ダイヤリーじゃなくダイアリーね

2019年10月23日 | 日記
三日間の東京滞在を終え、家に帰って来た。

今日も妹お勧めの整骨院に行った。

ホント、痛いのなんの。

お陰で東京に居る間二回来たが、多分ちょっとは良くなったんだと思う。

ただ担当してくれた先生が、「五十肩は、いつか必ず痛みが取れるものです」と言っていたのが何よりの希望。

よしわかった。元気を出して頑張ろうと思った。

その後は、スカイツリーに。



でーん!



時間の関係で展望台には行けなかった
が、ソラマチで美味しいお寿司を食べた。

妹がおごってくれると言うので、一人前3000円以上のセットをありがたくご馳走になった。

妹は「食」にお金は惜しまない主義と言い放つ。

特に外食に関しては、値段は考えず、食べたいから食べる、食べたいものを食べるんだそうだ。

外食で、一人焼き肉屋も平気で行けるらしい。

大したもんだ。笑

私にゃできません。

(スカイツリーを撮影中の妹)



その後は皇居に行ったのだが、


残念、中に入れなかった。



また次の機会にしよう。

あとはそのまま東京駅に行き、帰路についた。

東京に行き、つくづく感じたのは、東京が行く度に綺麗になっていること。外国人の観光客が本当に増えていること。

友人と会って嬉しかったし、妹からもずいぶんもてなされた。

久しぶりに姪や甥に会って成長を感じ、楽しく話をできたのも良かった。

そして本当に久しぶりに会えた伯父。後で写真を送らなくちゃ。

楽しく貴重な三日間の東京滞在だった。

リフレッシュもできたし、また明日から元気に生活していこう。






東京滞在ダイヤリー

2019年10月22日 | 日記
10月21日(月)

正午過ぎ、東京駅到着。

迎えに来てくれていた妹と、江戸川区に住んでいる私の友人宅に行く。
友人宅で美味しい昼食をたっぷりいただく。感謝感謝。友人のお母様もお元気そう。
飾ってある友人手作りのミニチュアハウスが、上手だし可愛らしいし素敵だった!


こういうのイイな。私も今度作ってみたくなった。

友人宅で楽しい時間を過ごした後、

夕方、葛飾区の妹宅にいったん荷物を置きに行く。
妹宅の新しいマンションに初めて来たが、想像していたより立派で驚いた。マンションも景色も羨ましい。



私が泊まる部屋に、ゲストルームを取っておいてもらっていた。快適快適。

夕方、予約していた妹お勧めの整骨院に行く。
私の五十肩は、筋肉の固まりだけじゃなく、骨盤のゆがみからもキテいたらしい。そして姿勢の悪さからも。
脚やら腰やらのストレッチ含め、腕肩をまんべんなく強くマッサージなどしてもらう。
これが痛いのなんの。
でも、きっと長く通えば改善されていくような気がするが、三日間だけの滞在では良くなるのは残念ながら無理だ。
ただ、車の運転中の姿勢のアドバイスを受けたので今後気を付けよう。

妹宅に戻ると妹の子ども達が帰っていた。
21歳の姪と19歳の甥に会うのは3年振りだろうか。どちらもすっかり大人っぽくなっていた。大人になっても私の中では小さかった頃のイメージが強いので、いつまで経っても私にとっては可愛い姪と甥だ。

10月22日(火)

相模原の特養施設に入っている、89歳の伯父に会いに行って来た。
東京に居る妹は何度か行っているようだが、私は18年振りだった。
姑カヅさんはすっかり認知症になってしまったが、伯父はそれはまったく無い。
車椅子生活ではあるが、中身はしっかりしている。
今日、会いに行くと目に涙を溜めて喜んでくれた。
会いに行って良かった。
何度か「もう自分は長くはないと思っている」と言っていたが、どうかまだまだ元気でしいてほしい。

