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2015年10月まで、右半身麻痺で車いす生活だった母を介護しながら、日々の出来事や思いを書き綴っていました。
在宅介護の様子や心の葛藤をできるだけ隠さず書いたつもりです。 もし参考にしていただける部分があればと思い、古い情報になる日記もそのままにしてありますのでお許しください。
いまだにウジウジしてるわけですが、
3ヶ月前のあの日1日に起きたことがなかなか現実のこととして消化できなくて、病院側の対応にもわからないことがあって、
きちんと受け止めるためにも、先月、姉が病院にその日1日の診療記録の開示を求めました。
1日分といってもいろんな同意書や看護記録も含めて数十枚、コピー代として3千円ほどでした。 それプラス医師の面談を求めるとウン万円だそうですが、もちろんコピーだけでじゅうぶんです。
わかってはいましたが診療記録を見るのはとてもつらいことでした。 手元に置きながら何日も中身を見ることができませんでした。
でも見てみると、わからなかったことが見えてきたり、思い出せたこともあり、やっと納得できたような気がします。
その日の前の日の昼間、私は2週間ぶりに実家に帰って来ました。
その時に父がその1日前から血痰が出ると聞きました。
かかりつけの大学病院へ行こうと言うと父は 「明日はダメだ。 おかーさんをK苑へ送ってくんだから。」
母は急性腎盂炎で入院していましたが回復したので特養ショートステイへ移すことになっていました。 本来なら病院から直接ショートへ行くことは出来ないみたいで、いったん自宅に戻ってから、というのが決まりらしいですが介護者(私)が病気だという事情で直接行くことにしてもらえました。
でも送迎は施設からはできないということで、父が車で送っていくつもりでした。
夕方、父が風呂から出て、また血が出た、と言うので心配になりましたが夕食にはご飯も食べたので様子を見ることにしました。
そのあと父は早々に寝床に入ったのですが、度々咳き込んでは喀血しました。 それでも 「大丈夫だ! 眠れば治るから!」と言い張るのですが、
心配になって夜遅くに病院の救急外来に連れて行きました。
当直の医師がきちんと診察してくれましたが、診察のあいだには喀血が見られず、父もシッカリしていたので、いったん家に帰って、朝になって担当の先生の外来が始まる時間にまた来てみてください、と言われ帰りました。
この時もっと何かできていたら・・・かえって夜中に連れて行って悪化させてしまった?と後々、今でも、後悔しています。
家に帰ってからさっきの医者に言われたとおり寝床に座蒲団やフトンを入れて頭のほうが高くなるようにして休ませましたが、やはり1時間おきくらいに咳き込んで喀血し、喀血するたびにその血の量は増えて、
それでも父は 「もう止まるよ、平気だ。 おかーさんをK苑へ送ってくんだから。」と言っていましたが、
朝になっても止まらずだんだん息苦しそうになったので 姉たちを呼んで救急車も呼びました。
ところで私には姉が二人います。 この時まで主に一緒に母を介護していたのは上の姉です。
救急車が来て 父が酸素マスクをして上体を起こした格好でストレッチゃーに乗せられ運ばれるとき、「オレはもうダメだ。 今日はおかーさんを送りに行けなくなった。 おかーさんを、たのむぞ!」と言うので
私たちは 「も~ お父さん! 大丈夫だよ。 心配しないで!」と半ば呆れて答えました。
父としてはもう永久に母と会えないとわかって言ってたのかもしれないと後で切なくなりました。
救急車には上の姉が同乗して行き、私はすぐにK苑へ電話すると相談員の人が、それならこちらで病院へ迎えに行きますから、家族の人も来てください、と言われたので
下の姉の車で二人で病院へ行って母をK苑の人にお願いし、会計を済ませて、そのまま父が行った病院へ向かいました。
そのあいだに上の姉から
「担当の先生が診察。 癌からの出血。 止まりにくい。 入院して治療する。 状況は深刻。」 とメールが来ていましたが、
私たちが着くと父は止血剤の点滴などの処置をしてもらって落ち着いた様子で、普通に話もしたし点滴したまま歩いてトイレに行ったりしていました。
やはり先ず 「おかーさんどうした?」と聞くので
ちゃんとK苑に行ったよ、と答えると
「あー 良かった! 良かった!」 と笑顔を見せました。
そして入院中担当するという先生が私たち姉妹3人を小部屋に呼んでPC画面を見ながら説明しました。
CTの結果、左肺上部にある腫瘍から出血しているのがわかる。 腫瘍そのものは左の肺にとどまっていて転移はしていない。 止血など出来る限りの治療をするが、高齢であるなどリスクは多いので元通りの生活には戻れないだろう、入院は長くなる、
