あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

僕のルーツ

2012-04-20 14:16:00 | ノンジャンル
ランプの散歩荒れ地の今年初めての花です。
やぶの中に咲いていました。
去年と同じで、名前は知りません(笑)



<まえがき>

●幕末、徳川幕府は、薩長土肥を中心とする勢力によって倒され、天皇を傀儡とする明治政府が成立した。
江戸開幕以来250年の中で闘う精神を失った幕府軍は、鳥羽伏見の初戦から後退し、薩長軍に掲げられた岩倉具視らが作った「偽錦旗」と「偽勅」に狼狽した徳川慶喜は、大阪城から海路逃亡し、江戸城無血開城を節目に戦いの中心は、京都守護職を藩をかけて全うした会津藩攻防戦になった。

●会津を孤立させないために奥羽越列藩同盟が作られたが、秋田藩が最初に薩長軍に寝返り、仙台・米沢藩兵、旧幕府軍諸隊・新撰組その他が激戦を繰り返したが、米沢・仙台、そしてついには会津が降伏し、箱館戦争を経て五稜郭で榎本軍が降伏し、戊辰戦争は終結した。

●山形県酒田の庄内藩は、江戸市中取締りの任務を担い、京都と同じように異人切り、江戸市中放火、強盗などを繰り返す浪士のアジトになっている薩摩藩邸に対し、激しい砲撃を加え焼き討ちした。同時に京都を占拠する薩長藩にたいし、大阪から幕府軍を送ったことが、鳥羽伏見の戦争の戦端を開かせることになった。

●僕の父の生地である山形県新庄藩は、薩長側に与し、隣国である精強な庄内藩に駆逐され、現在の国道13号線を北上し、小さな戦闘を繰り返しながら、薩長側の秋田藩内に敗走した。秋田藩は、盛岡の南部藩に大舘に攻め込まれ、南は横手を庄内藩に抜かれ、薩長の軍兵が象潟などに上陸するまで、ひたすら秋田市に向けて敗走した。

<本題>



秋田県横手市増田町真人の国道342号線旧道にある、真人郵便局の向かいにある塚です。
石碑が二つ立っていて、屋根や囲いで風雪を防いでいます。
18日にドライブでこの辺りで道に迷い見つけたのですが、実は僕が近くの増田高校に在学し、父から話を聞いていたご先祖の塚だと聞いていたものです。
僕は、父のほら話だと思い、真面目に調べないままにすっかり忘れ、この日、たまたま道を探して342号のバイパスから旧道に入り、44年ぶりに思い出したというわけです。

父は、「祖父が敗走を続けてきた新庄藩の足軽頭くらいの武士で、追撃してきた庄内藩との戦闘で戦死した時の墓だ」と云っていましたが、僕は全く信用せずに調べることさえしていなかったのです。
傍に近寄ると、右側には比較的新しい墓石で作りなおされた大きい方のお墓に「新藩官軍 義光良基居士墓」裏には「山良基 行年55歳」とあります。曾孫が建立したと書かれていました。





左側の小さく、かなり文字も薄くなった墓は、写真に写りづらくて、ようやく見えたのがこの文字です。
正面には、戒名として「新藩官軍 武山良勇居士」。
裏には、「新藩官軍 菅芳之助墓」。
横には、一部読み取れないものの「○時 明治元年 辰八月八日」。





僕の父が、まったく熱意のなさそうな酔っぱらった話として云っていた「ご先祖様」の墓が、こんな増田町の中にあったのです。
いまさらですが、ほら話だとして一度も調べようとしなかった僕は、父に謝罪しなければならないです。
町内では、その頃血なまぐさい戦闘があり、その印象が強かったので祠として残して、150年間も整備していてくれたことに感謝しながら曾曾祖父芳之助に手を合わせてきました。

新庄藩士の戦史記録を調べてみたら、この菅芳之助について記述がありました。
菅(カン)家は、父の兄弟の長男の家系(芳之助の直系)は静岡に移住して、新庄市には系列の親類はいないそうです。
また、僕の菅(カン)家系統は女系しか子供がいないので、僕が死んだら絶えることになりますが、ご先祖のこの碑はずっと残るのでしょう。

<調査結果>

菅芳之助吉重
新庄藩 銃隊司令士
明治元年8月8日 羽後番場村で戦死 54歳

芳之助の墓は、この増田町と秋田市八橋全良寺にあるようです。そのうち行って調べてみます。
もともと僕は、お墓や石碑の裏の文字を読むのが趣味なので、象潟蚶満寺の草に埋もれた戊辰戦争で戦死した九州の各藩の兵士の小さな墓石などを調べたりしていたので、ご先祖の事ですから機会を見つけて調べてみたいと思います。

サイトのかなり下の方になりますが、確かに全良寺に芳之助のお墓があります。

http://boshinsoutairoku.bufsiz.jp/zenryouji3.html
http://boshinsoutairoku.bufsiz.jp/masuda.html

