あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

年末・・・ランプちゃん???

2014-12-22 16:13:00 | ノンジャンル
僕はパピヨンのランプ、7歳♀です。
大好きな雪が積もってうれしいなっ!
でも僕たちは冬毛(アンダーコート)が無いのでとっても寒がりなんです。
猫と同じです。



散歩が終わってウトウトしていたら、何やら助けを呼ぶ声が聞こえる!
よ~し待ってろ、すぐ行くぞ!
でも眠いのにぃ・・・
それ着るの?



着せられたらちょっとその気になってきたぞ。



でも眠いよぉ



おっ、聞こえる聞こえる。
悪い奴らが意地悪をしているようだ。
いますぐ僕が(♀だけど…)助けてあげる!



でもやっぱり眠いんだけど・・・
もう助けに行かない!
スーパーマンを脱がしてマットにゴロンさせてくれよぅ



こうして今日も困った人を助けることはできませんでした。
明日は頑張るぞ!


いろいろと…

2014-12-18 21:31:00 | ノンジャンル
申し込んでいた母の転院が、来年と覚悟していたら思わぬ速さで決まり、今日で手続きが終わり一段落。保健所にいって難病の指定病院の新たな手続きや、病室で使うものなどの準備の何だかんだで、何日か使ったがひとまず安心できるようになった。

旧病院と転院先病院は、治療と療養という位置づけの違いがあるが、看護師さんの気さくさが安心感を与える。
母は、国の指定難病2つにさらに脳こうそくを発症し右脳が壊滅したのだが、左半身はマヒしながらも奇跡的に話ができ、記憶の新旧の混乱はあるが、短い時間なら即応した会話が出来るのが不幸中の幸いだ。


さて、北国は爆弾低気圧が通過しようがしまいが、冬の寒さと降雪である。

二階から



ガレージ内から



朝ストーブにスイッチを入れた時表示は0℃になっているが、マイナス表示は設定されていないので、築後43年の従来工法の無防寒家屋は朝は外気と同じような気温だ。
そんな夜は、ストーブで温まりながらアイスクリームを食べる。
ただし、アルコールも同時に体に入れる。

超バニラ+黒糖梅酒
バニラの真ん中に穴を空けて、黒糖梅酒を注ぎ、溶かし込みながら食べるのが我が家で流行ってる。



ブラックアイスバーン
日中踏み潰されて圧雪になって、夕方までに暖気がきた後は、アスファルトがむき出しになっているかのように見えて、実はスケート場のような氷でツルツルになっている。
都会の人が、スタッドレスを過信して滑って事故る典型的パターン。



演歌専用のエレガットのフォンジャックの差し込み部品のねじ山(ボディ側)が割れてしまい、脱落一歩手前になり演奏中に音が断続してしまったので修理。
本体ボディエンドの材が薄すぎて、♀ねじ山が割れていた。



表か裏に補強板をあてて直したいが、ホールから手が入らないし、表から当てると見かけが悪くなるので、とりあえず両面テープで応急修理した。



宇宙関係は楽しい。
太陽系は、地球など各惑星が太陽の周りを回っているが、太陽を含むすべての星が動き続けているので、図解などの固定した模式図ではなく、感動的に実にダイナミックに動いている!



そして太陽系は銀河の周りを大らせんを描きながら回っている。
我が天の川銀河は所属する銀河団の銀河と共に回り、銀河団は宇宙の大規模構造の小さな一部として動き続けている。