そんなような話だったと思います。
緊急時の延命措置について話し合っておいてください、と言われたのは覚えていますが、すぐに返事を、という感じではなかったのです。
話が終わってまた姉妹3人で父に面会しました。
HCUの中の大部屋でした。
つまりHCUが数十もベットがある大きいので そのなかのたぶん比較的落ち着いた人ばかり6人くらいベットが並んでいる所に父がいました。
明日から一般病棟へ移ると看護師さんが言いました。
私たちは、
(症状が落ち着いて)良かったね。 しばらく入院だね、必要な物を揃えて明日また来るからね。と、
一応HCUは面会が規制されているのでそんな感じで部屋を出ました。
その時父がまた咳が出そうになっていたのが気になったのですが、医師や看護師さんが常について見てくれているしまさかすぐに緊急事態はないだろうと安心していました。
この時のことも、どうして安心して帰ってしまったんだろう、規則はあってももっと長く父の傍にいればよかった、と姉妹3人でさんざん悔やみました。
私たちはそれぞれ家に帰って、私は体が疲れて、実家に着いてすぐにベットに横になりました。 それが午後2時半くらいだったように思います。
そしてそれから2時間後の午後4時半過ぎ、病院から電話が来ました。
「今また喀血なさって、呼吸が止まった状態です。 すぐに皆さん来てください」というような電話でした。 電話口の向こう側で緊迫した動きがあるのがわかりました。
私は姉たちに連絡してからすぐに病院へ向かいました。
着くとHCUの近くの廊下に上の姉が立っていました。
上の姉はその病院に最も近い場所に住んでいるので先に着いていたわけです。
姉の、見たこともない顔色の悪さに私も血の気が引くような思いがしましたが、
次に姉が 「・・だめだった・・」 と声にならないかすれた声で言いました。
すぐに下の姉もそこに着いて、
そのあとは・・・
私はなさけないことに腰が抜けて歩けなくなってしまって、看護師さんと下の姉に引きずってもらって
あとはほとんどのことは上の姉が動いてくれました。
腰が抜けることって本当にあるんだなあと生まれて初めて知った経験でした。
後で聞いたことですが 上の姉が先にHCUに着いたとき、まず担当医師が小部屋に案内して、
「喀血して気を失ったとき看護師がついていて、すぐに心臓マッサージをして医師も来て一緒に対応したが呼吸と心臓が止まっていて救うことができなかった」
というような話があってから父に会わせてもらったけれど、もうすでに何もしてない状態で、姉が同席して「死亡確認」をしただけだった。
それが午後5時。
実際に息を引き取ったのはその30分くらい前の私が電話を受けた時か?
葬儀から1ヶ月近く経つ頃だったか、病院からその日1日の請求書が送られて来ました。
使われた薬の名前や検査の種類などが細かく記載されていましたが、やっぱりその時に何が起きたのかもっと詳しく知りたくてカルテ開示の要求をしました。
私たちがいちばん疑問だったのは、緊急時の延命措置などについて「家族で相談しておく」段階だったから、その場合もし呼吸が止まったら人工呼吸器とか?付ける判断を医師がするのだろうという思いがどこか頭にあったから、まさか急に最悪の事態にはならないだろうというような、根拠のない安心感があったわけです。
診療記録を見てみると、詳しくはちょっとつらくて書けませんが
その最後に喀血して意識を失うのが一瞬のことだったことがわかりました。
看護師がついていた時だったからすぐに心臓マッサージをして少し戻りかけたものの、すでに呼吸、心臓とも止まっていて、心臓も同時に止まった場合人工呼吸器もダメなんだそうです。
あと、HCUに入った時の医師との話の内容も全部記録にしてありましたが、そのなかに緊急時の対応で延命措置等について相談しておくということの前提に、高齢であることや狭心症などのリスクが高いために、もしもの時延命措置ができる可能性は低い、というような話もしたことが書いてありました。
確かに思い出してみるとそう言われたのも事実でした。
つまり、そういうことだったんですね。
いずれ転移があって、末期というものが来て・・・ と思い込んでいましたが、高齢でリスクもいろいろあればこういうこともある。 医師が 腫瘍が血管を“噛む” と言ってたのも思い出しました。
ただ気になったのは、記録のなかに 「家族からクレーム等の発言はなし」というのもあって、
え、 たしかにその場でクレーム等言うなんて考えもしなかったけど、 じゃああの時もっと医師に対して、
どうしてこんなことになったんですか、
いったい何が起こったんですか、
