中東地域各国の相関関係がチャートになっている。
何となくわかりやすいように見える。
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自室の前後二段本棚の奥の段にある本は、普段は全く見えない。
なので、20年以上前に購入した本がそっくり出てくるときがある。
連載物は、シリーズになっていると全部買ってしまい、一方では他にやることが出来てしまい、急速に興味が薄れて本棚の奥で休眠している本はまだありそうだ。
「アラマタ図像館シリーズ」(荒俣宏)
子供の頃から地図を見るのが好きで集まった本。
何にも読んでいない。
というより、存在を忘れていた。
「世界名画の旅シリーズ」は、30年くらい前なのかな?…朝日新聞の日曜版に連載されていた。
世界的名画とそのモデルになった人や地方の現在を、丹念に取材した好きな記事で、文庫版で発行されてすぐに買い求めた。
これは、当時は熱心に読んだものだ。
僕は絵画の世界は全く無知だ。
好きな絵があるとジッと見てるだけ。
それでも風景画、宗教画、写真の代用としての歴史画など、好きな絵画はたくさんある。
これが「アーチスト」の世界だ。
蛇足を承知で今回も繰り返してしまうのだが、歌もダンスも幼稚な人気タレントは、「パフォーマー」ではあっても決して「アーチスト」ではない。
僕としては、百歩ゆずっても「ミュージシャン」でさえないと思っている。
例えば、やたら人数の多い団体パフォーマーの事務所とか、似たキャラクターの数人グループが10組近く存在し、ごり押しでテレビのチャンネルを27時間も独占する・・・以下自粛。
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テーマに戻って…‥・・
人は生まれてから死ぬまで様々な表情を心と体の両面にわたって外に出し続けている。
その中で特に僕の好きなテーマは、人の加齢による体のそれなりの変化だ。
ギリシャ彫刻のような均整のとれた体は、全く人格を感じないばかりか、人間社会で生々しく生きている真の人間像を伝えてはいない。
ギリシャ神話の三美神~魅力(charm)、美貌(beauty)、創造力(creativity)を司っている~は、古来アーチストの格好の題材になっている。
ふくよかなマリアに抱かれるイエスや天使を書いたラファエロの三美神は、フッくらとデフォルメしている彼の画風よりも均整のとれた描き方だ。
でも僕は、圧倒的にルーベンスの生々しい市井の女性をリアルに表現している三美神が好きだ。
人とはこういうものだし、ここに必死で生きている人々の生活感が表れている。
特に日本人の体形から見ても、絵画に一般的に描かれているヨーロッパの理想的な女性の身体は、「あり得ない」ほどの非現実的なフォルムだ。
僕は彼女たちを心から美しいと思うのだ。
僕は一方では、モネの恋人であり、モデルとして描かれ続け、モネを支え続けて亡くなったカミーユ・ドンシューの、顔さえ光によって定かで無くなっている「散歩、日傘をさす女性」がとっても好きだ。
・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・
しかし、一番好きな絵画での女性は次の彼女だ。
彼女は、名前も素性もわからない。
100年以上前の馬車に乗っている若き女性、ロシア貴族の愛人ではないかとも言われているが、ロシア語の絵のタイトルが英語の Unknown という意味になっている、邦題「忘れ得ぬ人」である。
おそらく本来つけるべき邦題の「見知らぬ人」が気に食わなくて、日本人に好まれるロマンチックなタイトルにしたのではないだろうか。
余計なお世話であった。
見知らぬ人・・・これがいい!
「忘れ得ぬ人」(クラムスコイ)
それとフェルメール。
自分の村の風景と人々しか書かなかった中で、この娘の視線が魅力的だ。
「真珠の耳飾りの少女」フェルメール
せっかく発見・発掘したのだから、本棚の二段目の棚にひっそりと隠れている本たちを、陽の目をあててみようと思う。
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スイカの新しい食べ方。
先週の市内の町内会で唄った後で、スイカを一個いただいた。冷蔵庫の野菜を追い出してスイカを冷やしていたのだが、良い感じに冷えたので食べた。
家族1は、スイカの半分にしてから「輪切り」にして食べていた。
なかなか斬新な食べ方だと思う。
ちなみに、僕は結婚前はスイカは嫌いだった。今も一切れくらいで十分だ。
独身時代の偏食はひどく、魚も野菜も嫌いだった。
現在、曲がりなりにも何とか生きているのは、亡妻の強制的な「嫌いなもの撲滅作戦」のおかげだと本当に感謝している。
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土用の丑の日。
大きくて安い中国原産うなぎは、元より食べたことはない。
亡妻が、スーパーの野菜・果物コーナーで働いていて、中国産のひどさには危険さえ感じていたのがもう15年も前の事である。
しかし、日本産のうなぎは高い。
そこで温かい「あきたこまち」のご飯に豪快に降りかけて「うなぎ丼」モドキで満腹した。
それなりにうなぎ(のような)味がした。
何となくわかりやすいように見える。
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自室の前後二段本棚の奥の段にある本は、普段は全く見えない。
なので、20年以上前に購入した本がそっくり出てくるときがある。
連載物は、シリーズになっていると全部買ってしまい、一方では他にやることが出来てしまい、急速に興味が薄れて本棚の奥で休眠している本はまだありそうだ。
「アラマタ図像館シリーズ」(荒俣宏)
子供の頃から地図を見るのが好きで集まった本。
何にも読んでいない。
というより、存在を忘れていた。
「世界名画の旅シリーズ」は、30年くらい前なのかな?…朝日新聞の日曜版に連載されていた。
世界的名画とそのモデルになった人や地方の現在を、丹念に取材した好きな記事で、文庫版で発行されてすぐに買い求めた。
これは、当時は熱心に読んだものだ。
僕は絵画の世界は全く無知だ。
好きな絵があるとジッと見てるだけ。
それでも風景画、宗教画、写真の代用としての歴史画など、好きな絵画はたくさんある。
これが「アーチスト」の世界だ。
蛇足を承知で今回も繰り返してしまうのだが、歌もダンスも幼稚な人気タレントは、「パフォーマー」ではあっても決して「アーチスト」ではない。
僕としては、百歩ゆずっても「ミュージシャン」でさえないと思っている。
例えば、やたら人数の多い団体パフォーマーの事務所とか、似たキャラクターの数人グループが10組近く存在し、ごり押しでテレビのチャンネルを27時間も独占する・・・以下自粛。
・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・
テーマに戻って…‥・・
人は生まれてから死ぬまで様々な表情を心と体の両面にわたって外に出し続けている。
その中で特に僕の好きなテーマは、人の加齢による体のそれなりの変化だ。
ギリシャ彫刻のような均整のとれた体は、全く人格を感じないばかりか、人間社会で生々しく生きている真の人間像を伝えてはいない。
ギリシャ神話の三美神~魅力(charm)、美貌(beauty)、創造力(creativity)を司っている~は、古来アーチストの格好の題材になっている。
ふくよかなマリアに抱かれるイエスや天使を書いたラファエロの三美神は、フッくらとデフォルメしている彼の画風よりも均整のとれた描き方だ。
でも僕は、圧倒的にルーベンスの生々しい市井の女性をリアルに表現している三美神が好きだ。
人とはこういうものだし、ここに必死で生きている人々の生活感が表れている。
特に日本人の体形から見ても、絵画に一般的に描かれているヨーロッパの理想的な女性の身体は、「あり得ない」ほどの非現実的なフォルムだ。
僕は彼女たちを心から美しいと思うのだ。
僕は一方では、モネの恋人であり、モデルとして描かれ続け、モネを支え続けて亡くなったカミーユ・ドンシューの、顔さえ光によって定かで無くなっている「散歩、日傘をさす女性」がとっても好きだ。
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しかし、一番好きな絵画での女性は次の彼女だ。
彼女は、名前も素性もわからない。
100年以上前の馬車に乗っている若き女性、ロシア貴族の愛人ではないかとも言われているが、ロシア語の絵のタイトルが英語の Unknown という意味になっている、邦題「忘れ得ぬ人」である。
おそらく本来つけるべき邦題の「見知らぬ人」が気に食わなくて、日本人に好まれるロマンチックなタイトルにしたのではないだろうか。
余計なお世話であった。
見知らぬ人・・・これがいい!
「忘れ得ぬ人」(クラムスコイ)
それとフェルメール。
自分の村の風景と人々しか書かなかった中で、この娘の視線が魅力的だ。
「真珠の耳飾りの少女」フェルメール
せっかく発見・発掘したのだから、本棚の二段目の棚にひっそりと隠れている本たちを、陽の目をあててみようと思う。
・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・:・・・・・・
スイカの新しい食べ方。
先週の市内の町内会で唄った後で、スイカを一個いただいた。冷蔵庫の野菜を追い出してスイカを冷やしていたのだが、良い感じに冷えたので食べた。
家族1は、スイカの半分にしてから「輪切り」にして食べていた。
なかなか斬新な食べ方だと思う。
ちなみに、僕は結婚前はスイカは嫌いだった。今も一切れくらいで十分だ。
独身時代の偏食はひどく、魚も野菜も嫌いだった。
現在、曲がりなりにも何とか生きているのは、亡妻の強制的な「嫌いなもの撲滅作戦」のおかげだと本当に感謝している。
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土用の丑の日。
大きくて安い中国原産うなぎは、元より食べたことはない。
亡妻が、スーパーの野菜・果物コーナーで働いていて、中国産のひどさには危険さえ感じていたのがもう15年も前の事である。
しかし、日本産のうなぎは高い。
そこで温かい「あきたこまち」のご飯に豪快に降りかけて「うなぎ丼」モドキで満腹した。
それなりにうなぎ(のような)味がした。