太陽は平均的な恒星の一つであるが、太陽の8倍以上の質量を持っている恒星は年老いたら超新星爆発する。
そういう超巨大な恒星比較。



太陽系の惑星から超巨大恒星の比較。
誰でも超新星の瞬間を見られる可能性があるのがオリオン座のベテルギウスだ。
三ツ星を囲んでいる明るい四角の星の左上の赤い星がベテルギウス。
赤い色は、恒星の中の水素の核反応が終わり、巨大な重力を支えきれなくなり膨らび、温度が下がっているという事だ。
いつ超新星爆発を起こしても不思議はない状態ではあるが、今夜なのか100年後なのかはわからない。宇宙の時間の流れは「いつか」という尺度は数万年もの幅がある。
しかし、見上げる空に月のように明るいモノが見えたら、それはベテルギウスの新たな姿=恒星の最後だ。
夜は、オリオン座を見ることをすすめる。
もしもベテルギウスの自転軸が、地球から見てベテルギウスの南極~北極(その逆)であったら、超新星爆発の際に噴出したマイクロ波やガンマ線が地球を襲い、地球の生命は瞬時に壊滅する。
幸い、現在の最新の観測によれば、自転軸は斜めになっているので、地球には来ないと云われている。

https://www.youtube.com/watch?v=UsP-C3J0PjU


僕の路上スタイルを成長させてくれた「カリフォルニア」の懐かしい画像をつばささんから拝借しました。



ワタルと松本とセッション。
僕は四苦八苦している。



家族の誕生日ケーキにはイチゴタルト。
パティシエ・ジョー(茨島卸団地傍)



棄権者が自民を勝たせた???

2014-12-15 00:27:00 | ノンジャンル
投票率53%を言い換えれば、
47%の投票しなかった国民が我々の将来を決めたという事。
投票しないことが我々の将来を決める???

(単純計算では無理があるのだが)53%の三分の二+47%が、自民・公明を信任したという結果ともいえる。
何と言っても与党の完勝である。

衆院選は、
投票行為をして何らかの意思を示して将来の自分の生活などを考えた人ではなく、
棄権した47%の人が自民・公明圧勝を決めたという事。

同時に渡された最高裁判官審判で「×」をつけない事=「◯」と「空白」が「信任」とされてしまう投票方法と結果的に同じだ。
投票しない事=与党信任だ。

いったい、
投票することの意味をこれほど無意味な事にした責任は誰にあるのだろうか?

投票率が高い選挙は、野党が勝っているという事実がある。
投票する意味を感じなくて、政治への絶望が自民圧勝に直結したと云える。

だから今後は、
普通の国民をさらに苦しめる事をやった時に、投票しなかった47%の人がどう感ずるかだと思う。

いずれにしても、三権分立は終わりをつげ、自民独裁政治が続くだろう。
様々な国民の権利がはく奪される政治が本格的になる。

まぁ、しょうがないな。
投票しない人たちに負けちゃったんだから・・・
投票行為で文句を云う権利と義務は確保したと考えるしかない。

反戦・平和、原発廃棄、福祉政策充実、特権階層・独占企業と政治家との癒着反対、(自分も含め)働き続けて引退した高齢者へのいたわりなどで文句を言う権利だ。
    
  


衆院選なんだけど・・・

2014-12-09 20:46:00 | ノンジャンル
過半数を取ると、中国・北朝鮮並みの与党のやり放題だ。
こんな、権力者が権力を維持し続けるために露骨に憲法改正をしようとしている時、その結果が「文句を言えない国民」になって行く自分と子孫の将来に思いを馳せて、真剣に投票してほしい。




http://tcoj.blog.fc2.com/

僕は、無職・社会的弱者(病人)2名の家族を守るため、原発廃棄賛成、自民党案憲法改正反対、一部富裕層優遇政策「アベノミクス」反対、海外派兵反対その他の、税金を圧倒的大多数の(富裕ではない)国民に使う政策と、自分の生活を守る政党(現実政策の遂行能力があるのか・・・の懐疑を越えて!)に投票したい。

永ちゃんも一言。

 「僕は中小企業の経営者が、いちばんまじめに生きてるんじゃないかと思う。大企業や国家が今いちばんヤバいのは、自分でケツを拭いていないってところ。

誰かがどうにかしてくれるだろうとか、みんなで渡ったら怖くないとかってことの成れの果てなんじゃないですか?生き方も含めて全部そう。

何かがあったら、中小企業のウチなら、僕がケツ拭かなきゃいけない。ここのところをもう一回、ひとりひとりのレベルまで持っていけたら日本に助かる道はあると思います。でもこれ、なかなか難しいですよね。」

 「今回の原発関係者全員、誰もケツ拭かない。みんなで渡ってるからケツ拭かない。犯人がいないから。

これ、官僚がそういう仕組みを作ったのかもしれないけど、ケツを拭かない国家に明日があると思いますか?

