あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

院内銀山跡

2012-07-26 15:34:00 | ノンジャンル
ネット上では、かなり怖いイメージが広がっている、秋田県南「院内銀山」跡に行ってきました。

院内銀山には、友人や家族とバイクヤ車で何回か行っていますが、一度不思議な事があったのでそれ以来、7~8年ぶりで行ってきました。

江戸時代からの古い古い無数のお墓が朽ち果てている写真は、写せなくて「クマ出没」の看板にビビってしまい、とっとと帰ってきました。
銀山の工夫達(貧困や裏街道しか歩けない訳ありが多数)、技術者、郭で売春していた女たち、商人などの墓。そして、戊辰戦争で僕の新庄藩の先祖がで戦死した近くの増田町と同じように、官軍として戦死した北九州などの兵士たちの墓も多くあります。

奥の坑道入口までは、かなり草深く、たくさんの虫が飛んでいたので行かないで帰りました。

ここから未舗装・草ぼうぼうの鉱山町・坑道跡への坂道を上るのですが、深く高い木立の中にある駐車場の周りにある、金山神社と看板を撮って帰りました(笑)





備忘

2012-07-23 22:41:00 | ノンジャンル
雑草の中で目立っていたけいとうらしい草もだいぶ大きくなりました。
10㌢くらいの平らな茎が1㍍ほどになりましたが、上の方で枝分かれして花をつける準備をしてきました。





今年初めて見つけました。
雑草の花はほとんど終わってしまい、雑草の緑の中でかなり遠くから見えたので写してみました。




はまなす。



助手席では、ランプが咲いています(笑)






コメント

2012-07-12 08:10:00 | ノンジャンル
今日は、友人のブログに書いた僕のコメントをいくつかまとめてみます。自分からは普段書かない心情が書かれているので、掲示板でなくこのブログに載せます。
元々、「あらぐさ掲示板」は、10年以上前に作った政治や社会問題の掲示板で、過去激しい論争もあったのですが、昨年3月11日の大震災を契機にカウンターをゼロにして、あまり政治性や思想性を出さないようにしていました。
その分、何人かの友人のブログに長いコメントを出すようになり、「ちょっとまずいな…」と反省していたので、とりあえずいくつかの自分の書き込みを再掲することにしました。

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●メーデーに参加したちんどん屋さんの日記にコメントしました。
以下


そうですか!
聞けバンコクの労働者!
吹きましたか(*^_^*)

サヨク、今やカタカナ表記ですわ(笑)
ブサヨ、とネットで揶揄されています。

僕自身は、日本労働運動の平和革命路線最左派の○会派(○坂派)に長い間所属し、人一倍学習してきたつもりでしたが、村山総理誕生・大連立政権を見て思想的下野をしましたが、いまだに「労農派マルクス主義者」と自称するにやぶさかではありませんし、かなり記憶から落ちてしまった「唯物弁証法」で哲学くらいなら、論戦出来ますよ(爆)

国会図書館には、雑誌に載った6~7ページくらいの僕の論文(反差別闘争と指導部の献身性についての現場レポート風論文)が保管されていますよ!~確か25000円くらいの稿料をもらいました(笑)

こういう社会運動は、大衆を動かすためではなく、自分の精神を真っ当にする為に学び、その人間的魅力で大衆が味方になるという事が一番大切なのに、その人間への思いやりを欠いた人が指導部になれるという根本矛盾を左派政党も左派労組も克服できなかったのですね。

幻に終わった「総評組織綱領草案」の上記の「大衆への献身性」が明記されているのですが、その「大衆への献身性を全活動家が目指すべきだ」という、三池闘争から学んだことがダラ幹に警戒されたのか、「案」で葬られてしまいました。

僕は、人情に溺れ、人間関係で傷つきながら、仲間からも「馬鹿か。活動家失格」と言われながら、ベタベタの蜘蛛の巣のような人間関係を「縁」として大事にしてきました。

全く後悔していませんけど!
誰も経験したことの無い、奇想天外な楽しい貴重な経験をさせてもらいましたよ。

●再コメント
以下


>でもその「終わっている」ことをしたり顔で、あるいは憐憫の眼差しで「分かり易く解説」する知識人

鋭いですね。
彼らは、まだマルクス・レーニン主義の亡霊を恐れ、躍起になって否定しようと頑張ってます(笑)
150年前の経済学、100年前の革命理論は、現代にはそのままでは適用できないでしょうね。