と食い下がって訴えれば、こんなにモヤモヤいつまでもすることはなかったのかなあ? なんて姉妹で話しました。
でも診療記録には家族が見ていなかった時間の父と看護師さんの会話も書いてあって、読むと微笑ましかったりもしました。
もうそろそろ、 思い出すのは思い出だけにして、私たちも父も楽にならなきゃね…と思います。
時々夢の中に登場する父は、何も語りません。
ただ見慣れたいつもどおりの生活をしている姿だけなのです。 それがメッセージなのかもしれないな…と勝手に思っています
母のほうですが、今月から本格的に(?) 毎月14日間のショートステイを使いながらの生活に入りました。
ショート14日間ていっても、いっぺんに取れば13泊14日。 2回に分けると、12泊、 3回に分けると11泊になっちゃうんですよ~~! 気付かなかった
行く日も帰る日も1日と数えるから。
だからなるべくいっぺんに取るようにすることにしました。
それが・・・ 早速またしても突発事態発生で もしかしたら早くも在宅リタイヤになるかもしれません。
もうどうなってんだか・・ 去年からずっとケアマネさんに謝ってばかりです。
またご報告しますね。
あ、私はぜんぜん元気元気ですのでご心配なくお願いします
去る11月11日 まだまだ先のことと思っていた父との別れが突然やってきました
病気はあっても ずっと普通に元気でした。
私が肺炎で入院して、家に一人にしてしまった
寂しい思いさせてしまった
その間毎日 母の病院に面会に行ってたようです。
私が退院して久し振りに実家にもどってきて
父と夕食を食べて、父も安心した様子でした。
それが最後の食事になりました。
死因は 『肺癌』となっていましたが、父の最後の一日は壮絶なものでした。
でも最後の最後の瞬間は、 家族は誰も間に合わなかったのですが、
大勢の医者や看護婦さんに囲まれて…
苦しむ暇もなかったのかな というくらい、 父の顔は穏やかで、 今にも起き出しそうで、 微笑んでいるようにさえ見えて、
弔問にきてくれた方々も皆さんそのように言ってくれたのが救いです。
遺影も とってもうれしそうな笑顔の いい写真です
まだいろいろ落ち着かず、しばらくはこちらもお休み状態になるかと思います。
前の記事にコメントもいただいたままで本当にすみません。
ありがとうございます。
いつかきっとお返事書かせてください
ここ最近オジーサンもいろいろあって、母のことと重なってほとんど姉と協力しながらの毎日でした。
父は7月に頭痛と熱がひどくて寝込む日が多く、「脳に転移した」 って 自分で勝手に大騒ぎして 予約外で病院に行って、
結局は 脳のCTを撮ったら 脳への転移はまだない、と言われてひと安心して ちょっと元気になったと思ったら、
9月に 肩の激痛で夜も眠れない、と高熱も続いて食欲もなくなり、 「ついに骨に転移した。」 って また大騒ぎして 予約外で病院へ行って、
痛み止の薬も効かない、と また夜にも病院へ駆け込んだり、
弱気な発言したことのない人が 「つらい」 「入院したい・・」 とかつぶやくので さすがに私たちも心配しましたが、
結局 MRIの結果、こんどもまた腫瘍の転移ではなくて 肩の「けん」が切れて水がたまって激痛になるんだそうで。 これは 薬、注射、そしてリハビリが効果があるということでリハビリに通うことになり、
だんだん改善して自分でまた運転もできるようになってきて良かったです。
もうすぐ「超」が付くような高齢で病気の進み方もゆっくりなのかも。
でも今月の検査では写真を見る限り腫瘍が胸壁まで達するのも時間の問題な感じで、そうなると胸水がたまって具合悪くなるそうです。
腫瘍マーカーCEA値は854。
今回の肩の痛みが腫瘍によるものという結果だったら、緩和ケアのある病院を探すつもりでしたが、(通院している大学病院には緩和ケアがなく、高齢者の場合は療養病院を紹介されてしまうみたい)
でもまだ大丈夫なのかな。 しかしいずれは病院を変えないといけなくなるし、探しておくべきか迷います。
といっても実家の近辺、通える範囲で、高齢者を受け入れる緩和ケアがある病院は1つだけ。 少なすぎですよね・・・ でもひとむかし前よりは病院も増えました。 リハビリ専門病院なんか1つもなかったのに今はいくつも出来てるし、
緩和ケアもこれからどこでも増えていくといいですよね・・
母はK苑ショートステイお試し1泊で行って来ましたよ
近いうちにまとめて詳しくご報告しますね 問題はこれからなので・・・ ドキドキです
・・なんか大袈裟ですけど、
日本人の二人に一人はがんになると言われてますし、不治の病ではなく共存したり克服したりするものなのでしょうが・・・
でも親たちの年代の人にとってはまだまだ恐ろしい “不治の病” なのだなあ・・と実感しています。