中小企業は本気です。なぜか?法律違反したら本気で潰されます。行政処分で潰される。金がなかったら、金をかき集めてこなければいけない。それができないなら首を吊らなければいけない。

中小企業は最後に自分でケツを拭かなければやっていけないんです。それなのに国家、大企業、官僚、銀行はどうなってるんですか?」

   矢沢永吉(ローリングストーン日本版8月号P35より)

東電は、原発廃棄も赤字も何もかも徴収した電気料金で補填するのは、「震災復興」をヘラヘラと演説している自民党とグルだから平気なわけ。
自民党は、金持ちと大企業の利益を代表する以外の存在意義はない事は明らかなにに、投票する「虐げられているはず」の有権者の政治的絶望観が悲しいな。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014111390135510.html

結果が自民圧勝であっても、いつでもどこでもステージでも(笑)、堂々と文句を言うためにも!



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 この4月から、国民への大増税とは逆に、国家公務員と国会議員の“賃上げラッシュ”が始まった。国家公務員の給料は平均8%引き上げられ、行政職平均のモデルケースでは月額約2万9000円、ボーナスを含めた年収では約51万円のアップだ。国会議員の歳費(給料)はもっと増え、5月分から月額約26万円アップ、年間421万円もの引き上げになる。

 こうした大盤振る舞いは、「震災復興のために国民と痛みを分かち合う」と2012年から2年間の時限立法で実施されていた議員と公務員の給料削減を安倍政権が打ち切ったからだ。

 手取りが1割近く減っていたという中央官庁の課長クラスは、「子供の教育費は削れないし、給料カットはきつかった。これで一息つける」とホッとした表情で語り、歳費削減後に当選した自民党若手議員は、給料が純増になるとあって「いい時計でも買おうかな」と笑いが止まらない様子だ。

 政治家や官僚の言い分は「われわれは2年間も痛みに耐えた。減らされていた給料を法律通り元に戻してどこが悪い」というものだが、震災復興にあてるという給料削減の目的を考えると筋が通らない。

 それというのも、復興予算が全く足りないからだ。政府は東日本大震災の被害総額を16兆9000億円と試算し、5年間で19兆円の震災復興予算を組んで復興を終わらせる計画を立てていた。ところが、復興は遅々として進んでいない。にもかかわらず、19兆円のカネは2年あまりで底を尽き、安倍政権は新たに6兆円の国民負担を積み増しした。

 原因はシロアリ官僚たちが被災地とは関係ない天下り先への補助金や庁舎の補修、無駄な公共事業などの官僚利権を太らせるために復興予算を流用したからである。流用額は判明しただけでも2兆円を超える。

 ならば、そのカネは国家公務員の給料カットの継続で穴埋めすべきではないか。8%賃下げで捻出できる財源は年間およそ2700億円。彼らが流用した2兆円を穴埋めさせるために、あと7~8年、給与カットを続けるのが理の当然だろう。

週刊ポスト 2014年5月23日号

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アベノミクス 賃上げが達成されたのは公務員と国会議員の方々

 東日本大震災の翌年、「増税を強いられる国民と痛みを分かち合う」という理由で国家公務員は平均8%の給料カット、国会議員(特別職公務員)は2割の歳費返上が実施された。

 しかし、国民への臨時増税は25年間でも、公務員と国会議員の「痛みの期間」は2年間で打ち切られ、今年4月分の給料から大幅に引き上げられた(国会議員の歳費は5月分から)。

 6月30日はシロアリ官僚たちが待ちに待ったボーナス支給日だ。新聞にはいつも実態とかけ離れた係長以下の平均支給額(昨年冬は約57万円)が公表されているが、2年前の水準に戻るのだから支給額は事務次官の約301万円(約41万円増)を筆頭に、局長は約229万円(約23万円増)になると考えられる。