●僕の名字は、現在は通称の「スガ」にしていますが、正式には「菅」は「カン」と読みます。
菅貴代志はしたがって正確には、カンキヨシ、と読みます。
しかし、住民票なども「スガ」になっているので、そのままできました。
芸名の「音楽結社魂の詩派 きよかん」の意味は、氏名をひっくり返したものです。
実は、山形県は名字の音読みが多いですね。
東海林は「トウカイリン」とか。

●僕の名前が貴代志。
父は、吉清。
叔父さんたちは、すべて「ヨシ」を読みとして名前に有ります。(ヨシジゲ、ヨシナオなど)
今気が付くのもなんですが、新庄藩士芳之助の前の江戸時代から、菅(カン)家は、結構伝統的に「ヨシ」を名前に入れていたのかもしれないです。
なにしろ、僕は、父から話も聞くことはなかったし、祖父とその一族の事は全くわからないのです。
先の戦争によって全員が兵士として出征し、その後地元の山形県新庄市(大蔵村清水)には誰も帰らなかったので、僕の知っている祖父の実家の事は何もないのです。おじいさんの事さえも知らない我が家です(笑)
結局、ずいぶん前に亡くなった父も話をしてくれなかったし、今やだれも知らないおじいさんより前の我が家系の謎の歴史になってしまいました。

●菅(カン)家が、戦国時代の終わりから幕末まで、260年も新庄藩士として続いていたのかどうかはわかりませんし、江戸時代以前がどうなのかも不明ですが、ルーツというものを初めて真面目に考えさせられたのが収穫です。
道に迷ってよかったです(笑)

志津川の夜明け

2012-04-16 19:19:00 | ノンジャンル
14日土曜は、午後にセリオンリスタで開催されている「マルシェライヴ」で40分×2回を唄いました。
夜は6月~9月に毎週土曜日に開催される「トワイライト・リレー・コンサート」の打ち合わせ懇親会に参加し、終了後にいったん帰宅してから、車に寝袋を積んで出発です。

どこに行くのか?

昨年は、岩手県三陸の被災地には炊き出しやアポ無しライヴをやったのですが、宮城県には一度も行っていなかったので、まずは津波被災地の現状を見ようと出かけました。本当は福島のいわき市から第一原発近くを北上したかったのですが、目的地の宮古市でのライヴもあり、0時頃自宅を出発し、宮城の名取市まで高速で走り、国道6号線を北上しました。

この夜は、天気が良くて月明かりが明るかったので、海側は結構見えました。
去年3月11日の最初期にテレビでやっていた「海岸線に200人の遺体が打ち寄せられています」という衝撃的なニュースが流れた仙台市若林区の海岸は、何事もなく静かな海のたたずまいを僕に見せています。こんな海を見ていると、自然には今回の災害の責任は何も無く、自然を敬わない僕らの社会・政治・防災への考え方の問題なんだなと強く感じました。

また、震災前には何度も行ったことがある陸前高田の町が、地形上やむを得ないとはいえ、跡形もなく消えているのが切なかったです。
国道45号線沿いには、入り江ごとに町が無くなっていて、その住民の皆さんが入っている仮設住宅が、標高の高いところに作られていて、洗濯物などを干しているのを見ながらの北上でした。

http://www.47news.jp/movie/general_national/post_2590/

志津川で迎えた朝日。



14日~15日行程。
●午後、マルシェライヴ 40分×2回
●19時、リレーコンサートライヴ・懇親会。終了後着替えでいったん帰宅。
●0時頃秋田市の自宅出発。
●高速で東北~仙台南~名取インターチェンジ
●国道6号~45号でひたすら海側を北上(どうも気仙沼辺りでオービスの赤い光線を浴びたようだ…‥・累積が・・・泣)
●昼過ぎに宮古駅前到着
●午後から駅前で野外ライヴが始まったので、飛び入りで唄わせてもらう。
●19時から宮古市の「カントリーズ・カフェ」でご五十一ライヴの前座
●ライヴ終了後、国道106号・46号・13号で250㌔3時間で帰宅

宮古駅前の野外ライヴ




カントリーズ・カフェ



五十一さん



・・・・・◇・・・・・◇・・・・・◇・・・・・◇・・・・・

五十一さんが三陸をライヴのために走っている時に、津波に破壊される前の美しかった風景を残そうと、書いたばかりの新曲です。

Route 45              五十一

浄土ヶ浜を過ぎれば 宮古の町が見える
入り江の奥に広がる町 行き交う舟と船
海辺の道の駅釣りする人々 のどかな風景
Oh Route 45 登って降りて あの風景を僕は忘れない

山田の湾に浮かぶ 無数のいかだ
浪板海岸吉里吉里越え やがて大槌の町
かすかに聞こえるジャズの調べ 変わらない風景
Oh Route 45 登って降りて あの風景を僕は忘れない