実際、もう88才で狭心症や糖尿の持病もあるうちのオジーサンには、放射線治療もできず痛みを和らげることしかできないということで、大学病院へ通ってもただ進行を見守るしかないと言われては、誰でも絶望的な気分になっちゃうということでしょうか。
前々からわかってはいたはずなのに、今月は先生からハッキリと 「がん」 の言葉を言われて、オジーサンかなりがっかりしちゃったようです。
いつもノーテンキで超楽天家な人なので、今までは きっと治る と自分に思い込ませていたんだと思います。
肺の腫瘍は 今はレントゲンでもよくわかるようになり、腫瘍マーカー値、CEAという最も一般的なマーカーなんですが、腺がん、体のあらゆるところの腺にできるがんの発見に使われることが多く、ある先生によると たいていは胃がんか大腸がんが多いそうです。
うちの父の場合は最初に消化器内科で肺に影があるということで呼吸器内科へ紹介されました。
基準値は (いくつか種類があるらしいですが父が受けているCEAの場合は) 5 以下。
最初に異常値と言われた1年半前の値が 30。 (医療機関によってかなりの誤差があるそうですが今通っている大学病院での値)
その後検査するたびに倍々に増えていって、今月は 525。
なんと基準値の百倍まで来ました。
肩などに痛みがあるので 先生は骨への転移を強く疑っていますが、(ちょうど腫瘍に近い所が痛みがあるので) 詳しい検査はしていません。
痛みは関係ないと思って父は何ヵ月も前から近所の整形外科医院に通って痛み止めを飲み続けて注射もしてもらっているんです。
大学病院の先生は、 それは悪いことではない、腫瘍の痛みでも痛み止めが効くわけだから。 でも整形外科医院でもレントゲンを見れば腫瘍の影響だとわかるはずだけどなあ… と不思議そうにしていたので、こんどは整形外科のほうにも私も一緒に行ってみようと思っています。
オジーサン、落ち込みながらも痛む体でまだまだ畑仕事をします。
こういう年寄りには、 がん という言葉は言わないほうがいいんじゃないのかなあ? と思っていたのですが、今どき医師のほうにはそんな選択肢はないみたいで、
目と目を合わせてハッキリ言っちゃってくれました。
家に帰って母にはなんと言うのかなあ? とまたしても私の心配をよそに、父はハッキリ 「肺にがんがあるんだ」 と母に話してました。
もちろんそれから母もかなりショック受けたようで、
それとは別に、最近とても頭が混乱している状態が増えたんですがますます拍車がかかったかも
もう~~私の苦労も知らないで
でも父も自分が不安すぎて家族にも気持ちを共有して欲しかったのかもしれませんね。
どんなに長生きしても やっぱり誰しもいざ死ぬのは恐いんですよね・・・
私もなるべく普通に優しく(?)心がけているんですが、これから先どうやってサポートしていけばいいのかちょっと困ってしまっています。
今回あえてマーカーのことなど詳しく書いてみましたが、もしもどなたかの参考になることもあればとおもいました。 (個人差などの誤差があるのは承知のうえで)
皆さんそうだとおもいますが、私もかなりネット検索しているので
カテゴリーも別にしました。
眠いです・・・ 毎年春先になると始まる母の眠れない病。 今年は原因不明の体の痛みがあって厄介です。
でもだんだん改善してきました。
オジーサンはあいかわらず…
たしか去年の12月に、一年間経過を見てきた肺の影が、 大きさが変わらないからがんじゃないのかも? と言われてちょっとホッとしたのに、
今月の検査では
えっ! 急に大きくなってる
こんなことってあるの?
腫瘍マーカー値もさらに倍増。
先生が今までにない深刻な顔で 「体調が悪いんじゃないかなとおもうんだけど、どう?」
オジーサンは 特に変わりない、ゴハンもおいしいですよ♪ と言うので 先生不思議そう。
どこまでも楽天的な性格が幸いしてるのかもしれませんね でもこれからは検査の間隔を短くされました。
大動脈に接しているあぶない場所だし、年齢的にも手術も抗がん剤治療もできないってわかっているんですけどね… これから先どうするのかな~
そんなこんながあってもなぜか家の中はいつものんきな笑い声が絶えず。
今週の訪問入浴も、 今回はオペレーター(運転やボイラーの操作などする人) がいつものイケメンさんじゃなくて、2~3度来たことがある人(見た目ふつうのオジサン)。
母に手を振り 「こんにちはー!お久し振り! って言っても覚えてないだろな~」
私 「覚えてるよね~ イイ男は覚えてるんだもんね」
オペレータ 「そう? こんにちは。 マツジュン と申します」
看護師さん 「だめよー! もうちょっと年代的にわかる人にしなさいよ」
オ 「片岡知恵蔵 です」
そこまで遡るか!