 ちなみに国会議員のボーナスは約291万円。歳費カット後に行なわれた前回の参院選と総選挙で大量に当選した新人議員たちにとっては、文字通り空前の収入増となった。安倍晋三首相が賃上げに成功したのは公務員と議員だけである。もうひとつ加えるなら、大企業の復興特別税も今年、廃止された。つまりは権力者のみの“アベノミクス効果”なのだ。

 これだけボーナスが上がれば、役人は住民税の復興増税を払って十分すぎるお釣りが来る。経済ジャーナリストの磯山友幸氏(熊本学園大学招聘教授)が指摘する。

「民間企業なら赤字経営で下げた社員の給与を、赤字が改善しないのに元に戻すなど考えられません。国の財政がこれだけ赤字なのに公務員の賃上げができるのは、国民が増税の痛みに耐えて税金を払っているからです。そう批判すると、官僚は『公務員も給料から復興税を払っている』という。

 しかし、給料の出元は税金なのだから、税金で税金を払っても新たな財源にはならない。だから復興財源のためには公務員の給料カットを続けるべきなのです」

週刊ポスト 2014年7月4日号


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●そして特定秘密保護法、秘密漏示罪の発効によって、本格的な報道規制・弾圧が始まり、軍隊と権力者・独占企業の癒着の背景の機密だけが守られ、政府に反対する全精力への監視が一気に強まっていく。

「政権与党の報道介入に強く抗議する」民放労連が「自民要請」に声明を発表(全文)

衆議院解散の前日、自民党が在京のテレビ各局に対して「選挙報道の公平中立」を求める文書を渡していた問題で、日本民間放送労働組合連合会(民放労連)は11月28日、「政権政党による報道介入に強く抗議する」と題した声明を発表した。

「政権政党が、報道番組の具体的な表現手法にまで立ち入って事細かに要請することは前代未聞であり、許しがたい蛮行と言わざるを得ない」。赤塚オホロ委員長の談話として公表された声明は、こう指摘している。

さらに「憲法が保障する表現の自由、放送法が保障する番組編集の自由への極めて重大な侵害」としたうえで、テレビ各局に対して「こうした不当な干渉は毅然とした態度ではねのけ、権力監視という社会的使命に基づいた公正な報道を貫くことを求める」と要請している。

民放労連の抗議声明の全文は以下のとおり

●民放労連委員長談話・政権政党による報道介入に強く抗議する

2014年11月28日

日本民間放送労働組合連合会(民放労連)

中央執行委員会 中央執行委員長 赤塚 オホロ

 衆院解散前日の11月20日付で、自民党総裁特別補佐の萩生田光一筆頭副幹事長と福井照自民党報道局長の連名で、「選挙時期に一層の公平中立な報道」を求める文書を各局の編成局長と報道局長宛てに出したことが、各紙の報道などで明らかになった。その内容も、番組出演者の発言回数や時間、ゲスト出演者やテーマの選定、街頭インタビューや資料映像が一方的な意見に偏らないことなどを要請している。

 選挙に際して公正な報道を求める要請は、これまで各政党から行われてきた経緯はあるが、政権政党が、報道番組の具体的な表現手法にまで立ち入って事細かに要請することは前代未聞であり、許しがたい蛮行と言わざるを得ない。日本国憲法が保障する表現の自由、放送法が保障する番組編集の自由への極めて重大な侵害に当たることは言うまでもなく、私たち放送労働者は、このように露骨な報道への介入に対して、怒りをもって抗議する。

 文書を受けた各放送局には、こうした不当な干渉は毅然とした態度ではねのけ、権力監視という社会的使命に基づいた公正な報道を貫くことを求める。

以 上

(弁護士ドットコムニュース)

●今後諸外国に、ビジネスや極端な話、外務省の仕事で行く際に、政府が「あなたは特定保護秘密を洩らしかねない(スパイかもしれない)のでビザの発給を拒否します」となっても、その理由や具体的な事は「特定秘密保護法」によって明らかにされない事態も想定されます。
自分を含めた「政府によってスパイ罪の可能性がある」と全く秘密のままに国民が監視されるという事になります。