その後は、神宮球場近くのオリンピックミュージアムという所に行った、が、臨時休業だった。ガッカリ。

その後は、明治神宮にお参りに行った。

天皇陛下即位の礼にともなう記帳もして来た。

私は幼少の頃、東京で暮らしていた。三歳の七五三の時に明治神宮でお参りをしている。それ以来行ってなかったので、なんと53年振りの明治神宮。

明治神宮内を歩いていると、本当に不思議な良い「気」を感じた。

何か良いことがあるといい。
お守りも購入した。

さて、明日は東京滞在三日目。
明日の夜は帰路につく。








Nannano,Hontoni,Komarujan

2019年10月20日 | 日記
今に始まったことじゃないが、ウチ、しょっちゅうNHKが映らなくなる。

他のチャンネルもたまに。

でもやっぱりNHKが特にだ。

なんだろう?電波が何かで妨害されてるのか、アンテナの劣化なのか、数年前からこうだ。

たまに映る時は、風が強く吹いてるなどアンテナの向きが微妙に変わったんじゃないかと思われる時。

だから皮肉なもので、先日の大変な台風の時は映っていた。

そうして今日は、ラグビーの日本戦があるってぇのに映らなかった。。

日頃、たとえ他のチャンネルが映らなくなってもNHKは映っていて欲しいのに。

映らないなんて、映らないなんて、

NHK・・

なんなの、ほんとに、こまるじゃん。




幻のパレード、幻の寝台列車

2019年10月19日 | 日記
東京に住んでいる妹が、自分が通ってる整骨院がすごく良いから、ぜひ五十肩を受けに来てと前々から言って来ていた。

いやそうは言ってもわざわざ東京までマッサージ受けにかい、と、私は乗り気ではなかった。お金もかかるし。

でも、即位の礼に伴う街頭パレードを見れる期間なら行ってもいいかなと考え、

21日から23日の日程で、東京に行くことに先週あたりハッキリと決めた。

しかーしー!台風のせいでパレードが延期になってしまった。

ガッカリ。

切符もあるし、予定通り東京には行くけど、

ガッカリ。

台風め。



このことで想い出したことがある。

息子が小学6年生だった夏休み、私達は『寝台列車あけぼの』に乗る予定だった。

廃線が決まっていたあけぼのは、なかなか切符が手に入らなかったが、あの時はなんとか1か月前に買うことができて、息子は乗る日をずっと楽しみにしていた。

楽しみにし過ぎて、息子と一緒にあけぼのの歌まで作ってその日が来るのを待っていた。

そして当日。

上野駅まで行って、上野駅からいよいよあけぼのに乗る時が来た。

発車20分ぐらい前だったかな。

ワクワクしてる様子の息子と改札に入ろうとしたその時!

何やらアナウンスが聴こえてきた。

どうやら、あけぼののことを何か言ってる。

息子と二人で耳をすました。

・・・え!?

なんとその放送は、大雨のため、本日あけぼのは運休になります、と言っていた。

呆然とする息子と私。

特に息子のことが心配だった。

泣くかな、怒るかな、相当ショックを受けてるはず、と。

ところが息子は表情を変えず、淡々としていた。

後で大きくなった息子に、あの時平然としていたけどなんで?と聞いたら、

いったい何が起きたんだろうとポカンとした気分だったという。

だよねぇ。あれはショックだったもの。

結局あけぼのに乗る夢は叶わず、あけぼのは廃線になってしまった。

まあ、私がパレードを見れないのは、あの時の息子のショックとは比べものにはならないから。

パレードはなくなったけど、明後日からの東京旅は決行する。

息子よ、留守番頼んだぞ。














ムラサキお婆さん

2019年10月18日 | 日記
姑カヅさんの施設利用の支払いに行って来た。

ついでに先日職員の人から「カヅさんの羽織り物を何か持って来てもらいたい」と言われていたので、

フリースの薄紫色の羽織り物を買って持って行った。

その紫のフリースを見てカヅさんは、

「それは何?」

と聞いたので、

「最近寒くなってきましたからね、おかあさんの羽織り物を持って来たんですよ。あ、今日のおかあさんの服もちょうど紫色ですね」

と言った。

その今日着ていた紫色の服も、私が以前カヅさんに買った服だ。

考えてみたら私がカヅさんの衣類を買うと、ついつい紫系統になってしまう。

ああ、そうだ。お祖母ちゃんを思い出すからだきっと。

「私のお祖母ちゃんは紫が好きだったんですよ」

「おばあちゃんて?わたしは会ったことない人かな」

「あ、何回か会ってますよ」

「全然思い出せない…」

と言いながら眉毛を潜めてるカヅさん。

「ああ、もう亡くなって15年になりますからね、忘れたんでしょうねぇ」

「忘れた?何を?」

いや、だからさ。

「お祖母ちゃんですよ、私のお祖母ちゃん」

「は?」

は?て、は?

「お祖母ちゃんて誰?」

「だから私のお祖母ちゃんです」

久々に軽くイラッ…

「私は会ったことない人かな」

「会ってます。何回か」

「いつか会える人かな」

「いや、もう亡くなってますからね」

「亡くなった?誰が?」

ちょ…

「お祖母ちゃん」

「おばあちゃん?誰の?」

「私の」

「いつか会えるのかな?」

「だからもう15年・・・そうですね。会えますよ、いつかきっと」