オ 「三田明 です」
私 「舟木一夫あたりにしたら?」
オ 「じゃあ 橋幸夫 です。 氷川きよし です」
私 「氷川きよしは私だな」
オ 「誰でも選びほうだいですよー!」
選んでどうするって話だけど
母 「よりどりみどりで選べないよぉ」
で、オペレーターさんの歌をBGMにお風呂入れてもらって、
なぜかうちに来る人ってこんな人が多い
ありがたいことですね
毎朝 霜が降りるくらい寒くなってるのに、まだしぶとく咲いてるアサガオ (アサガオじゃあないのよね 名前忘れちゃった・・・)
あれからオジーサンも元気です。 いちおう
今月に入って母が風邪を引いてデイなどいろいろ休んだり、それがオジーサンにも移って、長引いて… ちょっとドタバタしました。 すっかり母より父のほうが弱くなりました。
先月はあれから循環器内科の外来に付き添い、 結局 あと1回のカテーテルは11月最終週にやることになりました。 研究会のためではなく普通にやってもらうことにしました。
入院は3日間。 それでも1日目は朝一緒に行って手続きやら執刀医からの説明やら…ありますし、 2日目は朝9時までに病院行って カテーテルが始まって終わるまで待機して、また説明を聞いて、 3日目も朝迎えに行って たぶんまたその後についての説明があり、 まるまる3日間暇なしです。
大変だけど3日のうち2日は母がデイだから、朝早く姉に来てもらえばなんとかなりそう。
外来に行った日は、母がデイから帰る時間までに帰れそうになかったので、 ケアマネに相談して デイで延長保育?じゃないよ、 延長介護で遅い時間まで預かってもらいました。
これからもそんな時はかなり柔軟に対応してもらえそうで良かったです。
父は今月は呼吸器内科の外来もあったのでまた付き添いで行って来ましたが、 こちらはなんだか不思議な話になって、
今まで 1年間経過観察してきた肺がんらしき影は、がんじゃないかもしれないって ?ですよね
影の大きさが大きくならないから。
でも腫瘍マーカーの値はずっと増え続けていて、今回は桁違いに増えているのを見ると、 がんなのはまちがいなさそうなんだけど、肺じゃないのかも? ってことで、
でも先生は心臓の状態を見て、「これじゃあね・・・」
肺の影ががんかどうか確定診断するには内視鏡検査が必要ですが、心臓がこんな状態じゃあ 危なくて内視鏡なんかできない ということです。
それに、マーカー値はどんどん増えてくのに影の大きさは変わらないから、肺とは考えにくくなった、でも仮に他の難しい検査をして肺以外で場所を確定したとしても、抗がん剤治療とかも出来る状態ではないし・・・と、先生も困っちゃって可哀想みたい
そうなんだ… 心臓カテーテルは高齢でも元気なら出来るけど、がんの治療はそうじゃないんですね~
とりあえず今は心臓の治療に専念すべし、 ということで。
長生きはめでたきことなれど・・・ ですねぇ。
台風26号、たいへんな被害になってしまいましたね。
言葉もなく・・ ただ祈ります
さて続きですが、 結局オジーサンは今回は肺とは別に心臓のほうで、狭心症でも重症のものだったわけですが、
どうして最初の強い発作の時に内科クリニックで心電図が 「異常ナシ」 だったのか、
大学病院の先生によると、そういうことはよくあるんだそうです。 だから胸が痛いなら大きい病院へ行くほうがいいと… 普通の心電図よりも、感度のイイ心電図(?) てのがあって、それで見ると出てくる波形があるとか。
そして血液を調べれば、心臓の筋肉にダメージをきたしていることを示すタンパク質(?)てのが出ていればすぐに心筋梗塞の可能性があるとわかるそうです。 へ~ですね。
でも私もまるっきり予測しなかったわけではなく、
12~3年前の狭心症の時の痛みとどう違うのか、似てるのか、
とオジーサンに聞いていたのです。