ほらほら、政府を批判している歌を唄っているあなた。
そう唄バカきよかんさん、あなたも監視されていますよ。

数年前に、政策批判の書き込みをした際にアクセス解析をしたら、「公安調査庁」からのアクセスが来たことがあります。
今までも秘かにやっていたことが、これからはこっそりではなく、堂々と個人の思想信条を調べることも、国家特定秘密法によって行われるでしょうね。

もう朝鮮や中国と同じです。
一党独裁とはこういう事なんですね!
アベノミクスってこういう事です。
怖い怖い・・・





この頃考えていること

2014-12-03 23:02:00 | ノンジャンル
ネット上での今秋に入ってからの自分のコメントを再読しました。
読んでみると、自分にとっては大事な事なので、友人のブログなどに書き散らかすのではなく、自分のブログに載せる事にしました。

以下は、今週の僕のコメントをまとめたものです。
長いですし、起承転結はしていません。


現在、ほとんどのステージで歌っている僕たち「SKプロジェクト」の基本方針は、いまだに話し合う時間がなく、今後どうするかも全く話し合っていない状態で、11月に入ってからは、相方が上手なバンドとのスタジオ練習が重なってしまい、バンドでやったことの無い、ギターに自信の無い僕のモチベーションもかなりタイトロープ状態です。
僕がこのままヘタレのままなら、再び気楽なソロ専門に戻る覚悟はしてます。

時々上京していろいろな人と音楽を演ると、秋田では考えられないプロ級の凄まじいアマチュアがごろごろしていますね。
しかし、ソロで演るのもいいですが、上手さとは違う魅力を持った圧倒的な有無を言わせない「歌心」を持たないと、武者修行であっても誰も鼻もひっかけてくれない、サポートもしてくれない、そういうシビアなステージばかりですが、誰も知らない人ばかりのステージは刺激的でとっても楽しいです。
凄腕の地元のミュージシャンがサポートしてくれるステージは、それはそれは楽しい時間です。
いつでも、東京の「秋田的な地元的・友情的な感覚が皆無な」ステージ経験は勉強になります。

秋田は、コピーカバーばかりなのは残念ですが、懐かしのフォークやロックの原曲の完コピに魅力を持っている人もたくさんいる事実は認めないといけないです。
なので、僕がフォークの強烈アレンジで演ると、嫌悪感を示す人はプレイヤーでもお客さんでもたくさんいますよ。
コピーでないカバー曲のアレンジは、自分の懐かしく、美しい青春の思い出を汚されたと感ずる人のが普通です。
そういう「思い出のフォーク(完コピ)企画」には、今は直感で嗅ぎ分けて主催者に事情を話して、主旨と合わない場合は出ないようにしています。
コピーを聞きたい皆さんの、青春のキレイな思い出を汚すわけにはいきませんからね。

秋田的には、テリトリィ以外の県外での路上ライヴやライヴハウスという武者修行の無謀さや楽しさや、知り合う人たちとの交流を経験しない人がほとんどですから、(特に東京などの路上など・・・)その点は経験者でないとなかなかわかってもらえないですね。

僕は、「日本語で唄う世界中のすべての歌は歌謡曲」という確信があるから、英語を日常の言葉としていない人の、英語脳で考えない人の英語の歌には、日本語(秋田訛り)の唄い人の一人として、一定の距離があります。
さらに同時に「秋田訛りで発音する歌は秋田の歌」という確信もあるわけです。
なので、出来る限り秋田を出た場所で唄いながらも、都内では「秋田訛りで歌謡曲みたいなフォークを唄う人」として自信を持って唄っています。
地元秋田が大好きなんです。

ソロでの僕の唄は、楽しい歌でうさを晴らそう、ではないのです。
むしろ、哀しかったら我慢しないで僕と一緒に泣きましょう、そして明日は何とか元気を出して生きていきましょうよ、という気持ちで唄っています。
歌い手が押し付ける(手拍子要求的な)「楽しさ」ではなく、お客さんが感ずる「つらい自分の悲しみを唄ってくれている」という共感があればいいなと・・・それだけで唄っています。すべては聴き手の心の中に!です。

