見に来た人は入って最初にあの綺麗な北山の景色を見てどう思ったのだろう。

 

 

 

 それとも壊れたエアコンの蓋を見ただろうか。これから駅に向かい、西本願寺のとこの西利でカブとすぐきの漬物を買い、八条口の土井で柴漬けレストラン・・・って漬物多くないか?

 西利のベンチの前に設置されたモニターからは、漬物の作り方が優雅な京都弁で説明されて延々と流れている。大原の柴漬やどっかのカブ漬の解説をしばらく眺めていたが、さすがに関東の言葉とはイントネーションが全然違うので、しっかり聞けば内容はわかるのだが、気を抜くと今何と言っていたのかよくわからないという状態になる。

 上賀茂の「ぐ・き」ではなく「す・きー」らしい。うす暗い「むろ」と呼ばれる小部屋の中で石を乗せ、40℃でふつふつと泡を吹いている発酵食品を今から買うと思うとだいぶ臨場感があっていい。

 

 

 

 帰りのバスまで時間があるので駅ビルの屋上に登って景色を眺める。あまり知られていない秘密の通路を通って登ったところにテーブルとイスがある。自由に弾いていいピアノを誰かが下手くそな演奏で弾いていた。

 

 隣のテーブルのご婦人方3人のグループが視界の隅に入った。なぜ1人だけ立っているのだろう。3人ともおしゃべりに夢中だが、すぐ帰るのだろうか。それでも気になるので念のためこちらで余ったイスを渡しておいた。はっきりいってうるさいので長居してほしくないが、イスは常に人数分以上あるべきだ。

 

 ぼうっと暮れていく京都タワーを見ていて、最初に京都に来た時のことを思い出した。街中はものすごい人混みで大変な所だと思ったが、北大路駅の交差点の辺りに来た時に、全く知らない街だが妙に公共設備が古臭く学生が多くて古本屋などもあり、軒先の植木鉢が新宿の慣れ親しんだ早稲田のあたりに似ていたので、これなら多分大丈夫だろうと思った。この根拠のない自信がどこから来たのか知らないが、それでやっていけるのならそうに越したことはない。

 

 もう今は見慣れてしまって、あの時のような変な既視感はない。北大路は北大路だ。そういえば駅ビルは新しい名前に変更し、イオンモール北大路というダサダサの大型娯楽施設といった感じになってしまったらしい。自分はきっといつまでも「ビブレ」呼ばわりして今はない名称で道案内し、人々を惑わす迷惑な元住民となるのだ。

 

 隣のテーブルが立ち上がり、礼を言ってイスを返してきて去っていった。演奏者が替わり Alan Walker  の Faded を弾き始めたので拍手喝采しておいた。なかなかやるじゃないか。そういえばよく見たら駅もずいぶん混んでるな。もう観光客が戻ってきたのか。

 

 ドーナッツが食べたい。唐突に閃いて建物の中だがよく見たらテラスのような場所にあるミスドに行き、カウンターで観光客の流れを上から見おろす。ここは隠されたトイレがあって良い。隣の席の高そうなカメラを持った親子が荷物を置いたまま選びに行ってしまう。世の中は良い人ばかりとは限らないのだぞ。まったく。そのうち戻ってきて食べ始める。

 

 ここの雑踏の中で冬の夜に人と待ち合わせたことなどを懐かしく思い出していたら、隣の親子が「じゃ、片づけよっか」と言ってマジックテープでビリってやる財布などを置いてトレーを持って行ってしまった。いいかげんにしてくれよ。こっちは席が立てないじゃないか。

 

そうしてしばらくして戻ってきたのでアホらしくなって帰る。京都は思ったよりも近かった。


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