しかし、「社会の下部構造である経済が、上部構造の政治・文化を規定する」というマルクスの指摘は、一世紀半経ても色あせてはいませんね。
政治がバタバタするのは、社会の土台である「経済構造」の歪みが限界線まで大きくなっているからです。

国家独占資本主義の社会では、各国通貨さえ「商品取引」として売買され、独占企業同士の戦いは、巨大同業種の合同合併・吸収によって更に巨大な国家的企業が世界経済を独占しようとする事を100年前にレーニンが示唆しています・・・

おっと、講義じゃないな(笑)
一応、某団体の労働運動史、哲学などの講師資格を得ようと頑張ったことがあります・・・

明日はゆったりといきましょう。
マルシエライヴの特徴は、気楽に普段着音楽が出来ることです。

そういえば、mixi に「唯物弁証法」という参加者2名のコミュニティを作っていましたよ、先生が僕で、生徒は足立区から1名の登録制コミュ(笑)

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●滋賀県大津市のいじめ自殺についてのブログに書いたコメントです。
以下


「いじめ」や「イジメ」ではなく、「苛め・虐め」なんですね。
漢字で書かないと、意味が薄れます。
しかし、本来の意味は『苛め・虐め』には集団で行う「いじめ」という意味が薄くて、そういう現代的な「いじめ」という集団による特定の人間(生徒)に対する行為の名詞化は、'80年代から確立したようですね。

県南某増田高校入学式当日、玄関の下駄箱の前で殴られて以来、不良グループ(下っ端)に「警官の息子」という理由で1年間いじめにあったのは、クソ面白くもない思い出です。
中学では「駐在の息子」で阻害され、高校でもこんな感じでした。

なので、僕には18歳以前の「楽しい思い出」は皆無です。思い出すこともないです。人生の無意味な浪費時代です。空白の時代ですな。
すべては、高卒後、無一文から自分で稼ぐようになってからの人生です。

幸い、といっていいのか、不良グループに属している近所の同級生が、リーダー(番長)と親しくて、番長の友達だという事になって、2年の夏休み以降はクラブ帰りに殴られるという事は無くなりました。

なにしろ、学級で一番小さくて痩せていたので、抵抗できない非力な体でしたが、2年頃から猛烈に大きくなりだして、連中よりも大きくなり、柔道で覚えた関節技も切れ味が県南でトップでしたから、ちょうどいじめが止むころには、相手の腕などは簡単に折れるくらいの自信がついて、二学期が始まったら、奴らに復讐する計画を立て、予行演習を脳内で組み立てている状態で、その機会を待つくらいになっていましたから、僕にとっても相手にとっても、休戦のタイミングはベストでした(笑)

それ以降、自分から暴力で解決するという事は45年間一度もないままに(家族に手を出したら相手を殺す!とは常に考えていましたが…)、「言葉の暴力」と「逃げるにしかず」で来ました(笑)

戦後の食糧不足は、青少年の空腹を満たすことが出来なくて、窃盗や万引きの小さな「やむを得ない犯罪」が多発し、その対処として作られたと思われる「少年法」は、すでに見直す時期を過ぎています。

もっといえば、「行われた結果で罪を問い、罰を決める」という当たり前の事が、現代的な犯罪全般に適用できる法改正が必要なのかもしれませんね。

酔っていた、覚せい剤をやっていた、一時的な心神喪失だった、精神が正常じゃなかった・・・で自分の行為から責任を逃れる法律は、犯罪を犯そうとする前に、シャブだ、酒だ、ノイローゼだという実績を作れば罪に問われないわけで、「結果で罪を問う」ことを重要視しないと、自死を選ぶしかなかったいじめの被害者は泣き寝入りです。

大津市の犯人たちは、ネットで「死体を見に行こう」的な書き込みをしていたと、噂されています。
飛び降り「練習」でなく、本番の時も知っていたかのような、書き込みを残していて、ツイッターや掲示板などで、3人の実名が出ていますね。

自死する人が、一番楽になる事として選んだことですから、その選択を迫った連中を追い詰めないと、「絶対に」いじめは無くならないです。奴らはのうのうと同じことをやります!

いじめによって、18歳以前を喪失した僕は断言します。
その親の非人間教育も含め、「結果で罪を問う」べきです!