ギターを始めてからのこの11年間、あくまでも自分の歌のための伴奏だったので、技術的な事はほとんど必要なく活動してきましたが、ソロ以外での楽しみもまたなかなかのものだし、僕が聞く音楽はポップな曲や歌謡曲が中心ですから、自分のプレイと全く違う「好みの楽曲」もほかの人と演りたいわけです。
そこで、何ぼ何でも基本レベルは上げたいとちょこっとだけ勉強しています。ギターも歌唱法も作詞作曲も譜面読みやコード理論も、全く一度も誰からも習うことなく、コピー練習もしないで来ました。

このように完全自己流でやってきたので、ほかの人とセッションしたり、伴奏するためにはかなりの年月が必要で、たぶん自分の演奏に反映される前にはこの世にいないでしょうね。それでも、ライヴなどの中で他のミュージシャンと楽しむためには、最低限の基本くらいは身につけていないといけないですから、止む無く(笑)練習を始めたわけです。

この頃特に感じていることです。
他の人から見た僕のイメージで一番誤解されそうなのが、僕の好きな音楽ではないかと思います。音楽は「上手い・下手」の仕分けがわからないので、そういう基準では判断できません。意外にも、弾き語り音楽はほとんど聴きません。
また、20年ほど聞いていたジャズを除くとインスト音楽はすぐ飽きてしまいます。つまらないわけではないのですが、メジャーミュージシャンのCDもアルバム全部を聞く前に飽きますね。
それでもロックやジャズで好きな曲はたくさんあります。
でもやはり、英語日本語問わず、歌詞に魅かれなければ飽きますね。
結局、歌声さえあれば、ジャンルには一切こだわりがないということでしょう。

数十年、古くは中学生の頃のオールナイトニッポンや文化放送の深夜放送前半は、朝の3時ころまで毎日聞いていました。糸居五郎、亀淵昭則さんとかがパーソナリティでしたね。
このように50年ほど、多くのジャンルの音楽を聞いてきましたが、好みは60年代~70年代の音楽で止まっている化石状態です。特にジャズはダンモ、ズージャの世代です。

僕がステージで演っている人から聞きたいのは、「あなたが自分の唄う意味を追究し、あなたが僕に唄いかけた時、初めて僕に歌として聞こえてきます」という考えで聞いています。
だからあなたが唄っている意味が「ステージの俺、カッコイイだろう!」という事なら僕には「俺はカッコイイだろう」って聞こえてきます。こんな少ない客に唄うのってテンション下がるなぁ」と思っていたら、「客が少なくてやる気ない」と聞こえてきます。

「ステージから伝わってくるのはあなたの事・・・・・」
だから僕は(11年間のライヴ数が10月30日で680回目になりましたが)、いつでもどこでも全力で唄います。
うるさくて、無意味に叫んでますが、基本的に「僕の心の中を唄っているので、お客さんに伝わる事は無い」はずの僕の歌ですから、なおさら手抜きして唄う事はしません。
1年に何回かの時々訪れるお客さんとの数少ない心の「一瞬の心の交感」を求めて、いつでも懸命に唄います。
しかし、ライヴハウスやイベントでソロで呼ばれたら、主催者の考えを尊重して歌謡曲でもオリジナルでもフォークでもなんでも歌います。或いは抑えたプレイもしますが、基本は同じです。

9月終わりに結成した「SKプロジェクト」というユニットは、その自分のソロスタイルと違う表現方法の「さくりん」に唄ってもらう為に活動しています。
50歳を過ぎてから始めた僕のギターやアレンジ技術が追いつかなければ、彼女をもっと歌わせてくれる上手なバンドでメインボーカルで唄う事になるでしょう。
彼女は、僕が演奏で出させる以上のはるかな実力がありますし、それが楽しい事ならそれでいいと思います。

音楽を趣味とする僕たちは、自分が一番楽しい時間を過ごしたらいいわけですから、音楽に携わる時間が、みんなそういう楽しい時間になれたらいいなぁと思います。