あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

国道397号~走り納めツーリング

2013-10-30 09:55:00 | ノンジャンル
何十年もバイクツーリングを趣味にしていると、「走り納め」という意識が大きくなる。
北国秋田の快適なツーリングの季節は短い。
10月末から4月中ほどまでは、雪と寒さで危険が多すぎて乗ることは出来ない。
また、今年の夏のような酷暑は、転倒した時の防護のための厚着が出来ないので、真夏も走られない。
結局、春と秋の何か月だけが北国のバイク乗りのシーズンになる。
僕が18歳からバイクに乗り続けてきた経験は、危険を増幅させるあらゆるリスクを避けるのがバイクに長く乗るための唯一の方法だという事を教えてくれる。(ブログ7月頃のバイク特集参照http://sky.ap.teacup.com/applet/kiyokan/archive?b=15

そこで、おそらく「走り納め」になりそうな好天の中、ダルマサンのように厚着をして、僕の高校時代を過ごした横手市増田町・東成瀬村に行ってきた。
<増田町と山形県新庄藩士で増田に石碑がある僕のご先祖様>
http://sky.ap.teacup.com/kiyokan/99.html

11月になると、鳥海山、栗駒山、八幡平などは、下界が晴れていてもミゾレが降ってくる。過去、11月3日に八幡平アスピーテラインで走り納めをしたときに、頂上駐車場食堂で昼食を食べて外に出たら、一面の雪景色になっていて、ミゾレになって融けるまで震えていたことがあった。

<今回のルート>
県道(r)61→(あきたびライン)→r326→(出羽グリーンロード)→国道(R)341
→r149→r10→(出羽グリーンロード)→R105→r30→r265→r29→r164→R107
→(出羽グリーンロード)→R398→r57→R342→(まんが美術館)

地元出身の矢口孝雄(釣りキチ三平)さんが、全面的にかかわって作られた増田町の「まんが美術館 http://manga-museum.com/」に何度目かの訪問をした。
現在、家族1の好きな「もやしもん」(石川 雅之)の特別展が開かれているからだ。
読ませてもらっているが、酵母・菌、酒・漬物・など、菌が介在しているあらゆる食物の専門的な知識が、軽妙な漫画にあらわされていて面白い。

有名な漫画家さんの特別展が不定期で開かれる「まんが美術館」は、完全なるシンメトリーの建物のデザイン。平等院鳳凰堂みたいだ。
平日なのでがらんとしていて気分がいい。
おじいさんと孫が遊んでいたが、男の子の三輪車がひっくり返って大騒ぎ。



玄関の建物の名前は田舎のコミュニティ会館みたいだ。




原画やネーム、グッズが展示されていた。
巨大な「もやしもん」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%84%E3%81%97%E3%82%82%E3%82%93


「純潔のマリア」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%BD%94%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2


ゆっくりと館内を見学し、お土産を買ってから、かねてから行きたかったR397に向かう。
地元の増田高校に通っていた僕の時代、もう40年以上前にはこの国道があったかどうかさえ知らなかった。
ここは、紅葉が綺麗とのうわさを知り、高校時代の思い出も有り、どんどん寒くなるばかりの中走った。

(まんが美術館)→R342→R397→岩手県奥州市胆沢橋

高度があるので、紅葉は終わりかけていたが、雲の切れ間から見える峡谷両岸の色具合はきれいでした。光り輝く渓流が逆光の中で細くキラキラ!




岩手県に入ったところでもう寒くなってきたし、寒さと暗さの危険を回避するためには、日没の17時前に自宅に帰らないといけないので秋田自動車道キッチリ100㎞/h巡航で無事帰宅。
家に帰って清酒一杯・バーボンをチビッと呑むのが、ツーリングのだいご味でもある!