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●宮城・岩手両県のがれき受け入れに反対する北九州市の日記へのコメントです。放射線量を調べろという反対グループ(東北は放射線に侵されているという無知な原理主義者)が、市が調査結果(東北の瓦礫よりも北九州市の放射線量が大きかった)について。
以下


自分の本性は中庸を重んじる性格なのですが、とても長い間「原理主義者」を演じ、装ってきたので、退職してその桎梏から逃れた視点で、あらためて同じ問題を考えて、「原理主義」の弊害を自らの体験として思い知っている今日この頃です。

日記に取り上げられている問題は、彼らの譲れない一線のなんと幼稚で稚拙な事か!としか感想が無いですね。
原発を稼働させたい「原発ムラ」の政財界、節電したくないから原発を動かせという、大阪人の民度、みんな精神的な「子供」の原理主義です。

学習もしないで噂とデマに踊らされ、素晴らしい主張を発信していると勘違いする人々に辟易しています。
ある種、テロリズムですね!
そう感じます。

「反戦・平和、ベトナム反戦」の原理主義の頃の、ある意味普遍的な格調高い「平和を希求する原理主義」が、いかに大きな命題であったかを考えたりしますね。
それも'70年安保反対闘争の敗北と、その敗北の後、過激に玉砕する少数の学生運動と、「長い髪とひげを落とし」体制にまかれた大多数の「団塊の世代」が、現在の社会を作ったわけです。

僕は昔、音楽雑誌への投稿で、誰か有名人が云っていた「僕らポスト団塊の世代に、広大な思想の焼野原しか残さなかった団塊の世代」が、保守政権のやり放題と、その経済・政治システムの成熟の中で高度成長を成し遂げた。
その「団塊の世代」に、あの反戦・平和の魂が残っているのだろうか?と書いたことがあります。

宗教も政治も文化も生活も、原理主義の弊害に気を付けながら、多方面の情報を学びながら、譲れないモノをそれぞれが確立していかなければならない、そんな時代なのではないでしょうか。

「反戦フォークのあの志は」   きよかん

激しい雨に起され朝7時のニュースでは
相変わらず殺し殺され弱いもの虐めの世界
時には生きることにさえ疲れ果てる時もある
思い通りにならない人生わたったふりをして溜息一つ

妻や子供達のためと働き続けてきたつもり
僅かしかない自由さえも売り渡してしまってさ
「戦争を知らない子供達」はいま親達の苦しみを忘れ
憎しみを煽り敵を作り選挙のために吼えまくる

奴らは俺達を「平和ボケ」と薄笑いを浮かべののしる
俺達は「戦争ボケ」の世の中のその怖さを知っている
俺達が本当に生きている魂の証をもう一度
確かめ合う時その時はそう遠くは無いだろう
  若き頃のあの情熱はくすぶり続けてはいるが
  もう一度燃え上がる時には静かに熱くなるのさ

もしかしたら自分の為だけに生きてきたのかも知れないが
溢れるほどのあの憧憬は今どこにあるの
パチンコゴルフグルメ温泉ゲートボールにはまだ早い
だけど俺達のやるべきことは平和を子供達に残すこと
  若き頃のあの情熱はくすぶり続けてはいるが
  もう一度燃え上がる時には静かに熱くなるのさ


あの時代肩組んで歌った「友よ」は確かに幻想だった
でも俺は俺のやり方でこれからも生きていく
反戦フォークのあの志はいまだ憧憬の彼方
俺達が本当に生きている魂の証をもう一度
  若き頃のあの情熱はくすぶり続けてはいるが
  もう一度燃え上がる時には静かに熱くなるのさ

反戦フォークのあの志はいまだ憧憬の彼方
俺達が本当に生きている魂の証をもう一度

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●パンダの子供の死について
以下


超未熟児で生まれているのに、タケノコに夢中になって育児放棄するって、中国政府に保護されないととっくに絶滅していたんじゃないかと・・・

チベット自治区の住民自治を求める人たちは、国のイメージアップにならないから(たぶん‥)虐殺する政府なんだけどね。

中国、欲だぜ!(笑)

「中国領海法~第一列島線」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%88%97%E5%B3%B6%E7%B7%9A

「第一列島線における尖閣周辺」
http://blogs.yahoo.co.jp/ak08880/53524839.html

ダルを見たくて珍しく野球を全部見てしまった。
ウォームアップもしなかったね・・・
でも英会話が出来るだけで尊敬です!

オスプレイの訓練コース、秋田県縦断(笑)

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雨かも

2012-07-01 09:51:00 | ノンジャンル
昨夜は、東京から帰宅して、2時ころに寝たのに、いつものように6時ころに目が覚めたので散歩に行きましたが、東南東の強い風が吹いています。ランプの長い毛が、お腹で分けられてしまいました(笑)

昼過ぎ~夕方には、雨になるような気がします。
午後のライヴは雨が降らないように願っています。