でもオジーサン、「狭心症の痛みとはぜんぜん違う。 あんな転げ回るほどの痛みに比べたら今度のはぜんぜん軽い。」 と言うし、
吐き気はなく食欲もあるし痛みは胸だけで放散痛(胸以外に広がる痛み) もないようだし、やっぱり心臓じゃなさそうだな~と思ってしまったのです。
これについてもカテーテルをやってくれた先生によると、
高齢になると痛みを感じにくくなることもあり、だからいつのまにか重症化してしまうことがあるそうです。
どなたかにも参考になることがあれば幸いです。
うちのオジーサンは88才という超高齢者にしては体力がある人なので、糖尿病や痛風、高血圧など持病はありますがカテーテル治療ができるということもわかりました。
当日は血圧が上200前後と高いままなかなか下がらなくて心配してもらったみたいですが、
経過は良くて次の日に先生から 「急性期治療は終わりましたから明日、説明の後ひとまず退院でいいですよ」 と言われ、まったくなんて丈夫な人なんだろう…と呆れるくらいです。
近年、高齢者の体力が向上しているというニュースもあり、だんだんこれぐらい普通になっちゃうかもですね。
退院の日、先生との約束は11時でしたが、「もしも急な処置が必要な患者さんが入ってしまったら、申し訳ありませんがお待たせすることになるかもしれません」 と言われていたので
待つ覚悟で行ったらその通りになってしまいかなり待たされましたが、
たいへんコマメに看護師さんが 「先生から連絡入りました。 もう少しで終わるそうですよ」 「あと10分程で来られそうですよ」 などと何度も言いに来てくれて、
そもそも病棟の看護師さんの人数も多くて、対応も良かったそうです。
先生方も、一年前から今まで3つの科を回っていますが いまのところ対応がそっけないとか不満を感じることは一度もないです。 むしろ丁寧過ぎて恐縮するくらいで。
いつも母の付き添いで行く公立病院との違いに驚きです。
退院手続きも済んで家に帰ったのは3時でしたが、母のデイから帰宅までには充分間に合いました。
帰宅するとオジーサンは調子に乗ってすぐに発泡酒なんか飲んで、 次の日は食欲もなく寝込んで… まったく世話がやける人です
ところで先生からの話ですが、
経過説明を個室でパソコン画面を見ながら… は普通ですが、
カテーテル治療の執刀医 (ていうのかわかりませんが) の先生と、もう一人、外来で診断を下した先生もいました。
もちろん執刀医の先生が説明をして、… (それにしてもいきなりカテーテルをして そのまま冠動脈2本治療してしまう、しかも刺す場所が脚の付け根ではなく手首からなので身体への負担も比較的軽いという、この10年程でいかに技術が進歩したかにも驚きました。)
それで、今回治療した冠動脈は2本で、もう1本も詰まりかけている箇所があるけど、今回治療せずに残してあって、そこは治療した2本ほど緊急性はないけれど、
「でもなるべく早くやったほうがいいです。」
そこで初めてもう一人の先生が口を開いて 「いや、やらなきゃダメです!」
は… はい…?
「そう! やらなきゃダメです! そこで・・・ここからはご相談、というか、お願いなんですが…」 て、なんだか話の方向が変わってきて…
つまりカテーテル治療をもう1回やらなきゃならないんだけど、それを先生方の都合のいい時にやらせてくれないか、と。
つまり先生方は大学病院という性質上、最先端の機器と技術を広める役割もある。
大学内外から心臓カテーテルの権威と言われる先生が大勢集まる来月の研究会で、うちのオジーサンを実験台(とは言わないけど) にやらせてくれないか、 という話。
普通にやるのと違うのは、かなり賑やかなところでやる (ギャラリーが大勢いる)ことと、 最先端の機器を使うから、より身体の負担も軽くなるし安全。 かかる費用は普通と同じ。
「次の外来の日までに、ぜひ考えておいていただけませんか~」 って・・・
これ どう~~思います?