長いトンネル抜ければ 鉄の町釜石
町中に響き渡る 昼を告げるサイレン
五葉下ろしの風が吹く もう冬は近い
Oh Route 45 登って降りて あの風景を僕は忘れない

大船渡に入れば 長い長い下り坂
高田の松原左に見て 車は気仙沼
連なるサンマ漁船魚市場 古き良き港町
Oh Route 45 登って降りて あの風景を僕は忘れない

志津川の町はのんびりと 女川を迂回して
北上川を下れば そこは石巻
錨を下ろした大型漁船 明日はどこの海に
Oh Route 45 登って降りて あの風景を僕は忘れない

賑わう松島や松島や 塩釜を廻り
多賀城の町を過ぎれば 杜の都仙台
ケヤキ並木の終着駅 思い出は尽きず
Oh Route 45 登って降りて あの風景を僕は忘れない
Oh Route 45 登って降りて あの風景を僕は忘れない




爆弾低気圧のパワー

2012-04-11 21:15:00 | ノンジャンル
先週末の一晩荒れ狂った「爆弾低気圧」は、我が家の被害は軽微だったのですが、知り合いのどちらかといえば古い家は、それぞれ大小の被害があるようです。

10日のランプの散歩は、久しぶりの晴天だったので海まで行ってみました。
といっても、いつもの散歩の場所から海側に5分歩くいだけですけど(笑)

すると、例年の春の波打ち際までの砂浜は、一冬分の流れ着いた各種漂流物でおおわれているのですが、キレイな砂浜になっていました。



おそらく、爆弾低気圧の暴風と、風に押された波の高さが高くて、すべてのゴミを海岸から防砂林の手前まで移動させたのです。
波の高さは、数メートル程ではないかと想像します。

北側を見ると、高さも距離もかなりになりますが、ここまで丸太なども寄せています。



この角度だと防砂林の手前に堆積したゴミまでの、海からの距離と高さが想像できます。



南を見てみると、画面左側が高くなった防砂林です。
海からの距離もさることながら、防砂林の手前にあるゴミまでの高さも、かなりの高さだとわかります。



拾った画像

2012-04-09 22:45:00 | ノンジャンル
ネットで拾い集めた様々な画像は、たまりにたまって数千枚になりましたが、中でも天体写真が多いですね。およそ850枚。

世界の美人軍人さん




「風の谷のナウシカ」の中の戦争<トルメキア戦役>の関係地図




ちなみに僕のジブリ作品ベスト3は、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「紅の豚」です。物語全体の世界観が群を抜いていますね。
特にナウシカは、原作のアニメージュから発行された全7巻のワイド版を、アニメの公開より先に読んでいたので、この原作の素晴らしさはアニメの百倍です!





全ての淡水生物の生態系の基本食料であるミジンコ




ナショナル・ジオグラフィックも素敵な画像を配信しています。




エタ・カリーナ




アンテナ銀河




選びようがないほどになってしまいました







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今日の花

2012-04-02 00:51:00 | ノンジャンル
毎週土日は、秋田港にある道の駅セリオンの「セリオンリスタ」という温室で唄っています。
「マルシェ・ライヴ」というステージですが、今週の週末も二日間唄ってきました。

建物全面が、透明アクリルで作られているので、太陽さえ出ていればもう暖かいのですが、残念ながらこの二日間は雨とミゾレ、今日は猛吹雪になって1時間ほどで10センチほど積もってしまいました。

こんな天気でも温室効果は、花の開花を早めています。
先週は、寒椿が咲いていましたが、今週はしだれ梅やボケの花が咲き始めました。もうすぐ春ですね。

シダレウメ




ボケ



外では、秋田犬の品評会が行われていました。



春にちなんで春らしい歌の歌詞を載せてみます。
The Rose(Bette Midler)
http://www.youtube.com/watch?v=1Wsqdfwthmk&feature=fvwrel

ジャニス・ジョプリンの生涯を題材にした映画の主題歌ですが、縁があって知り合った名古屋の石五郎さんが、原曲を生かした素晴らしい日本語歌詞をつけてくれました。
先月からのライヴでは、必ず唄うようにしていて、ようやく唄い慣れてきたし、歌心も表現できるようになってきました。

The Rose              訳詞 石五郎

愛は 川のよう  人は 溺れる
愛は 刃物のよう  心を切り裂く
  愛は とめどなく  痛いほどの欲望
でも愛は花 愛はあなた  まだ芽も出さないけど

壊れ そうなハート  ダンスは ヘタくそ
夢を 言葉にできず  つかもうとも しない
  何も受けとらない  何も与えようとしない
永久の別れを怖れ  生きているだけ

ひとりの 夜が寂しくて  くじけそうになって
愛なんて どこにもないなんて  心が叫んだとしても
思い出して寒い冬の  冷たい雪のその下に
春を夢見る小さな蕾が  顔を出している

When the night has been too lonely
And the road has been too long

And you think that love is only
For the lucky and the strong

  Just remember in the winter
  Far beneath the bitter snows

Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose