Yさんの投稿から。
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画家、小説家、脚本家の島之内芸協、なにわ創生塾の山下孝夫さんは、27日文化評論を語った。
わかりやすい例を挙げ、筋道を立てて主張す。あまりにも、おもしろいので、みなさんにお読みいただきたい。
本論は以下。
戦争をなくし平和を築くには、徳川幕府のように、諸国大名たちへ、軍事費を費消させ、土木建設・治水・旅行・諸芸・遊郭などに金を消費させる政策を図るほかになかった。徳川4代目以降、太平の世を長く続けることができた。
民主主義時代ではそれは不可能である、理由は軍需産業は科学技術的でかつ儲かるからである。儲かることが価値になり、だから大富豪が現れているのだ。
江戸時代の大富豪は土地を持っていかった家は結局武士の踏み倒しで全滅した。
現代も債権帳簿しか持っていないのは遠からず全滅するだろう。その時には芸術も全滅するだろう。江戸時代の260年より長く平和が持つだろうか。
カズオ・イシグロの出世作「浮世の画家」はそう言う芸術観を提供してすべての芸術家を巧妙に批判している。
話のあらすじは、
主人公の日本画家は、江戸時代は個人観賞用だったが、明治以後に世界的に評価された浮世絵の伝統を芸術的近代絵画(作家の個性が光るということ)に発展させた耽美的流派の俊英だったが、画業一筋に燃えて世間の常識はたとえば共産主義については「マルクスがロシア革命を指導した」ということくらいしか知らず、あるとき貧民窟を案内されて欧米列強の帝国主義政策とそのあとを追う日本の資本主義の「悪行」を感じて、なんのための芸術かにとことん悩み、師匠はじめ画壇の非難を無視して孤立覚悟の社会派絵画に転向して、自分独自の画風をうち立てる。
それは、次第に世論の大勢が賛同する大東亜共栄圏の理想を展開した画風であると評価され、出身の耽美派の大家が見る影もない中で自分は芸術的満足の頂点を味わう。
だが戦後に待っていたのは、罵倒とスケープゴートであって、耽美派は国策に乗らなかったとして再評価される。本人も才能を馬鹿な方向に使ったという猛省を迫られたが、ではどうしたらよかったのかという答えは日本ではどこにも見出せなく学者も評論家もタブーとして声をひそめ、半世紀後になってやっとイシグロが英国でこの英語小説で問題を国際化して受賞したのである。
私がこの小説を読んでいまだに突きつけられる芸術の評価は、昔の人に発言力はなく、未来の人にもまだないと言う所で、現代の人々が勝手にするもので、しかもそれは流行や打算や名声と結びついているにすぎないのではということである。
むしろ芸術家と言われたいなら、体制世論にわざと反逆を装うか、馬鹿になって分からないふりをする方が、あとの時代にもある程度普遍的に評価されるのではないだろうか。
友人の故H.S氏のことではない。フランスの19世紀の国家的名誉の中心だった超絶技巧の画家たちが、写真が驚異的に発達したことで、ずっと劣る職人仕事にすぎなかったとして、そういう絵が描けない黒田清輝らの低レベルだった日本では名前も知られないようになってしまったのを考えるとよいだろう。
現在世界一の国では空き缶に入れた絵の具の汁を垂らして描いた(?)画家の方は国が誇る天才として評価を受けているのだから。
日本では阪神タイガース優勝や大谷選手MVPの方が、日本人の誰かが北斎に次ぐ「世界歴史的偉人の百人」として現れるよりはるかに熱望され、世界の戦争は正直日本の世間にはどうでもよい(少なくともマスコミには)ということをパレードが証明したのだ。
つぎは万博の番になるのかも知れない。