オジーサンは本音のところ、またすぐやるのはいやだ、もう少し先伸ばししたい。
私も、来月また入院て… 正直言ってかなりめんどくさい
これって絶対、本当は先伸ばしできる治療なんじゃないか、やらなくても大丈夫なんじゃないかって気がしますが…
その研究会のために残しておいてあるのは見え見え… 大学病院で治療する以上こういうことは当たり前なんですけどね。
オジーサンきっと断れずに言う通りにしちゃうんじゃないかと思います。 あぁめんどくさい
このごろは実家にいると母か父かどっちかの世話しかしてない気がして・・余裕がなくてまた嫌になっちゃってきてます。
姉が交代しに来るので休める日もあるからなんとかやってます。
たいへん長くなってしまいましたが、今回の緊急入院の話はこれでおしまいです。
読んでくださった方がいたらありがとうございました。
はじめに… 今はすでに治療が一段落して退院してます。 入院は2泊3日でした。 大袈裟なタイトルでスミマセン。
「胸が痛い」 って ずっと言ってたんですよ。
2週間前に、朝食後しばらくして急に強い痛みがあって苦しそうになって、(前回書いた出来事ってこのことです) でも意識はしっかりしてるし歩くこともできるので、私の判断で近くのかかりつけ内科クリニックへ連れて行ったら (後で思えばこの時、救急車で大学病院へ行くべきだったそうです。 お医者さんはじめいろんな人に言われました) すぐに心電図などとってくれたんですが 「どこも異常ないので筋肉痛でしょう」 と言われ、
痛み止めでよくなってきたので私は安心しちゃって
その後も市販のバファリンみたいの飲ませて 痛み良くなった?ヨカッタヨカッタ なんて言ってました いいかげんなムスメですよね
でもオジーサン自身は、「どうもやっぱり胸がおかしい。 肺のせいかもしれねえ」 と言って、定期的に行ってる大学病院の呼吸器科の先生を受診してみると、(これまたオジーサン1人で行かせたので)
先生が 「すぐに家族の人を呼んで循環器科を受診しなさい」 と言われて 仕方なく私が行き…
この時点ですでに午後3時半だったので、 母がデイから帰って来るのを迎えるために姉に来てもらい…
私が病院へ行くと、すぐに循環器の先生から 「心筋梗塞をおこしかけてる可能性があるから緊急入院」 と言われ、
それからアレヨアレヨというまにオジーサンは検査着に着替えさせられ心電図やらいろ繋がれて
私は次々現れる医者やら看護師さんから説明受けたり同意書類に何枚もサインサインサイン、こんなにいっぺんにサインしたのも初めてかも
どんどんあわただしくなって 「緊急処置準備!」 「オーダー入れて!」 とかいろいろ緊迫した声が飛び交って…
つまり今すぐカテーテル術やるってこと いやいやあのー 困るんです~ 入院はいいけどカテーテルやるとなると私もこのまま夜までいなきゃならないのは困るんです。
と母がいることを話したんですが、
先生は 「しかし今夜一晩このままにしておくわけにはいかない状態です。 猶予はありません。 すでに危険な状態になっている可能性があります」 と
結局アレヨアレヨとカテーテルが始まってしまい
私はHCUの待合室に一人残され…
これじゃあ仕方ない、姉に無理させて夜まで母をみててもらうしかない・・
~~ カテーテルとは、手首や脚の付け根から細い管を心臓の冠動脈の病変部まで通して治療するものですが、オジーサンは12~3年前にも狭心症で別の病院でやったことがあります。
その時は冠動脈3本のうちの1本だったんですが、
今回は3本とも詰まりかけて心筋梗塞起こして一環の終わりになる寸前だった、 と先生は得意げに言うんですが…。
先生 「良かったですね~。 やっぱり緊急でやってヨカッタですね~。 もしも今日お帰りになってたらしんじゃってたかもしれませんね~」 って、
ホンマカイナ~ と私は失礼ながら半信半疑。
本当に緊急でやる必要あったんだろうか… 病院側の都合もあったんじゃ…
おかげで父がHCUに入るのを見届けて、必要書類を急いで殴り書きして私が母の元へ帰りついたのは夜8時半。
疲れた疲れた
今日はここまで・・・ また続きは後日書きますね
もう~~~~ いつになったら涼しくなるんでしょう 9月も半ばを過ぎてまだ真夏 異常ですね
イライラしますよね~~
うちの父の診断結果もなんだか・・ やっぱり結局モヤモヤしたままでした。
いますぐ何か治療が必要なものでなかったのは良かったけど (元気に動いてるんだから当たり前か)
父は30年前ですが 胃がんの手術をしてるので、お医者さんはまずその再発を疑ってくれたんですが 再発はなし。
ただ、CTの結果で 肺に小さな影がある ということで、画像を見ながら 「ココんとこね、 これ、肺がんかもしれないね~」 (・・って、サラっと言うもんなんですね)
これは消化器内科の先生なので、2日後に呼吸噐内科の先生に診断してもらうことになり、結局またもう一度出直してこなきゃならなくなり・・
2日後、 呼吸噐の先生も、画像だけで確定診断は出来ないし、こういうのを例えば内視鏡を入れて組織検査するのってものすごく大変なんだそうです。
だから、今せっかく元気なのに大変な検査をして体力なくなってしまうよりは、大きくなるかどうか待ってみるほうが賢明 とのことで、
3ヶ月後にレントゲン (レントゲンと言っても町医者にあるレントゲンとは全然精密さが違うんだそうです。・・・私が、レントゲンならいつも行ってる医院でもありますが・・みたいな発言をしたので)
その先生が言うには、 町医者にあるレントゲンは、骨が折れてるか折れてないかわかりゃいい って程度のモノ なんだって。 そうなんデスカ~~~ ・・・こういうこと言っちゃうあたりが大学病院の先生らしいなあ~ と感じたひとコマでした。
そして6ヶ月後にまたCTをやることになり・・・ 私もですが父も、 “またここに来なきゃなんないのか・・” と思った感じなので、
「まだ小さいから放っておいてもいいんじゃないかと・・」 と私から言ってみたんですが、
肺がんは脳や骨に転移しやすい特徴があるから注意深く経過観察したほうがいいそうで・・
その白い影が がんではない可能性もあるけど、父の場合 腫瘍マーカーの値が、何度計っても高すぎる。 がん以外の原因で高くなる数値ではないそうです。
他の臓器には今のところがんらしきものが見つからないから、肺がんである確率は高い ということなんでしょうね。
でも今のところ深刻なものじゃないし、よろしいんじゃないでしょうか。
やはり父にはまだまだ働いてもらいましょう ってことですよね?
逆にもし父が短い間でも入院でもしたら、母をショートに行かせるチャンスになるかも? ともチラッと考えましたが、それもまだまだということです。
あ~とにかくいろんな意味で疲れました。
ここでボヤいて、読んでくださった皆様にもご心配おかけしました。
せめて涼しくなってほしいですね~ 秋よ来~い
9月なのに・・・ なんだかとても暑い・・
皆様どのようにお過ごしでしょうか・・ ご無事で夏を乗り切れそうですか? 今年ほど秋が待ち遠しい夏があったでしょうか・・ね
今回はまるきり父のことですが (母は変わらず元気です。 皮膚炎は治りませんが回復傾向です。)
父は月に一度、近所の内科クリニックで持病の薬を出してもらったり定期検診してもらったりしてるんですが、
7月下旬に行った次の日の朝、クリニックから電話で、 「血液検査の結果が出て・・ 一週間以内にまた来てください」 と。
えー! 昨日行ったばっかりなのに? と
そして、その日から 父は検査に次ぐ検査、検査検査・・
結局は大学病院を紹介されて精密検査になって、 昨日私が付き添って行って来ました。
母をデイに送り出すのもそこそこに 9時前に出かけて、初めての大学病院は右も左もわからず 父と二人右往左往
ヘロヘロになった父と帰って来たのは2時半でした。
結果はまた来週 なんですけど、 とにかくこの 何なのかわからないモヤモヤ感 がずっと続いてるのがいやなんですよね。
白でも黒でもいいから早くハッキリさせたい
今わかってるのは、 ある一つの腫瘍マーカーが異常値だということ。 主に消化器系のがんを示すマーカーで、でも良性の病気や体質によっても高い値を示すことがあるそうですが、その場合はせいぜい基準値の2倍から3倍。 父のは基準値の10倍くらいあって、しかも増加傾向。 “がんが、すでに転移していることを強く疑う” という値の二倍。
でも父は元気なんですよ もともとノホホンとした性格だし 86歳ですから それなりに弱ってはいますが
自分でも 「もうこの年で検査とか勘弁してほしい」 と言うし
大学病院の先生も、 「お年寄りには体の負担がかかる大腸の検査などは無理にすすめませんよ」 と
でも、ということは限りなく黒に近いグレーな状態のままってこともあるのか?
実際 この年でがんが見つかっても、手術などはしない方向だとか。
手術しないのはいいけど、いずれ痛みに苦しんで寿命を閉じるというのも・・・
うちの父、もう充分長生きしてくれたと思うし、頑固ジーサンだし 日ごろムカつくことばかりだけれど、 やっぱり “いつか来るその時” は、できれば安らかなものであってほしい・・ ですよね
それに母のこともあるし 父にはまだ動ける体でいてほしい、 なにしろ実家の力仕事、外仕事、町内会の当番まで全部父にやらせてるし なんていろいろ考えたり、
そんな感じで この夏はなんだか慌ただしく過ぎて、 まだまだ終わらない予感もあるなか気持ちが落ち着かなくて、
だれかに話したくて書いてみました。
もし読んでくださった方がいたら、また結果をここで報告しますね
父は元気ですからどうかご心配なく。 私も、こんな時に夏バテしたら大変だし 健康食品と漢方薬 毎日たくさん飲んでます。 それだけでお腹いっぱいになるくらい
いつもありがとうございます