ダンナよスマン

2019年11月16日 | 日記
ダンナを早く助けてあげたいが、今はまだ私にも余裕がない。

すまないね。

れいの事は本当についやってしまったのか、或いは誤解されたのか、はたまた看護師達が夏の仕返しでちょっとしたことを盛って仕立ててきたのかわからない。

どちらにしても、ダンナは確かに悪い。

辛いだろうが、今は反省しなさい。

わたしゃ明日はカヅさんの荷物の整理に施設に行って来るし、その後は来月の四十九日と納骨の打合せがある。

四十九日が終わっても、まだ何かとやることがある。

もう少し余裕ができてきたら、ダンナをどうすれば救えるか考える。

だから待ってろ。





ダンナの入院先の病棟から嫌な電話がきた

2019年11月15日 | 日記
今朝、私のスマホが鳴った。

ダンナが入院している病院の病棟の看護師長だった。

開放病棟に入院しているダンナだが、以前居た閉鎖病棟に戻ることになるという連絡だった。

理由を聞いて驚いた。

ダンナが車椅子の女性がトイレに入って居るのを覗いたという。

車椅子のトイレの扉は鍵の無いアコーディオンカーテン。

その隙間から見ていたという。

嘘でしょ?

いくらなんでもダンナがそんなことをするなんて。

ダンナも「やっていません」と言っているらしい。

私もそう思う。

何かの間違いだと。何かの勘違いだと。

そもそも男女一緒のトイレという造りがあの病院のおかしなとこ。

廊下を挟んで男女の病室が向かい合って並んでるし。

それでいて夏はドアが開けっぱなし。オムツ介助が必要な患者さん達が居るというのに。

ダンナはやってないと私は信じているが、それ以前に病院の入院体制に問題があるのではないか。

だけど、そんなことを今言ったところでどうにもならない。

ダンナはまた閉鎖病棟に入れられるんだろう。

誤解だと信じているが、たとえそうだとしてもたった1回、しかもダンナは病気なのだ。

そういうことをもう少し考えてくれてもいいじゃないか。

まあ、そんな話はあの看護師達には通用しないだろう。

むしろ夏の仕返しでもしてきた気分なのだろう。だいたい想像が付く。

閉鎖病棟に行ってしまっては、ダンナが唯一の楽しみにしていた週に1度の売店での買い物も、ちょっとしたレク活動もできない。もしかしたら私が月に1度行って外出させることも。