★ まんが美術館の受付の女性と、東成瀬村のデイリーストアの女性の笑顔が素敵でした。
冷めたい風の中、これだけでほっこりして得した気分になりました。


<ツーリングブギ>   2004年5月作詞作曲

エンジンを切り 東を振り返れば
長い長い影が 草原に伸びる
体の痛みは 旅の証

そんな旅を 繰り返し老いてゆく
何を求め今日も バイクを駆るのか 
俺の胸にそっと 聞いてみる 

国道沿い 小さなバス停の待合室
シュラフにくるまり 夜露から体を隠す
泥のように 眠りに落ちる

タンデムシートに濡れたシュラフと 埃だらけの荷物を縛り
地図を広げて  今日のルートを目で追って
煌く朝陽に 走り出す

旅に出てもうどのくらい 走り続けたのか
故郷を想う 俺の心は
旅の終わり を告げるのか

若い頃から いつでも一人旅
求める答えは 故郷に帰り着き
風呂上がりの 一杯のバーボン

ツーリング ツーリング ハイウェイ ツーリング
ツーリング ツーリング ワインディング ツーリング
ツーリング ツーリング ハイスピード ツーリング



ランプだよ!

2013-10-28 18:56:00 | ノンジャンル
雨続きで久しぶりの散歩。
毛はクシャクシャ、走りたくて家中を駆け回る。
そんあストレスだらけのランプは、のべつクルミを高所から落として割って食べているカラスを追いまくり走ってます。

窓を全開にして顔を風になびかせて、僕の膝に乗って外を監視してる。



久しぶりの青空が気持ちいい。


全面がススキが原になっているが、よく見ると手前に見える穂の色が白で小柄なススキと、奥に見える250㌢の高さで、穂が赤みがかったススキがある。



南北戦争と映画

2013-10-08 15:37:00 | ノンジャンル
アメリカのアイデンテティとしては、「銃崇拝~もはや宗教的信念」と「無古歴史」と「正義」があらゆる局面で顕著に表れる。
時には、SF映画で悪者やエイリアンとレーザーガンで撃ちあっているのに、唐突に銃を捨てて殴り合いシーンを山場に持ってきたりと、「銃崇拝」だからこその逆説的な「格闘崇拝」として映画などで表現される。

●南部連合(アメリカ連合)旗(このほか南部連合の各州旗のデザインもバリエーションがある)
https://www.google.co.jp/search?q=don+troiani's+civil+war&hl=ja&rlz=1T4SNJA_jaJP415JP416&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=HqVTUsDhPKqDjALu6YGICg&ved=0CC4QsAQ&biw=1274&bih=880&dpr=1

1861年開戦時~1863年(星の数は最終的に13州に増えていく)



1863年~1865年


南軍リー将軍旗


僕は、超田舎の高校の同級生に「高校ベ平連!」の友人がいて、当時から「反戦原理主義者」でありながら、高校の頃から自然科学、歴史、生物や特に古今の世界中の戦争の歴史に惹かれてきた。
数学は二次方程式も解けないし、物理や化学の公式は全く知らない。英語は中学初期程度で、ただ国語や古文や歴史、社会、生物が大好きだった。ノンフィクションの読書も好きで、寝るまでの時間の読書は現在までもう50年も続いている。
もちろん、大学にもいっていないから、働きながらの広く浅く(笑)映画をみたり読書をしてきた。
今は南北戦争に興味がある。

●アメリカのホラー系映画は、なぜ古い屋敷と怪物や悪魔や黒魔術が中心になるのか?
●SF映画でさえレーザーガンを捨てて、殴り合いを始める、必然性のないストーリーをアメリカ人が好むのか?
●「世界の警察」(オバマは否定したが)としてのアメリカの政策が長い間国民の支持を得ているのか?
●なぜに、「62万~64万人」というアメリカ人どおしの戦争が行われたのか。南北戦争以降の全戦争のアメリカ人戦死者よりも多い戦死者を数年で出すほどの南北の対立・憎しみはなぜなのか?
●ナチスのユダヤ人虐殺は映画で取り上げても、自国における100万人以上いたはずのネイティブ・アメリカンが、わずか2~30年で数万人まで(絶滅寸前まで)減ったことを検証する映画が少ない etc

