僕には、長い長い間、趣味ともいえない単なる「習い性」として続きているのが、たぶん読書であって、一番持続している自分の好きな事です。
中学生の頃は、図書館の棚の世界文学・日本文学などの全集を次々に読んでいくのが凄く楽しい時間でした。
特に買ってもらっていた少年誌のボーイズライフが、よく空想科学小説を付録の文庫でつけていて、それが最も妄想の世界に入り込める楽しい時間でした。
そして、古典SFのファンとなり、今もこの素晴らしい本の再読をしたいがために、二回に渡る数千冊の本整理の嵐を潜り抜け、古本屋のぼったくり引き取りにも出されずに本棚に横積みにされ、他の雑多な未読・再読用の本の仲間と共にタイトルもわからないままに、狭い部屋の中でランプの抜け毛や埃にさらされています。
現在、ほとんどドキュメント関連の200冊ほどの未読の本が、狭い部屋の中のあちこちでページを開かれるのを待っているが、僕自身の集中力の衰えが激しくて、淡々としたドキュメントを一気に読み通せなくてなかなか進まないのです。
「古典SF」
パソコンも携帯もインターネットも無い時代の作家のとびぬけた頭脳が、科学的構想力で人類の未来や宇宙や人間の精神を語います。
中学生の頃は、図書館の棚の世界文学・日本文学などの全集を次々に読んでいくのが凄く楽しい時間でした。
特に買ってもらっていた少年誌のボーイズライフが、よく空想科学小説を付録の文庫でつけていて、それが最も妄想の世界に入り込める楽しい時間でした。
そして、古典SFのファンとなり、今もこの素晴らしい本の再読をしたいがために、二回に渡る数千冊の本整理の嵐を潜り抜け、古本屋のぼったくり引き取りにも出されずに本棚に横積みにされ、他の雑多な未読・再読用の本の仲間と共にタイトルもわからないままに、狭い部屋の中でランプの抜け毛や埃にさらされています。
現在、ほとんどドキュメント関連の200冊ほどの未読の本が、狭い部屋の中のあちこちでページを開かれるのを待っているが、僕自身の集中力の衰えが激しくて、淡々としたドキュメントを一気に読み通せなくてなかなか進まないのです。
「古典SF」
パソコンも携帯もインターネットも無い時代の作家のとびぬけた頭脳が、科学的構想力で人類の未来や宇宙や人間の精神を語います。