自由が無くなる。あの病院の閉鎖病棟に入れられてしまっては。

何のために生きてるんだろうとか、思ってしまうかもしれない。

変な病院だ。

どうやったら私はダンナを救えるんだろう。





ようこそこんな所へ

2019年11月14日 | 日記
ムカつく。

ウチの敷地に直径20㎝ほどのコンクリートの塊が捨ててあった。

一年前ぐらいも同じことがあった。

犯人は見当がついている。

隣のジジィだ。

隣の敷地はコンクリートが敷き詰められているが、見るとそのコンクリートがあちこち劣化して割れている。

その割れてしまったコンクリートの処分がめんどうで、夜とかウチに放り投げてよこしたのだろう。

だが、悔しいことに証拠が無い。

でもこのジジィがよく外で自分の家周りの片付けやら何やらをしてるが、たまに夜もガチャガチャしてる音がする。

大量の何やらを液剤を、ウチの敷地にバシャーンとひっくり返した音がしたり、普通にゴミを捨ててあることはしょっちゅう。

本当にムカつくジジィだ。

隣の木や植物の枝はウチの方にタップリはみ出て伸びていて邪魔だし。

それでも何も言えずに我慢している私。

住んでいる地域でトラブルになると平和に暮らしていけない。

悔しいがいつも我慢して過ごして来た。

ただでさえこの地域には、ひと癖もふた癖もあるババアだらけ。

さっきも夜にゴミを捨てに行ったら、途中で暗闇に立ってコソコソと話をしているババア二人を見かけた。

誰の陰口やら、夜に寒い中ご苦労なことだ。

ババアなんだから、立派に成仏することに向けて、他人の悪口などやめたらどうだと忠告してやりたい。

それはそうと、ウチのもう片方の隣の家に新しい住人が入った。

ずっと空き家だったのだが、2週間ほど前に引っ越して来た。

どんな人達だろうと思っていた。

だが、全然あいさつに来なかった。

ああ、イマドキの人なんだろう。
今の若い人は、引越の挨拶はしないのだろう。

気にしないことにしよう。

だが、こんなに経って昨日、ついに挨拶に来た。

笑顔もなく無表情の30代半ばぐらいの奧さんが、洗剤を持って来た。

常識はあるようで良かった。

どんな人かまだわからないが、どうか良い人でありますように。
















想いが溢れすぎる11月

2019年11月13日 | 日記
今日11月13日は、私とダンナの結婚記念日だ。

なんとまあ丸25年、銀婚式になる。

よくも離婚せずここまできたもんだ。笑

とはいっても、別居や入院で、10年以上一緒に暮らしていないのだが。

入籍したのは10月17日なのだが、やっぱり結婚式を挙げた11月13日が結婚記念日だなあと思う。

ダンナと初めて出会った(出会っしまった
)のは結婚した年の前年の11月21日だったし、

まあこんな話もなんだが、結婚を言われたのが二日後の11月23日だった。

私はもともと11月が好きだ。

冬が近づくのを感じる、少し寒いこの時期がなぜか好きだ。

そして11月は、私の母も、そして亡き父も、誕生月である。

そんな私の好きな11月だけど、今年の11月、姑カヅさんが逝ってしまった。

しかも、カヅさんが亡くなった先日11月1日は、私の母親の80歳の誕生日だった。

母の誕生日は、これからはカヅさんの命日にもなってしまった。


11月、ますます想うことが多すぎる。











応募の電話がなかなか繋がらなくて

2019年11月12日 | 日記
昨日は実家の母を大学病院に連れて行って来た。

母は10年前に腰の手術をしていて、その時に主治医から「これからは無理をしないで休んでくださいね」と言われていたのだが、

私の母に「休む」という言葉はない。笑

ウチは商売をしているので、朝から晩まで働き詰め。
案の定、ここ数年また、腰から脚にキテしまった。
左脚に痺れ以外の感覚がなく、歩き方がたどたどしい。

それで昨日は大学病院で、予約していた検査があった。

結果、手術の必要があるまでには至っていないが、今後は薬を飲みながら、定期的に通って様子を診ることになった。

私の実家は車で2時間ぐらいかかる。

母を乗せて運転しながら、久しぶりにいろいろな話をした。

姑カヅさんの遠距離介護をしてきたことを、
「今までよく頑張ったね。お疲れ様」
と、労ってくれて、私は泣くのをこらえた。

私なんて、母に比べたら何をやっても「頑張った」うちに入らない。

今回もお金のことでは母に助けてもらった。

情けない娘だ。

せめてこれからは、母を支えよう。

「肩が痛いんだから無理して仕事をしないで、時々ウチに手伝いにおいで」

と、母に前から言われている。

今まではカヅさんが心配だったから、そうそうは行けなかった。

でももうカヅさんは居ない。

精神科に入院しているダンナのことも、今はどうしてやることもできない。

息子は私が家に居なくても、自分でなんとかできる年齢になった。

そうだ。

母の言葉に甘えよう。


と、思ったが、今朝の新聞折り込みに目が行った。

新しくできるらしいスーパーのスタッフ募集。

品出しの経験はあるが、肩が上がらない私には無理だ。それならレジはどうかな。

よし!電話してみよう。

迷うことなく電話をかけた。

・・・

繋がらない。

『只今電話が混み合っています。順番にお繋ぎします』と自動音声が繰り返されるだけ。

数分間待たされても繋がらないので切った。

あ・・

切って冷静になった。

いま私働く時?

四十九日も済んでないのに。

たくさんのいろいろな手続もこれからなのに。

カヅさんの家の最後の片付けもあるのに。

だよね。

落ち着け私。

むしろ電話が繋がらなくて良かったよ。