など、住んだこともない、英語もわからない僕が映画やニュースを見ていてずっと疑問に感じていた事がある。
僕の全くの直観なのだ。
*イギリスのようなローマ帝国までさかのぼるような古い伝統が無い 
*王族・貴族がいない 
*独立戦争以降、建国と発展の歴史は「銃」によってのみ正当化される歴史だった 
*ヨーロッパ・アジア各国からの移民と、アフリカからの奴隷が国家建設の中に組み込まれている*ネイティブ・アメリカンをそもそも人間として認識していなかったのではないか?

これらの新しい国家としての貴重な経験が、優越感、劣等感、正義感となり、その現代アメリカに引き継がれるアイデンティティの表裏が、僕が疑問に思った事柄のある程度の答えになっているのではないだろうか。

つまり、「南北戦争 American Civil War」がアメリカという国の原型を作ったのではないか、と考えていたので、元々好きだった西部劇の一環としての南北戦争がらみの映画を何本か見てきた。

「奴隷解放」をめぐっての戦争ではなく、南部農園経営者がイギリスなどのヨーロッパとの貿易で富を独占していくのと対立する東部・北部の各州との純粋な「経済摩擦」を原因とする戦争だったことを明らかにすべきだと思う。
イギリスによる南部連合への全面支援を防ぐための北部(リンカーン)によるイギリス議会向けの人道政策が「奴隷解放」であり、これがイギリスの南部支援をとん挫させて、最終的に北軍が勝利することになる。

南軍の正規兵はまだしも、ゲリラ活動したり、南部農園富裕層に資金援助をもらいながら義勇軍として南軍に加わった兵は、戦後には仕事にもつけない状況に陥り、南部住民の同情を受けながら犯罪者・ギャングになっていくのだが、この無法者たちを当時「アウトロー」と呼んだのである。
西部劇(マカロニウェスタン除く~イタリア語はダメでしょ!)は、映画館やレンタルで多くの作品を見たつもりだが、未公開の作品や見逃しもあるので見た範囲で、西部劇の中の南北戦争の実態にある程度ふれていて、「なるほど!」と感じた映画を挙げてみる。

「赤い河」(1948年)
「無法の王者 ジェシィ・ジェイムス」(1957年)
「西武開拓史」(1962年)
「ダンディー少佐」(1965年)
「風と共に去りぬ」(1939年~公開1952年)
「続・夕陽のガンマン」(1966年)
「アウトロー」(1976年)
「ロングライダース」(1980年)
「グローリー」(1989年)
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)
「楽園をください シビル・ガン」(1999年)
「アメリカン アウトロー」(2001年)
「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)
「コールド マウンテン」(2003年)
「ジャンゴ 繋がれざる者」(2012年)
「リンカーン 秘密の書」(2012年)
「リンカーン」(2013年)

さらに、ネイティブ・アメリカンへの虐殺を描いた映画を二つ。
「頭の皮を剥ぐ」のは、ネイティブ・アメリカンの残虐性として過去強調されてきたが、実際は初期の虐殺をおこなった白人たちが、その証拠として殺したネイティブ・アメリカンの頭の皮を剥いだ復讐として行った行為だ。
「小さな巨人」と「ソルジャー・ブルー」は是非見て欲しいと思う。

まっとうな歴史修正主義、新しい史料を掘り出したり、今まで注目されてこなかった人々の事績を掘り出そうとするという意味でのリヴィジョニズムの成果だ。
しかし、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)への虐殺を真正面からとりあげた映画はあまり見ていない。
ジョン・フォードの西部劇での「インディアン悪い人」というステレオタイプな白人主義的正義を振りかざした歴史観による映画から真に脱却し、リヴィジョニズムによる新たな虐殺の真実を取り上げた映画が、今後ハリウッドから発信されるかどうかに興味をもっている。

※ 映画における奴隷など記録を残せなかった人々を扱った作品の歴史的解説本。